時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

蝋梅に気づかされる

2025-01-16 | essay

青空に黄色い満月蝋梅
毎年、年明けすぐに
このまんまるを見たくて立ち寄っていたこの場所。

気づいたらもう1月も半分過ぎてから思い出した。

こういうことなんだな。

「忙しい」と感じない質だけど、明らかにわたしの時間は以前よりずっと義父母のお世話に費やされているということを感じる場面。

スキマ時間にひとっ走り。
空気を吸いに公園を歩く。

認知症で要介護4の義母と
少しまだらになってきた要支援2の義父。
オムツとごはんのルーティーンと、いろいろなハプニングを日々夫と共になんとか粉している。
コトバにすると、正に粉しているという感じ。
細切れに少しずつ増えていくものだから、何となく出来てしまうものなんだなぁ。
大変だねぇとひとに言われても、まぁなるようにしかならんので目の前の出来ることをしていくのみ。
自分だっていつか往くみち。

しかし、蝋梅を忘れていたなんて。。。
これはいかん。

「ただのあたし」になる時間を努めて捻出しよう。

母でもヨメでもなく
家業のおかみさんでも
幼稚園のせんせいでもない
「ただのあたし」

気づかないうちに自分を消耗し尽くしてしまわないように。
たいせつなものをポロポロこぼしてしまわないように。

真夜中に目覚めて
眠れなくなってモノ思う。。。

眠れそうにないから本の続きでも読もうか。




四半世紀

2025-01-03 | essay

2025年本年もよろしくお願い申し上げます。

ついこの前、21世紀に入ったような気がするのになんともう四半世紀も経つのね。
いろんなことが置き去りのまま、時間だけが飛ぶように過ぎていく!

今年はアグレッシブに行こう。行けるところまで行ってみよう。
少し違う景色をみてみたい。
気がつけば今年は50代ラストの年。

さあ、進もう!




お礼詣り

2024-12-31 | essay

2024年
今年も間もなく終わり、新しい年が始まる。

人混みの初詣はニガテ。
なので、今年は大晦日の午後一年のお礼を伝えに近所の神社にお参りしてきた。
境内は今夜からの参拝客のための夜店の業者さんが準備に大わらわ。

大晦日の神社って初めて来たけれどなかなか活気に溢れていていいね。
この時間の方が
凛とした空気が張りつめているように感じる。まだ夜店の食べ物のにおいが漂っていないせいかな。

同じようにお参りに来ているひともちらほら。
手水場ももう新年の装い。

今年もヒヤヒヤハラハラ
いろんなことがあったけれど、とりあえず皆元気で居られたらそれでもう十分。

2025年
世界中の平和を祈りつつ
ちゃんとジブンの足元も見ながら、一歩一歩進もうと思う。

明日は明日の風が吹く!

✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩
今年も書きっぱなしのわたしの拙い文章を読みに立ち寄ってくださりありがとうございました。

ココロの風通しのつもりで気まぐれに始めたこのブログも気づいたら軽く10年を超え、すっかりライフワークのようになっております。

これからもきっと相変わらず書きたいことを書くだけの場所(ほぼ健忘録のような…)であるとは思いますが、どうぞ気が向いた時に読み流しにいらしてくださいね。

どなた様に於かれましても
2025年が健やかな一年となりますよう、こころよりお祈り申し上げます!

時間のしずく miko




フリージア

2024-12-31 | essay

スーパーの生花コーナーに
フリージアを発見。
年々早くなるような気がするなぁ。

母のすきだったフリージア。
母の誕生日にはいつもフリージアとモンブランを届けていたあの日々はもう遠い。
亡くなった後は、毎年伯父にフリージアの花束を送って母の眠るお墓に供えてもらっていた。
その伯父の亡き後は送ることもなくなり
今ではフリージアは我が家で香る。

やさしい甘い香り。
沈丁花の次、世界で2番目に好きな花。




語呂合わせ

2024-12-27 | essay
語呂合わせと言えば、先日とてもとても驚く案件あり!

ムスメの、とあるカードの暗証番号4桁を聞いて耳を疑う。
なぜに???
わたしのとあるカードの暗証番号と全く同じ数字!

聞いてみれば、彼女のとある推しの名前の語呂合わせなのだという。
全く違う意味合いの語呂合わせで選んだとはいえ、母親とドンピシャ同じ4桁だなんて天文学的確率なんじゃないだろうか?

これぞミラクルな偶然!
こんなことってあるのねぇ。
母娘ってふしぎだ。



記憶力を鍛えるささやな遊び

2024-12-24 | essay


最近、記憶力を鍛えるジブンなりのゲームをしている。

ゲームといっても日常に於けるジブンの脳との小さな勝負の遊びだ。

ひとつは停めた自転車の駐輪場のナンバーの記憶。

例えば買い物に出たスーパーの自転車置場。
駅前の駐輪場。
朝停めて夜帰る時までちゃんと覚えておけるかゲーム。
停めた場所を見れば済むことなんだけれどね。
覚えていたらちょっと脳をホメてあげる。

もうひとつは本の読みかけのページ数の記憶。
電車で移動中の乗り換えや降車で閉じる度に栞を使わずページ数を記憶するゲーム!
大抵語呂合わせでページを覚えておく。例えば158なら「行こーや!」とか253なら「煮込み」とかね。
語呂合わせと言えば、母はいつも電話番号に名前を付けるみたいに語呂合わせをするひとで、子ども時代引越しで番号が変わる度に皆に語呂合わせで憶えさせたものだ。
お陰で昔の家や、母の実家の番号は永久的に記憶されてしまっている。
例えばかつての家番のひとつ、下四桁6099は母の手にかかれば「もう食っちゃった食っちゃった」となる。

母仕込みの記憶方法がすっかりわたしも板に付いたというわけだ。数字をコトバに置き換えるということも立派な脳トレになるかも?

というわけで、今日もささやかな記憶力向上ゲームは続く。
あ、昨夜は寝落ちして読みかけのページ見てなかった〜!





小学生のジブンにタイムスリップする方法

2024-12-19 | essay
自分がリュックを背負っていて誰かに忘れ物を入れてもらったり、または何かをリュックのポケットから出してもらうという時…。

クラクラするほどの懐かしさに捲かれるのは
わたしだけだろうか。
瞬時にランドセルを背負っていた約半世紀前のジブンにタイムスリップしてしまうのである。

小学生の頃、よく通学直前の玄関先で背中に背負ったままのランドセルのフタを母が開けて忘れ物を入れて貰ったり何かを取り出して貰ったりした。
体が憶えている背中に伝わる振動や感覚がそのままに甦り、思い掛けずちいさいジブンを追体験してしまうのだ。

懐かしさと切なさのないまぜになった感情…。
こうして今尚誰かがそばにいてくれるというありがたさに何だか胸が熱くなってしまう。
我ながら幾つになっても感受性が強すぎるせいなのかもしれないけれど〜!

小学生のキモチに瞬時に戻ってみたい方は、ぜひお試しあれ。




いけんとあかん

2024-12-13 | essay

懐かしい鳥取弁で書かれた注意喚起の文言にニンマリ。
コレいいねえ。

子どもの頃、毎年夏休みを鳥取で従姉妹たちと過ごすうち、鳥取弁と大阪弁、互いに感化されて言葉がミックスされたものだ。

「いけん」と「あかん」
ちょっとの差なのにねぇ。
ニホンゴっておもしろい。

ここは鳥取砂丘。
先月、姉と一緒に久しぶりに帰った両親の故郷鳥取。
やっぱり来たからには砂丘も見に行かなくちゃね。

いつ見ても大きいなあ。
鳥取砂丘、すきだなあ。

若い頃の両親のモノクロ写真を思い出しながら砂の上を暫し歩く。
さすがに今回は馬の背を越えて歩きはしなかったけれど。

父や母が幼い頃にも
こうしてここにこの風景は拡がっていたわけで。
砂に積もる悠久の時間を想う。。。

空もうつくしい
大きな自然。。。
日中はひとが多いけれど、夜には様々な動物が訪れるという。タヌキ、イノシシ、鹿も!
月明かりの砂丘に佇む鹿を暫し想像してみる。。。
いやぁ、見てみたいものだ。

新しく出来ていたおしゃれなカフェでひと休み。
初めて見た!らっきょの花。





(11月に訪れたふるさと鳥取の健忘録でありました。)




父を故郷に還す

2024-12-06 | essay

先月、とても久しぶりに母のお墓参りへ。
コロナがあったから何だか誤魔化されちゃう。
5年振りくらいかと思っていたら9年も経っていたのね。ごめんねお母さん!

子ども時代、毎年夏休みを過ごした母の里。
伯父は4年前に亡くなり伯母を従兄妹たちが介護中。
世代交代が進んでいく…。
優しくてかわいいおばちゃん。認知症はあるけれど、かろうじて私たちのことを分かってくれた。
元気な内に…と思っていたので今回思い切って訪ねて良かった。

母の一族は皆ケラケラとよく笑いよく喋る陽気な太陽一族。
いつもこちらまでケラケラが伝染る。
ここへ帰ると本来の自分を取り戻すような心地良さを感じるんだなぁ。
親戚っていいもんだなぁと改めて思う。
従兄妹たちも子どもの頃と変わらずいつもあたたかく迎えてくれる。
別の従姉妹たちもやって来て
皆忙しい合間を縫って手分けして私たち姉妹をあちらへこちらへと運んでくれる。
ありがたいやら申し訳ないやら。

母のお墓参りのあと
父の実家のお墓のあるお寺へ。
ここに最後に来たのも9年前。父と一緒に父の育った町を歩いたっけなぁ。。。

父が3歳の頃に亡くなった父親(わたしの祖父)、父を育ててくれた曾祖父母などなど、わたしは会ったことのない血縁者たちが眠っている。
母親と引き裂かれ死んだと教えられ、得も言われぬ苦労の多い子ども時代を過ごした父。。。
父をとても大事にしてくれた曽祖父のことだけは父はこころから慕っていたらしく、亡くなる前年にも独りで長距離バスに乗ってお参りに来ていた父。

最期は父の故郷に連れて帰ってあげたくて、ほんの少しの父の遺灰を連れてきた。
これが本当に最期の父のお墓参り。


そのあと美しい山陰の海へ。
父も若い頃泳いだであろう浜辺。
小匙一杯ほどの父の遺灰を海に撒くと一瞬で海風がふわっとさらっていった。

バイバイ!万年不良オヤジ!
世界でたったひとりのわたしのおとうさん。



お別れに付き合ってくれた従姉妹たちにも、こころからありがとう〜!




汗ばむ12月

2024-12-03 | essay

ススキを撮ったら鳥が写っていた!
小さいことだけれど
とてもうれしい偶然。

その後、噴水の池で水浴びしているカラスに出会った。
バシャバシャと気持ち良さげ。
12月に入ったというのにコートなしで歩けるような陽気。
日向では軽く20℃を超えていたに違いない。
カラスも暑かったのか
水から出たり入ったり。
カラスの行水、実写版?
あまり見たことのない光景だ。
どこを歩いても
晩秋の木々は本当にきれい。


ドウダンツツジの美しさといったら!!
期間限定のスターですね





金色と紅

2024-11-30 | essay

GOLDの世界

大きな木を真下から見上げるのがすきだ。
木の懐の深さを肌で感じることが出来る。
神社のふたごの木。




とても一本の樹とは思えないほど、たくさんの色を持つもみじ。

晩秋の木々はとてもおしゃべりなのだ。




空便り

2024-11-14 | essay

空からの紅葉狩り
山が紅い!

久しぶりに飛行機から眺めると、改めて日本って山の国なんだなぁと気付く。
山の麓を縫うように流れる河。川に沿って人々が暮らしを営む。
そんな光景が眼下に何度も現れる。

島国にっぽんを縦断して亡き両親の郷へ。

数えてみればなんと9年振り〜!?



加速

2024-11-05 | essay
早い、早すぎる!
長男の結婚式から一年があっという間に経っていた。

第一子というものは全てが初めてのことで、3人の子のうち常に一番心配したり気を揉んだりしたのはいつでも長男Sだった。
こんなにあっさりすっかり手もココロも手離してしまえる日が来るなんて、あの頃には想像もつかないこと。

時間はめぐる。
先へ先へ。

彼に関して気を揉んだり案じたりすることをすっかり手離したジブンが不思議なのである。
もちろん元気でいてくれよと願ってはいるが。

しっかりした看護士の彼女と一緒になったということも大きな要因なのかもしれない。
小児喘息だった長男。
喘息や急な蕁麻疹など、何度冷や冷やさせられたことか。
子どもの頃は毎晩吸入器で薬を吸入させ、大きくなってからも喘鳴がしていないか彼の寝息によく耳をそばだてていたものだ。

先日ふたりで家に帰って来た時にそんな話をすると
「小さい時だろ〜?今はないない」と長男。
大人になった子どもからすれば、そりゃあ大昔のことのように思うだろうなぁ。

親にはついこの前のことのようなんだよ。
吸入器だって戸棚の奥にしまったまま。

振り返ってみれば本当にあっという間になんだな。人生。

最近にわかにTVで見掛けるようになった竹内まりやさんの名曲「人生の扉」。
歌詞のひとことひとことを
そのまんま実感してしまって
何だか感慨深い。

気づけば、来年は50代もラスト!
時間の早さを憂いでばかりいても仕方がない。

目の前の自分の持ち時間、大事に使わなきゃね。





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