時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

2月23日の謎

2009-09-30 | essay
伊丹の伯母の釣り堀の家に、一家で住んでいた時に
わたしは生まれた。
予定日を過ぎてもなかなか産まれない妹(母)のお腹に
チャコのおばちゃんは、
「見ててみイ。この子、私とおんなじ誕生日に産まれてくるで!」
と予言したという。
見事予言は当たり、チャコのおばちゃんと同じ誕生日、
『2月23日』にこの世に生まれ出た。

それからきっかり30年後。
奇しくも、30歳の同じ誕生日に長男出産
予定日を一日一日過ぎるごとに、
「もしやこの子、わたしの誕生日に産まれる気でいる?」と予感が。
予定日を1週間遅れて、大当たり~!
20代で産むはずだったんだがな~。分娩室で三十路を迎えた。

昨年のこと。担任の先生も同じ誕生日だった!と息子が言うので、
面談の後で「先生も2月23日なんだそうですね、うち、親子でなんですヨ」と
振ってみたら。。。な、なんと!先生の母上まで同じだという!
うわっ。それって、天文学的な確率??

おまけに、夫の弟に生まれた姪っ子(子どもらの従妹)まで同じ誕生日。
ついでに、ご近所のママさんも同じく母子で2月23日だと判明!

2/23って何か特別な啓示の日???
(あ、皇太子サンも同じだし?)
誕生日って、1/365の確率なのに、これをフシギと言わずしてなんと言おう


くるみボタン

2009-09-29 | essay
「女は手しごとで癒される」っていつだったか、
本屋の立ち読みで見て、そうなのよ。とうなづいた。

ちまちまと何かを作り上げることがすき。
わたしの場合、設計図とか説明書とかのある作業は
まるで向いていないので、感性のままに作って、
出来上がりも自分で、よし終わり!って決められる
作業でなけりゃあ、いやだ。

そんな物づくりのひとつ。「くるみボタン」
これは、すきなように刺繍を入れて作ったバージョン。
すきな柄の布をくるむだけでも作れるので、
とっても簡単で、用途も広がる。名前からしてかわいい。

11月に仲間と一緒にone day shopを開くので、その準備。
自分ちの店番をしながら、ちまちま作り貯めたもの。
さあ、このくるみちゃんたちはこれから様々に変身を遂げるのであ~る。
ヘアゴムに、ヘアピンに、ストラップやバッグの飾りに、etc,etc.

これからショップ開催まで、物づくりが最優先!な日々がつづく。
料理の手抜きも、部屋の隅のホコリも、大目にみてね~

世の中のお勉強

2009-09-28 | essay
学生時代、父に「いい社会勉強になるよ」と
赤坂にあった、知人のスペイン料理店を紹介され、
18歳の一年間バイトに通った。

当時のTBSの目の前のビルに店があったので、
有名・無名のアナウンサーや、TVで見たことのある人が
常連さんに多くいた。たまに、ドラマの制作発表パーティーも
あって、料理を運びながら目はキョロキョロ。
芸能界にうとい方なので、あまりよく覚えていないけれど、
今や世界的俳優の「渡辺謙」氏は、若い時も物腰が紳士的で、
カッコイイなあって思ったのを覚えている。

一時間ごとに、ピアノとボーカルの生演奏もあり、
お客さんの少ない時には、うっとり聴きこんでいたり、
バーテンダーにカクテルの作り方を
こっそり教えてもらって、味見をさせてもらったり、
優しいコック長のお爺さんとお喋りしたり。
時々入った、ウェディングの2次会パーティーでは、
知らない人達なのにいちいち感動してしまって、
うるうるしながら、涙目でお皿を運んだり下げたり。。。
18歳のわたしには、新しいことだらけだったなあ。

アルバイトのメンバーは多国籍。スペイン人、ポルトガル人、
台湾人、パキスタン人、と日本人。
いろんな言葉が飛び交って結構刺激になった。
店の準備をしながら、いろんなひとと、いろんな話をした。
一番カルチャーショックを受けたのは、
みんながいかに愛国心をたいせつにしているか、ということ。
異国で働きながらも、祖国を誇りに、凜として生きる姿勢を
持つ彼らがとても眩しく見えた。
みんなで愛国心について議論になった時に、
他国の皆に、全員一致で「日本人には愛国心がない」と
言われた時には、返す言葉もない、と気づいた。
若くて、まだ世の中のこともよくわかっていない
甘ちゃんだったわたしは、このことについてはその後も
深く考えされられることに。。。

父の言うとおり、ここで過ごした時間は、いい社会勉強になった。
時には、いやな酔っ払いもいたし、見たくないものも
いろいろ見てしまったけれど、社会の縮図を垣間見たような、
貴重な一年間だった。
よくも悪くも、いい経験をしたなあ、と今でも時々ふと懐かしく思う。
スペイン語で、厨房にオーダーを大声で叫ぶのには、
最後までとうとう慣れることはできなかったけれどね!
ポルファボ~~ル♪

ちいさな生態系

2009-09-26 | essay
庭に洗濯ものを干していると、
かなへびの赤ちゃんがちょろちょろ。
緑の鉢植えに目をこらすと、ショウリョウバッタも
大小さまざまにぴょんぴょん飛ぶ。
どれもこれも、虫好き長男が長年にわたって
捕まえてきては庭に放した子孫たち。
バケツ田んぼの名残りの泥水の辺りでは、
夫がかえるを見かけたと言うし、
こんな小さな庭にいつの間にか立派な生態系が出来上がっている。
隣のマンション建設時には蛇がうちの庭に
逃げ込んできた。それもまだこっそり住み着いてるのかも??

現在中2の長男、小さい頃から、普段はのんびりタイプなのに、
虫、トカゲ、蛇などを見つけた時の動きはまさにハンター!
動体視力が動物並みなのか?
三年生くらいの時かな、茂みを一緒に歩いていて、
一瞬しゃがみこんだと思ったら、次の瞬間1m以上ある青大将の
鎌首をしっかり掴んでいてびっくり!
だあれも教えていないのに、それは本能??
首に巻いてニッコリ。
よく、捕まえたかなへびを頭の上に乗せ、その上に
キャップをかぶって連れて帰ってきた。ヘンな子だ。
なんでまた~?と聞くと「温めると眠るんだよ、ここが一番安全」とな。
ま、そういうことを実体験で学ぶって貴重よね。。?

いまどきの中学生は忙しい。
さすがに、草むらで遊ぶ子はいない。
六年生まで目一杯外遊びを楽しんだけど、
まだまだ足りていない様子~。
制服の彼は、なんだか「不本意」って看板下げて
歩いてるように見えてしまう。。。
がんばれ、中坊~!!
君のかなへび達も庭で応援しているよ~


スイミングプール

2009-09-25 | essay
運動は苦手なのだけれど、泳ぐのはすき。
というよりも水の中にいるのがすきなのかな。

夫は店の定休日に毎週泳ぎに行くので、
たまについていって、ひと泳ぎ。
晴れた日には天井のガラス越しの空を
見ながらプカプカ。程よい陽射しがプールの底にも
揺らぐのを見ながら泳ぐと気持ちいいのだ~。

社会人になったばかりの頃、仕事帰りにひと駅隣にある
港区スポーツセンターによく泳ぎに行った。
無になって泳ぐうちに、ようやく本来の自分に戻れて、
仕事のストレスも水に溶けて、サッパリ!
目黒の会社に転職してからは、目黒区民センターの
プールにも会社の仲間と泳ぎに行った。
女子社員らが泳ぎに行っているのを聞きつけて、
先輩の男性社員達が、プールサイドなのに普通のメガネを
かけていたのには笑った!見え見え。

思えば、水泳を習いにいったことはないのだけれど、
子どもの頃からプールがだいすきだったなあ。
魚座だからかな??関係ないか。

昔、家の近所に、どこぞの社長が趣味で作ったプールってのが
あった。一日いても200円。早い時間にこどもだけで行くと
タダで入れてくれた。
ひどく冷たかったから、きっと井戸水だったのね。
今じゃありえないけれど、お金を払うときだけ人がいて、
あとは、監視員もいなけりゃ、決められた休憩時間もない。
何をしても自由なプールだったから、夏休みは毎日毎日
友達と、お昼を持って朝から夕方まで遊んでいた。
おかげで、水中逆立ちやでんぐり返りも
潜水もとっても上手になった。
飛び込みだって、すきなだけ
すきなポーズでバッシャンバッシャン遊べたものだ。

あのプール、今はもうパチンコ屋に変わっているらしい。。。
水質検査とかをしているのなんて見たこともなかったしなあ。
でも、現在のプールって、どこも監視が厳しすぎて困る。
子どもたちに、得意な水中逆立ちを教えたくて
やって見せたら、監視員のお兄さんが飛んできて、叱られてしまった。
潜水も飛び込みも注意されちゃうんだから、本当に困っちゃう。
教えられて学ぶだけじゃない、水の楽しさを
もっと自由に体で感じ取ってほしいんだけどな。

あの時のプールみたいに、いっそこの狭い庭に掘っちゃうとか!


さんぽの時間

2009-09-24 | essay
さんぽ。って言葉の響きがすきだなあ。
さんぽは、とっても贅沢なゆとりの時間。
さしたる目当てもなく、目的地もなく、ぶらりぶらり。

七歳の娘とさんぽする時は、晴れていても
時々傘を持っていく。
曲がり角に差し掛かると、娘が道に傘を立てて手を放す。
そして傘の倒れたほうへ進む、という
すごろくのようなさんぽなのだ~。
まだ幼稚園に入る前だったかな、
雨上がりのさんぽであみ出した方式。
娘はこのさんぽがだいすき。
どんどん家から遠ざかる時もあるので、
たっぷり時間があるときだけの特別バージョン。
歩いたことのない道へ足を踏み入れると、
思いがけない古い御屋敷を発見したりしてなかなか楽しい。

子どもの頃、早起きの父に連れられて
よく朝のさんぽに行った。
舗道の縁石の上をバランスを取って歩く。
父を先頭に、姉、弟、私。
「落ちたら朝めしヌキ!」という父の声に、
かなり必死なわたし達。クリアできてホッとする。
いつもサバイバルなさんぽだったなあ。

奈良で暮らしていたころ、
住んでいた団地のそばに、赤土の粘土質の山があって、
そこによく父とさんぽに行った。
弟が生まれたばかりだったから、わたしは5歳くらいかな。
そのむき出しの粘土質の山壁には、日本語ではないことばで
彫られた落書きみたいなものがあって、
宇宙人が彫ったものだと信じ込んでいた。
恐らく、父に吹き込まれたに違いない。
その場所を通るたびに、ちょっと異次元な
この世のものでない気配を感じて怖くなったものだ。
今でも思い出すその景色は、ちょっと火星っぽい。

大人になってから、奈良に赤膚焼という焼き物があることを知った。
あの赤い山は、その採土場だったのかもしれないなあ。関係ないかな?

さんぽは、いろんな発見の場。
娘も、一緒に見つけた幽霊屋敷やどんぐりスポットを
大人になっても覚えていてくれるかな~??


母のことば

2009-09-23 | essay
ちょっとくたびれてるなあ。って感じると、
母の「無理しなさんなよ」という声を思い出す。
4年前に母は逝ってしまったけれど、
母のことばは、今もこころのなかでこだまする。

亡くなったひと月後くらいに、
母と電話で話す夢をみた。
「よかった、電話では話せるんだね?」
と、わたしは受話器越しに亡くなった母に
語りかけている。少し話した後、
「それで、今どんなとこにいるの?」
とわたしが聞いてしまったら、
電話はぷつりと切れてしまった。
ツーツーという不通音だけ。。。

そこで目が覚めた。
あの空虚な気持は忘れられない。
そんなこと聞かなかったら、
もう少し夢をみていられたのに・・・。

母は明るいひとだったけれど、
賑やかなひとではなかった。
だからこそ、母のことばは、
温度を伴なって、わたしのこころに
いつもまっすぐに降りてきていたように思う。
まだ家族と暮らしていた娘時代、夜通し話して
朝になったことも何度かあった。
母と娘の他愛のないハナシ。。。
そんな時間も今は遠く恋しく想う。

いつかは誰もがこの世からいなくなる。
わかってはいるけれど、
たいせつなひとを亡くすということに
慣れるひとはいないだろう。

亡くして初めて痛いほど実感させられる。
もう会えないということ。
もう話ができないということ。

夜が明けても覚めない悪い夢。。。
何処までも追いかけてくる悲しみの津波に
溺れてしまわないように、闇雲に走るしかなかったあの頃。
温かくそっとしておいてくれたまわりのみんな…。

あの頃「グリーフワーク」という言葉も初めて知り、
たいせつなひとを亡くした時、誰もが辿る悲しみのプロセスを
客観的に見ることで、少し平静を取り戻せたような気がする。

時間を重ねるうちに、
「今は遠くて逢えないだけで、いつか必ずまた逢える」と
思えるようになった自分に気づいた。

もしも今、真っただ中にいるひとがいたなら、
今はまだ痛くて目も開けていられなくても、
必要な時間を経たのちには、
そんな日がいつか自然に向こうからやってくるよ。。。
って伝えたいな。

自分をこの世に送り出し、
愛しんで育ててくれたひと。。。
誰にとっても、たったひとりのかけがえのない存在。

亡くした悲しみに終わりはないけれど、
今、手に取れる、目の前の小さなしあわせを
ひとつひとつたいせつにしていこう!


蚤の市

2009-09-22 | essay
古いものってなぜか魅かれる。
高価な骨董品ではなく、ちょっと時代がかっていて
味のあるモノたちがすき。
もともとレトロなものがすきなうえに、
夫の時計職人という職業柄、アンティークなものに
ガチャガチャと囲まれて生活している。

蚤の市や骨董屋もすきで、夫にくっついて
ときどきのぞきに行く。
彼が古い時計や部品、機械ものを見て歩く間、
わたしはレトロな人形や置物、ボタンなどなどを探す。
古いものは、その時、その場所でしか出逢うことが
できない、一期一会ってところも魅力。
かつて、誰かにたいせつにされてきたモノたちが、
持ち主の手を離れて、黙って静かにそこに並んでいる。。。
捨てられ、ごみにならずにすんだのも、
そのモノの持つ運の強さなのだろう。

写真の、小さい額はベルギーのブルージュでのぞいた
蚤の市で一目ボレして、我が家に持ち帰ったもの。
ガラクタの中に見つけたので、確かせいぜい500円位だったかな。
何のためのもので、何て書いてあるのかは
15年経つ今も不明なのだけれど、色合いや
そのものの持つ優しいオーラみたいなものが
とても気に入っている。
ベルギーのどこかの誰かのおうちにあったものが、
日本のわたしの家に飾られるフシギ。。。

物もひとも、やっぱり縁ってだいじだなあ。


ハツカネズミとの日々

2009-09-21 | essay
小さいころから、生きものがすきで
いろんなものを飼った。
犬や猫はいつでも家に居たし、
バッタやこおろぎ、カブトムシ、
まるむしにかたつむりなどなど、捕まえてきては飼っていた。

中学2年の夏のこと。
お祭りの出店で売られていた白い小さなはつかねずみ。
張られたロープの上をちょこちょこと走るさまに
一目ボレして一匹買ってきた。
しばらくして、ひとりぼっちは寂しかろう、とペットショップで
もう一匹買って連れて帰った。(確か200円くらい)
あらら。すぐに、かわいい赤ちゃんが8匹。
はじめは毛のないピンクの小さい体がだんだん白い毛で
覆われてくると、子ねずみたちはクルクルと遊びまわって
それはそれは可愛らしい光景だった。
それで、ハッピーエンドであればよかったものを。。。

正にねずみ算、ぽこぽこと数が増えてゆく。
いつの間にか、カゴの隙間から出た子ねずみたちが、
タンスの隙間やベッドの下に入り込んで、
一体、自分が今何匹飼っているのか、
すでに把握できない状態に。。。
ある時、道路を横切る白チビを見つけて捕獲した日に、
さすがに、手に負えないところまできていると気付いた。
(早く気付きなさいよ~)
今思えば、母は、よく文句も言わずに、
わたしを好きにさせておいてくれたものだ。
母は、いつも自主性を尊重してくれていた。
(もしくは忙しくて気が回らなかったとか?)
もしも今、あの時のわたしと同じ中2の息子に、
はつかねずみを走り回らせられたら…!
わたしには、黙って見ている自信はこれっぽっちもない。
寛大さは遺伝しないのかしら。。。?

で、その後、カゴの中のねずみたちと、
捕獲に成功したチビ達、全部で25匹は居ただろうか、
泣く泣く、ペットショップのおじさんに
引き取ってもらいに行った。
いいですって断ったのだけれど、2千円を渡され、
なんだか命を弄んだ後ろめたいお金のような気がして、
思春期のわたしは、ひどく落ち込んだものだ。。。

わたし、いつの間にかブリーダーになっていたのね。
あの頃、脱走した子ねずみが何匹いたのだろう??
ご近所にも入り込んでいたかも…。
今更ですが、あの時のご近所様、ごめんなさい!!
若気の至りってのは、コワイなあ~


フシギな犬 「しろ」

2009-09-20 | essay
昔、「ケン」という名の甲斐犬を飼っていた。
ある冬の夜に、ただいま、と普段通りに帰ってきた父の
外套の胸元からポロンと転がり出た、黒い毛玉のような子犬。
それが「ケン」だった。
衝動買い好きの父のやりそうなことだ。
わたしたち子どもは狂喜乱舞の大喜び!
犬好きの母も、突然の犬の世話に困りながらも
顔はほころぶ。

成犬になって、数年後のこと。
ある朝、学校に向かう道中、じっと立ち止まって
こちらを見ている白い華奢なノラ犬に出逢った。
しばらくついてきたが、ダメダヨと追い払ったらいつしか見失った。
と思ったら、学校に着いたら校庭を走り回る姿が。。。
いつの間に?と第一のフシギ。

その日一日、休み時間に生徒と戯れて学校にいたのだが、
先生に追い出されたのか、帰るころにはもういなかった。
雨が降り始めた帰り道、なんと、朝出逢った場所に
立ちすくむ白い姿が。。。
しかもまるでわたしが帰ってくるのを待っていたみたいに
じっとこちらを見つめている。
第2のフシギ。

そのままうちまでついてきた白い犬。
雨が止むまで、と玄関ポーチでミルクをあげたら。。。
そのまま玄関で暮らすようになってしまった。
その頃、庭で放し飼いにしていた「ケン」もお年頃。
柵越しに恋に落ちたらしい「ケン」と白い犬を見かねて、
父が柵を開け、めでたくゴールイン。
「しろ」と名付けてうちの飼い犬となった。

二匹は庭の中でなかよく暮らしていたが、
しっかり柵が巡らされている庭なのに、
なぜかしろだけは、時々柵の外にでて、
飛び跳ねて遊んでいるのを目撃される。。。
皆で首をかしげた、第3のフシギ。

あっという間に、しろ、ご懐妊。
それはそれは可愛い、ツキノワグマのような模様の
五匹の子犬が産まれた。
かいがいしく、子犬の面倒をみていたしろだったが、
なんと。。。子犬達が乳離れした途端、子どもも夫も置いて、
ある日突然、煙のように消えてしまったのだ。
またどこかへ遊びに行っただけかと、待っていたのだけれど、
とうとうその後、姿を見せなかった。
第4のフシギ。。。。

今思い返しても、フシギな犬だったなあ。
放浪癖のある犬だったのか、この世のものではなく、
何かの化身だったのか??
いまでも、白い犬をみると時を超えてやってきた「しろ」かも、
なんて思ってしまうのだ。


金星と三日月

2009-09-18 | essay
あの日、偶然見上げた夜空に
くっきりと浮かんでいた三日月と、
寄り添うように鮮やかに輝くひとつの星。
みるみるその星が三日月に近づいたと思ったら、
すっかり後ろに隠れてしまった!
その後、三日月の下方先端に、光るイヤリングのように
現れ出た星のなんと神々しかったことか。

あれから、かなりの年月が経ったけれど、
澄んだ冬空に浮かぶあの光景は忘れられない。
最近になって、ひょんなことから、
あれが「金星食」だったと知った。

インターネットってすごいなあ。
ちょっと調べてみるだけで、記憶の底を洗い出してくれた。
あのステキな夜空のマジックは、
1989年12月2日に起こった金星食。
そうか、あれは1989年だったのか。
あの日、母と銀座を歩いていて、ちょうど大通りの
真上にあの三日月と金星を見つけたんだ。
あまりにキレイで、立ち止まってふたりで指さしていたら、
何人ものひとが立ち止まって、口々に「きれいですね~」と
いいながら、しばし皆で澄んだ夜空を見上げていた。

「金星食」という現象とは知らずに、
偶然夜空に見つけたってことが余計に感動を呼んだのだなあ。
あの壮麗な月の魔法を一緒に眺めたひとたちも、
今も覚えているだろうか??

以前、ひとりで暮らしていたアパートの窓から、
知らずに眺めた満月が、みるみる欠けてゆく月食を見たことがある。
あまりの美しさに、今すぐ誰かに教えたくて教えたくて、
ちょうどベランダに出てきた様子のお隣さんに、壁越しに
教えてあげて一緒に眺めたこともあったなあ。。。

自然現象を、なんの知識もなく、心構えもなく
偶然見ていた太古の人々は、さぞやこころを
揺さぶられたことだろうなあ。
そして、自然に畏怖の念を強く抱いたことだろう。

ちなみに、次の金星食は2012年8月だそうです


自分のなかのたくさんの自分

2009-09-17 | essay
一度すきになったものって、
わたしはずっとすきでいるほうだ。
ひともそう。
一度すきって思った人間を嫌いになることは
ないかも。直感だけで生きているからかな。
動物的な本能なのか??

別れたコイビトとだって、時間が経てば
大抵ともだちになれたし、
ずっと逢えないともだちでも、こころの中では
ずっとともだちだと思っている。相手もそうとは限らないが。

自分が歩いてきた道を、忘れずにたいせつにしたいから
わたしの中には、過去と今は混在している。
けれど、ひとはそれぞれ感じ方が違うし、
過ぎた時間は引き離して、連結車両を外すみたいに
そこに置いてくるひともいるだろう。
それはそれで、潔くてシンプルな生き方だ。

二十歳頃の自分のノートに、
「宝物は友情とこころの中の記憶」
と記してある。今こそなおのこと、同じように思ってはいるけれど、
今より半分の若さで、こころの中の記憶が宝だなんて…、
年寄りくさいぞ~!って自分で自分に喝を入れたくなるなあ。

自分のなかにはたくさんの自分がいる。
今までの人生で、観たこと聴いたこと感じたこと、
出逢ったひとたち、出逢ったものたち。
たくさんのいろんなものが詰まって出来ているわたし。
ひとつピースを外しても、今の自分はいない。
あの道をこう通って、ああ曲がって。。。
どれも間違いなく自分が自分で選んで歩いてきた道。
だから、迷った道も引き返した道も、
倒れて泥だらけになった道も
どれもこれも愛おしいのだ。

この道がどこまで続いているのかは…神のみぞ知るが、
道のデッドエンドに立った時、自分を褒めてあげられるように、
周りのたいせつなひとたちが、笑顔でたまには思い出してくれるように、
自分らしく自分の歩幅で前を向いて歩いていこう


MAMALAID RAG

2009-09-16 | MUSICのこと

久しぶりに MAMALAID RAG のライブに行って来た。
吉祥寺GB。

お友達に聴かせてもらった数年前から、すっかりツボ。
初めて日本のバンドのファンになった

田中氏の生み出す曲には、ものすごくたくさんの
いろんな種類の音楽のエキスが詰まっている感じがする。
まだ30歳くらいの彼の中に、50's~70'sのいい音楽が
いい具合に浸み込んで熟成しているのが不思議だ。
若いのに老成しているように見えるのはそこなのかな。

なんとも透明感のある、のびやかな声。寡黙な出で立ち。
しかし。。。ここ最近のライブでの田中氏は。。。
どうしちゃったんだろ~~、まるで別人。
以前は、ひたすら演奏&歌、たまにぽつりとMCって
感じだったのに、最近は、しゃべるしゃべる!(踊る?!)
本人楽しそうだから、ただファンの知らなかった一面って
だけなのだろうけれど、あまりのキャラ変更にちょっと戸惑うなあ。

しかし、今回のBAND-STYLEのライブ、思いっきりギターを
弾きまくる彼は本当に楽しそうで、少し前の冬眠状態から思えば、
本当に良かった良かった、と思うのであった~。

新しいアルバムも、気長~に楽しみにしていようっと


ヴェネツィアのゴンドラ

2009-09-14 | essay
ヴェネツィアに入った日は珍しく雨だった。(晴れ女なのに)
サン・マルコ大聖堂は浸水していて、板が渡された床を歩いた。
いつか本当に水没するかもしれない街なんだ…と
身につまされる思いがした。

ヴェネツィアの思い出の壁飾り。
憧れていたゴンドラに乗ろう!って思っていたのだけれど、
乗らずに、ほぼ同じ値段のこの壁飾りを買うことにした。

だって…ゴンドラはあまりに優雅で気品があって、
20代のバックパッカー夫婦には分不相応で、
わたしたちには勿体なくて止めにした。
貧乏旅行で、お洒落な服の持ち合わせもなかったしなあ。
団体さんとかが乗ってる、乗合タイプのもあったけれど、
せっかく乗るならロマンティックに乗りたいものだし

十年後に、ゴンドラの似合うしっとりとしたオトナになってから
また来よう!って約束したのだけれど、
おいおい、もう十年なんてすぎちゃったよ!
それに、ゴンドラの似合うしっとりとしたオトナなんかに
全然なってないし!
もう十年あれば、なれるかな~??無理か~?

そういえば、ヴェネツィアでも迷子になった。
細い路地と水路が迷路のように張りめぐらされていて、
あっちと思えば、水路で行き止まり。
こっちと思えばあっちに出てしまう。
夕暮れ時の下町の喧噪の中を興味津々観察しながらぐるぐるぐる。
かなり歩いて、気がつくと元の広場に出ていた。
別の世界に迷い込んだような不思議な時間だったなあ。

もう一度、あの町に行くことがあったなら
また迷子になることにしよう。
あの別世界トリップをもう一度体験したい。

ゴンドラにも今度こそは優雅に乗ってこよう


Huey Lewis からの手紙

2009-09-13 | MUSICのこと

わたしの宝物のひとつ。
Huey Lewisからのポストカード。

人生でただ一度だけ送った、ファンレター!
それも、高校時代にESS部で英文レターの練習として
皆それぞれに、海外の俳優やミュージシャンに宛てて書いた
ファンレターだったのだ~。
しかも最後に先生にミスチェックまでしてもらったのでカンペキ!
わたしは、当時お気に入りだったアルバム「ベイエリアの風」を
リリースしたばかりのロックバンド Huey Lewis & The Newsに、
日本初公演をしに来て欲しくて、アルバムの曲の賛嘆と
日本でのコンサートを渇望する旨をしたためて投函した。
それにしても、手書きのお返事がいただけるなんて、
想像もしていなかったのですっごく驚いた。いいひとだなあ。

お返事の全文は、
「Dear ○○○
 Thank you for your letter and support.
 Our new album will be out in March and
then we will tour. Don't know when we'll
be in Japan yet, but I'm sure we will.
See you then.    Best, Huey 」

まだブレイク前だったから、ファンレターに目を通す
おヒマもあったのねえ、きっと。
そのちょっと後、大ブレイク!押しも押されぬ、
80年代を代表するロックバンドになってしまった!
その後の来日公演はもちろんほとんど全部聴きに行った。
あの、骨太でソウルフルなボーカルはちょっとほかにはない。
「We are the world」でも、あの独特ボイスで熱唱

彼の吹くブルースハープがすごく格好良くて、
自分も吹いてみたくなったものだ。(すぐ感化される!)

最近ご無沙汰していたら、なんとグウィネス・パルトロウの
父親役で映画に出演していたのを見つけて、びっくりたまげた。
なんかちょっと違うよお…。
おっさんになっても、骨太ロッカーでいてほしいです~。

でも、去年来日してシカゴと一緒にライブをしたらしい。
(気づかなかったけど…)ご健在でひと安心…!?
今度来日公演があったら、絶対聴きにいこっと


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