自分が過去に綴った何気ないコトバが
のちの自分を励ます。 なんてことが起きるんだなあ。と驚く。
綴ったコトバは、わたしの中から外へ出た途端に
もうわたしのものではなくなるのかもしれない。
我が身から産まれた子どもと同じことだ。
「こころがからだの中のどこにあるのか。
それは知らない。
けれど、こころの勝手な動きは
自分でもどうにもならないこともある。
“気持ち“のうえでは、ああでもないこうでもない、
それはアカン、これはオッケー。
理性でコントロールすることはできる。
でも、こころに勝手に湧いてくる かなしさとかくるしさとか。。。
それは意識でコントロールできるものではない。
だから、もう、いい。
だんだん、わかってきた。
「こころ」は自分のモノのようでいて、どこか自分のものではない。
だから、全部自分の思い通りにしようとしても
不自由を感じるだけ。
「こころ」に 自由をゆるす。
そうすると、自分の“気持ち“もらくになる。
コトバにするとややこしいけれど。
誰かに教えられることなく
自然に自分の中に湧いたこの方法は
案外、いいかもしれない。
こころ に自由をゆるして、
かなしい時はかなしいと すきなだけかなしませてあげる。
勝手にさせておく・・・というのは
自分を俯瞰から客観視する、ということと同じことなのかも。
自分で自分のこころを制してがんじがらめにしたりしない。
それは、
ちょっと生き易さに繋がるのかもしれない。」
数年前に書いたコトバを今のわたしが読み返して
新鮮に感じる。ふしぎなものだなあ。。。
今のじぶん。過去のじぶん。どれもじぶん。