時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

PINK SKY

2024-08-31 | essay

台風の影響の雷雨直後
まだ降っているのに
空にはピンクの夕焼け。

街がすべてピンクに染まる。
空も道路もヒトも車も。

さよなら8月。
暑すぎた夏も連れていって!




曲がり角

2024-08-29 | essay
もうすぐアノ子の命日。
もう13年も時間が積もったのね。

そんなに経ったとまるで思えない。ずっとアノ子がこころの中に住んでいるから。

二十歳で出会ってから
46歳で天に昇るまで
友だちというより同い年のイトコのような…そんな間柄だったような気がする。
互いの子どもたちも親戚のようだったな。

もし、とか
たら、とか
考えても仕方がないのは十分わかっているのだけれど。
あったはずの時間を
思わずにいられない。

人生はあみだくじか?
ひとつ角を曲がり間違えるとその先の道筋はすべて違うものになってしまう。

あの時、道を間違えなければ…と考えても
時間は決して巻き戻すことはできない。そんなこともう嫌と言うほどわかっている。

いつか自分の番が来て
アノ子に会えたなら
きっとわたしはアノ子に怒りをぶつけて、わんわん泣いてしまうだろう。

いつもヘラヘラ笑ってばかりだったアノ子は、そんなわたしをみてやっぱりヘラヘラ笑いながら「ごめんごめん」と言うだろうか。




永遠に46歳のアンタ、老けたアタシをみても笑わないでよね〜




安堵を連れてくるコトバ

2024-08-26 | essay


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
わたしは基本的に楽観主義。
大抵のことは「だいじょうぶ」だと信じてる。

「だいじょうぶ」は
安堵を運んでくる魔法のことば。

幼稚園のシゴトでも
転んで泣いてるこ、ママに会いたいと泣いてるこ、いろんな場面で気づけば「だいじょうぶだいじょうぶ」と背中をさすってあげてる。

折り紙が上手く折れずにイライラしているこにも
「だいじょうぶだいじょうぶ、ここまで出来た!だんだんできるようになるよ!」と励ます。

何かとトラブルを起こして他の子に言い付けられてばかりのこ…
そういうこは、落ち着いてから
「だいじょうぶだよ。せんせいは◯◯くんがいいこだって知ってるからね」とそっと寄り添う。

だいじょうぶ
大丈夫

そういえば、介護している義母にも同じ。
「悪いねえ」「ごめんねえ」と云われる度に「だいじょうぶだいじょうぶ」と返してる自分がいる。

なんて便利でしかも良いコトバなんだろうな〜。

しか〜し、楽観主義の反動でジブンのこととなると大丈夫じゃなくてもつい
「だいじょうぶ!」と思い込んでしまうクセがある。

励ましの言葉としての「だいじょうぶ」は良しとして、
カラ元気の「大丈夫」はほどほどにしよう。
大丈夫じゃなかったら助けを求めることも大事〜。

(絵本・こんとあきのハンコ!)



雑草パラダイス

2024-08-25 | essay

通りすがりの路地から
ふと目に飛び込んできた空き家の庭の光景。
なんてすばらしい緑の海。

雑草たちが自由に生きる楽園だ。
このまま物干し台を飲み込んで緑のモンスターに変身してしまいそう。

わたし、前世は雑草かな。
雑草たちがイキイキとしている様をみるとこんなにも気持ちがアガルとは!
もしくはバッタだったかもね。
空き地ってものがほぼない街の中のこういう光景はほのぼのしちゃうなぁ。

また見に来るとしよう。




セミレスキュー隊

2024-08-22 | essay
わたしは自称セミレスキュー隊員である。

といっても!夏限定&蝉限定のレスキュー隊員。
子どもの頃からずっと、夏の道路でひっくり返っている数々の蝉たちを助けてきた。
短い成虫の時期を力の限り生きた蝉はいよいよ最期が近づくと力尽きて地面に落下してしまう。

林や公園ならいいが、炎天下のアスファルトや歩道にひっくり返っている彼らはなんとも憐れである。
うっかり車やヒトに踏まれてしまう前に、せめて最期は日陰の草の上で迎えさせてあげたい。

誰でもできるレスキュー方法は簡単!
ひっくり返っている蝉の足に指を近づけてあげよう。
すると彼らは必死に掴まってくる。
チカラの残っている蝉は、眠りから覚めたように突然羽ばたき飛んでいく者もある。
灯火の消えかかった者たちは大人しく指に掴まっているので、木陰のなるべく葉の上にそっと下ろしてあげよう。
亡き後はいずれ地面に落ちて小さき者たちの栄養分となって土へと還る。

既に指に掴まるチカラのない者、魂の抜けている者もそっと日陰の植込みへ運んであげよう。

虫が苦手なひとはもちろん遠巻きに歩こう!
(突然動き出す様を蝉爆弾と呼ぶらしい!)

猛暑で必要最低限しか屋外を歩かないこの夏。

昨日出勤途中でこの夏初めて遭遇し、蝉レスキュー隊初出動!
なぁんて大袈裟なものではないんだけれどね。

虫好き元少女としては
見過ごせないだけのことなのであります。

蝉時雨の季節ももう間もなく終盤。
こんなに暑くても、秋の虫の音もちらほらと始まっています。

あなたも明日から蝉レスキュー隊にぜひ入隊を!笑




夢の中の写真の中の懐かしい面々

2024-08-20 | essay
ふしぎな夢をみた。

亡き父の古いカメラに入っていたフィルムを現像すると
懐かしい親戚の面々の写真が写っていた。 という夢。

夢の中とはいえ
写真の中で楽しげに笑う叔父や従姉妹たちの姿が懐かしくて胸が熱くなる。

優しかったあのおじさん。亡くなってからもう20年程経つ。
「ほらほらみて〜!昔のおじちゃん!」
と、夢の中で叔母に見せるわたし。

亡き母の故郷、鳥取。

行きたいなぁ
皆んなに会いたいなあと常に思っているからユメにみたのだろう。
何とかして行くべきということだな!よし、計画しよう。







新宿の夏

2024-08-18 | essay
わたしの夏休みは
新宿での展示にスポッとそっくりそのまま充てた。

ものづくりのシゴトへとシフトしただけだから休みとは呼べないかもしれないけれど。

ものづくりの対面イベントはすきだ。
ジブンの手からうまれた作品を手に取って目を輝かせてくださるひとの笑顔は、作り手にとって最高のごほうびだ。

老若男女たくさんの方と話をしながら、改めてこうしてこの場に居ることを有り難く思う。
思えば突如始まったコロナ禍時代には、こうしたイベントは全て中止となりいつ再開出来るかまるでわからない状態だった。
老舗デパートさえ全て休業していたなんて…!
外国人の行き交う新宿の街角でこうして今振り返ると本当にあったことだったのか、人類皆で霧の中で夢でもみていたのではなかろうか…なんて思ってしまうくらいだ。
(コロナが消えたわけではないけれどね)

つくづく
いま、ここ、を
味わっていかなくちゃね。

ジブンの終着駅がどこにあるのかまだわからないけれど
行きたい方向へ
明るいヒカリの差す方向へ。

いろいろあっても
笑って過ごすうちに
どうってことないことに変わっていくもの。

変化を厭わず日々進化していこう。





夏帽子

2024-08-10 | essay


久しぶりに遠回りしたら
見慣れたご近所の御宅の屋根にすてきな夏帽子

ノウゼンカズラと思われる。
去年は気付かなかったのか、一年でこんなに伸びたのか。
芙蓉の蕾。
まだまだ暑いから
咲き急がないでね

地震
豪雨
熱中症…
心配ごとは尽きませんが
お互い今日をたいせつに生きましょう

残暑お見舞い申し上げます






4歳のわたしに教えられる

2024-08-01 | essay
ふと
奈良のコドモだった頃に自分が通っていた幼稚園のことを思い出して
初めて園名をネットで検索してみたら…
なんと、閉園となっていた。
しかもほんの昨年度末で。

ふしぎ。
よばれたかな。

1970年代初頭、昔々のお話。
伊丹から引っ越してきたばかりの奈良の団地での新しい暮らし。
姉は小学校に入学。
4歳になったばかりのわたしは初めての幼稚園に入園。

小高い丘の上にあった幼稚園への長い坂道をぼんやり覚えている。
母はだんだん大きくなるお腹を抱えてよっちらよっちらわたしの手を引いて坂を登っていたものだ。

わたしは昔の細々としたなんでもないようなことをよく覚えているほうなのだと思う。この頃とても人見知りだったわたしは、きっと黙って周りをよ〜く観察しているようなコドモだったのだろう。
担任の先生となんて臆してしまってまともに話せていなかったように思う。

ある時、園でお店屋さんごっこの行事があった。
わたしの組はやおやさん。
『いらっしゃい!いらっしゃい!』と声をあげて前へ前へと出るクラスメート達にいつの間にか弾き出され、みんなの背中の後ろで、新聞紙をガムテープで巻いて作ったじゃがいもを両手で大事に握りしめて立ちすくんでいた自分の姿が今でも脳裏に焼きついている。

そこでオトナになったわたしは考察してみる。

その光景が強くわたしのココロに焼きついたのは、その自分の姿よりもその時の担任の先生のわたしを見る憐れみを含んだ呆れたような表情にショックを受けたから、なのかもしれないということ。
黙っているコドモは感受性が人一倍強い。
先生はそんな面持ちでわたしを見つめた後、わたしの背中を押してお店屋さんごっこの最前列に押し出した。
人見知りのわたしがどんなに身の置きどころのない気持ちになったか…想像に容易い。

はずかしがりでいつもモジモジしているわたしを先生はきっとどうしたものか…と扱いあぐねていたのだろう。

とはいえ、当の本人ははずかしがりでも気の合う友だちとはたのしく遊んでいたし、そうは見えなくとも幼稚園がすきなコドモだったのだ。

年長さんに上る前に大阪への引っ越しで転園となったので、あの園の思い出は全て4歳児のわたしの記憶。

コドモは案外いろいろと考えているものなのだ。ただ小さいだけじゃない。
4歳のわたしがそれを教えてくれるから
現在のわたしは園の預かり保育の『せんせい』ではあるけれど、
必要な時には等身大のコドモ目線で園児をみる気持ちを保てている。ような気がしている。
わたしの中の小さいわたし、ありがとう〜

ぺらぺらおしゃべりおしゃまさんよりも無口な子のこころについ寄り添ってしまうのは、コドモ時代のジブンに似ているからなのだろうな。
なかなか打ち解けてくれない子も「あなたがすきだよ」というオーラで寄り添っているうちに少しずつその子のこころのドアが開いてくる。。。

小さい頃のことを憶えていようといまいと、どの瞬間もそれぞれの子の限りあるコドモ時間。
たいせつにたいせつに接していたいものだなぁ。。





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