時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

未来と過去のノオト

2012-03-31 | essay


中学生の頃、何か思いが溢れそうなことがあるたびに
ノートに思いを書きつけるようになった。

日記というわけではなく、書きたいときだけ開くノート。以来ずっと続いている。
思えば、昔からノートに吐き出すことでいろんな思いを昇華させていたのかもしれないなあ。

先日、屋根裏の「二十歳のノート」を久しぶりに開いてみたら、
27歳のわたしへと37歳のわたしへの問いかけが書いてあるのを見つけた。

すると、余白に27歳のわたしからの返事が書き記してあった。
ちょうど結婚した年のわたしだ。

37歳のわたしからの返答は ない。
37歳といえば、三番目に娘が生まれて、2歳前くらいかな。
長男7歳、次男4歳ってところ。子育て真っ最中なころのわたしだ。

屋根裏の昔のノートを読む余裕なんて、これっぽっちもなかったんだなあ。。。
今ここからみると、なんだかクラッとするほど眩しい季節だ。

子育てに浮かれて過ごすたのしい季節は、過ぎてみれば人生のほんのワンシーズンなんだね。

今は、ちょっと、ひと段落。ってところにいるのね、きっと。
小さかった頃の子どもたちの写真をみると、なんだか少しほろっときちゃうよ。

10年後の56歳のわたし、20年後の66歳!?のわたしはどんなことにチャレンジしているかな。
「40代はまだまだ青かったな、あたし!」って、
一笑に付すことのできるようなもっと懐の大きなオトナに、果たして成長できているかなあ。
 (・・・ってか、この世にいるのか??)

先のことはまるでわからないけれど、今 自分が持っている時間をたいせつにしたいな。

決して書き換えられない過去の自分を責めたり悔やんだりすることなく、
ありのままの自分を、ありのままの周りのひとびとを 丸ごと慈しむことのできるような、
ココロにゆとりのあるオトナになりたいものだなあ。



 


春のしるし

2012-03-30 | essay




だいすきな沈丁花の香り。

この香り、何でなのかな。 とてもほっとするんだな。


近所の公園を通ったら、もう梅は満開でした。





家に帰ったら、バッグの中に一枚だけ 白い梅の花びらが。
そっと指先に乗せてみると 一枚だけでも芳しい香り。。。 


忘れずにちゃんとまた、春がやってきました。 さくらももうすぐです。

ぐるりと回った時間は二度とここには戻らないけれど、季節はちゃんと巡ってくるんだよね。

花の香りが、止まった時間を少しずつ揺り動かしてくれる。。。

ありがたいことです。


 


「こころ・と・からだ」

2012-03-28 | 本 のこと

        

図書館が長い休みに入る前には、あまり手にしたことのない分野の本を
直感だけで、ぱぱぱっと数冊選ぶ。
この宝くじ的方法、思わぬ発見があるからすきなんだ。

先日読んだ、そんな中の一冊。 五木寛之著 「こころ・と・からだ」


五木寛之氏の小説はいくつか読んだことがあるけれど、こういうエッセイを読むのは初めてかな。

五木氏の語るコトバが、ココロに すとん と心地よく落ちてゆく。
なんだか、とても消化のよいものを食べているような感じ。

こういう文章の味わい方も、あるんだなあ。
なんだか、とっても健康的だ。

からだとこころは繋がっている。

コンプレックスはたくさんあれど、何十年もがんばって休まず機能してくれているこの「からだ」。
ちゃんとココロから感謝してねぎらってあげなきゃね。

とても、共感するところの大きい 勉強になった一冊でした。


           

 

 


 


ムーミン谷へ

2012-03-27 | 展覧会・アート のこと

年末に十数年ぶりに再会した昔の仕事仲間、Zチャン。
二十代の頃、仕事帰りにタップの教室で共に汗と涙を流した仲でもあるんだな。

春休みに小旅行に行こう!と約束した通り、互いの10歳の末娘とともにいざムーミン谷へ。
飛行機でフィンランドへ! じゃないよ。

「ムーミン谷」は、西武池袋線で行く、埼玉県飯能市の山にあるのだ~。
正式名は、「あけぼのこどもの森公園」

我が家では、長男のちいさい頃からのお気に入りお出かけスポット。
公園デビュー仲間のTさんちがいつも車を出してくれて、ちびっこ達を連れて遊びに行ったものだ。
そういえば、子の成長につれ、すっかり足が遠のいてしまっていた。わたしも久しぶり~。

浅草橋在住の江戸っ子Zチャンは、しばらく前から「ムーミン谷」はいつか行ってみたい場所のひとつだったそうだ。

午前中はあいにくの霧雨が降ったりやんだり。
でも予報通りちゃんと昼過ぎには雲が切れて青空が広がった。





山のふもとに広がる「ムーミン谷」は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの物語の世界が再現されていて
ムーミン屋敷、水あび小屋を中心にぐるりと山沿いにお散歩出来る遊歩道が作られている。
資料展示・図書室のある森の家、子ども劇場などが点在し、
小さな子どもからお年寄りまでのんびり楽しめる公園になっている。

この場所の一番いいところは、それぞれがそれぞれのペースで楽しめる場所だということ。
開園閉園時間だけは決まっているけれど、入園無料だし、まったくの非営利ってところもいいよね。

長男次男が小学生の頃は、家族でザリガニ釣りに遊びにきたものだ。

子どもが、子どもの意思で自由に遊べる場所って、案外少ないもの。
ここのムーミン屋敷は、思いのまま、自由気ままに遊べるスペース。
楽しくて何時間でも遊んでいられる。
おとなだって、できることならここに住みたいくらいよ。




 


 

木とアイアンと漆喰作りのこのお屋敷は、おとなでもうっとり。童話の中に入っちゃった気分。
子どもたちが、想像力を駆使して遊べるように、いろんな仕掛けがあって家じゅうが全部ジャングルジムみたい。

 

子どもたちは、すきなように梁を伝ってどこまでもよじ登ったり、
大勢で来てかくれんぼをしたり。 思いのままに遊べるって、本当にいいことだ。

チャレンジャーなムスメふたり。あんなことこんなこと。
この日初めて会ったんだけれど、姉妹みたいになんだかよく似ているふたり。
Zチャンが、宝探し遊びを思い付いて、ストラップを隠してはふたりがあちこち競って探しまわる。
これ、隠す方も面白いんだよねえ。この遊びはハマりました。

 


 

ここの楽しさは、とても言葉と写真だけでは伝えきれない。
建築物としても魅力たっぷりだし、正に時間を忘れて遊べるおとぎの国です。

こんな夢のような場所を実現させてくれた飯能市のお役所の方々に感謝です。
そして、こんな素敵な建物をどなたが設計されたのかしら・・・と調べてみたら、村山雄一さんという建築家。
他にも、幼稚園や個人宅などいろんな物件を手掛けていらっしゃる。
いいなあ~。こんな方に別荘でも設計してもらいたいものだなあ。(夢のまた夢ですが)

 


 



    


             たのしかったね。母娘遠足。




たっぷり遊んだ夕暮れは、きもちがいいねえ。 
帰りのホームからの山の夕焼けがとてもきれいでした。

次の遠足はどこ行こう!?




眠る脳

2012-03-26 | essay



「ほんとうは、みんなどこかで眠っていて、脳が映像を見ているだけかもしれないよ。
こうして話している今も。」

ともだちのモコちゃんがそう言ったのは、三十数年も前の中学一年生の時。
わたしは詩を、モコちゃんはSFを書いては、見せっこしていた頃だ。

その言葉にわたしはとっても驚いて、すごい衝撃を受けたものだ。
彼女が話すその説は、わたしの脳に勝手な映像をともなって
しっかりと刻みつけられた。
彼女の影響で、それからしばらく星新一と眉村卓の世界にすっかり漬かっていたっけ。 

この前、TVで流れていた映画「アバター」を観ていたら、
強烈な既視感とともに「モコちゃん説」が甦ってきた。

当時彼女が話してくれた時にわたしの脳の中に作られた映像と、とってもよく似ていたんだ。

次に彼女に逢ったら、ほんの12歳だった彼女の力説を大いに讃えてあげたい!

科学が進んで、いつか本当のことになるかもね?



モノクロームの銀座

2012-03-25 | 展覧会・アート のこと

黒井健氏の絵本原画展を観たあと、歩いていたら目に入った、三愛ビルに掲げられた大きな黄色い看板。

  

「ZERO写真展」 in RING CUBE

ニュースのZEROはほとんど見ない。けど、このギャラリーには入ったことがないので、
どんなものかのぞいてみた。

大村克己氏という写真家の撮った、震災後の石巻の景色・・・。
汚れたピアノの鍵盤の写真が印象的だった。震災直後の、嵐・桜井君の表情も。。。




いつもと同じ、見慣れた風景・・・。
それでも「永遠」が保障されているものなんて何もないんだよなあ。
なんて、交差点を渡る人の波を見ながらふと思う。


先日ともだちKさんに誘ってもらったのに 行かれなかった写真展へと向かう。
ノエビアビルに展示されている「モダン東京1930」撮影:濱谷浩氏

  

キリッとしたコントラストのモノクロの銀座の街。
わたしは知らない、銀座が銀座らしい時代のモダンな写真の数々。
このひとの写真、他にももっと観てみたいな。

街も、ひとも、どんどん姿を変えてゆく。

自分がよく銀座を歩いていた頃だって、思えばもう20年位は経っているんだもんなあ。
OLになったばかりの二十歳の頃、仕事帰りにともだちと銀座通りのデイリー・クイーンで待ち合わせて
古い映画館「銀座文化」に、1930年代~60年代の古い映画を観によく通った。
あのデイリー・クリーンの辺りは今は多分なんかのブランドビルが建っているし、
「銀座文化」ももう面影がない。
デイリー・クイーンの、ソフトクリームの乗ったコーヒーゼリーは美味しかったなあ。

母とよくコーヒーを飲んだ、すきだった小さなカフェも姿を消してしまったし、
西五番街にあったお気に入りの古いビルも取り壊されて、今はガラス張りのビルが建つ。

てくてくと ひとり新橋の駅へと向かいながら、ちょっとノスタルジックな気分に。

気持ちを切り替えて、なんか、発見はないかな??と街を見回しながら歩いてゆくと・・・

ありました。 新橋版、「ちいさいおうち」!!



妙に心細げに見えるのは、きっと以前は両隣りにも同じような家が寄り添って建っていたせいなのでしょう。
ひとりぽっちの古いおうち。お蕎麦屋さんかな。 かなり・・・時間のモンダイって感がありますが、
ガンバッテ建っていてほしいものです。

 

 


「 黒井健 絵本原画の世界 」展

2012-03-23 | 展覧会・アート のこと




銀座松屋にて開催中の「黒井健絵本原画の世界」展

「ごんぎつね」「手ぶくろを買いに」など、たくさんのすてきな絵本を描く黒井健氏。

娘と行こうと思っていたのだけれど、なかなか一緒に行ける日がなく、
観そびれてしまいそうだから、ひとりで観に行ってきちゃった。

だいすきな絵本「手ぶくろを買いに」の原画が観れるとなれば
そりゃ、行かなくっちゃ!



この絵本は、長男が小さい頃に母から贈られたもの。
子どもたちもお気に入りだったけれど、わたしが一番気に入ってしまった絵本。
ふわふわのかわいいキツネの絵がなんとも愛らしく、
街並みも雪の野原もとても美しい。



このページが特にすき。
そして、新美南吉氏の、なんとも優しいこのストーリーも何度読んでもこころが温まるんだなあ。



この絵は、神保町界隈の古い街並みを参考にされたのだそうだ。 なるほど~。


絵本の絵だけではなく、美しい風景画の数々も観ることができる、とても充実した展示内容。

黒井氏の娘さんの羊毛フェルト作品もところどころに展示してあり、これがまた、絵本の中からぽろんと
出てきたみたいに忠実に(ふわふわに!)再現されていて、すばらしい父娘コラボでした。

数体展示してあった、木彫りの人形もこれまたとっても好み!(ご本人の作品だそうです)

ゆったり椅子に腰かけて、絵本を広げたり、インタビューVTRを観たりできるスペースもあって、
なんだかとってもココロ安らげる展覧会でした。

今週末までの開催です。


  あまんきみこさん作 黒井健氏絵 の絵本

「おかあさんの目」 娘におみやげ♪ 


 


本のなかには。

2012-03-21 | 本 のこと



ん~ そうだなあ。とか
あ~ そうだったんだ!とか
へえ~ そんなこともあるんだなあ~とか。

本ってものには、いろんな共感や発見が詰まっている。
そして、ここに居ながらにして古今東西どこへでも瞬時に行ける。
魔法の道具のようなもの。

読書は小さい頃からすきだけれど、
なんで、すきなのか、初めてココロで考えてみた。

わたしきっと、胸にずんとくるいいコトバに出逢いたいんだな。
いいコトバにゴ~ンと魂を打たれたいんだ。

自分の身の丈をぐ~んと超えた高い世界から
自分にないものを引っ張り出してきて吸収したいのかもね。

そうすることで、自分が大きくなれたのかどうかは未だわからないけれど
いろんな知恵を授かったり、物語のなかの人生に寄り添ってみたり、
本の中の風に吹かれたりしている時間がすきなんだなあ。

いい本に出逢うと、読み終えたくなくなることもしばしば。
ゆっくりゆっくり、主人公と一緒に歩を進める。
別の世界を生きているような感覚。

新しいことを知る。
新しい自分になる。

もしかしたら、それは一種の自己逃避なのかもしれないけれど、
自分を別の世界に置いてみるって、すごく気持ちの切り替えに役立つと思うなあ。

理屈抜きに、そんな時間が単純にすきなんだな~。








たましいのふるさと

2012-03-19 | essay




なんだか、ウマの合うひと とか、
初めて会った気がしないひと とか、
ずっと会っていなくても、気持ちが近く感じるひと とか。

そういうひととは、タマシイのふるさとが同じなんだって。 って何かの本で読んだ。
スピリチュアルなことはよくわからなくても、なんだか腑に落ちるって感じ。

男女を問わず、本能的に身近に感じるひとと出逢うと
あ、タマシイのふるさとが同じひとっていうやつかな。って思ったりもする。

でも時に、決して出処は違うと直感しているし、近づくとイタイってわかっちゃいるのに
出逢ってしまったり、引き寄せられてしまったりする場合ってのもまた 人生にはあるもので。

そういうのは、「たましい」が あえて荒行でもしているのかな。




 


群衆のなかの孤独

2012-03-18 | essay




視覚障害を持つひとがホームから転落して亡くなる事故がまた起きてしまった。

大勢ひとのいる中での、ひとりきりの悲劇。

ニュースのなかで、インタビューされていた視覚障害のある方が
「駅のホームは地獄の入口だ」と話していた。

どこかのリサーチでは、全盲のひとの約4割がホームからの転落経験を持つ
という恐るべき結果も報告されている。

白い杖をついているひとを、街で見かけても
ひとりで自立して歩いてらっしゃる方に声をかけるのは
なんだか、かえって特別視しているようで失礼になるかな・・・って思ってしまうんだよね。

でも、そのインタビューの中で、その方は
「駅のホームで視覚障害者を見かけたら、『電車に乗るまで一緒に歩きましょうか』と是非声をかけてください!」
と明るく仰っていた。

ホームにいるひとは、皆それぞれにどこかへ向かって急いでいるひとがほとんどだろう。
それでも、電車をたった一本見送ることで、誰かの命を救えるかもしれないとしたら・・・?? 

ぜひ、ちょっとの勇気を出して、悲劇がくりかえされないよう、
お節介でもみんなで声を掛け合いましょう。
わたしもそうします!

そして、ホームドア設置の一刻も早い全国普及を!!



わるい夢のジンクス

2012-03-17 | essay



昔、母が教えてくれた言い伝え。

『悪い夢をみたらひとに話せば本当にはならない
とてもいい夢は、誰にも話さずにおけば本当になる』

子どものころや娘時代には、よく母もわたしも「いやな夢みたわア~。聞いて!」って
互いに聞き役になっていた。
母は度々予知夢をみたり、亡くなったひとのメッセージ的な夢をよくみるひとだったから
話すことで、浄化していたのかもしれないね。

一人暮らしの頃には、悲しい夢をみて
夜明けに泣きながら大阪にいた母に電話をしたこともあったなあ。

結婚して以来、そして母が亡くなってからは、悪い夢の話は、夫が聞き役。
今でも、悪い夢をみると、早く話してしまわないと! と、本当になることを恐れて焦る自分がいる。
迷信だとは思いつつも、正夢にならないよう、イヤな夢は予防線を張りたいのだ。

夫にはいい迷惑でも、時に明け方に揺り起して「嫌な夢みた・・・」と聞いてもらう。
彼も慣れたもので、「もう聞いたからだいじょうぶ・・・・・」と、またすぐ眠りに落ちる。
本当に聞いているのか怪しいものだけれど、それでいいんだ。
話したことで、「これでホントにならない」って自己暗示がかけられるから。

我ながら、やっかいな習慣になってしまったものだ。
とりあえず、悪い夢の吐きだめになってくれる夫に感謝しておこう。
ちなみに彼の方は、良くも悪くもほとんど夢を記憶していないニンゲンなのだなあ、これが。


またひどくヘンな夢で目が覚めた。きっとこのところ続いている地震の不安のせいだ。
夢の中くらい、ゆめのようなファンタジックな世界へ行きたいものだなあ。






児玉龍彦著 「内部被曝の真実」

2012-03-16 | 本 のこと

            

「内部被爆の真実」 幻冬舎発行

原発事故後の夏、初めて本当のことを公の場所で言ってくれた科学者であり、専門家、
東大アイソトープセンター長・児玉龍彦氏。 
声を震わせて、国会に怒りをぶつけてくれた正義の塊のようなひと。
真摯な姿勢に、よくぞ言ってくれた!と涙したひとも多いことだろう。

真実を知ることは、時に痛みを伴うけれど
本当のことを知ってこそ、正しい行動に繋がるというもの。

この本のなかで児玉氏は、

「専門家とは、歴史と世界を知り、本当の危機が顕在化する前に
それを防ぐ知恵を教えるひとでなければならない。」

と書いている。

また、

「今までの原子力学会や原子力政策のすべての失敗は、専門家が専門家の矜持を捨てたことにある。
国民に本当のことを言う前に、政治家になってしまった。経済人になってしまった。
これの反省なくして科学者の再生はありえません。」

と語る。


一般国民のわたしたちは、専門家の持つ専門知識を、まずは頼りにするしかないもの。
真実を伏せて、折り合いをつけるようなことは二度としてほしくない。

どうか、原子力に携わる専門家の方々は、今からでも襟を正して
日本の子どもたちの未来を守るために、専門家としての責任ある行動をとっていただきたい。

 「おとなになるまでいきられますか」 と、福島に住む子どもたちが作文に書くような、
こんな日本にいったい、誰がしてしまったのか。 


内部被爆の現実を知りたい方、それ以上でもそれ以下でもなく真実のみを
情報として知りたい方には お勧めしたい本です。。。



 


おたがいさま

2012-03-15 | essay




やっと、少しずつ瓦礫の広域処理の受け入れに動きが出てきたみたい。

汚染された瓦礫ではなく、自然災害の、ちゃんと線量を測った瓦礫の受け入れに
住民のみなさんがそこまで反対運動を起こさなくっても・・・って思うのだけれど。

こんな小さな島国ニッポンなんだもん。。。
それぞれが、しかるべき場所を確保して、少しずつ分けあって引き受けることが
復興の手助けの第一歩なんじゃないの。

汚染された瓦礫を引き受けろってわけじゃないのに。。。
「おたがいさま」のココロをたいせつにしてきた日本人らしくないよね。

一年経っても、瓦礫の山を毎日目にしながら暮らす人々のきもち・・・。
自分の町がそうだったら???

「おもいやり」って、我が身を置き換えてみるということ。

それは普段の生活のなかでもたいせつなことだよね。



世界終末時計の存在

2012-03-14 | essay



今更だけれどわたし、「世界終末時計」ってものの存在を少し前にニュースで聞くまで知らなかった。
だれでも、知ってて当たり前なことだった?

「え~?そんなん今まで知らなかったよ」ってこと、ハズカシイけれど結構あるんだなあ。
ホント、人生毎日が勉強です~。

でも・・・「世界の終りへのカウントダウンがあと5分になった。」
なんてニュースで唐突に云われちゃうと、ゾッとしちゃうよね。

調べてみると、アメリカのとある科学雑誌による
「核の脅威による人類滅亡の日を象徴的に表した時計のイラスト」なのだそうだけれど、

「人類滅亡の日まで、1分針が進んでしまいました」 
なんて、NHKニュースでは、大真面目に言わないでほしいものだなあ。

わたしみたいに素直な(?)ニンゲンは、とりあえず一瞬本気でギョッとしてしまうわけで。
以前観た、映画「渚にて」を瞬時に思い出してしまったよ。(あの映画、今となっては、もうトラウマです・・・)

子どもたちだって、「象徴的なイラスト」のことだと知らずに耳にしたら、
無垢なこころにスゴイ衝撃を受けると思うわ。
ただでさえ、日本は苦難を抱えて十分ナーバスになっているっていうのに。

1947年にその雑誌の表紙として誕生したものだそうだけれど、
この架空の時計の針は、これまでにも戻ったり進んだりしていて
終末1分前にもなったことがあるのだそうだ。

この前、1分進んだと発表されたのは、福島の原発事故も一因となっているというけれど・・・
なんだかそれって、すごく不本意な話。

ニンゲンは愚かなものだけれど、もっともっと賢くなって
この時計の針をちょっとずつでも戻していく努力をせよ。っていいたいのよね。象徴的にね。

それはもう、言われなくたって一般の国民は痛いほど望んでいます。


NHKニュースでは、もう言わないでね。またギョッとしちゃうから。

 

 

 


なさけない大人たち

2012-03-12 | essay




若いころは、見ていてもちっともわからなかった国会中継も
もういいおとなの年齢なので、歯痒い思いで聴き入ってしまうことが多々ある。

壊れたテープレコーダーか・・・? というような答弁。

イジメですか? というような、墓穴を掘るまで続けるような執拗な質疑。

笑顔見せる場面じゃないでしょ・・・というような態度。

答え方を、委員長にまで促されてしまう情けない大臣・・・。
先生に叱られた小学生の坊やに見えてくるんですけど!

国を背負う政治家は、全身全霊誠意を胸に職務を全うしていただきたいものです。


我が国、ニッポン。。。  どこへゆく?????






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