立原道造記念館が休館してしまった。
休館直前にkさんが、新聞に載っていたよと教えてくれた。
けれども、知ってから休館する日まで出掛けられる日がなく・・・。
ここは、とてもすきだった場所。
いつ行っても、静かに静かにその世界に浸ることのできる場所だった。
休館前に行けたとしても、あの静けさは味わえなかったでしょう。
「休館」ということは、再開する余地はあるということでしょうから、
じっと待つことにいたしましょう。
いつの日かまたあの静謐な空間に身を置きたいな。
(あ。静謐な状態では経営上イケナイのか・・・)
今日で、ジョン・レノンミュージアムも閉館してしまうという。
昨日の夕方、NHKでニュースの最後にさらっと言及していた。
こちらは閉館なのだそうだ。
いつか行こう、そのうち行こう、って思っていながら
なかなか行く機会のないまま閉館・・・。残念。
《イツカソノウチ神話》には、もう懲り懲りのはずなのに、
なかなか、すべての想いを取りこぼさずに生きるのはムズカシイよね。
よくばり過ぎてはいけない。
この世は、なるようになっているもの。
「いつか」「そのうち」が叶わなかった事柄は
今生では縁がなかった、というだけのことなのか。。。?
シンプルに生きよう。
真夜中に、図書館から借りた「アマデウス」(1984年アカデミー賞8部門受賞)を
久しぶりに観ていたら、このトム・ハルスが主演している別の映画を思い出した。
すごくすきだった映画で、昔何度かレンタルして観たあの映画。
ひとり暮らしのあの街のあのレンタル店だったから、
もう20年近く前だ。。。
あの頃、仕事もハードだったけれど楽しい仕事場だったから
週に約3回はいろんなひと達と安い飲み屋でわいわい飲んでいたっけなあ。
真っ直ぐアパートに帰る晩には、駅のそばのビデオ屋に寄って、
いろ~んな映画をレンタルしてよく観たものだ。
ともだちと映画館へもよく足を運んだし、あの頃が一番映画漬けだったなあ。
で、何て題名だったかしばらく考えていたら、
やっと出てきた!(最近なかなか出てこないのだ~)
「ニッキーとジーノ」!
とてもこころを揺さぶられる兄弟の絆の物語。
このトム・ハルスが障害を持つ兄ニッキーの役。
彼がそれはもうものすごくいい演技をしているのだ。
アマデウスよりもはまり役!
ぜひもう一回観たいなあ
二十代のころに、能登半島を車でぐるりと旅したことがあった。
日本海の厳しい風に吹かれて崖の上に立つ一本の木のその力強い佇まいに
惹きつけられてしばらく見あげていた。
その木の持つ不思議な魅力は、魔力とも言えるほど。
とてもわたしのカメラの中になんか収まりきれない力を感じた。
あれから訪れることもなく、随分経つというのに
びゅうびゅうと鳴る海風とともに
時々、わたしのこころに立ち尽くすあの木。
ひと気のない海を背に凛とした姿で立つあの木は
今も、あの場所で風に吹かれているのだろうか。
次男が小さいころからだいすきな絵本。
スズキ・コージさんの「エンソくんきしゃにのる」
小さい子に絵本を買い与える目安として、
図書館で本人が何度も読みたがる本かどうか、は大きなポイント。
この絵本も、次男が2~3歳くらいの頃、図書館でくりかえし借りるので
とうとう買ってあげると、大喜びしたものだ。
小学校に上がってからも、図書ボランティアの読み聞かせの時間に
読みに来て!とリクエストされて、読んであげたこともあったなあ。
六年生の今でも、彼には特別の本。
このまえも、「このひつじのコロッケ、なんでだかおいしそうなんだよねえ!」と
よだれが出そうな顔してしみじみ言っていたっけ。
スズキ・コージさんの世界はすっごく独創的。
ふしぎなふしぎな絵とストーリーがページいっぱいにぎっしりと詰まっている。
このエンソくんの世界も、どこかにありそうでなさそうな異国のムードがいいねえ。
コドモもオトナも引きつける魅力のある絵本!
きっと彼がおとなになっても、このエンソくん、
彼のこころにず~っと住み続けるのだろうなあ。。。
正義ってなんだろう。
正義を貫くためなら争って傷つけてもいい?
とは思わない。
正義のために、後退して迂回すべき時もある。
さて。
何処へ行く?ニッポン。
初参加の娘の合気道演武会と次男の弓道大会。
どちらもとても清々しかった~~。
合気道はスピード感があって、身軽な身のこなしを観ているだけでも気分爽快!
エライ先生方の模範演武は圧巻!!
娘8歳、合気道を始めて3か月余り。
子どもだけ10人ほどで基本動作を披露するのだけれど
ちゃんと出来るかこちらまでハラハラ。
酷くシャイな子だけに、こうして大勢の人の前で
いっちょ前な格好できちんと立っているだけで拍手してあげたいくらいだ。(重症の親バカ!)
六年生の次男がやりたいと言い出して習い始めた弓道もまだ4カ月。
この大会が今期入会した子どもたちのデビュー戦となる。
もちろんまだ的に当たったことはないのだけれど、
ひとりで弓を引けるようになっていて感心してしまった!
かつて見たこともないほどの、あの子の真剣な眼差し。。。
隠れカンシャク持ちの彼も、この弓道の静かな空間に身を置くうちに
少しづづ穏やかになるかしら・・・?(念!)
高校生たちの弓を引く姿も潔くて美しい~~。
普段はフツーの高校生なのだろうけれど、
こういう凛とした瞬間を持つことって、
きっとこの先の将来のどこかで、隠された大きな力になるような気がするんだなあ。。
子どもたちがお世話になっているどちらの先生も、
若いのに真っ直ぐ一本筋の通ったような信頼のおける方々。
やっぱり、武道であれなんであれ、自分の道を揺るぎなく歩いてきたひとは
根っこがしっかり張っている感がある。
ふわふわとあっちへこっちへ流れて生きてきたわたしにはたいへん眩しい生き方なのだ・・・。
縁あって始めた武道。
どちらも末長く続けられたらいいな。
わたしも運動不足解消のために娘と一緒に合気道がんばろ。
あの素早い身のこなし、憧れるなあ~。道は長い!
子どもを持つと、子どもの数だけ様々な行事があるわけで。。。
秋の三連休は、長男の体育祭・末娘の合気道演武会・次男の弓道大会の三連チャン。
よくぞ重ならなかった!よかった~。
ウチの中三男子、中学最後の運動会。
ひょろひょろ草食系の長男と同学年とは思えないような、
ほぼオッサン化している男子陣の組み体操になんだか圧倒されてしまう。
地鳴りのような「うお~!」という雄叫びが頼もしい~~。
しかし、こうして運動会で長男絡みの顔馴染みのいろんな親御さん方と
立ち話するのも今年で終わりなんだなあって思うと寂しくなってしまった。
一緒に行った長男の公園デビュー以来のともだちにそう言うと、
「な~に言ってんの!Sくん卒業してもあと6年来るんでしょ~が」と
言われて、今更ながら愕然とするわたし。
中学のこの(タイクツな)体育祭に、あたしゃあと6回も!6回も来るのね・・・
自分がいったい何歳になっているのか数えたくないわあ。
映画「12人の怒れる男」(12 Angry Men) 1957年アメリカ映画
題名はよく聞くけれど、観たのは初めて。
陪審員制度は12人全員の意見の一致をみなければ判決を下せない。
貧困家庭の少年による父親殺し・・・先入観から、ありがちな事件と決めてかかり、
早々に結論を出して帰宅しようとする陪審員たち。
11人が有罪を唱える中、たったひとりの男が疑問を投げかける。(ヘンリー・フォンダね。)
疑わしきは罰せず。
その男の話を聞くうちに、ひとりまたひとりと意見を翻してゆく。。。
ほぼ全編にわたって、ひとつの部屋の中で回るカメラ。
少しづづ見えてくる事件の真相と、陪審員ひとりひとりの人となり。
静かに進む映画なのに、手に汗握る臨場感!
十二分に議論を戦わせ、絆さえ芽生えたようにみえる陪審員たち。
この映画を観たら、もしも裁判員制度に召集されても(制度はちがうけれど)
頑張れそうな気がしてきたよ。。。
共に濃厚な時間を過ごした裁判所の一室からやっと解放される12人。
それでも、外へ出れば元の他人同士に・・・。
ひとりひとり散り散りに帰路につく、俯瞰のラストシーンがとても印象的。
ずっと前に旅した国々の写真を久しぶりにひっぱり出してみる。
この時の夕焼けは素晴らしかったなあ・・・
やはり、雲の表情は海の上が断トツにいいね。
これは16年くらい前のプーケットの夕暮れ空。
あの時、絵になる場所にうまいこと船が浮かんでいるなあって
思いながらシャッターを押したのを記憶しているのだけれど。。。
この写真を観ていて、今頃気づいたよ。
この船はたまたま絵になる場所にいたのじゃなく、
船の上からも夕陽を眺めていたんだ~~~~。
なんで勝手に漁船だと思い込んでいたのだろう?
サンセットクルーズだったのかもしれないよね。
あの日、あの船から同じ夕陽を写真に収めていたひとが
いたかもしれない。
雲はいつでも空に浮かんでいるけれど、二度と同じ形の雲には出逢えない。
それでも、この日同時刻に同じ雲に向けてシャッターで切ったひとが
地球のどこかにいるかも。って想うと、なんだかちょっと神秘的。
どこかで見知らぬ誰かと繋がっているフシギを感じるなあ。
不死鳥のような雲。タイにて。
早生のミカン。
次男の修学旅行のお弁当のために買ってきた初物。
(まだちょっとお高いけれど奮発!)
皮をむくだけでフワ~と広がる甘酸っぱいかおり。
早生のミカンといえば、運動会!
子どもの頃、毎年秋の運動会のお弁当の時間には
いつでもこの香りが立ちのぼっていたっけ。
しあわせな「家族」の時間。
うちの子の小学校の運動会は春。
この子たちは、大人になってもこの早生のミカンの香りと
運動会の記憶が直結することはないのだなあ。。。
記憶と香りって本当に密接な関係なんだね。
庭で、おめでたらしいママかなへびを見かけたのは夏の初めごろ。
無事に産まれて育っていたのねえ。
兄弟は何匹いるのかな。
そういえば、この前日本とかげの赤ちゃんも見かけた。
うちの生き物好きな兄弟があちこちから連れてきて庭にリリースした生き物たち。
何年も経つのに、こんな小さな庭の中でも
こうして命の環はぐるぐると廻っているんだよねえ。。。
頼もしいなあ~。
ともだちのkさんの娘ちゃんの日大吹奏楽研究会定期演奏会へ。
さすが!大学生ともなるとプロ並みなのねえ。
連れて行った娘も、前半の数曲間スゥーピィー寝息を立てていたけれど、
ステージ・マーチング・ショーには釘付け!
身を乗り出して聴いていた。
ほんとうに素晴らしかったわあ!
kさんの娘ちゃん、中学から高校、大学とず~っと吹奏楽を頑張っている。
継続は力なり、だなあ。
何かに打ち込んで仲間と力を合わせてひとつになるって
素晴らしいことだなあ~~~。
まさに青春の響きがキラキラと会場いっぱいに広がってゆく。
娘も「なんかブルっときた~!」と感動していた様子。(冷房じゃないよね!?)
いい体験をさせてもらいました~♪
8歳の娘、感化されて後々吹奏楽を始めたくなったら嬉しいな~~
国立新美術館、13日までの「マン・レイ展」
夏休み中はなかなか行かれず、
ラストチャンスって思っていた日にちょうど父が大阪から出てきたので、
思いがけず、父・姉と三人の父娘鑑賞会に。
父もアート好きだが、姉はアートよりスポーツ好きなタイプ、展覧会を観るのは
わたしが10年以上前に付き合わせた「ロートレック展」以来だという。
マン・レイは、その美しくてちょっと不思議な写真がとても魅力的。
ずっと以前にパリでたまたま「ダダ」関連の展覧会をのぞいた時に、
その何枚かの写真にこころ魅かれてしまった。
その後も、マグリットの絵を目当てに展覧会に行ったさきで、
マン・レイの撮ったポートレイトに出逢ったり。。。
何かとついでに(!?)目にしてきたのだけれど、
こんな大きな、マン・レイのみの展覧会は初めてのこと。
絵画や立体の作品などは初めて観たかも。
マン・レイは有名人のポートレイトも数々撮っていて、
友人だったらしいピカソやヘミングウェイなどの自然体な写真に、
時代を超えてこうしてお目にかかれるとは、なんとも不思議な気持ち。
ピカソの手のアップの写真もあり、ああこの手からあの絵画の数々が
生みだされたのだなあ・・・と暫し立ち止まってしまった。
お終いの方に展示されていた、マン・レイ本人の愛用の品々。
杖、ハット、ブリーフケースにお財布など。
いい具合にくたくたになった革のブリーフケースに
なんだかとてもマン・レイの人間味を感じた。
ひとは消えてなくなるけれど、たいせつにしていた品々は
そのひとを今も雄弁に物語ってくれる。
「無頓着、しかし無関心でなく」
-- Unconcerned But Not Indifferent --
このマン・レイ自身の言葉が墓碑銘に刻まれているという。
大阪から上京してきた父と、横須賀の姉と待ち合わせて
新宿のお墓参りの後、久しぶりに三人でお邪魔した。
父は三年ぶりくらいらしい。
わたしは、最後に行ったのは結婚前だったかな。
赤坂~六本木~西麻布界隈は当時の父の遊び場。
20代のころ、よく父にはあちこちの美味しいお店や
いい生演奏を聴かせてくれるJAZZバーに連れ回されたものだ。
このお店は、何十年も前のオープン当初からのお付き合いらしい。
「街を離れても、こうして寄れる店があるっていうのは大事やで。」
と父は言う。
二年前に大病を患い、ちょっとだけ弱弱しく(?)なった父を
気遣って、外まで見送ってくださる。。。
ありがたいことだなあ。
ひととひとの温かい繋がりって、何ものにも代え難いもの。
この「ダンテ」さん、亡きマイケルが以前お忍びで訪れたお店として、
昨年よくテレビで取り上げられていた。
入口の壁に掛かっているマイケルの生写真。
にっこりと、とってもいい顔をして写っている。
おことわりしてからケータイで撮らせていただいた。
外国人観光客がこの写真にみな驚くのよ、とお店の方も仰っていた。
世界中知らないひとはいないほどのスーパースターだものね。
店内は、いい色の煉瓦の壁が印象的な、どっしりと落ち着いた佇まい。
目の前の鉄板で焼いてくださる、とっても柔らかいステーキがおいしいっ。
ランチなら定食で1400円からと、リーズナブル!!
かしこまらずに、お箸でご飯お味噌汁と共にいただけます。
赤坂で、どこで食べよう?と迷ったらぜひ「ダンテ」さんへ~