時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

中原中也のコトバ

2010-03-31 | 本 のこと

「汚れちまった悲しみに、今日も小雪のふりかかる・・・」

中学の文芸部で、ひとつ上の男子の先輩が
この詩をすきだと言っていたのを想い出す。

中也の詩は、わたしには難しく、
入口から覗いただけなのだけれど、
ひとつだけ、時々開くページがある。

「無題」の中の一節

「・・・幸福は和める心には一挙にして分かる。
 頑なの心は、不幸でいらいらして、
 数々のものに心を紛らす。
 そして益々不幸だ。

 幸福は休んでいる。
 そして明らかになすべきことを
 少しづづ持ち、
 幸福は、理解に富んでいる。

 頑なの心は、理解に欠けて、
 なすべきをしらず、ただ利に走り、
 意気消沈して、怒りやすく、
 人に嫌はれて、自らも悲しい・・・」

まさに。そのとおりだよなあ、と納得。

この詩は、ずっと以前
社会人になって、現実社会の矛盾や理不尽さに
翻弄され始めた頃のわたしのこころに
痛いほど沁みこんだ。

それ以来ずっと、
『頑なであるのは止めにして、
しなやかでやわらかいこころでいよう!』
と時々自分に喝を入れるのに、
とっても良く効く処方薬の1ページなのだ。


さくらとみぞれ

2010-03-30 | essay
   

   


寒いけれど晴れていたので
娘と川沿いの桜を見に行った。

近くで行われている絵の個展をみたあと表に出ると、
日射しはあるのにみぞれが降っていた

けれども、みる間にグレーの雲が流れ去り
ぱ~っと青空がまた広がった。
忙しい春の空ねえ。

三月の雪は、
ちょっとだけ時間を巻き戻してくれる魔法のようで、
もう一度別の時間を過ごしているような気分になる。
不思議だなあ。


緑の廃屋

2010-03-29 | 古い建物 のこと

   

   

   



 「停止」


  ぽつん と建つ古い一軒の家

  置いてきぼりのその家屋のなかに

  どんな想い出が詰まっているのだろう


  もうだれも開けないその玄関を

  小さな足音が ぱたぱたと駆け上がっていたのは

  どのくらい前のことなのだろう


  かつてはそこに 息づく時間が流れていた

  今はもう 止まった時間を抱えたまま 静かに佇む


  それでも その家のまわりでは

  幾度も季節がめぐり 緑が生い茂り

  そしてもうすぐ またサクラの花びらたちが

  その老いた屋根を優しく撫でてゆくのだろう




ヨッパライの夜

2010-03-28 | essay

オトナになって、お酒を飲みはじめたばかりの頃。
バイト仲間と飲んで騒いで、
初めてぐでんぐでんに酔っぱらって
タクシーで深夜に家に帰りついた晩、
めずらしく先に家に帰っていた父が、
心配して待ち構えていた。

怒られるかなあと意識の何処かで思いながらも、
ヘラヘラ笑うヨッパライのわたしに、
父は怒るどころか、やたら優しく笑って
なぜか一万円札をわたしの手に握らせた。
そして、
「これからの人生、いろんな夜がある。
どんな時でもちゃんと家に帰れるように、
この一万円札はいつも緊急用に財布の奥に
別にして持っておくこと。」
というようなことを手を握りながら言われた。

父が、ヨッパライ仲間が増えたことを
密かに喜んでいるような様子だったのを覚えている。

その後、何度か本当に隠し一万円札の
お世話になる事態もあり(!)、
使ってしまうたびに、新しく一万円札を
ちゃんと財布の奥に忍び込ませる癖がついた。

以来なんと20数年来、わたしの財布には
父の言いつけ通りに、緊急用の一万円札が入れ替わりながら
いまもひっそりと仕舞いこまれているのである

Her Flower

2010-03-26 | essay


花のすきな母の一番すきだった花。
黄色のフリージア。

ちょうど三月の母の誕生日ごろ、花屋さんに並び始める。
たった一本だけでも、部屋中に漂うほのかな甘い匂い。

花には母との想い出がたくさんあって、
季節ごとに咲く花を見ては彼女をこいしく想う。

フリージア、サクラ、雪やなぎ、やまぶき、こでまり、
スターチア、紫陽花、向日葵、そして色とりどりのバラ。etc.

彼女は柔らかなきみどり色の若葉もだいすきだったな~。

「亡くなったひとは、生前すきだったものに囲まれて、
すきな年齢に戻って、すきなひとたちと
すきだったことをして過ごしている。」
と、誰かの本にあった。
なんてポジティブな説なんでしょう!

母を亡くしたばかりの頃、
「死」の先の答えやその意味を理解したくて
さまざまな本を読みあさったことがあった。
そうしたたくさんの本のなかで、
それは何よりも最も救われるコトバだった。

すきなこと尽くしの毎日。。。
母は今、おばあちゃんや早くに亡くなったお姉さんたちと
たくさんの花や緑あふれる美しい場所にいるのだと
信じることにしている。

きっと、プレスリーがすきだった頃の
50'sのサーキュラースカートの少女の姿で。ね!


映画 「ヤング@ハート」

2010-03-25 | 映画 のこと

またもや究極のシニア世代が活躍する映画を観た。
「ヤング@ハート」という2008年アメリカのドキュメンタリー映画。

平均年齢80歳というロック・コーラスグループ。
地元マサチューセッツでショーを行いつつ、
ヨーロッパ・ツアーまでこなしてしまうスゴイお年寄りたち。
皆スーパー・シルバーなわけでなく、病気と闘いながら歌うひと、
短い歌詞が覚えられず苦悩するひと、
ショーを前に亡くなってしまう仲間・・・、
さまざまな人間らしさが描き出されている。

精一杯、「自分の時間」を生きているひとびと。
たくさん勇気をもらえる映画だ。

この映画をDVDで観た数日後、
奇しくも彼らがなんと今まさに、日本に初来日していると知った。
18日にスタートした、2時間もの公演。
28日にかけて6回も行うそうだ。
素晴らしい~!

目標を持って共に進む仲間がいること。
毎日新しいことにチャレンジすること。
そういうことがパワフルに生きる源になるんだね。

彼らの約半分しかわたしはまだ生きてないんだなあ。
四十肩だの腰が痛いだのと、言ってる自分が恥ずかしいワ!

自分のエンジンは自分でかけなきゃね~。
葉を落としてから実のなる木だってたくさんあるしね。

春だ、始動開始ー (なんの~?)


パタゴニアの石

2010-03-24 | essay
ともだちの mっち。

ずっと以前、彼がテレビ局の仕事をしていた頃、
遠くパタゴニアに行くという。。。

めったに行ける場所ではないし、
飲んだ時に「おみやげに石ころ拾ってきて~!」と
お願いしたら、ほんとうに持って帰ってきてくれた。

それも、結構大きいのをごろごろごろ。
石ころじゃなくて、岩だよ~!
彼はほんとうに、いいやつ。(ごめん1つ年上だった)
わたしは彼を別名「あおおにくん」と呼んでいる。
まるで昔話の「ないたあかおに」にでてくる
青鬼くんそのもののようなひとだから。

男女の友情は成り立たないと言い切るひともいるけれど、
たいせつなともだちは、「ひと」としてたいせつに思うもの。
それは性別なんて超えているもの。

もっとも、双方向ともに恋愛対象でなければ、のハナシ。
わたしは昔からあまりひとを性別でくくらず
対ニンゲンとして付き合う方なので、
うんと若い頃は、勘違いしたり、されたり、混線したり、
ややこしいことも多かった。
どちらかにちょびっとでも恋愛感情があれば、
確かに男女の友情の成立はムズカシイもの。

今はスッキリ、男女を問わずともだちは本当に「ともだち」。
歳を重ねるって、シンプルになるってこと。のような気がするなあ。

遠くてもこころが通じるってうれしいこと。
ありがとうね、mっち。
しあわせを祈ってるよ!

吹奏楽♪

2010-03-23 | essay
長男の通う中学の吹奏楽部の定期演奏会を
聴きにいった。息子は卓球部なのだけれど、
公園デビューの0歳の頃から
家族ぐるみのお付き合いの女の子が
大きなチューバを抱えて演奏しているのだ。
息子と一緒にはいはいしていたのも、
ぴかぴかのランドセルを背負って小学校に入学したのも
ついこの前だった気がするのに!?
立派な姿になんだか感動してポロポロきてしまう。

ここにはいない、同じく長男の幼なじみのSちゃんのことも
想いだしながら聴いていた。
3家族でよく一緒に遊んだバーベキュー仲間、N家の娘ちゃん。
今は名古屋で、Sちゃんも吹奏楽部でがんばっているらしい。
ここにいたら、あのあたりでパーカッション♪かなって思いつつ。

吹奏楽部は今年度賞も取り、演奏はプロ並みに上手!
中学生といえば、12歳~15歳。
すごいなあ、学校で毎日練習していたら
楽譜も読めるようになって、
こんなに上手に演奏できちゃうんだねえ。
日々の努力の賜物だね!

うちの子はひとりもピアノすら習っていないけれど、
ひとりくらい音楽に目覚めて、
サックスでも吹いてくれないかなあ。
「TAKE FIVE」なんかを大人になった我が子が渋~く
吹いてくれたりしたら、しあわせだろうなあ~♪夢だなあ。

来年は中学ラスト!次回の定期演奏会も今から楽しみにしておこう

弥生のいろ

2010-03-21 | essay
 

  

 

 

 

  

花々が空を淡く彩りはじめた。
ももいろ、しろ、きいろ。生まれたてのきみどり。

サクラも、もうすっかり仕度はととのっているんだね。
あたらしい春の匂い。

夢のなか。

2010-03-20 | essay
夢の研究者によると、
夢の世界の中には、夢を見ている間だけ誰でも行ける、
とある共通した場所があるのだという。(という一説!)

身近なひとや、懐かしいひと、
はたまた、ず~っと逢っていないひとの夢をみるのは
相手のタマシイもその共通のとある場所に
来ていて交信しているからなのだそうだ。

なんだか、なるほどなあって気もするし、
なわけないよ、って気もするし。

ま、ほんとうのところはわからないけれど、
懐かしいひとの夢をみて、
元気かなあって電話しちゃったことは何度もある。

ここのところ続けてあるひとの夢をみた。
人間としても男性としてもすきだった、ずっと年上のひと。
ドデカイことをするひとだったけれど、
ナイーブなこころを持つ少年みたいなオトナだった。

逢わなくなってから数年経った頃、
夜更けに電話がなった。
相棒のごとくずっと一緒に暮らしてきた犬が
今、膝の上で息を引き取ろうとしているんだ…と言う。
わたしもだいすきだったとっても賢いレトリバー。

「なんだかおまえの声、聞きたくなってさあ。」
と、電話のむこうで彼は泣いた。
しずかなしずかな夜だった。

聴いてあげることだけしかできなかったけれど、
泣ける場所になれたこと、うれしかったよ。

その後の彼の二度目のウェディングパーティー以来
十年余りもう逢っていない。
今はもう連絡先もわからなくなってしまった。

それなのに、このところそのひとが夢の中に度々現れるのだ。
どのシーンでも、大勢人のいる場所で懐かしく再会する。
駆け寄ってにっこりとハグするところで、
突然目覚めてしまうのだ。
彼は外国人みたいに、親しいひとにはすぐハグするひとだったから、
夢の中の抱擁もその頃のフレンドリーな感覚そのもの。

夢の研究者のいう夢の中の共通の場所で、交信してきているのかな?
いつかのように、泣きたいことがあるんじゃなければいいけれど…。

もしくは、昔からときどき正夢をみることもあるから、
現実の世界で近々バッタリ逢えるのかな?
そのほうがずっと嬉しいな。
どこかでしあわせでありますように。

「ジェイン・エア」

2010-03-19 | 本 のこと

昔からうちにある世界文学全集を一冊一冊選んで読んでいる。

シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」を
や~っと読み終えた。
分厚くて重いので、読むのは眠る前の布団のなかだけ。
出先や電車内用の別の本と並行して、
ちょっとづつ読み進める。
昔の名著は時間をかけてゆっくり読むと、
主人公の一生にちょっと寄り添える感じがしていい。

それにしても、この1847年に出版された「ジェイン・エア」、
かなりアップダウンのある意外性&娯楽性と、
ダークな奇怪さを併せ持ち、異色な面白さのある本だった。

物語を映像に置き換えながら読み進める癖が
ついてしまって、ふりかえると映画を観たように
色鮮やかにストーリーが蘇る。
誰でもそうなのかな???

何だか、近年特にそういう傾向が強くなったみたいで、
昔は普通に読めたちょっと惨いシーンの出てくる小説が、
近年は読めなくなってしまった。
あまりに、目の前にありありと映像が浮かび上がってしまって
耐えられなくなってしまうのだ…

これって、歳をとったってことなのか~??

いずれにしても物語は、「あ~よかった!」って
胸をなで下ろせて終わるのがやっぱりすきだなあ。


絵本「根っこの こどもたち 目をさます」

2010-03-18 | 本 のこと

あったかい絵本を図書館でみつけた。

「根っこのこどもたち目をさます」
絵・ジビレ・フォン・オルファース
文・ヘレン・ディーン・フィッシュ
訳・石井桃子

2003年童話館より出版されている絵本。
なんだかレトロでかわいい影絵に魅かれて手にしてみた。
原書のオリジナルは1906年にドイツで出版されているようだ。

冬の間、土のしたで眠る根っこのこどもたち。
春が近付くと、土のおかあさんにおこされて
春のしたくをはじめる。。。

こどもたちの絵が愛らしく、
ひとりひとりの表情がなんともいいのだなあ。

根っこのこどもたちは、地面から出ると
花のこどもたちとなって野原をあちこち彩る。
そうして楽しく春と夏を過ごしたこどもたちは
冷たい秋の風が吹き始めると、走って土のおかあさんの
もとに帰りはじめる。

そして、またさむい冬のあいだ、土のおかあさんに
見守られながら眠って春を待つ。。。

あったかいなあ。
なんだかとってもぬくもりを感じる絵本。

長い一日を過ごした子どもたちが夕暮れに家路を急ぐ姿と重なる。
この、土のおかあさんのように、
いつでも温かく帰りを待つ母でありたいものだなあ。
・・・反省!!


パンダのゆくえ

2010-03-17 | essay
あの一世を風靡したパンダの「カンカンとランラン」。
彼らが、死してなお、剥製となってガラスケースに
納められていることを知るひとはどのくらいいるだろう。。。

パンダ来日ブームに、湧きあがったあの70年代。
ひとの波の大渋滞のなか、立ち止まることもできず
押し出されながら一瞬だけ姿を観たひとは多いことだろう。

その頃、大阪在住の我が家でも、
父が仕事のついでに東京まで連れて行ってくれ、
カンカンとランランの姿を見た時は、
子どもながらにいたく感動したものだ(寝姿だったけど)。

その約十数年後、カンカンとランランに思わぬ場所で再会した。
学生の頃、ともだちと遊びに行った多摩動物公園で。
しかも、あまりひと気のない「昆虫館」の入口に
なんの前置きもなく、剥製となった彼らがガラスケースに
入って、ポンと設置されていた。

最初は本物とは信じ難く、あまりにショックで
何度も書かれた文字を読んでみたが、
確かにあのカンカンとランランの剥製に間違いなかった・・・。

あれだけアイドルの如く見世物にしておいて、
死んでなお、剥製にされていることが哀しく、
そして、こんなひと気のない場所にぽつんと
置かれていることにひどく憤りを感じて涙があふれた。

人間って何様なんだ!?…って
初めてにんげんの驕りに泣いた、18歳。
「ごめんね」ってこころの中で
つぶやくことしかできない自分にも歯痒い思いだった。
その後、あの剥製が気になって何度か逢いに行ったものだ。

それから月日は流れ、
子どもを連れて多摩動物園を訪れたところ、
あちこちすっかりきれいになっていて、
あのガラス入りの彼らは、エントランス近くの
建物の中に移されて展示されていた。
あのままウラ寂しい昆虫館に置かれていなくてよかった。。。

それでも、あの時代の寵児、カンカンとランランが
その建物の中で、静かにあの愛嬌のある顔で座っていることを
知らずに素通りしてしまうひとは多いことだろう。

上野で死んでしまったほかのパンダも
その後剥製にされているのかどうかはわからない。

そしてまた上野動物園にパンダがくるという・・・。

パンダは愛らしくてだいすき。誰もがそうだろう。
だけれど、本国の中国の保護区で元気にしている姿を
映像や写真で見せてもらえれば、もうそれでいいことにしておこうよ。
ってわたしは思う。

カンカンやランランの剥製をいっそのこと上野に戻して、
みんなを楽しませてくれたパンダたちに感謝するってのはどうだろうね。
死んだら次ってのじゃなく、生き物に感謝する気持ちを子どもたちに
伝えることにもなるんじゃないかな。
剥製にまでされたパンダたちだってその方が浮かばれるよ・・・。

ほんとうのところ、パンダだけじゃなく、
ほかの動物たちみんなにいえることなんだけれどね。

動物に口がきけたら・・・??

けれど動物園自体、昔々の見世物小屋と違って、
動物保護の役割も大きく担ってきている。
そういった観点からもパンダの借り入れは
見直すべきなのではないのかな。
ガラス張りの飼育室のあとは、ガラスケースの中の剥製じゃあ、
あんまりだよ。

「桜木亭のパンダ焼き」だけは、
パンダの思い出を詰めてそのまま焼き続けていってほしいけど!
美味しいし。

ドレミファブック「はしれ、ちょうとっきゅう」

2010-03-16 | 「ドレミファブック」 のこと

弟が2~3歳の頃、ドレミファブックの中の
「はしれ、ちょうとっきゅう」という歌がだいすきで、
新幹線のおもちゃを手にいつも大声で歌っていた。

その頃大阪に住んでいたわたしたち一家。
ある日曜日に父がいつものように行き先はヒミツにして、
家族みんなで家を出た。
ドライブ好きな父には珍しく、
この日は電車をいつくか乗り継ぎ…、
どこへ行くのやらワクワクしていたら、
あらら、新幹線のりばに!

えー?旅に出るの??と思ったら。。。
なんと、新幹線ブーム真っ盛りの幼い息子のために
新幹線初体験をさせてやろうと思い立ったらしい。
新大阪駅から京都駅まで、ほんの20分余りの新幹線の旅!

もちろん弟は大喜びの大興奮。
京都駅に着くまで、座席で飛び跳ねながら
「はしれ、ちょうとっきゅう」をエンドレスで歌っていた。
わたしは小学校1年か2年くらいかな、
大きな歌声がすご~く恥ずかしかったのを覚えている。

京都タワーに昇って、美味しいものを食べて、
在来線でとんぼ返り。
とおくへ旅に出たような、ふしぎな長~い一日だったなあ。

いまだに頼りなく幼く思える弟も、
ひえ~、もうすぐ40だ


メッセージ♪

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