時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

幼なじみ

2009-10-31 | essay
わたしは引っ越しが多かったので、
幼なじみって呼べるようなともだちはいない。
一番古いともだちでも、小学4年生の時に出逢った子かな。
その後も何度か引っ越したので、
いわゆる「地元」と呼べる場所がない。。

気づいたら、結婚して移り住んだこの土地が
いつのまにか人生で一番長く暮らす場所になっていた。
そして、産まれた時からここで成長してきた子どもたちにとっては
ここが「地元」なんだなあって、当たり前なんだけれど、
改めてこの頃しみじみ思う。
赤ちゃんの頃からの公園友達もいつの間にか一緒に中学生となり。。。
道でばったり「○○ママ!」って声をかけられて
振り返ると、もうすっかり背も抜かれて
見上げるように大きくなっているあの子がニコニコ微笑む。

体育祭で息子が幼なじみの女の子と笑って喋っている姿を
遠くから見ながら、あのふたり、1才や2才の頃も
キャーキャー笑いながら追いかけっこしていたよなあ…
なんてしみじみ思い出したり。。。
同じ土地で長く暮らすってこういうことなんだね。
大きくなっていく近所の子どもたちの姿を見るのが
こんなに楽しいなんて知らなかったなあ。
継続的に同じコミュニティーに暮らすって
面倒なこともあるけれど、近年初めて
根を下ろす安定感を知った。

赤ちゃんの頃、ビニールプールで一緒に遊んだり、
転がって一緒にオムツを換えてた女の子が、
街中で、カレシと手をつないで歩いているのを見ちゃった時は
おばちゃん、すご~くフクザツな気持ちになっちゃったけれど

こうして、そう遠くない未来にも、誰ちゃんがお嫁に行くとか、
誰くんに子どもが生まれたとか、見聞きしながら暮らして
ゆくのだろうなあ。ちょっと密やかな楽しみ。
まわりの子どもたち、みんなが無事に大きくなって
羽ばたいていけるよう、おばちゃんはそっと見守っていたいな。

うちの男子中坊は、学校の様子を何にも話してくれないので、
元公園仲間の女の子の、気の合うママ友たちと時々会って情報収集。
子どもが大きくなった分、いつの間にか自分たちも
マダ~ムなお年頃になっているのよね。
全然変わらない気分なのにね~。
母親業13年、子どもと共に少~しは成長したかな~?


革小物あれこれ

2009-10-29 | essay
仲間と、春と秋の年2回だけ「一日だけの雑貨屋さん」
(収穫祭)というショップを開いている。
毎回たくさんの方が楽しみにしてくださっていて、
作り手としては本当にありがたきしあわせ~

あっという間にあと1週間!
あとはなに作ろかな~
わたしは主にバッグを作っているのだけれど、
近頃、革の小物作りが楽しくて楽しくて!
革のハギレを使って革アップリケの髪ゴムや
バッグチャームなどの一点ものをちまちま制作している。

試行錯誤しながら、新作の本革ケータイケースの出来上がり!
自画自賛癖のあるわたし、出来上がると、
我知らず「お~いいじゃ~ん!」と
ひとりごとを言っててコワイ。。。
でもお客様からお代を頂く以上、プロ意識(?)だけは持っていなくちゃね。
自分で、いい!って思わない物はひとには薦められないもん、
って思っているので、商品として並べるのは納得のいく自信作だけ。
手放したくなくなっちゃうくらいが丁度いいのだなあ。

物づくり。。。自分の手が創り出したものが
誰かの目に留まって、気に入って使ってもらえるって
とっても光栄なこと。ほんとうに嬉しい。
それもひとつの出逢いの奇跡。
その新たな出逢いのためにまた制作意欲も湧いてくるんだなあ。

足を運んでくださるお客様に感謝
それに、ひとりじゃできないことも
それぞれの微力を寄せ合ってこそできるのよね。
この、刺激し合える収穫祭仲間にもこころから感謝


おくりもの選び

2009-10-28 | essay
誰かに贈り物を選ぶのってとても楽しいこと。
「あのひとはこういうのすきかも」
「あのこはこの色が似合っていたっけ」
って相手のことをいろいろ思い出しながら
プレゼントを選ぶ時間がすきだなあ。

近所に、時々お邪魔する小さなセレクトショップがある。
素敵な奥様が、素敵な品物を厳選して置いている。
かわいい雑貨あり、バッグや小物あり、
センスのいいお洋服あり。
ちょこっとレースやボタンなどの服飾素材があるのも嬉しい。

贈り物も素敵なものが見つかるので、
よく利用させてもらっている。

今月初め、遠くに暮らすともだちに第4子が誕生!
おみごと!あっぱれ!おめでとう
四男ともなると、子どもの物は溢れてるでしょうから、
ママ向けに贈り物選び。

一目ぼれのアイボリーのストールと
小振りな湯たんぽに決定。
この湯たんぽ、金属とかの固いのではなく、
昔ながらのゴムの水枕のお湯版みたいな感じ。
ふにゃっと柔らかくて気持ち良さそう。
しかも、可愛い柄のあったかいボア生地の入れ物付き。
これからの季節、夜中の授乳は寒いもんねえ!

早速郵送したらすぐ電話をもらった。
なんとちょうど出産した助産院でこういう湯たんぽを
使っていて、欲しくて探していたという。
喜んでもらえて嬉しいなあ。以心伝心だね。
贈る楽しさ倍増よ~!

彼女に逆に「いいよお!この湯たんぽ!」と薦められて(あれれ?)
自分もほしくなっちゃって、注文してきちゃったヨ



うなされる映画

2009-10-27 | 映画 のこと

映画はだいすきなのだけれど、
ときどき、観て後悔するものもある。

本でも映画でもかなり感情移入して
中に入り込んじゃう性質なので、
インパクトの強い映画を観た夜には、
いつもと言っていいくらい夢をみる。

苦手なもののひとつ、戦争映画。
すきな俳優が出ているからと
うっかり観てしまうとうなされてしまう~。

昔あちこちのいわゆる「名画座」に
すきな映画を観によく足を運んだ。
大抵、2本立てだったりして、観るつもりがなくても
折角だからつい続けて観ちゃったりしたものだ。
ある時「ブルースブラザーズ」を観に行ったら、
2本立てでやっていたのは「地獄の黙示録」・・・!
ちょっとだけで出ようって思っていたのに
圧倒されて何だか動けなくなってしまった。
苦手な、それも超大作な戦争映画を大画面大音量で観てしまい、
まだティーンエイジャーだったわたしには、かなりのショック。
それから何日も残酷な映像がフラッシュバックしてうなされてしまった。
いまだに、泥の沼から頭がぬう~と出てくるシーンが忘れられない~。

だいたい、なんでコメディと戦争モノが2本立て??
もちろん気分を変えるためにブルースブラザーズをもう一回観てから帰ったけど!

もうひとつ観たくないジャンルは猟奇的な犯罪映画。
ニコラス・ケイジがすきなばかりに、主演作だからってだけで、
よくチェックもせずうっかり観てしまった「8mm」。
この映画は本当に本当に怖い。こんな世界知りたくもなかった。
ある種の人間の汚さ、おぞましさ。。。
人生で観た数えきれない映画の中で、後悔第1位だ。
この手の映画を好む人もいるのだろうけれど、
こういう特殊性のある映画は、パッケージに大きく
注意を喚起する言葉を載せるべきなのではないのか!?
レンタル屋さんで普通に棚に並んでいるのが解せない。
未成年がうっかり観てしまったらトラウマになるよ。
おとなのわたしだって、どろどろした夢にうなされてしまうのに。
映画を選んで出演せえよ!とニコラスに喝って感じ。

映画は薬にも毒にもなる。気をつけよう~


シャベルとスコップ

2009-10-26 | essay
ともだちに「ケンミンショー」が面白いヨって
教えてもらって、最近時々観ていたら・・・!
先週の「シャベルとスコップ」の話で、
長年のもやもやが、や~~っとスッキリした。
10歳まで関西で育ったわたしは、片手で持つ小さいのが
スコップ、足をかけて掘るのはシャベルと認識していたのだが・・・!
関西と関東では呼び名が逆転しているという!!!
おー!それだ!

以前、ねんどオブジェを制作する仕事の中で、
「シャベルで土を掘ってる男の子」という設定があった。
男の子が、ウントコショっと足をかけてシャベルで掘っているところを
制作して、よし!力作!と、納品したら・・・
「これはシャベルじゃなくて、スコップでしょー。
かわいくシャベルで掘ってるところをお願いしますよ!」と担当者。
むむむ・・・これが、スコップとな???どーゆーこと?

マジメなわたしは、自分ひとりが小さいころに勘違いして
覚えてしまったに違いない、と反省。(勘違いは常習なもので!)

かわいくしゃがんで土を掘る男の子を新たに制作して
無事納品したが、どうも腑に落ちない。
だって幼稚園の頃、みんなも砂場のあの小さいのを
「スコップ」って呼んでたよ~。
家庭菜園をしていた時にも、父も母も大きいのを「シャベル」って
言ってたし~。
小さい頃に聞いた「シャベルでほい」っていう歌だって、
大きいやつのイメージだったよ~。
と、思いつつも月日は流れ、
スコップと言いかけては、いやいやシャベルだ。
シャベルと言いかけては、いやいやこれはスコップなのだ、と
検閲しながらしゃべっていた。

あ~わたしだけの勘違いじゃなかったのね~
このコーナーに感謝いたしますわ~。
同じ気持ちのヒトがきっとたっくさんいると思う!
ああすっきり。こういうことって本当はいっぱいあるのかも!?
狭いようでも、日本はやっぱり広いのねえ 


かわいい時代

2009-10-25 | essay
「みてみてみて!」と娘の呼ぶ声。
側にいってみると、
「ほら、ハート!」と掌のうえには砂。
「とってとってとって!」
はいはい、シャララ~ン

かわいい時代だなあ。
あんなこと、こんなこと。
まだ無垢な7さいのキレイなこころ。

ずっと前、長男が小さい頃にお年寄りから、
「こどもはね、ひとつ、ふたつ、って『つ』の付くうちは
かみさまからの預かりものの神の子なのよ。ここのつが終わって
10になったら人間の子になるのよ。」
という話を聞いた。

その言葉は長男と次男で実証された
本当に子どもって十歳を超えた頃から
急に一人前の人間に見えてくる。
自我の確立ってヤツなのか、
自分で自分という人間を見つめ始める時期なんだろうなあ。
いろんなことを想って、考えて、悩んで
逞しく大きくなっていっておくれ~。

娘、七つ。年が明けたら八つ。
ええ~!? 九つまであっという間だ~。
かわいい時代を目いっぱいオヤバカに過ごそうっと


バービー人形

2009-10-24 | essay
60年代の初期バービー。
伯母の形見としてわたしの手元にきてから30数年。
いつの間にやら、年代物になってしまったのねえ。
人形好きだった伯母が手にしていたのは40歳くらいかな。
乙女なまんまのおばちゃんだった。
今でも大切にしているわたしのリカちゃんたちも
ほとんど伯母が買い与えてくれたもの。

このバービーさん、子どもの頃リカちゃん遊びにも時々登場させた。
しかし可哀想なことに、このきっついお顔のせいで
「コワイ女教師」や「いじわるな継母」の役柄ばかり。ゴメン!

オトナになってからは、このひとの抜群のスタイルに惚れぼれ
このお方、足を組んで腰掛けるとたいへん美しい。まさに美脚!
ちゃんと計算されて作られているところがすごい!
ペイント髪のヘッドと、カツラも三点ついている。
モード感たっぷりのこのファッション性。。。
やはりリカちゃんと違って、大人の女性がターゲットだったのね。
しばらくガラス棚に飾りっぱなしだったけれど、
久しぶりにピンクのサテンドレスに着換えさせてあげようかな


夕空の鳥の群れ

2009-10-23 | essay
時計も持っていないのに、あの鳥の群れは
5時15分にねぐらに戻る。

娘の入院中、5階の窓から外を見ていた。
夕空がピンクに染まり出すと、賑やかなさえずりと共に
幾千羽もの鳥の群れが空を舞う。
毎日同じ5時過ぎに始まり、大きく旋回をくりかえし、
さんざんさえずった後、大きな街路樹に順々に吸い込まれるように
沈んでみえなくなる。ねぐらに入り終わると、パタっと音も止む。

1週間の入院の間、決まって5時15分前後。
日の入りを目安にしているのなら、
今頃はもっと早くねぐらに戻っているのかな。

退院後、一度受診するよう言われていたので、
診てもらったあとで、娘とふたりであのねぐらの街路樹まで
行ってみた。。。

「鳥はきれい好きだから、さえずりながらよそで用を足し、
きれいなねぐらに帰る」
と聞いたことがあったので、それを確かめてみたくなったのだ。

果たして、その通りだったのか。
確かにあの病室から見えたあの街路樹に違いないのに、
糞はまるで見当たらない。昼間は一羽の鳥の姿も見えなかった。
本当だったってことかな。

旋回する鳥の群れを、毎日大きな窓から眺めていた夕暮れの時間。。。
日々ピンクに色づく娘の頬の色、消毒の匂い、点滴のしずく。
いつか遠い先に、この入院を思い出す度に、
あの鳥の群れがざわざわと記憶の中で舞うのだろうな。



すきなコトバ

2009-10-21 | essay
「義を見てせざるは勇なきなり」

言わずと知れた、孔子の格言。
この言葉、確か中3の時に教科書で見て、
初めてこころにずっしりと重みを持って入ってきた格言である。
以来何十年もわたしのこころに貫かれたまま外せない要のように
なっている。かといって、孔子について掘り下げて
勉強したことはないのだけれどね!

「すべきことを知りながらしないでいるのは本当の勇気がないからだ」
ってことなのだけれど、
この言葉は、実生活においての、人にとってたいせつなことも
たくさん教えてくれている。
たとえば、「ゴミが落ちているのを見て見ぬふりをするな」ってことでもあり、
「お年寄りに席を譲ることを躊躇するべからず」ってことでもある。
学生においては、「試験前なのにテレビばっかり見てんじゃないヨ~」となるし、
大事な仕事においては、「今やらずしていつやる!気を抜かず最善を尽くせ」
ってことにもなる!あれ?曲解しすぎ??

ここまで、書いたら、わたし、この言葉にずっ~と励まされ、
鼓舞されて生きてきたような気がしてきたよ。
誰かを好きになったら想いを伝えずにはいられなかった少女時代も、
理不尽なことが我慢ならず、上司に喧嘩を売ったOL時代も、
もしかしたら、この言葉の影響が多分にあったに違いない!?
恐るべし孔子!

子どもたちにも刷り込んじゃおう、と、
「義を見てせざるは勇なきなり」
(するべきと知りながら見て見ぬふりをするのは、本当の勇気がないからである)
と、紙切れに書いて我が家のトイレに貼ってある。

子どもに伝えたいことって、たくさんあるけれど、
「正義を貫くこと」
「ずるい人間になってはいけない」ってことだけは
彼らのこころに浸み込んでいってほしい、と日々願う母心なのであった!


キューピーさん

2009-10-20 | essay
MYキューピーコレクションの一部。
人形好きの伯母・チャコのおばちゃんの影響か、
小さいころからキューピーがすき。
伯母の形見のキューピーに始まり、
大人になってから少しづづ集めてきた。
セルロイド・ビスク・ソフビ etc.
キューピーならなんでもってわけじゃなく
目と目があって通じるところのある子だけ。
もちろん、骨董屋で出逢った子は¥お値段にもよるわけで…!

15年くらい前に古道具屋で出逢った大きい子は、
とても希少なおかっぱセルロイドキューピーなのに、
足が片方しかないために、手の届く値段にしてもらっちゃった。
連れ帰って、粘土でそっくりに足を作り、取りつけてあげた。
持つと片足だけ重いのだけれどね。

このおかっぱちゃん、娘時代のチャコのおばちゃんが
だいじに抱いて写真にうつっているキューピーとほぼ同じなんだ~。
この子もきっと昔誰かにだいじにされていたんだよね。

ところで、キューピーを「キューピーさん」と呼ぶ世代は
ミッキーマウスのことも「ミッキーさん」と呼ぶ。大発見!?
なんでかなあ?
外国から来た「ガイジンさん」のノリなのかしらね?



外来語の不思議

2009-10-19 | essay
外来語って、不思議だ。
日本に最初に伝わった時に、読み取ったり聞き取ったりした人が
独断で決めちゃったんだろうか??
エッフェル塔だって、英語では「アイフルタワー」だし、
ビタミンだって「ヴァイタミン」
他にも、日本語英語にしちゃわないで、
そのまま伝えたらよかったのに、って言葉は多い。

以前、洋裁教室の先生をしているともだちに、
「カタン糸」って何の意味?って聞いたら、
なんと、「コットンの糸だよ!」という。
へええええ~知らなかったよ。(わたしだけ?)
そうか、コットンって英語ではカタンの方が本来の発音に近い!
昔の人が聞いたままに「カタン糸」と名付けたんだね。
彼女はついでに、「ミシンはマシーンから!」
ほおおお!目からウロコ~。

きつねうどん

2009-10-18 | 本 のこと

宮本輝氏の「骸骨ビルの庭」を読んでいたら、
大阪のきつねうどんが食べたくなった。

関東の醤油色のうどんと違い、
関西のうどんは、だしが効いていて色は透明に近い。
大阪在住の子どもの頃、母と市場に行った帰りに
よく寄ってお昼を食べたうどんやさん。。。
すっかり忘れていたのに、店の佇まいや、
壁に貼られた手書きの品書きの短冊まで甦ってきた。
確か、きつねうどん60円。
わたしは必ずきつねうどん。
そして甘い美味しいあげさんを最後にひとくち
口の中に残したまま店を出て、道々味わいながら帰るのだ。
ヘンな癖だったなあ。

輝氏の小説を読んでいると、なぜだか時々
昔の記憶が唐突に浮かび上がってくる。
セリフが大阪弁で書かれているからか?
物語の舞台が馴染みのある地名だったりするから?
マジックワードのように、物語の中のことばの鍵が
わたしの記憶の引き出しをポンと開ける。
眠っていた懐かしい何気ないシーン。
ふいに涙が出そうになる。


元気であること。

2009-10-17 | essay
元気であることのありがたさを
思い知るために、時に病を科せられるのかな。

子どもの病気や怪我は親にとっては厳しい試練。
自分が代わってやれないもどかしさ。いたたまれなさ。。。

7さいの末っ娘、新型インフルエンザに感染。
肺炎と喘息を併発して一週間の入院となった。
インフルエンザが重症化してから、肺炎になるものと
思っていたが、驚くことに発症と肺炎はほぼ同時進行だった。
かかりつけの小児科を受診した時には、まだ微熱なのに
もう血中の酸素濃度がすでに危険領域に。
検査もA型陽性が出て、すぐ救急車が手配され、酸素吸入しながら
新型対応の大病院に搬送された。

かかりつけの先生の迅速な対応と、
大病院の新型対応チームの専門治療のおかげで難を乗り越えられた。
入院当夜、「今夜が山です。命に係わらないとは言えません」
と医師に言われた時は、足元の地面が崩れていくような、
はだしで砂浜に立っている時に波に砂を削り取られていくような、
あんな感覚を覚えた・・・。
こうして無事に退院できて、また家族が揃うしあわせ。。。
大きな力に守られている有難さ。
なにものかに、感謝したい気持ちだ。

新型対応エリアにある個室は陰圧室で、専用マスクに
使い捨てガウン、手袋で徹底管理。医師も看護師も付き添いの親も同じ格好だ。
なのに・・・付添い中にわたしも発症。入院前にすでにうつっていた模様~。
幸いわたしは軽症だったので、一緒に隔離されつつ、
そのまま付添を続行させてもらうことができた。
目まぐるしい一週間だったなあ。

子どもは悪くなるのも早いが、良くなるのも早い。
普段、咳や少々の熱くらいでは病院にかからない我が家だが、
喘息のような、息の浅さで受診を急いだのが良かったようだ。
今回の新型に限っては、早め早めの行動がポイントの様子。
なるべく早めの受診がお勧めです~


エッフェル塔

2009-10-08 | essay
吉祥寺に、制作のための素材探しにぶらり。
ついでにあちこちの雑貨屋さんをのぞく。
なんだか、エッフェル塔(アイフルタワーね)の
モチーフがとても目につく。
フランスっぽいのが流行りなのね~。
かくいうわたしも、ついエッフェル塔のチャームを購入。
これは、大きい飾りピンにくるみボタンと一緒にぶら下げよう。

パリと言えば、二十歳ごろに、ヘップバーンの
「パリの恋人」(「Funny Face」 1957年アメリカ)を観て、
とても憧れた街。ヘップバーンはこの映画が最高に可愛いと思う!
ミュージカル映画なのだけれど、ストーリーも面白いし、
ヘップバーンの着るいろんな衣装もとっても見ごたえがある。
おまけにガーシュインの音楽が切なくてとてもすてきなのだ。。。

パリに行った時、何度も観たこの映画を、頭の中で再現しながら歩いた。
憧れのモンマルトルは、芸術の町には違いなかったけれど、
路上での、画家の卵さんたちの呼び込みがあまりに多くて商業的で、
のんびり歩けなかったのが残念だったなあ。
それに、観光客目当ての露店商の出稼ぎ外国人が
あちこちで怪しげな風呂敷の店を道端に広げていて、
取締りの警察官が回ってくると、
突然商品を風呂敷ごと丸めてサンタよろしく、ひょいっと肩に
颯のごとく消えてしまうのだ。
そして、ちょっと離れた場所でまたもや何事もなかったように
のんびりと店を広げる・・・
モンマルトルは、その明らかに違法なサンタ型(?)露店商達が
あまりに印象深く、目を引かれてしまったおかげで、
町並みはあまり覚えていないのだ。う~む

エッフェル塔には階段で歩いて登ってみた。
展望エリアで、イタリア人カップルに、ビデオカメラを
回してくれないかと頼まれ。。。
「写真撮って」はよくあるけれど、
「ビデオ回して」は初めて~。ビデオを回してあげると、
まあ!さすがイタリアン!
目の前で繰り広げられる濃厚なキスシーン!
パリの景色とキス。これがまた絵になる~。
「Buon viaggio~!」と握手して別れた。

これが日本なら、『ドッキリ』かと思って隠しカメラ探しちゃうとこだわあ!

とっくりのセーター

2009-10-07 | essay
とっくりのセーター。
最近はそう呼ばないか。ハイネックセーター?
ともかく、とっくりのセーターをわたしは着られない。
チクチクしてイヤということもあれど、
どうも、首を締め付けられているような感覚が不快なのだ。
小さい頃から、すぐ脱ぎ捨てるものだから
昔の写真の中では、いつでも姉と弟がとっくりセーター、
わたしだけが丸首セーターで映っている。
大人になってからも、襟の高いブラウスは開襟にしないと
息苦しいし、チョーカーなんてもってのほか!

そうしたら。。。ある時何かの本で、
「胎児の時に、首にへその緒が一時的に巻きついて
不快な思いをした体験を持つ人は、とっくりのセーターが
苦手になる」というくだりを見つけた。
これやん!!まさにこれ~!?

昔、母が「アンタは逆子で、お産婆さんに回してもらったから
首にへその緒が巻きついてて危なかってんで。」
と話してくれたことがあったのだ。

お~謎が解けましたな。スッキリ~!?

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