時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

おとなになったら。

2009-06-30 | essay

大人になれば
なんでもわかるようになるんだと
思ってた。
大人になれば、じたばたしないで
スマートに生きられると思ってた。

いつもこころのどこかに
怒りを抱えて生きてきた。

大人になってだいぶ経つけれど。。。

まだまだ迷うことがいっぱい。
わからないこともたくさん。

少しは怒りを和らげる術を覚えたけれど
まだまだとんがってる自分がいる。

おとなって、こんなん??
って思うこともある。

でも 何にも動じず、迷いもないヒトには
なりたくない。
おろおろしたって、じたばたしたって
それも自分。

わからないことがあれば これから学べばいい。

おとなになったから
わかったってこともある。

物事も、そして人も、
「面」じゃなく「球体」であるということ。

ヤダなって、すぐ投げてしまわずに、
ぐるっと周って
いい部分や、好きな部分を
見つけることだって出来る。

いやなことばっかり、って憂うより
いいところを見つけて
気楽に過ごすほうが遥かに気分がいい。

ちょっと生きやすい方法を見つけたってことかな。


いま 真っただ中にいるキミは
わたしの話などロクに聴きはしないけれど
いつか きっと 自分なりの方法で
自分のこころが 良しとする生き方を
これから歩く長い道の上で
みつけられるといいね。

その時は いろんなこと 話せたらいいね。



                     13歳4ヵ月のキミへ。







空から降るものは。

2009-06-29 | essay




   「 空から降るもの 」


    長いこと 考えても 悩んでも
    結論の出ないモンダイ

    それは ある日 突然解ける
    答えは 空から 降ってくる

    なんにも 考えていない時間に
    ぽん と こころに落ちてくる

    たとえ それが
    「あまり」の出る答えでも
    ああ そうなんだ と
    こころが理解する

    疑いようのない 正答である







本ノ世界

2009-06-28 | 本 のこと

本がすき。
というより、依存症?

思えば、物心ついてからこっち、読みかけの本が
ないなんてこと、ないかも。。。

常に、日常でない世界に半身を置いておきたいのかもしれない。
子どものころ、物語の中は安全な隠れ家だったように思う。
きっと本の世界に身を置くことで、子どもなりに
バランスを保っていたのだろう。

読むスピードは、多分すこぶる遅い。
本の世界にすっかり入って、一字一句しっかりのみ込みたいから。

たまに、あまりに面白いと読み終えたくなくなって、
わざと中断して他の本を読むこともある。

わたしの読書タイムは、電車の中か、
眠りにおちるまでのお布団の中。

どっぷり読み浸っていると、リビングから
「今日は、何処に行ってんの?」と、夫。

「いまドナウ川」 「今日はロンドン」とわたし。
夜な夜などこへでも旅をする。

時々、本を持ったまま眠りに落ちてしまうことがある。
すると、そお~っとわたしの手から本を引き抜き、
メガネを外して、灯りを消してくれるのが、おぼろにわかる。

そんな時、「いい伴侶だなあ…」と
日頃思わないことを 夢うつつに思ったりする。


本の世界は、日常の中の非日常。
いくつもの人生を行ったり来たりのパラレルワールド。
なんとも贅沢な時間。

せっかくの一度の人生、ささやかに 貪欲でありたい。


孤独なライオン

2009-06-27 | essay


  「 孤独なライオン 」

  
   天が降り
   地表が捲れあがり
   川も海もゴウゴウと
   音を立てながら
   何処かへ流れ墜ちてゆく
 
   全ての終焉がここから見える

   私はひとり 断崖に立ち
   ピンク色の雲に乗って 去ってゆく
   レイヨウの群れを
   じっと 眺めている
 

    

MUSIC

2009-06-26 | MUSICのこと

NO MUSIC NO LIFE
って誰が言い出した言葉なんだろ。
多くのひとが共感するコトバだ。

好きなアーティストを挙げればキリがないが、
基本的には、気持ちいい音楽ならなんでも聴く。
流行りモノと演歌は苦手かな。

音楽の持つ力はあまりに大きくて
わたしにはうまく言葉にできない。

MUSIC IS MAGIC
音楽は、時が経ってから聴いても、
まざまざとその頃の自分と周りの空気とを
そっくりそのまま、現在の空間に漂わせる。
嗅覚と同じだ。
懐かしい香りに、過去に引き戻されるのと
似ている。

父も母も、常に音楽をかけている人だった。

早起きの父は、日曜の朝っぱらから
大音量で「ダンス天国(Land of a thousand dances)」
をかけるのが、ある時期慣わしとなっていて、
寝ている部屋の階下から、あの曲が聴こえてくると
姉妹で飛び起きたものだ。
もちろん、音量を下げさせるために!
ご近所はいい迷惑だったろうなあ。
今でもこの曲を聴くとなんだかそわそわする。

父の知人が音楽喫茶を閉める時に
譲ってくれたらしい大量のレコードが
家のリビングの壁一面の作り戸棚に並んでいた。
おかげでいろんなジャンルの音楽が
体に染み込んだような気がする。

母が好きだったのは、プレスリーやプラターズなどの
オールディーズ。それとトランペッターのニニ・ロッソ。
ソニー・ロリンズ。 カンツォーネも好きだった。

母を亡くしてから、もう4年になるが、
母の好きだった曲はまだ聴けずにいる。
過去に引き戻されるのがわかっているから。
泣かないで、母の好きだったレコードを
かけられるようになったら、
やっと一歩前進かな。

今、聴こえてくるのは、
なんとよいタイミング!?

EAGLESの「Take it easy」 


苔むす庭

2009-06-25 | essay
苔がすき。
日本人に刷り込まれた本能なのだろうか。

小学生のころ、通学路の家々の塀や軒先や
木立に生えた苔をあちこち触りながら帰った。

ゆびさきに伝わるひんやりとした温度。
ぎっしり詰まったビロードような感触。

庭を、芝生じゃなく
苔でいっぱいにしたかった。

京都の、どこだったかのお寺の
見事な苔むす庭を見た時、
ここに住みたい!って思ったことを覚えている。

いま思うと、
ちょっと 風変わりな子どもだったみたい。
あれ?いまでもか。

「誰でもちょっとヘンなとこがあるものさ」
って、Huey Lewis も歌っていたことだし
まあ、いっか! 


夜のカラス

2009-06-24 | essay
    「 カラスの秘密 」


     街のカラスのように したたかに
     生きてみるのも 良さそうだ

     まぼろしは そのままに
     そこへ おいていこう
     透明なものに 色が浮かぶのを
     眺めていたくはない

     記憶の中の雨
     夜明けの鳩の群れ
     ボートの曲がり角
     
     手の届かない もどかしさも
     こっそり そこに 隠しておこう

     霧のなかの橋         
     アフリカンドラムの耳打ち
     回転扉の秘密

     全てを知る
     しじまを 抱き込み
     見つからないように
     上手に夜に 溶けてゆくよ

    

リカちゃん

2009-06-23 | essay
リカちゃん遊びがだいすきだった。

このトランクに、新旧リカちゃんファミリーが
いっぱい詰まってる。

小さい頃、姉に、拝み倒してリカちゃん遊びに
付き合ってもらっていた。
同じ姉妹でも、姉は人形嫌い。目の付いているものが
コワイという。
この分かれ目ってなんだろう??
フシギなものだ。

小学校の頃はリカちゃん全盛期だったので、
周りにも好きな子はたくさんいた。
高学年になると、リカちゃん遊び人口はグンと減った。
でも、ストーリーはより高度で複雑化し、
ちょっとしたメロドラマが展開されるのだ。
2~3人の女の子で、リカちゃんやわたるくん達を操り、
ストーリーを練り上げながら、どんどん白熱していく。
いやあ、面白かったなあ !
今思えば、アレは即興劇を自分らで原作脚色監督まで
こなしているようなものだったなあ。
側で、大人が聞いていたら、驚いちゃうような
ストーリーもなかにはあったように思う。
リカちゃん遊びは、少女の現実と憧憬の世界の
縮図みたいなものだ。

そもそもモノが捨てられないわたし。
だいじなリカちゃん人形一式を、もちろん手放すことができず、
数々の転居をも乗り越え、嫁に来るにも持ってきてしまった。

今では娘がすっかりハマって、
お友達と部屋中をリカちゃんワールドにして遊んでいる。
こっそり聞いていると。。。
ぷぷぷ。結構面白い

今も昔もおんなじ♪
遊び過ぎてボロボロのわたしのリカちゃん。
また遊んでもらえてよかったねっ!

月曜日

2009-06-22 | essay



   「月曜日」
 
    或る月曜日 雨の朝
    オフィスへと 流れる人々の靴音の中
    水溜まりで揺れていた 水色の風船

    それは 置いてきぼりの昨日のかけら
    青い日曜日の 空の破片

    それは わたしに話しかける
    時が経てば 忘れてしまう たいせつなコトバ

    けれど わたしは立ち止まることさえできずに
    人の波は わたしを呑み込んでゆく




                   ( 浜松町にて 1987 )



ちいちゃんのたからもの

2009-06-21 | essay
娘のクラスに本の「読み聞かせ」に行くことになり、
娘と図書館へ。
うちにもいっぱい絵本があるのに、自分で選びたいと言う。

わたしはつい懐かしい絵本や好みの絵の本を手にとってしまう。
娘が選び出したのは、かわいい絵で新しそうな、
「ちいちゃんのたからもの」という絵本だった。
   (作:杉浦さやか 発行:学研 2008年)

読んでみると・・・
これは、すてきなお話!
さすが、我が娘みる目があるぞ 

あらすじは、
お兄ちゃんお姉ちゃんの宝物がうらやましい「ちいちゃん」は、
自分だけのたからものが欲しくなる。
たからものを探すうちに、いつも一緒のくまのぬいぐるみを
失くしてしまう。
失くして初めて、くまのぬいぐるみが
自分のたからものだったことに気付く。というお話。

うんうん、大人でも、あるよね。

物語の途中、育てた花が宝物 という、となりのおじいさんの一言が
ピリっと効いている。

   「たからものは あんがい ちかくに あるものさ」

なんて深い言葉なんだろう~
このフレーズ、子どもたちのこころのどこかに留まってくれたらいいな。

最後には、くまは隣のおじいさんの庭で見つかり、
戻ったくまの背中に、お母さんが名札を縫い付けてくれる。

読み聞かせは、何度やっても緊張してしまうのだけれど、
子どもらの無垢な眼差しと笑顔には、
いつもすっかりいい気持ちにさせられてしまう 

この本を読んで、前にこのお母さんと同じことをしたのを思い出した。
次男が小さい頃、いつも抱いていたねずみのぬいぐるみの「ちゅう」を、
よその家に置き忘れて大泣き。
戻った「ちゅう」に名前と電話番号を縫い付けたんだった!

懐かしくなって、探したら出てきた出てきた。ちゅうちゃん!!
もう10歳の次男はすっかり「ちゅう」を忘れていたが、
その話をしたら、「ちゅうはぼくのこと覚えているのかなア」
と言いながら、タオルでベッドを作って寝かせてやっていた 

絵本は、子どものこころに、正義や善をやさしい温度で流し込んでくれる。

過激なアニメやゲームに毒される前の(?)幼い時期に、
たくさんいい絵本に触れさせてあげたいものだな~ 


月の仕業

2009-06-20 | essay
 「 月光 」

  月の満ち欠け
  星の巡り
  潮の満ち引き
  風の行方

  全てが整う時
  そこへ 導かれる

  そこには何のしるしもなく
  ただ 外からの力が
  二人を誘い

  そして
  太陽が その力を消失させる

              

ローマの骸骨寺

2009-06-19 | essay
イタリアを旅した時のこと。

ローマをぶらぶら散策していて、
SANTAMARIA IMMACOLATA CONCEZIONE
(サンタマリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ)
という小さな教会に入った。
別名、骸骨寺。

その名の通り、教会の内部は人骨だらけ。
骸骨を安置してあるのではなく、
人骨を素材としてパーツに分け、芸術的に室内装飾してあるのだ。
壁や天井の模様も、吊り下がるシャンデリアも全て徹底的に人骨のみ!
部屋のあちこちに、十字架を抱いて立つミイラもいる。
カプチン派という宗派の修道僧たちが
みな望んで装飾の一部となったのだそうだ。

もう、ただただびっくり。あっぱれ。
怖いとか、気味悪いとか、そんな気持ちはまるで感じず、
むしろ、その潔さが美しかった。

教会の入り口にはこんな言葉が。
   「昔は私たちもあなたたちのようであり、
    いずれはあなたたちも私たちのようになる」

ひとはひとである限りいつかは肉体と別れる日がくる。
カラダは、一時の器なんだと改めて気付かされた。
この教会を後にした時、
「生きてるうちが花だなあ」と呟いた。

おいしいもんも「生きてるうち」しか食べられない。。。
その旅の残りは、美味しいパスタやジェラートを
「生きてるうち、生きてるうち」を合言葉に
こころゆくまでお腹いっぱい食べた
(結局、食欲~!?)

受け取り方はさまざまだろうけれど
この場所は、何かを伝えてくれる。
ローマを訪れる機会があったらぜひどうぞ。


ビヨンビヨンの木

2009-06-18 | essay
近くに大きな公園がある。
我が家のすきな場所は
「ビヨンビヨンの木」と勝手に呼んでいる大きな白樫の木のそば。
子どもたちが枝にまたがって、上下にばねのように飛び跳ねる。
小さな子には、魔女のほうきで空を飛んでいるように感じられるほど、
高く大きくしなる。
末の娘は2歳の頃からこれがだいすきで、
自分の背丈の三、四倍の高さに跳ね上げられても、
楽しげに歌いながらいつまでも揺られていた。
地面は枯葉が積もってふかふかなので、落ちてもさほど危険はない。

ある日、いつものように遊んでいると、公園管理の軽トラックが。。。
作業員のおじさんが車を降りて近寄ってくる。
怒られちゃうのかな、困ったなと考えていたら、
「へえ~、こんな遊び方ができるんだねえ、邪魔だから切ってしまおうかと
思ってたんだよ。切らなくてよかったよかった」と、笑顔のおじさん。
その木の名前が「白樫」だということも、おじさんが教えてくれた。

次の休日に、遊びに行って驚いた。
ビヨンビヨンの木の枝の下の地面がなんだか白い!
近づいてよく見たら、なんと。
木を細かく砕いたばかりの白い柔らかいチップが敷きつめてあったのだ。

子どもが落ちても痛くないようにと、
あのおじさんがしてくれたに違いない。

義務じゃない仕事。隠れた善行。本当のやさしさ

「あのおじさんだよ!きっと!」と目を輝かす子どもたち。
胸がいっぱいになって涙があふれそうで、大きな木を見上げた。


残念なことに、大枝のひとつは去年折れてしまった。
長年たくさんの子どもたちを乗せすぎたせいなのか、
心ないひとが故意に折ったのかは、よくわからない。
しばらくとても悲しくて、こころが痛かった。

でも、今もあの白樫は我が家の憩いの場所。
公園の、思い思いの場所へ散って遊んでいても、
集合場所は・・・
「ビヨンビヨンの木のとこねー!」


監督ショーン・ペン 「Into The Wild」

2009-06-17 | 映画 のこと

ショーン・ペンは好きな役者のひとり。
彼の監督作品「Into The Wild」をDVDで観た。

大学を卒業したばかりの若者が、何のために生きるのか、
真の幸福を探しに過酷な荒野へと旅立つ。
その果てに見つけたものとは・・・。

昔、ヒッチハイクの旅に憧れた。
自分が男だったら身ひとつで旅に出ていたかも(?)
この映画は実話に基づいて制作されている。
こんな旅、理想だけで出来るもんじゃない。
相当な精神力の持ち主。
しかし、こんな過酷な最果ての地まで行かなくても
大事なものは見つかるんじゃないのかなあ、って思うのは
わたしが女だからなのか??
旅の途中でいろんな人に出逢って、新しい体験を沢山して、
もう見つけてるじゃん!って思うんだけど・・・。
いや、やっぱりそれが若さかな。

ラストは書かないけれど。

映像はたいへん美しい。
これはスクリーンで観るべきだったなあ。

ショーン・ペンの出演作では
「月を追いかけて」が一番すき。
若い時にニコラス・ケイジと共演している作品。
ショーン・ペンの朴訥さがよく表れていて、
あまり知られていない隠れ名作、だとわたしは思う。

「MILK」も早く観に行こうっと。


16歳のノート

2009-06-16 | essay
中学生の頃から、思うことが溢れそうな時に
ノートに書き付ける癖がついていた。
日記というより、独り言ノート。
書くことって、わたしには、こころの整理整頓に
とても役立つ。

16歳のわたしのノート。
先日読み返してみて、赤面・・・
大好きだった英語のT.Teacherのことばかり。
おかけで、英語だけ一生懸命勉強した。
共有の時間を持ちたくてESS部まで作っちゃったっけ。

「時間」は魔法の力を持つ。

年賀状だけのお付き合いになってしまっていたのだが、
最近、すぐ近くの予備校に教えにきてらっしゃると知り、
四半世紀ぶりに先生と再会!!
以来何度かお逢いして、あれやこれやとお喋りしながら、
授業前のランチをご一緒させていただいている。
あのころ、センセイに一途だったわたし。
英語の授業の前だけ、黒板をピカピカに磨き上げてた。
教師一年目で一生懸命だったセンセイ。
一生徒の気持ちに気付く筈もない。
「カワイカッタねえ」とふたりで笑いあう。

本の話、映画の話、旅の話、子どもの話。
ちょっと不思議な、大事にしたい時間。

16歳のわたしに、ずうっと先にこんな風に
すてきな時間を持てる日がくるよって
教えてあげられたらいいのにな。
先生とほんの少し話せたことだけで、
1ページ埋まってる、切なくて可愛い16歳のノート。

人との繋がりはとても大事だよ、と先生。
わたしも本当にそう思う。

「共感」は人を引き寄せあう。
ずっと会わなくてもこころの通じる友人たち。
目には見えないたいせつな宝物。
ウワズミみたいな関わりでなく、
女性でも男性でも、にんげんとして
こころの触れあえる繋がりが心地良い。

ずっとたいせつにしていきたいな。
こういう気持ち。


メッセージ♪

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