時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

綱渡り

2014-10-31 | essay




人生は綱渡り。
あしたのことはわからない。
あしたがあるかもわからない。

それでも、だからって
なにもかもをなおざりにして
時間を無駄にしてしまうのは勿体無い。

少しも減らない永遠の時間を持つひとはどこにもいない。

あんなことも
こんなことも
したかったな。

きっと後からそう思いそうだな。 って感じたら

「あんなこと」や「こんなこと」を ちょっとづつ したらいい。

大それたことじゃなくても
今いる場所で出来ることからしたらいい。

あまりに遠くばかりを見過ぎて、足元の幸運を見落とさないように。

先を憂うことなく、一歩一歩  今いる時間を生きてほしいと思います。

それから
時には、力を抜くことを自分に許すゆとりのあるココロを忘れずに。

        次男坊、16歳の誕生日に。。。母のひとりごとでした。


かめおの冒険

2014-10-30 | essay

うちのイシガメ・かめおさん。

長男が飼っているのだけれど
彼はほとんど夜しか家にいないので結局わたしが面倒をみている。

冬眠に向けて食が細くなり動きもにぶくなる秋。

それでも暖かい日には動きまわりたがるので
ほんのたまには、お庭de散歩。

 思わぬ速さのかめおさん。

決して目を離さないようにしているのだけれど・・・

先日、こうして庭を歩かせながらケースを洗っていると
娘のともだちが玄関に。
娘が出てくるまでちょっと喋っていたほんの30秒。いや1分?

振り返るとかめおの姿が消えている!

呼んだって返事はしないことはわかってるけどさ、
かめおー!かめおー!どこー???
と呼びながら庭を探し回る。
狭い庭なんだけれど
おじいちゃんの鉢植えだらけのうちの庭。

もしや、うっかり道路へ出ちゃったら・・・・・・・・・・・
わたし冷や汗。

必死に探すこと20分くらい。
庭の端の植木鉢の奥でかめお発見!

あ~~~~~、肝が冷える とはこのこと。。。

子亀のころに長男が
川で怪我をしていたかめおを連れて帰ってきてから
早6年?毎年冬越えをさせて大事にしているかめお。
この子をを路頭に迷わせて死なせてしまったりしたら
わたし、自分を許せないよ。


かめお。
甲羅を歯ブラシで洗ってやりながら
「長生きしイーや」と話しかける。

イシガメは30年は軽く生きるらしい。
30年かあ。。。う~ん。

息子、今は18歳。
将来家を出る日が来たら
このかめおとオカメインコのシェイクは
彼が連れていくことになっている。

そんな日がいつかくるんだねえ。

かめおの歩く小さな庭。
こんな光景もいつか懐かしい風景になるんだなあ。




ソニー・ロリンズと、ご飯の支度

2014-10-29 | MUSICのこと



テナー・サックスの音色がすきだった母。

ソニー・ロリンズは、母のお気に入り。

わたしも 時に、ふと ソニー・ロリンズ を聴きたくなる。

そんな時って、もしかしたら
空の上の母が
わたしの潜在意識の中に「かけてほしいなあ」って語りかけているのかも?


店番しつつ、夕食の準備をしながら ソニー・ロリンズをかける。
そうそう。この感じ・・・。なんだか、懐かしいな。

母は、昔よくキッチンでご飯を作りながらFMラジオのJAZZ番組をかけていた。

ラジオからテナー・サックスのいい感じのJAZZが流れてくると
「いいのかかってる~!」 と言いながら
ボリュームを上げて聴いていたことを鮮明に思い出す。

夕焼けがよく見える大きな窓のあるリヴィング・ダイニングで
母と、ゆったりと陽の落ちる時間を過ごしていたのはいつのことだったろう・・・。

ここからは、夕焼けは見えないけれど
こうして、テナー・サックスの音の中で夕飯の支度をしていると
時間は廻っているんだなあ・・・と感じる。

あのころの母と今のわたしの年齢は、ほぼ同じなんだな。

母は今のわたしよりも、
もっとずっとちゃんとオトナだったなあ・・・って気がしてしまうけれど

きっと、本当は母も今のわたしと同じように
たくさんのいろんな想いを抱えて
揺れたり戸惑ったり憤ったりしていたのだろうね。ひとりのにんげんだもの。

いつでも影のない太陽の表面みたいに
わたしたちを温かく照らしてくれていたから、全然わからなかったけれど。


母がそうしてくれたように
自分は子どもたちをちゃんと温かく照らしてやっているだろうか??? 否。

包丁を握ってソニー・ロリンズを聴きながら、

いつでも大きなこころで、黙してわたしたちを
諭してくれていた母は偉大な女性だったなあ・・・と感心しながら

自分を猛烈に反省する夕暮れ時でありました。





しめじのうつくしさにふと気づく。

2014-10-28 | essay



しめじをパックから出したら、
なんだか、見事にまあるい、いいかたちに思わず見惚れてしまった。

秋の旬の時期だから??

しめじのうつくしさに感動するなんて初めてだよ。
切ってしまう前に、せめて写真に。



自然のカタチ って、なんだかすごいなあ。
ただただ、感心する新鮮な夜でした。
 (すごいヒマジンみたい?そうでもないのでありますが。いやそうなのか?)

このあと、半分はお吸い物に。

もう半分は超みじん切りにしてハンバーグの中へ。
きのこが好きじゃない娘にいっぱい食べさせようとこっそり仕込んでいます。
今までにも、シイタケ、マイタケ、エリンギ などなどを
ハンバーグにたっぷり仕込んでいますが、未だ気づかず! お試しあれ~。

きのこのおいしい季節ですね。



赤瀬川さん。

2014-10-27 | 展覧会・アート のこと


だいすきな 赤瀬川原平さん が亡くなってしまった。

赤瀬川さんの考え方とか
面白がり方とか
発信するコトバは
 
どこか自分の無意識の中のみえないアンテナに大共鳴するような・・・

本も、緻密なえんぴつ画も、ハイレッドセンターの頃の前衛芸術も
路上観察の写真も、トマソンも、尾辻克彦としての小説も
全部全部、すきでした。

きっといつか直接お逢いして講演会を聴いてみたい と思っていたのにな。。。
とうとう 叶いません。

独自の人生観を持つ赤瀬川さん。
老いることさえ面白がるような方だったから
きっと今いる場所さえ、興味津津に面白がっていらっしゃるのではないだろうか・・・
なんて、不謹慎かもしれないけれど
そんなふうに感じます。


こころから ご冥福をお祈りいたします。


  


コーヒーの香りの「雑貨屋さん」

2014-10-26 | essay

てづくり好きなともだち7人でハンドメイドイベントを開催している。

春と秋の年2回、時計店がコーヒーの香りに包まれた雑貨屋さんに変身します。

 

 

 オープン1時間位。お客様で溢れています。

たのしい非日常の一日。。。
たくさんのお客様に感謝感謝の一日です。

気が付いたら今回はもう19回目。
初回には3歳だったムスメが中学生・・・!時間は確実に経っているのであります。

こうして続けてこられたのは、いい仲間が一緒だから。
ひとりではとてもできないことも
小さいチカラを持ち寄れば、ちょっと頑丈なチカラになる。。。

お客様と すてきな仲間に感謝です。


月の魅力

2014-10-22 | essay



今更ながら。先日の月蝕。

始まる前の月の輝きは見事でした。

明るい街の中でこんなに光輝く月をみるのはめずらしい。

きっと空気もたまたまキレイだったのでしょうね。

一緒にいた娘もひと言、「なんか月からでてきそう~!」
(え~!どんなもの?)

視界を遮る物がなにもない草原に寝ころんで
こういう月をみてみたいものだな。



撮れてないと思っていた月蝕も
意外としっかり写っていました。

きれいな空。。。今地球に居る皆で、ちゃんと守っていかなくちゃいけませんね。




時間の浸食

2014-10-21 | essay





 

目に見える 経った時間の図。

 

 ここは、しばらく前に通りかかった東大赤門付近。

現実生活にはまったく縁のない場所ではありますが、
この近辺の古本屋さんや古い喫茶店、趣のある旅館・・・
などなどを目にしながら歩いていると、
かつて読んださまざまな古い文学の断片の中に
暫しするする~っとトリップしてしまいます。



 いい感じの古い本屋さんのこの二階。。。今にも「昔の書生さん」が顔を覗かせそうです。

魅惑的な時間の積もった場所は、
こころの回路に直にいろんなことを伝えてくれます。



 


ひろがる

2014-10-20 | essay



この季節になると、あちこちで見かけるこのキレイな紫の実。
すきな草木なのだけれど、名前は知らない。

ある日、知る時がやってきました~。
一緒に歩いていたともだちが
「紫式部だよ」と教えてくれました。



そして。 お店の入口の足元にあるこのカワイイ鉄板。

「みて~これかわいいね~」 
と、初めてここへ来たともだちの目に留まる。

わあホントだ。

このお店へは何度も来ているのに
わたしはまったく気づかなかったよ~。

何でもない日常のなかで、
ひとりでは気づかないこと。

ふたり、さんにん・・・仲間がいてこそ気づくこと。
あたらしいことを知ること。

ひとの輪の拡がりは
こころの視界をも拡げてくれます。

ありがたいことです~。


なみだの内訳

2014-10-19 | essay



娘の中学の合唱コンクールへ。

歳をとるほどに涙もろくなる というのは本当みたい。


舞台に上がった特別支援学級のクラスに、
小学校一年生から知っている女の子をみつけた。
しばらく見ないうちに、もう中学三年生に。。。

違う小学校区からの越境入学で
うちの息子と同じ登校班に合流することになった女の子。
長い道のりを毎朝お父さんと歩いて登校していた。

その女の子がマイクで曲の紹介をし、クラスの中心となって
ハンドベルのすばらしい演奏を聴かせてくれた。

よく泣いていた ちいさかったあの子の成長した姿に
勝手ながらボロボロ感涙・・・。

続く、娘の学年のクラスごとの合唱。
どのクラスにも、幼稚園や赤ちゃんの頃から知っている子が。

よく泣いてぐずっていたあの子、いつも脱走していたこの子、
人懐こくいつも笑わせてくれたその子・・・

だだをこねていた顔も、泣き顔も、怒った顔も
全部知っているよ。

そんな子どもたちが、どの子も、いつの間にか立派な中学生になって
制服を着てすまして一生懸命唱っている姿に
おばちゃん、なみだが止まりません。

三人兄妹・末っ子の娘の学年だから、より成長に感動しちゃうのかも。
末っ子ってものは、親にとってはどうしてもいつまでも幼く感じてしまうもの。

自分の子だけでなく、近所の子どもたちの成長を
こうして身近に感じることができるって・・・つくづくしあわせなことだなあ。

ひとりひとり、それぞれにいろんなことがあって
これから先、坂道やでこぼこ道、崖や壁もあるでしょう。。。

それでも、ひとりひとりが自分らしい姿勢で
自分なりの足どりで歩いていってほしいな、とおもいます。

さんざん感涙して、さっぱりすっきり!?
感動のなみだってものは、こころのなかの澱を全部排出するチカラがあるのかも。

終了後には、幼稚園時代のバス停ママ仲間七人でお昼ごはんへ。
それぞれの成長話にまたひと花咲かせるのでありました。

これからの子どもたちに
安全にすこやかに平和に過ごせる世の中を用意しておくことは
オトナの役目ですね。

自分たち今のオトナが、先人たちに平和の中で成長させてもらったように。。。





ニッポンの季節感の危機

2014-10-18 | essay



幼稚園の横の道を通っていたら
なんだか懐かしい唄が流れてきた。

ちゃちゃんかちゃんちゃ~ん ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃ~~ん・・・
という前奏に続き・・・

「あかりをつけましょ ぼんぼりにイ~
 お花をあげましょ 桃の花ア~」

え~~~~?

ハタ と思考が停止してしまう。

今って いったい何月だっけ???

わたしの脳がヤバイ?
いやいや、今はまだ10月です。
クリスマスもお正月もまだだよ。

なぜ、ひなまつりの曲をかける???

時間的には給食時間と思われ、
BGMとして童謡全般を流していたのだとしても、なんかそれいただけません~。

ニッポンの季節感を大事に子どもたちに継承したいと考えたならば
10月におひなさんの唄はアカンでしょう。

白ごはんにチョコやポテチを乗せて食べるのと同じくらい違和感アリ!
(そういう若者、増殖中だそうです)

三つ子の魂百まで。
真夏におひなさんの歌をきいても何とも思わないような
情緒のないオトナになっちゃうよー。

 

 


「待つ人」 ふたたび。

2014-10-16 | 展覧会・アート のこと



「生誕200年 ミレー展」 初めての府中市美術館へ。

ミレーは、 やっぱり すきだなあ。

わたしの中では特別な、ミレーの一枚の絵が
間もなく開催される三菱一号館美術館のミレー展ではなく、
府中市美術館のミレー展に展示されているということを
ほんのつい数日前に知ることとなり、慌てて行ってきた。

何故、わたしは両方で同じ作品が展示されると思い込んだのだろう?
同じ東京都内という近距離で移動するわけないのにね。

会期終了は一週間後。ぎりぎりセーフ・・・。

その一枚の絵は 「待つ人」

 (図録より)

この絵は、ミレーが故郷を離れ、帰郷することのないまま
亡くしてしまった母親を想って描いたとされている。
聖書のモチーフを用いながらも、家は自分の生家を描いている。
今回展示されていた、ミレーの生家の古い絵葉書をみると
この戸口や石造りの壁がまさにそのままに描かれていることがよくわかる。


前回、この絵を観たのは、わたしがまだ25歳のとき。

ひどくこころを揺さぶられて、この絵の前から離れ難かったことをよく覚えている。

わたしは東京展を、母は京都展をそれぞれ観に行った。

あれから23年・・・

わたしは「母」となり、
わたしのたいせつな「母」はこの世を去った。

23年前、この絵の中の「母親」に自分の母を重ね、
心情を想像して胸が詰まる想いだった25歳のわたし。

もう今では成長した3人の子の「母」として
この絵の母親の想いを
想像ではなく 実感してしまう。

またもや、この絵の前から立ち去り難い気持ち・・・。

展示された作品をじっくり観終えた後にまたこの絵に舞い戻ってしまった。

絵の右側に立って、このお母さんの背中越しに同じ方向を見やる。

オレンジの夕焼けを背に、ちいさな人影がふいに現れはしないか・・・
と、束の間絵の中に入り込んで一緒に 願いたくなる不思議な感覚。

そして、23年前に観た時のまま、
夕焼けが暮れることなく、夕焼けのままに輝いていてくれたことに
なぜだかほっとするわたし。 

もう150年以上前に描かれた絵の中の夕焼けなのだから
当たり前なことなのにね。

今こうして、再びこの絵の前に立てたこと、
再び、同じようにこころを揺さぶられたこと。。。

なにものかに 感謝する想いです。


今回のミレー展。
ミレーの温かい人柄が温度を伴って伝わってくるような
選りすぐりの作品が盛りだくさんの素晴らしい展覧会でした。

 府中市美術館にて、2014年10月23日まで。

 


モノヅクリの底力

2014-10-15 | essay


経営コンサルタントを生業としているトモダチが

自分で「作家」と名乗れば、「作家」なんだよ。名乗ったもん勝ち!
って前に言っていたっけ。

オリジナルバッグや革小物を制作販売するようになって
気づいたら10年。。。

でも自ら「作家」と名乗るのは、なんだかおこがましい。
こそばゆい気持ちになるのは何故だろうね。

昔から、わたしにとって「ものづくり」は
たぶん、なくてはならないもの。

わたしは不器用なニンゲンなので
自分を表現するには、コトバよりも ものづくりがきっと一番向いている。

自分の手が創りだしたものを、どなたかに気に入ってもらえて
使うたびにたのしいキモチになってもらえたら・・・!
こんなシアワセなことはないなア。と思う。

そして、「ものづくり」によって
自分のこころも豊かに耕されているようなキモチになる。

手仕事に没頭すること・・・

それはわたしにとって、なによりの自分磨き&ストレス解消法なのかもしれません。

底知れぬモノヅクリの持つチカラ!

おもいつくままに生まれるさまざまなモノたち。。。
来週の秋のイベントに向けて爆縫い中です (^ー ^*)

 

 あんなのや、こんなの~♪ 

「モノヅクリ」によって得られるシアワセ感は
わたしのネジを巻く原動力のひとつです。

 

 


鈍感力向上のススメ

2014-10-14 | essay




「鈍感力」って正式な日本語があるのかどうかわからないけれど
(渡辺淳一の「鈍感力」も未読ですが)

それは究極の処世術なんじゃないかな。

ピリピリせずにのんびりと

あるがままを受け入れて

なるようになるさ と あえて開き直る。


わたしも年齢と共に鈍感力が高まってきたみたいだ。

最近、気づいた。 (いや、もともと?)

まあ、生きてりゃあ、いろんなことが そりゃあ あるさ~。

じたばたしたっていいし、
おんおん泣いたっていいし、
自暴自棄になったっていい。

それでも ひとはみんな生きていく。

最後に必要なのは、鈍感力。 

たのしいこと 嬉しいことだけ 自分で選んで鋭敏でいたいものです。

   (姉から送られてきた横須賀の夕焼け)

 

 


おとなりさん

2014-10-11 | essay

 


気づいたこと ありませんか?

駐輪場に停めた自転車を出すときに
なぜかお隣に停めた人と鉢合わせる確率の高さのフシギ。

こんなにたくさん自転車が停まっているのに
どうして隣の自転車のひとと同刻に用事が終わるのだろう??

買い物に行った先の自転車置き場でも、
駅のそばの駐輪場でも、
帰りにはなぜだか隣のひとと一緒になることがとても多い。

こういうのも 袖すり合うも他生の縁?? 

オモシロイからって、いきなり喋りかけたりはしませんよ~。
ヘンナヒトかと思われちゃうもん。
ハンドルが絡まったりしてたら、ちょっとにこっと会釈はするけれど。


とてもおもしろいフシギな偶然です。


 

 


メッセージ♪

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