時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

翻弄される植物たち

2020-06-29 | essay


コロナの影響は植物界にも。

公道の植え込みや公園に整備の人の手が回らなかったお陰で、ひとくくりに雑草と呼ばれる小さなかわいい野花たちはアチコチで元気に咲き乱れている。

かと思えば、人が集まるのを回避する、という理由で、咲き誇る直前の花々が無惨に刈り取られている。
例年、人寄せのためにその場所に咲かされているのに。

植物たちは自分の生をただ懸命に生きているだけなのに
ニンゲンはなんと身勝手なイキモノなのだろう…。

間もなく咲こうとしている花が伐採されていく映像を流すニュース。
出来れば、映像なしで告知してもらいたい。

子どもたちには見せたくない残酷なシーンのカテゴリーに入れてほしいくらいだ。

咲こうとしている花を無惨に伐るのではなく、密にならないようニンゲンの方を遠ざける方法は他にもあるはず。。











旬の恵み

2020-06-27 | essay

珍しく地元産のプラムを手に入れたので、早速ジャムにしました。

去年初めて作ってみたら、大変美味しかったので店頭に並ぶのを待っておりました。
旬のものってありがたいなあ。

本当はパクっと生で食べてみたいところだけれど、アレルギーがあるため火を通さないと食べられません。

とろとろプラムジャム。
ヨーグルトにのせたり、ミルクに混ぜてプラムミルクドリンクにしたり!

旬の恵みに感謝して
味わっていただきます🙋



夢で補う

2020-06-26 | essay
この数ヶ月電車に乗って出掛けていない。

美術館や古い建物にも、とんとご無沙汰だ。仕方がないのだけれど。

そのせいか、毎晩のようにバラエティー豊かな夢をみる。
願望は夢で叶える?

魅惑的な建物の写真を撮って歩いたり、博物館を歩いていたり。

しばらく会っていない友達とデパートを歩いていたり、ドイツに住む友人を訪ねて旅していたり、(その子はガッツリ日本在住!)
じゃれついてくる猛獣の赤ちゃんをいなしていたり!

今朝は、朽ちかけている遺跡のぐらぐらする高い所に登って、しきりに写真を撮っていた。
崩れかけた煉瓦の塀のなんとも味わい深い写真を撮りながら、だんだん覚醒していくのがわかり、
「あー夢の中かぁ。。せめて撮った写真だけでも残っていたらいいなぁ。」

と、夢の中でゆめみたいなことを考えていた。

目覚めてスマホの画面を確認してみる自分に苦笑してしまう。

ホントに画像が残っていたら仰天しちゃうだろなー。

今夜は夢で誰に会おうかな。








年齢って!?

2020-06-24 | essay
子どもから見た大人の年齢って、ものすごく幅があって面白い。

園でちびっこと丸いブロックをふたつメガメみたいにして遊んでいた時に
私が「あれー!○○くんが大人になったとこが見えるー」とふざけて言うと、
同じようにブロックの穴から見ながら「わぁーせんせいがおばさんになったとこがみえるー!」と言われて、ちょっとうれしくなる。
このこの眼には、わたしはまだオバサンではないらしい。うふふふふ。

「おばあさん」じゃなくてよかったわー

そうかと思えば、
「せんせいかわいい!」と言ってくれる女の子の横で
「えー。おばあさんにしか見えないよ」と男の子がシビアに言い放つ。
そうだよね、おばあちゃんになってる友人だっているもの。間違いではないよ。

実年齢なんて、実はどうでもいいことなんだよねぇ。

自分が自分らしくいられれば、
何歳だろうと関係ない。

こころはピーターパン?








紫陽花

2020-06-21 | essay

青い紫陽花には母の面影。

額アジサイもすきだったよね。

一緒に紫陽花を見て歩いた日々はもう15年以上前のことなんだね。


15回目の命日。
やっと、紫陽花を見ても青い色が滲まなくなったよ。

時間はくすり。

もう、あのレコードも聴けるかな。
今度かけてみようか、おかあさん。



メガネのヒト

2020-06-19 | essay
わたしは眼鏡をかけている。

眼鏡歴はほんの20年弱。
学生時代からではなく、30歳を超えてからなので、
自分ではあまり自覚がないのだが、いつの間にかわたしは「メガネのヒト」のようである。

幼稚園の仕事で園に居る時にちょっと眼鏡を外したりすると
子どもたちにやたらとウケる。

何が面白いのか、いつもと違う裸眼の私を大笑いする子どもたち。

どこかのCM通り「メガネは顔の一部」なのね。

With コロナの時代、
この春入園した新入園児たちは、マスクありきのわたしの顔しか知らないんだ、とふと気付く。

この先、マスクなしのわたしの顔をみてわらったりしないでしょね!?

これからは、マスクは顔の一部です??













立原道造の詩集に潜る

2020-06-15 | 本 のこと


立原道造がすきだ。

詩はもちろん、彼の生きた佇まいも。

時々立原道造の世界に潜る。

読むたび違う詩がわたしを引き留め、はっとさせられてしまう。まるで初めて出会ったかのように。



「暦」 立原道造


貧乏な天使が 小鳥に変装する

枝に来て それはうたふ
わざとたのしい唄を
すると庭がだまされて小さい薔薇の花をつける

名前のかげで暦は時々ずるをする
けれど 人はそれを信用する








朝さんぽ

2020-06-07 | essay

ねぼすけな娘をひっぱって近所をおさんぽ。

朝とはいえ、陽射しは夏模様。
道端にかわいいお花がいっぱい咲いているこの季節は、散歩も発見がいっぱい。

他の葉っぱの下で咲く小さなピンクの子。
まるで日傘の下のお嬢さん。

ピンクの奥のきみどりが陽射しに光ってなんてきれい。

ちいさな発見に
いちいちココロを踊らせていたい。

あぁ、地球はうつくしいなぁ。

がんばろう、人類❗




6月6日に雨ザーザーふってきて。

2020-06-06 | essay


娘が、スマホを見ながら6月6日って悪魔の日なの?などと言うので、
いやいや、6月6日はコレでしょ!と久しぶりに絵描き歌を歌いつつ「かわいいコックさん」の出来上がり。

うちの子にはわたしが小さい頃に描いてみせてたけれど、
現代の子はこれ知らないかも?

今度、園でちびっこに教えてあげることとしよう。

でもこの歌、大阪の子どもだった時に覚えたからかイントネーションが大阪バージョンなんだよねー。

それにしても、悪魔の日って何や?
「オーメン」からかな。
666。それも懐かしい。



混在する時空間

2020-06-04 | essay

With coronaの新しい日常とやら。
慣れるのに時間がかかりそう。

息子はリモートワークで、よそいきの声でしゃべってる。

隣の部屋では、入学式もないまま、娘がオンライン授業を受けている。

わたしは、洗濯物を干している。
今日は家業の定休日。

なんとも奇妙な空間。

会社のお昼休みと学校のランチ時間がうちの狭い台所で合流する。

ああ、ふしぎだ。
こんなこと、誰も想像してなかったよね。

なんだかんだと
なるようになるもんだ。

Let it be だなぁ。

桑の実と積もった時間

2020-06-02 | essay




日曜日の早朝、ふらっと出かけた長男がたくさんの桑の実を摘んで帰ってきた。
懐かしいね。
小学生の頃、兄弟で競って摘んできてくれたっけ。 
毎年私も一緒に摘みに行っていたものだけれど、子ども達が大きくなってからすっかり摘みに行かなくなってしまった。

久しぶりの桑の実。
長男は、桑の実酒を作ろうと思い立ったらしい。

余った分を使っていいよというので、久しぶりにジャムと、桑の実ケーキを作った。

懐かしい味。
なんだろな。
泣きそうになるよ。

子どもたちと過ごしたたくさんの時間。
覚えていられないくらいたくさんの出来事を重ねてきたはずなのに
まるで一瞬だったみたいに感じるこの頃。

桑の実酒を丁寧につくる長男の背中を改めて見上げる。

いつの間にそんなに大きくなったんだっけ?

子育ては過ぎてみれば
あっけないほどあっという間。

みえなくてもたくさんの時間がここに積もっているんだよね。

素っ気ないクールな大人男子になってしまったけれど、桑の実のなる場所はちゃんと覚えていたんだね。

今度は、昔みたいにまたかなへび捕まえてきてよ。(笑)


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