乗車しようと 並んでた電車のドアから
偶然ともだちが降りてきた。
あらまあこんなところで!
「お疲れさん!」と声をかけたら
「え!?今メール送ったとこ~!」
なーんてことや、
元気にしてるかな と
しばらく会っていないともだちに久しぶりにメールしたら
「今ちょうどメール打ってたよ。びっくり!」と返信があったとき とか。
あたらしく出逢っておともだちになったひとと
すきなものの共通点が次々に見つかることとか!
みえないけれど つながるココロの回線。。。
びっくりは ほっこり。
そういうのなんか 嬉しくてスゴイすき。
シアワセなキモチは そこにもここにもいっぱい隠れてるものです。
今年の命日を過ぎて数日経つうちに
わかってきた。
わたし、毎年みえない山を登って 下りてるんだなあ・・・って気づいた。
母が旅立ってしまった日がフラッシュバックして
ちょっとキツイこの季節。
何年経っても、やっぱりクルシイ。コイシイ。
その日に向かってカレンダーが進むたび
たんだん空気が薄くなる。深呼吸が多くなる。
これは・・・山越えだ。
山を下りた今は、空気も足りてるから大丈夫。
母の命日は、奇遇にも5年前に亡くした親友の誕生日でもあり、
わたしは毎年アノ子の田舎のおかあさんに電話をかける。
おかあさん、腰はどうですか?
おかあさん、この前の梅干し おいしかったです~。
「おかあさん」 と何度も言ううちに
なんだかふしぎな気持ちになる。
母を亡くしたわたしと
娘を亡くした「おかあさん」
こういうふうに
遠くてもココロに橋がかかるように
ちょっとでもお互いのココロがあったかくなるように
なんていうのか、有り難いことに
なるようになってるんだなあ。。。
誰にでも
みえないいろんな山がある。
でも、みえない山だからこそ、越えられないことはきっとない。
と、ここで、ふっと
「あ~るい~ずうぇ~~る」と呪文のようなコトバを思い出しちゃった。
インド映画「きっとうまくいく」の銘ゼリフ。 ALL IS WELL!!
だいじょうぶだいじょうぶ!きっと何もかもうまくいく。
だいじょうぶじゃなく思えるときにこそ、自分にそう言ってあげよう!
眠っていてみた夢も
現実の出来事も
「記憶」になってしまえばどちらも同じことかもしれない・・・?
ロマンティックな夢をみて目覚めた朝
自分でも驚くほどオトメな気持ちに夢心地。
でも これは所詮、夢の中の出来事。
この先、何十年か経って老いたわたしは、それでも
こうした夢の記憶と、現実の記憶を区別できるのだろうか?と疑問が湧く。
あまりにリアルな夢をたくさんみるヒトは
いつか遠い先に記憶の融合が起きてしまうのではないかな。
ほんとうには起きなかったことでも
夢で体得して得られた充足感は、時間が経ってしまえば
現実の古い記憶とさほど変わらないのかもしれない。
現実の記憶でも、夢だったような・・・ってこともあるし。
遠く過ぎてしまえば、夢も現実もどっちでも同じこと?
・・・まあ、それもいいかもしれません。
人生はユメ。
ヒトってものは、つくづくふしぎなイキモノです。
しばらく前から
もうしまい込まないようにして
部屋に置いてあるわたしのバラライカ。
ほんのときどき
手に取ってポロリン ポロン
昔々(なんともう20数年前!?)バラライカ教室で
うっとり聴いた故・北川先生のうつくしいトレモロを
脳内に再生しながら ひとりトレモロの練習。
う~ん。
どうもわたしのトレモロはレロレロレロと音が鈍い。
上手なひとのトレモロは哀愁と潤いを含みつつキレがいいんだよねえ。
運動神経ないのはわかってるけれど、手首の動きまで鈍くさいんだな、わたし。
もう こうなったら一生かけて「きれいなトレモロ」練習したる!
母の命日の晩、「月みた?真っ赤だよ」と弟から電話。
うちからは見えないから
ちょっと のつもりでサンダル履きで外へ。
あれ?なぜ? 月がどこにもみえない。
うちはマンション群の谷間にあるけれど、
しばらく歩けばどこか隙間から見えるはずなのにな。
夜もまだ早いから
方角的にはあの辺り・・・
そうか。まだ月は低い時間だから
きっとあの新しいマンションの向こう側にすっかり隠れてる。
いつの間にかどんどん歩いて手ぶらサンダル散歩になっちゃった。
仕方がないので諦めて
路地から路地へとぶらぶら家へと戻りながら
あちこちのお宅から漂ってくる晩ご飯のにおいに
なんだかふっと懐かしさに捲かれ・・・
自分が子どもになって「ただいま」と家に帰りたい気持ちになる。
おかしいね。三人の大きな子のお母ちゃんのくせにねえ。
月が高く昇ってからまたみようと
思っていたのにそのままバタバタと夜は更けて・・・
みるのをすっかりわすれてしまったのでありました~。
「ストロベリームーン」 だったそうな?
たいせつなひとを亡くして
時間を重ねるほどに、時の重みを知る。
ちいさなことも全部残らず
忘れずにいたい。
ココロの底のみずうみに そっと沈めて
たいせつにしまっておきたい。
今生きているひとも
誰でもみんな自分の持ち時間は永遠じゃない。
自分にできること。
すべきこと。
したいこと。
人生は思うより短いから
ヨクバリなくらいで丁度いいのかもネ。
昔の仕事仲間の元・女子4人 懐かしの目黒で待ち合わせ。
個性の強い人々であふれかえっていたあの会社で
ともに同じフロアーで過ごした20代前半のあの濃い日々。
いろんなことがありました~(笑)
それぞれの道へと散ってからもう四半世紀。
ずっと年賀状だけは繋がっていたものの
それぞれに子育てが忙しい時代はなかなか再会もままならず
みんな50歳前後、ここにきて子育てもひと段落して
この度ようやく「とりあえず少人数でも会おう!」と結集。
そのうちふたりとは、まさに四半世紀ぶり!
約四半世紀分のお喋りは止まることなく更ける夜。
目黒時代、わたしのアパートは戸越銀座にあったし
目蒲線(今は目黒線か?)界隈に住んでるひとも多く、
終電を逃しても誰かしらのアパートに転がり込んで眠るのが常だったので
若かったあの当時は時間なんて誰も気にせず飲んでいたっけなあ。。。
今や、帰る場所がそれぞれある身ゆえ、
一都三県、散り散りに終電ぎりぎり解散となりました。
そりゃあみんな外側は十分過ぎるほどおとなにはなったけれど
昔の仲間っていうのは
喋ればすっかりあの頃の自分たちに戻れるところがいいなあ。
ココロに年齢はないんだなあ~。
年齢を重ねてつくづくそう実感するこの頃です。
そして、それぞれの時間をたくさん重ねた後に
こうして笑って元気に顔を合わせられるのは、実体のあるカラダとココロがあってこそ。
自分の廻りの人々、そして自分の健康にも、時にはちゃあんと感謝しなくちゃね。
資生堂ギャラリー 椿会展2016「初心」へ。
会期ぎりぎり。よかった行けて!
赤瀬川原平氏のペン画、おもしろかったなあ。
そして、内藤礼さんの「ひと」にも再会。
内藤礼さんの「ひと」に
はじめて逢ったのは
やはり数年前のここ資生堂ギャラリー「初心」なのでありました。
その後、東京都庭園美術館での展覧会「信の感情」でも
「ひと」は、やはり常にひとりぼっちで佇んでいて
いつか「ひと」がたくさん一緒にいる光景も
観てみたいなあと思ったものです。。。
今回の展覧会で
とうとう 複数の「ひと」が一緒に立っているところを観ることができました。
20体くらいの「ひと」たち。
それでもひとりひとりが距離を置きながらポツンと一方向を見つめて立っていて。。。
大勢でも さみしい。
ひとは、つまるところ「ひとり」なのだなあ と改めて思わされます。
(それでもひとはひととのつながりを信じ、手をとりあうことができるイキモノなんです)
東日本大震災後、内藤礼さんの手から生まれ続ける「ひと」。
ちいさなちいさな 木でできた「ひと」なのだけれど
やはり
ひとりひとり、途轍もない重みを
感じさせる作品でありました。
内藤礼さんの作品には
こころのどこか深いところがひっぱられるような、
「生活」に埋もれてみえない何か大事なコトを
思い出させてくれるような。。。
そんなふしぎなチカラがあるように思います。
みえないようでみえる「color beginning」の作品群にも惹かれます。
瀬戸内海に浮かぶ「豊島美術館」に「母型」を観に行ってみたいものだなあ・・・
と密かに一人旅の計画を夢想中です。
空気の色が夏に近づいてくると
かけたくなる音楽はやっぱりボサノヴァですねえ。
じめじめした部屋の空気を爽やかに清浄してくれるのは
小野リサ(LISA ONO)のおんがく。
彼女は唄声は まろやかで心地よくて 昔からだいすき。
気づくと一緒にくちぶえ吹いて
ココロもカラリ!
ヘビーグレイの雨雲も何処へやら。
降雨はもちろん必要ですが、気分はカラッといきましょう!
わたしの半分くらいは「夢想」でできてる。
残りの半分で「現実」を生きてる。
現実の半分ではまかないきれない時だけ
あとの半分からちょっと借りてくる という感じ。
ふわふわと夢の聖域の中ですきなようにしてるわたしがいなくなってしまったら
きっとわたしはわたしではなくなってしまう。
きっと、誰でもそうなんじゃないかな。
こうしてコトバにすると妙だけれど。
誰にでも自分の中の聖域がある。
上手にバランスをとって生きてる。
現実世界だけでピリピリキリキリしながら生きてちゃパンクしちゃう。
本でも音楽でも映画でも旅でも(妄想でも)
自分がすきだと感じる世界に自分を遊ばせとく。
いつも頑張り過ぎちゃうオトナのひとこそ
自分の中の「自分」を
すきなようにさせてあげる時間がもっと必要なんじゃないかなあ。
雨上がりの散歩って すきだなあ。
時間限定のしずくの宝石。
普段みえないものがみえたりする。
紫陽花が咲いてる。空を振り仰ぐように たくさんたくさん。
空からも みえてる?
娘を部活に送り出した日曜日の朝は
見るともなしにNHKの「さわやか自然百景」~「小さな旅」をみる。
ガチャガチャしたにぎやか過ぎる情報番組はニガテ。
昔、父がいつもこういう静かな紀行番組を観てたなあ・・・
いつの間にかわたしもこういう番組がしっくりくるお年頃になったんだなあ。なんて思う。
ありのままを映す自然番組は結構すき。
(生き物をいじりまわす企画モノの動物番組はちょっとニガテ。)
「さわやか自然百景」に、今朝はすっかり見入ってしまった。
高知県の無人島・幸島に生息する海鳥、カンムリウミスズメのヒナは
生まれてたった1~2日で、岩場にある巣を出され、自力で海まで歩かなければならない。
しかも天敵を避けるため、真夜中にひとりぼっち、よちよち歩きで岩から岩へ。
時には岩の間の溝に落っこちながら懸命によじ登り、海へ海へ・・・
疲れ果ててうずくまるヒナに、海から声が届く。親鳥が呼んでいるらしい。
親鳥が二羽、波に揺れながら海面でヒナを待つ。
手出しすることなくただ見守って待つ親鳥の潔い姿に泣けてきちゃう。
親ってものはいつだって見守ることくらいしかできないんだよ。。。
やっと海へ降りて、波にのまれつつも
親鳥のもとへと辿り着いたヒナ。ああ、よかったよかった(涙)
それぞれの体のなかにちゃんと備わっている生きるチカラ。。。
いのちって逞しい。
朝から素晴らしいものを見せてもらいました。
そうだよね。そもそも生命体は本来、生き抜くように作られているんだもんね。
カンムリウミスズメの母ちゃんにすっかり感情移入してしまったハハでありました(笑)
4歳から7~8歳くらいまでの小さな頃、自分でレコードに針を落としては
「ドレミファブック」の本を開いて、童謡の曲に合わせてページをめくって見つめていた。
小さい頃って「時間」の概念が出来上がっていないせいなのか
とってもゆったりと時間が動いていたような気がする。
だいすきだったドレミファブックの世界に潜り込む時間。
全21巻、全部とは言わないけれど
ページを開くだけで、今でも脳内で勝手にレコードが再生されちゃう。
ドレミファブック15巻 には
だいすきだった「おさるがふねをかきました」「どんでったばなな」
そして「ゆりかごのうた」も入っているので
間に挟まれた「しらないこ」もばっちり記憶に刻まれている。
なんだかちょっとさみしい曲調で
子ども向けっぽくない絵がかえって印象深いのよねえ。
「しらないこ だけど わらったよ
かきねの そばで わらったよ
よぼうと おもって でてみたら
かきねの かげに かくれたよ
しらないこ だけど あそんだよ
かきねの そばで あそんだよ」 作詞:宮沢章二 作曲:大中恩 絵:倉石隆
この歌は子どもの日常のひとコマをそのまんま切り取ったような歌ですね。
わたしたちが小さな頃って、
こうして名前も知らない子と
たまたまその時だけ遊ぶ ってことがよくあったような気がする。
昔の子どもは、小さいからって常におとなと一緒にいたわけでもないし。
昔は、コドモの世界が
今の子どもよりずっと広かったような気がしちゃうなあ。
実際自分も子どもを持ってから
「サザエさん」を観ていて、タラちゃんがひとりで
三輪車で遊びに行っちゃうシーンに
それはないだろ~と とても違和感を感じるように・・・。
幼稚園にもあがっていない子どもが
ひとりで公園へ遊びにいくなんてことは
現在の世の中では、危なくてまあ、そうないでしょうね。
「おかえり~♪どこで遊んでいたの~?」なんて、サザエさんの時代のように
小さな子をのんきに出迎えられるような安全な世の中であれば、
子どもももっと冒険ができるのでしょうけれどねえ。
ざんねんだけれど、安全第一・・・世の中の変化には抗えませんね。
「こころが広い」ってのと
「イイカゲン」ってのは
とってもよく似ている。
でも、こころが広くて
尚且つ面倒なこともきちんとこなすという奇特なひともたくさんいる。
わたしは、イイカゲンで尚且つめんどくさがりで大雑把。
こころが広いというよりもただOK範囲が広すぎるきらいがある。
そんだけ自覚できていれば
まあ いっか ?
日頃のテキトーな自分を反省しようと思いを巡らせていたはずなのに
結局そうなるのが常である。
それでも
ベニシアさんのきちんと丁寧な暮らしに(Eテレの猫のしっぽカエルの手のね)
憧れているわたくしであります。
今や世界一のテノール歌手 アンドレア・ボチェッリ。
この春の6年振りのコンサートで
彼の音楽の更なる奥深さに触れ、改めてまたまた魅了されてしまった~。
10年以上前に図書館で借りて読んだ彼の著書「沈黙の音楽」を
もう一度読み返したくなってまたもや図書館で借りて再読しました。
「沈黙の音楽」(LA MUSICA DEL SILENZIO)1999年、
幼少期から音楽の世界で成功するまでの半生を
「アモス」とう架空の少年の名に置き換えて
アンドレア・ボチェッリ自らが書き綴った自伝的物語です。
日本では2001年に早川書房より、翻訳出版されています。
21世紀の押しも押されぬ偉大なアーティスト、アンドレア・ボチェッリ。
輝かしい栄光をその手にするまでの彼の人生は
決して順風満帆なわけではありませんでした。
生まれながらの弱視、11歳でのサッカー事故による完全失明という艱難辛苦の日々・・・
そんな中でも、生来の前向きな生きる姿勢に加え、良き人々との出会いに恵まれたことにより
トスカーナの大自然の中で人生を謳歌し、
葛藤しながらも自分の生きる道を模索していきます。
歌をうたう という夢を決して諦めなかった彼は
1994年、とうとうチャンスを掴みます。
その時すでに36歳。
オペラ、クラシック、ポップスも歌いこなすテノール歌手
世界のアンドレア・ボチェッリの誕生です。
この本のあとがきで、彼はこの本を
将来読むであろう彼の子どもたちのためにも書くことにした と綴っています。
揺るぎない人生観。ひたむきで真摯な生き方。
どんな困難も乗り越える情熱的な生きるチカラ。
彼の音楽を聴いたことがないひとが読んだとしても学ぶところの多い物語です。
そして、
彼の唄声の持つまっすぐな誠実さ、清らかさは一体どこからくるのか・・・?
と不思議に思っていた方は、ぜひこの本の中で彼の半生を一緒に辿ってみてはいかがでしょう。
答えはきっとそこに、「沈黙の音楽」のなかに静かに眠っています。