近頃なぜか、映画さながらの脱出劇の夢をよくみる。
或る時は、乗っている列車から脱出しなければならず、
緊迫した同志たちと窓から脱出を試みるも
この窓は小さすぎる! さあ、どうする?? というユメ。。。
また或る時は、道に迷って大きな湖に出てしまう。
待ち合わせの場所まで、この湖を越えればどうにか間に合う。
見知らぬオジサンにジェットバイクに乗せてもらえるよう頼むと快諾してくれる。
なのに、そこで目覚ましのアラームが・・・
せっかく初めて水上バイクに乗れるのに~~~。
もうちょっと、もうちょっと・・・と目覚めに抗ってみたけれども
あえなく夢から浮上。(乗ってみたかったなあ)
と思えば、
乗っている船から海に飛び込んで岸壁まで泳がなければ助からない。という状況の夢。
潮の流れは酷く激しく、目指す岸壁は白く高い。(ドーヴァー海峡か?)
(これはマズイ。泳ぎ着く自信ないよ・・・やだなあ、なんで泳がなあかんの~・・
あれ??コレ夢ちゃう?ああ!ゆめだゆめだ。ゆめでよかった。目~、覚まそ!)
と、自ら夢から脱出することもアリ!
何からそんなに逃げ出したいのかしらね?じぶん。
自分でもナゾです~。
記憶とは、つくづくふしぎなものだ。
約30年ぶりに読み返し始めたイギリスミステリ小説「女には向かない職業」。
主人公のコーデリアという名を目にした途端、
「子鹿色」というコトバがふわふわと浮かんできた。
ストーリーはほとんど憶えていないのだけれど・・・
このひと、確か「子鹿色」のセーター着てたんじゃなかったっけ???
読み進めていくと
やっぱり~出てきた。
「こじか色のスカートとグリーンのブラウス」というくだり。
あら、セーターじゃなかった。スカートでした~。
「こじか色」ってコトバが魅力的だったから記憶に刷り込まれていたのかなあ。
著者、P.D.ジェイムズの小説は、細やかな状況描写がとても多いことで有名。
わたしは遅読派なので、そういうの結構すきだけれど
さっさと読みたいひとには、細かすぎる描写にまどろっこしさを感じるかもねえ。
そういうわけで、P.D.ジェイムズのミステリ小説は
机の配置から床の絨毯の色までディテールを描写してくれるおかげで、
まるで自分がそこに居るみたいに本の中に入り込める。
陽射しの温かさや匂いまで伝わるほど。
「こじか色」、原文ではどういうコトバなんだろうな。
それにしても、その「こじか色」を実際目にしていないのに
まるで視たかのように覚えているのは、やはりこの著者の細やかな描写のおかげね。
本の中のこじか色。
記憶のフシギ。。。いとをかし~。
Yくんは、親友の遺した息子。
気持ちの上では、とっくにわたしのもうひとりの息子。
彼が留学のためアメリカへと旅立った。
先日、出発前にと、アノ子の娘KちゃんとYくんと三人でお墓参りへ。
何度お参りに行っても、今でも実感の湧かないアノ子のお墓。。。
それでも、アノ子のこの子たちは6年前とはもう違う。
15と18のコドモだった彼らは、今やすっかりしっかりしたオトナだ。
頼もしいほど立派に成長したこの子ら・・・
おばちゃんは、君らを誇りにおもうよ。
「ママがいたら留学するのめっちゃ心配してただろうね。」と
わたしが言うと、「生きてたら、留学してなかったかも。」と ぽつり。
そうか。そうなんだなあ。。。
15で母を亡くして、いろんなことがいろんなふうに
大きく変わり、彼を強く強くしたんだな。
こんなに立派になった21歳のこの子をアノ子に見せたいよ。
ひとの人生ってものは、どこでどうなるかなんて全くわからない。
わからないから、わたしも今日のこの日をちゃんと味わって生きようって思う。
「無事に着いたよ!」とアメリカからメール。
アメリカってこんなに近くなっちゃったんだねえ。
メールで簡単に繋がれるなんてフシギ~~。
空のアノ子こそ、アメリカなんてきっと一跨ぎ?
しっかり見守っていてくれるはず。
あたらしい春、あたらしい地。
益々大きくなって帰ってくるキミを、おばちゃん、たのしみにしてるよ~。
海は春。
春の海はわたしの中のスキナモノリストの上位だ。
寄せては返すさざ波は、刻まれる時間と同じ。
止むことのない地球の鼓動。
いつまでも小さいと思っていた末っ子の娘ももう ほとんど目線の高さが同じくらい。
こどもたち、兄妹三人で浜辺で裸足ではしゃいでいた春は
いつの間にかもう遠い日に。。。
過ぎてしまえばユメだったみたいな、キラキラ輝く幼き日々。
永遠にくり返すさざ波のように
オトナになっても覚えていてくれるかなあ。
「カア~」と、カラスの大きな声に起こされて
ホテルの窓のカーテンを開けてみたら・・・
前日の雨はすっかり上がり、なんて爽やかな朝の空気。
娘も起こして海から昇る朝陽をみた。
カラスさんよ、起こしてくれてありがとさん!
春休み。
なかなか全員の日程合わせは難しく、今回は思い立って娘とわたしの二人旅。
温泉、久しぶりだ~~~。
列車とバスの旅もなかなかいいもんです。
一泊だからリュックひとつでぶらり旅。
前夜の、雨に煙る熱海の夜景もなかなかのものでありました。
末っ子ムスメも中学校を卒業~!
受験を終えた解放感からか連日たのしげに遊びに出掛けている。
とうとう第一志望は逃してしまったけれど
彼女なりに精一杯チャレンジしたせいか、カラッと気持ちを切り替えて
入学する学校の制服の試着に浮き浮きと夢を膨らませている。
一番泣き虫だったこの子が、実は一番たくましいかも?
それにしても、あっという間にこれで全員、義務教育を終えたんだなあ。。。
なんだか、感慨深い。
あたらしい春。
長男は就活に奔走中。
次男は超マイペースに家業の修行中。
末っ子長女は、華のJKかあ~!
さあ、あたらしい春。
わたしも気持ちを新たに、わたしらしくゆ~るりとがんばりま~す。
こことあっちの間には
目にはみえないふかいふかいふかい溝がある。
でもなぜか
刹那、その溝を全然感じないことがある。
こちらからは見えなくても
あちらからはこちらが素通しに見えていそう。
マジックミラーみたいに。
自分の外側と内側、ホントにここにいるかな。
もう春のお彼岸です。
預かり保育のシゴトにお邪魔している幼稚園の卒園式へ列席。
立派な姿に感動しちゃう。みんな来月には小学生なんだなあ。
普段はやんちゃなあのこもこのこも、みんなきちんと舞台の上でおすまししてる。
思えばみんな、震災のあったあの年に産まれたこどもたちなんだな。
数日前の預かり保育。
ひとりの男の子が、日本地図の絵本を広げながら
「せんせい、ぼくが生まれる前にね、ここで大きな地震があったんだって。」と
透き通った瞳でわたしを見上げた。
ちゃんとご両親が、こどもに話し伝えているんだなあ。。。
これからおおきくなる子どもたち。
晴れの日に、真っ直ぐに未来へと歩むコドモたちを目の当たりにして
わたしもココロの襟を正すようなキモチ。。。
平穏で明るい未来をこれからの子ども達にちゃんと用意してあげなくてはねえ。
それはわたしたち世の中のオトナ全員の役目ですね。
先日、父の様子を見に急遽大阪へ。
新幹線で東京駅から新大阪駅まで。
この線路、人生で何度行ったり来たり移動したかわからないくらいだけれど
改めて車窓の風景を眺めながら、日本って狭いようで広いよなあ・・・なんて思う。
日本の半分くらいを縦断しているのかな。
或る時は、きれいな青空に富士山。。。
と思ったら、いつの間にか雪景色。
ここは、岐阜県あたりかな。
車窓から、切り取られた写真みたいに「生活」が視える。
一瞬に通り抜けるここにもそこにも同じ時間が流れる生活があるんだなあ。
あたりまえなんだけれどね。
どうかニッポン津々浦々、ささやかに平和でありますように。。。
そして、大阪は川の街。
たったひとりの父、どうかいつまでも元気に過ごせますように。
・・・と夜の川に浮かぶヒカリに想うのでありました。
それぞれの時間がひとりひとりに積もる。
それぞれの6年。
時間だけは、ひとの上にも自然の上にも平等に流れて
今年もまた白木蓮のつぼみが大きく花開こうとしています。
花言葉は「慈悲」そして「崇高」です。
ひとにとって嬉しいコトバってのは、きっとさまざま。
預かり保育で園児たちとおしゃべりしているときに
もうすぐ卒園のひとりの女の子に
「せんせいって、こどもみたい~!」って言われちゃった。
いや~~!
コレ、わたしには最高の褒め言葉よ~。
それダメっしょ!? って声が聞こえてきそうだけれどね~^^;
三月は、大きくドアが開かれる月。
解放されたドアから、あたらしい空気が流れ込む。
冷たい空気と温かな空気が行き交って
しんみり寂し気な淡いブルーと、
わくわくする予感が連れてくるオレンジ色が
マーブルみたいに溶け合う・・・そんなイメージ。
幾つものドアを開けて
さあ!旅立ちの三月です。
母はもうこの世にいない。
今年はもう13回忌なんだなあ。
それでも、いろんな場面で 母を想う。
自分も「母」となって早や21年。。。
子どもたちが成長してゆくにつれ
その時々で、母はどうだったかな・・・と
母の後ろ姿をこころのなかで辿っている自分に気づく。
わたしの受験の日、母もこんな気持ちだったのかな・・・
就職活動を見守ってくれていた頃、どんな気持ちでいたのかな・・・
自分がコドモだった頃には、母の年齢を考えることはあまりなかったけれど
就活を始動した我が子の年齢と同じ頃のわたしを思い返せば、
母は丁度今のわたしと同年齢。
当時勤めていた薬局の仕事を生き生きとこなし、
若い頃からダンスがすきだった母は
ダンスサークルに楽しそうに通っていたっけなあ。
すてきなダンスシューズを買ってきて
嬉しそうに履いて見せてくれたあの母は
今のわたしと同い年なのか・・・と思うと何だか不思議だ。
母をぐっと身近に感じる。
この先も、こうしてわたしは
母の後ろ姿を辿りながら「母年齢」を重ねていくのだろうな。
どうだった?って話が聞けたら嬉しいんだけどな~、ホントはね。