時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

今日、金木犀始まりました

2022-09-29 | essay

今朝
玄関を開けたらもうそこに金木犀の香りのベール。

数軒向こうのマンションの植込みからの香りの贈り物。

よその街の友だちの今朝のSNSも金木犀の香りに触れている。
朝のニュースの天気予報のお兄さんも金木犀の香りの話題。

すごいなぁ。
金木犀たち、みえないネットワークを持っているに違いない。
東京近郊、今年は9月29日に一斉に香り解禁!って回覧板でも回ってる?
だって、昨日は一切香りがしなかったよ。

植物たちだけの特別な回線がきっとあるはず。
ヒトの耳には聴こえない周波数で金木犀たちが大きな声でアナウンスしているのかもしれないよね。

ニンゲンがまだ知らないことなんてこの地球上にゴマンとあるのだ きっと。

(近所の神社の金木犀)





植物ワイパー

2022-09-28 | essay

トマソン:植物ワイパー

蔓草が風に揺れて大きく弧を描くこの場所、以前から気になっていたのだけれど、車通りのすぐ脇のため、立ち止まるのもままならない。

丁度ヒトも車も来ない瞬間の一枚!
おおきなワイパー撮れました。

赤瀬川原平さんの
ぷって吹いちゃうようなエッセイ本、また読みたいな。









青空と彼岸花

2022-09-27 | essay
今日のヨリミチ。

この場所に咲く彼岸花は青空が一番似合う

この青空を待っていました
清々しい空に向かって腕を突きだすように伸びるつぼみに「希望」を感じます。

世の中には理不尽なことも多いけれど
憂いでばかりじゃカラダに悪い。
全部受け止めなくていい。
自分にできること、今できることをひとつひとつ。
そう思うこの頃です。

久しぶりにきれいなブルーの空を見上げつつ自転車を転がす昼下りでありました。

一反もめんか??





真夜中のローリング・サンダー

2022-09-24 | essay
雷鳴で飛び起きた午前3時。
異様な地響きはまるで地震かと思うほど。

こんなに長く大きな雷鳴を初めて聞いた。
例えるならうちの屋根のすぐ上で巨大な雲がでんぐり返しをしながらがらがらと巻き取られているような…。

正にRolling thunder!!だな。
地球がまるごとひっくり返るのかと思った。
いや、語彙力不足で表すことができないな。

目が冴えてしまって眠れないのでこうして書き残している午前四時前の暗がり。
雨音と、雨の道路を時折滑っていく車の音。

台風は空を転げながら闇夜をゆく。
どうか気を鎮めておとなしくしておいて。

眠れないから本の続きを読もうかな。。。
今更ながら名著「モモ」の中を旅しているところ。


(たまたま昨日惹かれて買ってしまった風神雷神図のカットクロス!)




木彫りのあたたかさ

2022-09-23 | 展覧会・アート のこと





はしもとみおさんの木彫り動物はどのこも生きているよう。
だいすき。



西荻窪の雑貨屋さん
「tsugumi」さんにて開催中のモリノケモノ展へ。

実はわたしの革コモノの作品もこのお店でお世話になっており、この日も数点納品させていただきました。

すきな作家さんの作品と、わたしの手からうまれたものが瞬間でも同じ空間に一緒に居られるってなんてしあわせなコト。。。

モノとモノのふしぎなご縁に感謝であります!




青いどんぐりの謎

2022-09-18 | essay

公園で拾った まだ青いどんぐり。
なぜ青いまま沢山おちているのだろう? と
気になって調べてみたら
その謎が解けました!

鳥の仕業かなぁと思ったら、なんと犯人は!
「ハイイロチョッキリ」という名の虫でありました。
初めて聞いた名前ですが、ゾウ虫の一種だそうです。
ゾウ虫は、どんぐりに卵を産み付けることで有名ですが、このハイイロチョッキリは卵を産み付けた後に枝を器用にチョッキリと噛み切って下に落とすのだそうです。
そこで、なぜわざわざ切り落とす?と疑問が湧きます。

なんと!コナラはどんぐりに卵が産み付けられると
虫の成長を妨げるため、非常時だけ分泌される毒素を生成して送り込むらしいのです。
ハイイロチョッキリは卵を守る為、木に気付かれる前に急いで枝ごとチョッキリ!というわけです!

すごいなぁ〜
木にとってもどんぐりは子ども。
木と虫の、子を守るための静かな闘いが繰り広げられていたのですね〜〜

木や草花にもこころがある、と常々思ってはいたけれど、これもひとつの証明ですね。
自然ってスバラシイ!

というわけで、落ちている青いどんぐりにはもれなくチョッキリさんの卵が産み付けられておりますので、キレイな色だなぁと屋内に持込むといずれあの白い小さなどんぐり虫ちゃんともれなくご対面です。お気をつけて。

私も、持ち帰ってしまったこのどんぐりたちは庭にリリース!笑

それにしても、ゾウ虫といえば…
虫好き少女だった子どもの頃、ゾウ虫をひと目見たくてだれかが見たという森へ友だちと探検にいったことを覚えています。
どんぐりから出てくるどんぐり虫がゾウ虫の幼虫だと知ったのは大人になってからのこと。
灯台下暗しとはこのことですね〜。

いくつになっても知らないことって山程ある。
ハイイロチョッキリ!このネーミングセンスに脱帽!

あたらしいことを知ることは新鮮な体験。
人生日々発見です。




戦いごっこにもの思う。

2022-09-15 | essay
預かり保育のお仕事にて。

園児たちに大きめのブロックで自由に遊ばせると、男の子はかなりの確率で武器や銃を作る。
銃身の長いライフルのようなタイプ。
そして、バババンと銃撃ごっこが始まるのだ。

TVに映る戦争の影響とかそういう今に始まったことではなく、古今東西きっと似たようなものなのだと感じる。

うちの子どもたちが小さい頃もやはりそうだったし、戦いごっこは大昔から遊びの定番だ。

狩猟民族時代のDNAの為せる技なのか、ニンゲンの本能のようなものなのか…。

昔より女の子の参加が増えたように思うのは時代なのか?

園児に、ブロックのライフルで攻撃されたら
以前は「うぅ〜やられた〜〜」とノッていたものだが…どうもこのご時世ではそんな気持ちになれない。大人としては。

先日も作った武器をいきなりわたしの顔面に向け
「ババババン!せんせいもうしんだよ!」
と無邪気に笑う3歳Rくんに
バリアで対抗して
「せんせいは、戦いませーん!戦争反対でーす」と返してしまった。
わたしのこころの自然な反応。
これでいいのかどうかわからない。
遊びとしてはそりゃあ「やられた〜」と撃たれてみせるほうが子どもたちが歓ぶのはわかっているのだけれど。

ヒーロー物のTVやゲームでも戦いが当たり前な日常の中、
ニュースの中に映し出される今起きているウクライナでのの本物の戦争が果たしてどのくらい子どもたちにリアルな
ものとして認識されているのだろう。

同じ平面の画面の中の出来事。。
どれがツクリモノでどれが現実???
0歳からスマホやタブレット画面と共に育つ現代の子どもたち。

テレビしかなかった昔の子どものわたしたち大人と、現代の子どもたち。

土壌は大きく違えど、それでもやはり同じ《コドモ》

今のコドモこそ、手で触って感じる実体験がよりたいせつだとヒシヒシと感じる。

保育現場でもの思うこの頃なのであります。











蝶と街に沈む記憶

2022-09-11 | essay

あまり見たことのない美しい蝶を見掛けた。
国立西洋美術館の外側の植込みにて。

よく見掛けるシジミチョウより一周り大きい。

以前骨董市で買った英国の蝶の本をぱらぱらめくってみたら、みつけた。
「The Chalkhill Blue Butterfly」
というシジミチョウの一種のようだ。

上野駅界隈は最近すっかりきれいになって、ちょっと別の街みたいで戸惑う。

西洋美術館の前庭も以前は木や草が多く、美術館に入らなくても散歩できるすきな場所だったのだけれど。
すっかり根こそぎ土ごと無くなって、無機質にガランとしてしまった。
ロダンの彫像はよく観えるようにはなったけどね。
ここに咲いていた沈丁花はどこへいってしまったのだろうね。。。

どこの街もどんどんその姿を変えていく。
そこに流れたたくさんの時間と歴史を呑み込んで、知らん顔してすましてる。

何十年か前、ここ上野公園は中東の外国人が集まる交流の場となっていた時代があった。
美術館へ辿り着くまで、大勢の異国の人々のグループの間を掻き分けて進まなければならず、まだうら若き乙女だった当時、確かにひとりで歩くには少々気まずい雰囲気があった。

しかし、気づいたらその光景は煙のように消えてしまった。
彼らはあのときどこへ移動させられたのだろう?
確かにあの頃偽造テレカ売買などの犯罪の噂も聞こえてきていたけれど、きっとそれは一握りの輩の仕業。

ほとんどの人はあの公園で、ニッポンという地にやって来た異国の者同士集って情報交換したり、束の間の休日を楽しんでいただけだったのだろう。
彼らが朗らかに笑い合う楽しげな光景をわたしは今でも覚えている。

だれが、どんな権限であの大勢の人々を動かしたのだろう。
心細い異国の地で旧知の仲間と集うささやかな時間を奪う…。
排他的な島国日本ならではの現象だったのではないか?

街に染み込む記憶は
それぞれのひとのこころから消えてしまえば、もうその土地からも蒸発してしまうのだろうか。

上野の草むらにひらひらと舞う蝶々が冬には消えてしまうように。









十五夜さん

2022-09-11 | essay

中秋の名月
今年はよく晴れて大きな十五夜さんが見れました。

数年前まで、中秋の名月はイコール満月なんだと思い込んでいた。
今年は中秋の名月と満月が重なっているそう。

わたしのお気に入りの場所まで満月を見に行く。
坂を登ってここまで来ると
ヒカリが少ないのでお月さんがよく見える。

昭和の置土産のバラ線で
お月さん、つかまえた!
















ユメで思い出した雪の夜道

2022-09-10 | essay
ゆめをみた。

わたしは新入社員として入社式に向っているのだが、そこだと思い込んでいたビルはどうやら間違えており、慌てて交番に駆け込んで道を尋ねるわたし。
あと5分で入社式は始まる。。。というユメ。

方向音痴のわたしには道をまちがえることはよくあることだけれど、あのジリジリとした焦りの感覚は実は身に覚えアリ。

何十年も前の、自分の新入社員入社式。
前日まで姉のアパートに泊まりに行って遊んでいたら、思わぬ大雪に見舞われバスが運休に。
急な積雪に車も出せず。。
翌朝の入社式に間に合う為にはなんとしても夜の内に都内の自宅に帰り着かなければならず、暗い雪の夜道を駅までびしょ濡れになりながら延々と歩いた。
幸い電車は動いていたので無事に夜の内に帰り着けたのであった〜。
翌日はよく晴れて無事入社式に出席した。
まさかの3月31日の大雪の想い出。

現在のここから見れば、入社式前日ギリまで遊んでるなよ〜〜と自分に喝を入れたくなるけれど、若いってのはまぁそういうもの。

かなりびしょ濡れで電車に揺られて帰ったのだろうけれど、電車内の記憶はない。
覚えているのは、泣きそうになりながら歩いた雪道の心細さと、
入社式に出られなかったらどうしよう…という焦りと情けなさ。

何十年も経つのにこんなユメをみるわたし、気持ちはまだ新入社員並みか??

交番で道を尋ねるのは、すっかりオトナの今でも日常茶飯事だけどね。







夏の終わりの逢瀬

2022-09-08 | essay

日傘もさせないほど強い風の吹くある日
強風に耐えてベンチにしがみつく蝶を見掛けた。

「こんなとこでどーした〜?」
と近づいて指を近づけると、
藁にもすがるという形相で(?)わたしの指に登ってきた。

かわいいなぁ。
暫く風除けになってあげていたら、体力を取り戻したのかふっと風に舞うように飛んでいった。

束の間の、蝶との逢瀬。
これもひとつのご縁。

夏の名残りの日々、どうか元気に過ごしてね〜







街角のモンスター

2022-09-03 | essay


サングラスかけた
みどりのモンスターにしか視えない!

通りすがりに袖を引かれてしまった。

自転車を停めて
自分が写り込まない角度からパチリ。

いやぁなんだか
小さいオテテを口に当ててるみたいでかわいいなあ。

何でも顔にみえちゃうのって
シュミラクラ現象とか
パレイドリアとか云うんだよね。
心理学的には、ニンゲンって3点が集まっているものを見ると顔に見えてしまう習性があるのだそうだ。

ま、何でもいいけど、
こうして街角でかわいいのみっけたらうれしくなるのは小さい頃から変わらない。

たのしい気持ちにしてもらえるって、ちょっと得した気分!









わたしのヨリミチヒロイン

2022-09-02 | essay



雨あがりの芙蓉さん
雨粒を纏う姿もうつくしくて見惚れちゃう。

いつもシゴト前にヨリミチする公園のお気に入り芙蓉さん。
今年もちゃんと同じ色の花をつけてくれているのを見るだけで、ありがとうねぇと言いたくなっちゃう。

この子は本当にきれいなももいろをしている。
濃すぎず薄すぎずとても上品な発色なのだ。

毎年花が終わると根元からスッパリ刈られてしまうのに、春にはちゃんと芽吹き、みるみる内に木かと見紛うほどに大きく成長する。

次々に蕾をつけながらも、もう種の準備を始めている。




今がお花の真っ盛り。
この時期はキミの姿が見たくてヨリミチしているようなもの。
こちらは晴れた日の一枚。
毎年ありがとうね







「光」に沈む闇

2022-09-01 | 本 のこと

「光」三浦しをん

時々、古本屋で本能だけで本を選ぶ。

「舟を編む」で有名だし、(でも読んでない)
三浦しをん原作の映画もいくつか観ていてすきだし
という安易な気持ちで中は全く見ずに手にとった。

しかし、これは…。
酷くきつい。

この本の発行は2013年。
読むうちに、東日本大震災のあとによくこれを書けたものだな…と苦しさを超えて不快になり、もう一度巻末をのぞいてみると単行本が刊行されたのは震災以前の2008年だった…。
それはそれで、なんとリアルな、まるで体験したかのような描写にまた驚く。

これは、津波被害に遭われた方の目に触れてはいけない本だと、個人的に思う。余計なお世話かもしれないけれど。
裏表紙にでも警告の文章を載せていただきたいくらいだ。

圧倒的な自然の暴力。人間による理不尽な暴力、そして闇。救いようのない重さ。逃れられない過去。。。

早く、なるべく早く
この闇から抜け出したくて
正に光を早く見たくて
一気に読んだ。

それでも読むことを止めようと思わせないところが、この著者の文章力の凄さなのだろう。

最後はこう終わるのか。。。
なんとも言えない読後感。
こういう時、頼りになるのは巻末の解説だ。

すがるような思いで解説のページへと進むと、なんとクラフト・エヴィング商会の吉田篤弘氏が待ち受けてくださっていた!

たいへん頼もしい解説文に出迎えてもらえて胸を撫でおろすような気持ち。
これでやっとこの物語から抜け出ることができる。

次に読む本はリハビリ的にやわらかいものにしておくとしよう。




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