八月終わりの月夜。
いろいろとアタマで想うことが多すぎる時は、体を動かすに限る。
で、夜のウォーキング(&ときどきジョギング)を少し前から始めた。
近頃運動不足の13歳次男坊もノリ気になったため道連れに。
近所の大きな公園のジョギングコースは一周で2km。
慣れてる人々は、何周も回るみたいだけれど、わたしたちは1周か2周でへとへと~。
いいのいいの。行動するってことが目的だからね。
夜道をずんずん行く。
夏の夜の森は何とも気持ちが良い。
涼しい夜風。揺れる木々の葉影。月明かり。
まだまだ頑張るセミの声と、真新しい秋の虫の音が競い合うように聞こえてくる。
どこか奥の方から、もう暗いというのに鳴く小鳥の声。。。あれはまさかナイチンゲール???なわけないか。
どこかで、ワライカワセミのような鳴き声も。あれは鳥なのだろうか、はたまた虫なのだろうか??
明るい昼間の公園とは違って、知らない深い深い森の奥へ来たみたい。
こんなに身近に深い自然があったんだねえ。なんだか夜の公園は魅惑的だ。
歩道をもぞもぞと歩いているセミの幼虫を見つけ、息子が家で羽化を見守ろうと言い出し連れて帰った。
長男は小学生の頃虫博士だったので、何度か羽化させていたけれど、そういえば次男は初めてか。
部屋の中に段ボールで作った羽化ハウスを置いて観察開始。
10時半頃背中を破って出てきたセミ(命名:大五郎)は徐々に羽を伸ばし、美しい成虫に変身~。
最初は、なんともきれいなペパーミントグリーンなんだよ。
ここから、すっかり羽が乾いて飛べるようになるまでは、まだ数時間かかる。
少しずつ背中が茶色になり始めたところで、もう夜中の1時近かったので、
ダンボールごと庭へ。明け方に部屋で飛び回ってしまったらかわいそうなので。
翌朝、6時にそっと庭に様子を観に行ってみたら、ちょうど枝のてっぺんに登ってまさに初飛行をするところ!
少し飛んで、一度家の壁に留まったあと、気持ちのよいくらい真っすぐに迷いもなく屋根の向こうへと消えてゆきました。
一瞬見た姿は、しっかりと茶色に変わり立派なミンミンゼミに変身していました。おめでとう!
寝ていた次男坊は旅立ちを見送れず、残念!
いのちって、すごいねえ。
教えられなくてもちゃんと自分で殻を破る時を知っている。
ニンゲンの胎児も同じ。生まれる時を自分で決めて母親に知らせる。
「赤ちゃんはすごいんだよ。あんたも、これから出ることにするよって
自分で決めてわたしに知らせて、生まれてきたんだよ。」
と、セミを観察しながら息子に話して聞かせる。
「へえ?そうなんだ。」とちょっと意外そうだ。
月を見ながら夜のウォーキング。
いい気分転換になるし、しばらく続けられそうかな。
頑張って続けたらふたりして激ヤセね??
真夏のある日、暑くて立ち寄ったBOOK OFFでたまたま手にした本。
「小さいことにくよくよするな!しょせんすべては小さいこと」リチャード・カールソン著 2006年発行
普段、マニュアル本とかハウツー本とかには興味がないのだけれど、
こういうタイトルの本に手が伸びたということは、
心理学的にはきっと、潜在的にこういうコトバを必要としていたのかもね。
ぱらぱらとめくると、イラストもツボ。
漠然と感じている、共感する事柄を改めてコトバで提示されると、
うんうん、そうだよなあ、そうなんだよねえ。と、背中を押してもらう気持ちになる。
帯には、世界中で1500万人が読んだ幸せバイブル、とある。
流行りものに疎いわたしは、この日まで目にしたことがなかったよ。
見開き1ページごとの短い言葉なので、これは、子どもたちにもぱらぱらと読んでほしいな。と思って買って帰った。
[ Live This Day as if It Were Your Last ] 今日が人生最後の日だと思って暮らそう。
というページのコトバ。
残りの命があとどれくらいなのか私たちはだれも知らない。
だが、悲しいことに私たちは、永遠に生きられるかのように行動する。
心の奥で本当にしたいと思っていることを先送りにしてしまうのだ。
今日の一日を、自分の最後の日であるかのように過ごそう。
それはきっと、人生がどんなに貴重なものか思い出す手だてになる。
また、他ページでは、こう問いかける。
あと1時間しか生きられず、たった一人にしか電話がかけられないとしたら、
あなたはだれにかけますか?
さて。
この著者が他にはどんな本を書いているのかな、と興味が涌いて検索してみたら・・・。
この本のコトバがずんと重みを増した。
心理学博士、ストレス・コンサルタントで作家、妻とふたりの娘さんを持つこの方は、
この本の出版のわずか3年後、亡くなられていたと知る。
たった45歳、出張先へ向かう機内で肺血栓の為急死されている。
人生、一歩先はなにもわからない。
暗転急降下か。バラ色の急上昇か。 わからないから人生はオモシロイんだよね。
「Don't sweat the small stuff...and It's all small stuff.」
小さいことにくよくよするな、しょせんすべては小さいこと。
この本を、たまたま手に取った「縁」に感謝しよう。
子どもたちがずっとお世話になってきた絵画教室の「つみき」
先生のご実家の材木屋さんの二階をアトリエに改築した教室なので、
お家にお邪魔するような感覚で玄関からお邪魔する。
次男が卒業してからは夏休みの単発の企画だけ参加させてもらっており、
夏休み恒例の陶芸教室に娘と、娘のともだち母子も誘って一緒に参加。
今年も、こねこね。
子どもたちも、母たちも、それぞれにいろんな味わいの作品が焼き上がりました。
ものづくりって本当にたのしい。
一年ぶりに教室にお邪魔したら、なんだかあちこち懐かしくて
親戚の家に久しぶりに来たような錯覚が・・・。
長男が3歳、次男が赤ちゃんの頃からお邪魔しているお宅だもの。
娘がおなかにいた頃は、次男の親子教室に隔週でお邪魔していたっけなあ。
改めて振り返ると、怒涛の子育ての間、ずっとお世話になっていた想い出の詰まった場所なんだなあ。
子どもたちの成長をそっと一緒に見守ってくださり、本当にありがとうございます。。。
ここは、ずっとずっと変わらず、このままであってほしい ほっとするすきな場所です。
陶芸。夏休みの宿題の工作にぴったり~!
残念・・・ってコトバ、念=想いを残すってことなんだなって改めておもう。
すきだった場所がまた消えてしまった。
有楽町の交通会館B1の「としめしぼん」さん。
先日久しぶりに行こうと思ったら・・・
なんとこの春に、惜しまれつつ閉店を迎えていた。
あの美味しいとりめしが食べられなくなるとは・・・思ってもいなかったよ~~~~。
確かにおかみさんもお年を召してはいたけれど、昔と変わらずお元気だったのにな。
あのおじさんには、あの伝統の味を今でもどこかで腕をふるってこしらえていてもらいたいな。。。食べたいなあ。。。
同じB1にかつてあったせんべいやでアルバイトをしていた19歳からずっと密やかなぼんファンでした。
足掛け四半世紀、時折お邪魔したすきだった変わらない場所。
永いこと、お疲れ様でした。。。ほっとする美味しさをありがとうございました!
つくづく、ざんねんです。
それから・・・文京区弥生に建つ、立原道造記念館も。。。
休館してもう数年。いいお知らせはないかな・・・と久しぶりにHPを開いてみたら。
なんと記念館の建物は売りに出され、取り壊されるという哀しいニュース。
永遠なんて、この世にはないってことを頭ではわかっているんだけれどね。(自分自身も含めてね。)
ずっとそのままであってほしい、すきな場所が無くなるのはさみしいことですね。
わたしたちのすきな場所。
こころがすっかり解されて、新しくなれる場所。
時計を見ないで過ごす一日。
ニンゲンも、こんなふうに自然と歩調を合わせて同化して過ごす時間が実はもっと必要なんじゃないかなって思う。
わたしたちだって、本当はこの石や魚と同じ、自然の一部なのだから。
なあんて思うわたしは、野人???
子どもたちも成長すると、一緒に遊ぶってことも少なくなり、家では兄妹ゲンカばかり。
それでもここへ来ると、なぜか仲良く穏やかに協力しあえるんだなあ。
(家でもこうであってほしいんだけどな)
わたしたち、街ではなく、こうした自然のある場所での暮らしの方が
あるべき本当の姿なのかもしれない。。。ってこの頃とみにそう思う。
ないものねだりなだけかな。
河童みたいな、正に水を得た魚状態の次男13歳。
小さい頃から毎夏一度は訪れるこの場所。
三人で魚を見つけては追い込んで捕まえたり、
小さなカニを探したり、ただ流れに浮かんで遊んだり。
ここは、わたしたちにとって、こころのエネルギー補給の聖地なんだな。なんだかからだもこころもすっきり。
長男、16歳。いつの間にか、バーベキューの準備も、安定した炭火起こしも慣れたもので
ひとりでさっさとやってくれる。
父親が木陰で何時間も昼寝をしていられるほどに、長男も頼もしく成長したということね。
わたしはというと、長男の焼いてくれたおいしいエビを食べながら、
清流にこころを洗われ、たおやかな時間にまったりと身を委ねているのでした~。
ああ、至福~。灼熱の街へ戻りたくな~い!
トンボが初めて指にとまって、うれしそうなムスメ。
楽しい川遊び。。。
とはいっても、子どもも成長すると、全員の予定を一致させるのはなかなか難しいもの。
この夜、外せない会合のある夫と、登校日までの提出物の終わらない長男は日帰り。
今回はテントは諦めて、わたしと次男、末娘の3人は、秩父の町の「農園ホテル」に落としてもらって一泊。
翌日は電車で帰宅という、ばらばら作戦での夏の家族旅行となりました。
ホテルの食堂からの夏の夕陽。。。きれいでした。
川に落ちる葉影。あまりに綺麗なシルエット。
影の主を見上げてみると。
照らされた葉は、それはそれは綺麗なきみどり色。
ありのままの自然の色って、ほんとうにうつくしい。
光と影。因と果。対を成すもの。
自然は黙って、いろんなことを教えてくれるよね。
先日、浜松町で行われたリカちゃんキャッスルの出張イベントへ初めて行ってみた。
娘もわたしもリカちゃんには目がない。かわいい~。
吟味の末、スペシャルリカちゃん一体、お洋服一枚のみのお買い上げ。
会場内のマニアな方々は驚くほどたくさんの人形を
ショッピングバッグに入れていて、オトナ買いにふたりで目を見張る!
昔の仕事仲間Zちゃん母娘と会場で合流。
ともに10歳の娘たちは、春休みにムーミン谷へ遊びに行って以来2度目の再会。
会場から駅方面へ移動すると、賑やかな声が聞こえてきた。なにやら路上ライブをやっている様子。
娘たちがのぞきに行ってみると、女の子のアイドルグループのイベントライブでした。
見たことのないアイドルだったのだけれど、初めて目にする生のアイドルたちと、
初めて目の当たりにする男性ファンたちの陶酔ぶりに、ムスメたちたじたじ・・・。
スゴイ世界だ~。でも、このオジサンたちはみんな全身全霊でシアワセを感じているわけで。
この生のシアワセオーラには圧倒されてしまうけれど、
すきなことに全力投球できるって、ある意味スバラシイことだ!?
のんびり遅めのランチを食べながら、あれやこれやとおしゃべり。
Zちゃんは、昔の仕事仲間でもあり、20代の頃、一緒に汗を流したタップ仲間でもある。
あの目まぐるしい時代のアレコレを懐かしく思い出す。
あれよあれよと言う間に、あれから20年!!!
時計の針を回すように、ぐるぐると時間が廻って、
それぞれの末っ子の10歳のムスメがわたしたちの目の前に並んで座ってにっこり笑ってる。。。
なんだか、あらためて、フシギだ。
別れ際、面白かったから行ってみ!とZちゃんがくれた「タツノコプロテン」の招待券。
行こうかなと思いつつ、もう終わるな~って思っていたところ。ありがたい!
有楽町で降りて松屋へ。銀座のホコ天も久しぶりだ。
これがまたとてもよかった!昔のアニメは絵がめちゃキレイだよね。
みなしごハッチや、樫の木モック、マッハGoGoGoなどなど、当時の原画に感動!
娘は、ZIP版の「ガッチャマン」しか知らないけれど、大いに楽しんでおりました~。
(タツノコプロテンは20日で終了しています!)
ダブル母娘遠足、次回はさあどこいこか~?
銀座のギャラリーを観た後、プランタンのセールに後ろ髪を引かれつつも、真っすぐ上野へ向かう。
くいしんぼ次男のおなかを満たす「焼肉食べ放題ランチ1980円!」広小路口からすぐの焼肉店へ。
もう、半年くらいお肉見たくないってくらいいただきました~!!
きれいな夏空の下、腹ごなしに上野公園を歩きつつ、折角だから久しぶりに国立科学博物館へ。
特別展の「元素のふしぎ展」は止めといて(こういうの長男はすきなんだけどな)常設展へ入場。
久しぶりの恐竜くん。
ここのシアター36〇、彼は初めてだから見せたかったんだけれど、混んでいて30分待ち。パス。
以前、長男が小学生の頃ふたりでミイラ展に来た時に観たんだっけ。
小さい頃は、子どもたちをひとりづつ何処かへ連れ出す、一人っ子の日を作って
年に一回くらいは、ふたりきりで出掛けたものだ。
末っ子の娘が赤ちゃんのころは、遠くへは行かれないので
「100点取ったらお母ちゃんとケーキ・デート!」ってルールをつくって
時々、長男次男それぞれとふたりきりで喫茶店にケーキやパフェを食べに行ったっけ。
今思えばこのルール、一番オイシイのはワタシ!
誰もそれを指摘しないほど無垢で幼かったってことだ。
こうしてふたりきりで家を離れるってことに大きなメリットがあるんだ。
子ども三人まとめて一緒に日常のなかに居ると見えないことも、
場所を変えて「ひとり」と向き合うと見えてくるものもある。
そういう時、彼らは実にイキイキと目を輝かせていろんなことを語ってくれたものだ。
忙しいけれどお母ちゃんモテモテ~!ってな時期は、過ぎてみれば矢の如しだ。
こうして久しぶりに次男とふたりきりで外出して一日を過ごすのは、いつ以来のことだろう。
電車の中、並んで外を眺めながら、のんびりと取りとめのない話をする時間・・・。
こうしている時は『反抗期』の看板を下ろすんだな。
いつの間にか、背もわたしを少し追い抜いた。
大きくなっても、こんな時間もたま~には必要だね。
とっても久しぶりに キミを近く感じたよ。
数年前に秩父神社で見た「親の心得」という立て札のコトバがこのところ、こころに時々浮かんでくる。
「赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな 子供には眼を離すな 若者には心を離すな」という言葉。
子どもはいずれ離れていくものだけれど、親はココロだけは離しちゃいけない。。。
ええい、勝手にせいっ!って、放り投げたくなっちゃうこともあるけれどね!
手も眼も離してもココロを離さずにいることが、
大きくなった子どもに親がしてやれる唯一のコトなのかもしれないねえ。。。
銀座にはたくさんたくさん小さなギャラリーがある。
子どもたちが長いことお世話になっている絵画教室のOBのおひとり、
子どもたちには大先輩のF氏のグループ展を観にいってきた。
木材のアート。結構すきだなあ。アートの道は険しいでしょうけれど、頑張ってほしいなあ。
ほっこりと気持ちのいい、陽だまりのあの教室で得たものも、ちゃあんと作品に沁みこんでいるのでしょう。。。
ずっと以前、長男が幼稚園か低学年くらいの頃、
絵画教室の片隅で熱心にもくもくとデッサンをする姿を時々お見かけした。
当時はまだ中学生か高校生の「大きいおにいさん」だったなあ。
ちゃんと意志を持ち続けて、たいせつに磨き上げていくって・・・すばらしいことだ。
近頃、夏だというのにインドア派過ぎる次男も一緒に連れ出した。
絵はさっぱり描かなくなってしまったけれどね。
銀座へは、うちから電車で一時間弱。
なんでも面倒くさがる中2男子を連れ出すには、食欲に働きかけるに限る。
先日から「焼肉食いてえ。たらふく食いてえ~」と呻いていた次男。
よっしゃ、ギャラリーの後は焼肉だ! と言うと、ほいほいついて来る。
反抗期でも、そういう部分はまだかわいい。
彼を動かしたのは焼肉でもいいんだ~。。。
今の彼には、現実世界で、動いている時間を体感することが必要!
そんな食欲第一の彼でも、先輩の現代アートに 不思議そうに無言で にじり寄っておりました。
うちの、ムズカシイ次男坊。。。彼がこの先、磨き上げていくものってどんなものなんだろう。
今はまだなんにも見えなくても、きっとちゃんと見えてくるよ。
13歳。大人から見れば、無限の可能性に満ちている年齢だものね。
アートの世界。
子どもの頃から、触れないよりは触れたほうがいろんな幅が拡がる気がする。
もちろん、解っても解らなくても構わないんだよ。
自分なりに何かを感じるってことが大事なのだから。
ケンカってたいせつ。暴力はNGだけどね。
ケンカはこころのぶつかり合い。
ちゃんと言葉にしなけりゃ伝わらないこともあるよね。
こころの中の思いを言葉にして初めて、
「あ~そういうことだったのか」って互いに理解しあえることもある。
ケンカするほど仲がいい。 って昔からいうもんね。
はい、ハグして仲直り!
もうすぐ だいじなともだちだったアノ子が逝って 一年が経つ。
今でも、どうかするとユメなんじゃないかと思うこともあるほど、
現実を未だちゃんと呑み込んでいないわたしがいる。
アノ子の夢をみた。
アノ子は、エレベーターガールみたいな、襟元だけが白い
キレイなスカイブルーのスーツを着て、カンカン帽をかぶってる。
そんな色の服、着たことないのにね。
あのウェーブをかけた髪は、20代の半ばの頃ね。
うちの店のドアを開けて入ってくる。
いつものようにちょっとヘラヘラと笑いながら。
わたしたちは、これからスカイダイビングに行くのだ。
でも外は風が強くなって、これから嵐になりそうな空模様。
アノ子の顔を見て、なんだかほっとしているわたし。
「ちょっと~、こんな風で飛べるわけ~~??」と笑いながら彼女が言う。
「ちょっとトイレ!先に行ってて!!」とわたしは二階へ。
「早くね~、先行ってる。」 とアノ子は店を出る。
後から外へ出ようとすると、風雨はさらに強まっていて、
さそうと開いた傘が飛ばされてしまう。
次に開く傘もまた飛ばされる。。。
アノ子はどこまで先に行ったのだろう。
わたしは、店の前に立ちすくんだまま わたしの傘が飛んで行くのをただ見送っている。。。
夢でもね、久しぶりに顔が見れて、話せて嬉しかったよ。
幸いなことに、夢に現れるアノ子はいつでも笑ってる。
「クヨクヨスンナヨ~!」っていう アノ子からのメッセージだって思うようにしておこう。
馬を飼うのは、子どものころからの夢。
先日行ったサファリパークで、ミニチュアホースの森林浴散歩というのを体験してきた。
つかの間、馬飼いになった気分。
たった10分の森のお散歩コースなんだけれど、ちゃんと一緒に歩いてくれて嬉しかったなあ。
お馬さんの方からすれば、「置いてある藁から藁へと食べ歩いているだけなんスけどね」って感じなのだけれどね。
次男が勝手に「ジョニー」と名付けて、みんなで束の間の愛馬ジョニーを可愛がっておりました。 (なんでジョニーかな?)
いやあ、よう食べる。食べる。
こりゃ、馬飼いさんはエサ代かかるわ~~。
それでもやっぱり馬はかわいい。いつか宝くじが当たったら馬を飼うよ!!
猛獣でもやっぱり赤ちゃんは可愛くできている
動物好きなむすめ、テレビでアムールトラの赤ちゃんを抱っこできるイベントがあると知って
もう絶対行く!と言い出した。 わたしもトラは触ってみたいよ!
ということで、先日、渋る反抗期次男も道連れに「富士サファリパーク」へ。(長男は部活)
ちょっと前まで、次男もトラ大好き少年だったんだもん。
抱っこして一緒に写真が撮れるイベントは先着順の限定付き。
予約は出来ないので、開園前に車が100台は並ぶ・・・と聞いて、
普段、流行りモノや混雑モノには縁のない我が家には珍しく、
開園2時間前に到着して車の列に並ぶ。
既に30台は並んでいたかな。
テレビで観た時よりもトラの赤ちゃんはかなり成長していて力強く、
抱っこする役の娘もかなりの真剣さを要求される。
赤ちゃんとはいえ一応肉食だしね。
イヤイヤしてのけぞるトラの赤ちゃん・・・
係りの人が、一度床に降ろして自由にし、機嫌を直させてからまたトライ。
次々にニンゲンに抱っこされるのはそりゃ嫌になっちゃうよね。ごめんごめん~~。
キミのお陰で、むすめの夢がひとつ叶いました。ありがとね。
トラは触りたいけど写真には入らないよ と言っていた次男も半笑いで無事写真に収まっておりました。
行ってから分かったのだけれど、
ライオンの赤ちゃんとも写真が撮れるということで、せっかくだからこちらにもついでに並ぶ。
その子はまだ生後一ヶ月のベビー。
いや~もう~、ぬいぐるみみたいに可愛くて、ほわほわの毛並みが柔らかかった~。
今はこんなに可愛いトラやライオンの赤ちゃんも・・・
もう少ししたら、このように猛獣らしくなるのだな・・・。
それでも、動物園の小さな檻の中よりも、のんびりしていて自由なムード。
よだれの垂れそうなこの寝姿、かなり気持ちが良さげだ。
こういうマイカーで回るサファリパーク、そういえば昔行ったのはまだ結婚前だったよ。
近頃、将来の夢が「動物園の飼育員さん」に変わったむすめには、とても刺激的な体験だったようだ。
飼育員さん、わたしも中学生の頃、なりたいって思ってたんだった。わすれてたよ。
カンガルーやウサギ、マーラやカピパラにもよしよし出来て、たのしい夏の一日でした~。
先日、ちひろの展覧会を観た後、もうひとつの目的、祖母のお墓参りへ。
ここは新宿の街の真ん中にあるオアシス。うちの子どもたち、小さい頃からこのお寺にある井戸のポンプがお気に入り。
真夏の街の、冷たい井戸水に触れる。
雑踏を離れたこの静かなお寺で、車もビルもなかった時代のこの場所を暫し空想してみる。。。
ここには、父の母方の先祖が眠る。
先日の父の手術の成功の報告をおばあちゃんとご先祖さまに。そして父を守ってくれたお礼も。
「お父さんの分もお参りしてきたからね!」と、大阪で入院中の父にメールを送ると・・・
「おばあちゃんとお母さんが二日前、一升瓶持って夢枕に立ったよ~」という能天気な返信。オヤジらしい。
それは、呑んでもOKという夢のお告げでは決してありません!それはただの願望だからっ!
昔から、すき勝手な生き方をして、家族を振り回してきた父。
それでも憎みきれず放っておけないって・・・それもやっぱり彼の人徳なのか??
先日、二度目の心筋梗塞を起こし、姉とふたりで大阪へ駆けつけた朝、
初めて父の「オクサン」に対面した。
わたしが嫁いだ翌年、母を残し身勝手に家を出た父。
あれからたくさん・・・、いろんなことがあったものだ・・・。
父とは、何年も絶縁していた時期もあった。
彼女と会う必要も理由もないままに時は過ぎて、
対面するのは父のお葬式か、若しくは、いずれバチが当たって老いた父は捨てられ
彼女とは一生会うこともないのかな・・・と漠然と考えていた別世界に住む「父のオクサン」。
歳月は、ひとをまあるくするもの。。。
頑ななこころを知らぬ間に溶かしてくれる。
今は、彼女と話せてよかった・・・と、こころから想う。
わたしよりたったひとつだけ年上の彼女は、まるで彼の保護者の如くちゃんと父を理解してくれていた。
ふたりの上の約20年の歳月が、彼らをちゃんと夫婦にしていた。
母やわたしたち子どもと同じように、振り回されながらも彼女はちゃんと父を叱咤し、見捨てずにいてくれる。
あの父と生活を共にしてきたこれまでの道のりには、相当な努力と忍耐が必要だったことだろう。
彼女に、「今まで、ありがとう。」と、自然に口にしていた自分に驚く。
ありがたいこと・・・。無理なくそんな気持ちになるのには
これだけの長い歳月が必要だったということなんだなあ。
「おとうさんは、一番しあわせなひとや」 という彼女のコトバに大きくうなずきつつ、
彼女のようなおおきな懐を持つひとに出逢えた父は、ほんとうに強運の持ち主だ・・・と改めて確信した。
空の上のおばあちゃんもそして母も、そんな父を、呆れちゃうしかないから許し、見守ってくれているのだろう。
これからは、こころしてオクサンを大事にしないと今度こそバチが当たるよ。と釘を刺しておいたけれど・・・!
懲りないオヤジだけれど、生きててくれてありがとう。
って素直に思えるようになったわたしも成長したもんだ。エライ!と、自分を誉めておこう。