娘のいる二年生のクラスに朝の読み聞かせにいってきた。
今回読んできたのは、
アーノルド・ローベル作のがまくんとかえるくんのシリーズから、
「ふたりはいつも」(1976年アメリカ)の中の一話「そりすべり」と
ヴィヴィアン・シュワルツ作、
ジョエル・スチュアート絵 の「はなおとこ」(2009年イギリス)
「そりすべり」は、がまくんとかえるくんの
温かい友情をベースに繰り広げられるふたりの掛け合いが面白い。
教科書に載っている「お手紙」でお馴染みのふたりのやりとりに、
自分たちのよく知っているともだちの話のように、
身を乗り出して、最初から大笑いで聴いてくれた。
わたしもこの優しいかえるくんと、
わがままだけど憎めないキャラのがまくんがだいすき!
「はなおとこ」は、たまたま図書館で見つけた絵本。
とってもユニーク!
なんだろ?と、手に取らずにはいられない絵とこの題名!
鼻が自分にぴったりの場所を探しにゆく話。
ちょっと、シルヴァスタイン作の「ぼくを探しに」を彷彿させるが、
何しろこのはなおとこ、懸命でけな気、
そしてちょっとアンニュイなところがいいね。
絵がとっても愉快!
鼻から足が出ているだけのはなおとこなのだけれど、
いろんな場面でだまし絵みたいに、顔にみえるように描かれている。
途中からその仕掛けに気付いた子どもたち、
ページをめくるごとに、ワーと歓声が上がる。
楽しく読めて、なおかつラストには
とってもだいじなメッセージが用意されていて、
う~ん、そうだよねと、たいせつなことに気付かせてくれる。
いい絵本に出逢えたなあ~!
読み終えてから、もう一度どんなふうに顔に見えるか
最初のページから開いて、みんなでワー!と驚きながら発見してゆく。
パラパラと見終えたところでちょうどチャイム
子どもたちのエネルギーをわけてもらえる、わたしも楽しい15分間なのだ。
土偶展の後、Kさんと上野公園の不忍池をぐるりと歩いて
「旧岩崎邸庭園」へ。
Kさんとは、何かと好みが似ていて、
偶然同じモノを持っていたり、
たくさんのものを前にしても、選ぶものが一緒だったりする。
なので、必然的に行ってみたい場所や
観たい展覧会もよく合致する
ご近所に、貴重な趣味ともだちを持てたのは本当にありがたいこと!
しかも、彼女は方向音痴のわたしとは違い、
たいへん地理に強い。これもありがた~い!
旧岩崎邸は言わずと知れた三菱財閥の創設者岩崎家の邸宅である。
前から一度訪れてみたかった洋館なのだ。
わたしには、誰の持ち物だったかということよりも、
歴史に翻弄されながらも、取り壊されずに現存する美しい建築物
としての興味の方が強い。
明治29年(1896年)に完成。
建築家ジョサイア・コンドルの手による素晴らしい洋館だ。
子どもの頃すきでよく訪れた、鳥取の「仁風閣」を設計した片山東熊も
このジョサイア・コンドルの門下生だったという。
圧倒される荘厳さ。
窓の造りや装飾ガラスひとつとっても、まさに芸術品。
階段や柱、天井に彫られた彫刻の細やかさや、
暖炉のデザインの美しさ、ドアノブの繊細さ、
どこを見てもため息がでるほどだ。
それにしても、暖炉がどんだけあんねん!ってくらい多い。
それだけおもてなしにこころを配っていたということなのだろう。
壁紙の美しさにも驚いた。
「金唐革紙(きんからかわかみ)」という伝統工芸なのだそうだ。
金箔の貼られた凹凸のある紋様が壁を覆い、
部屋に重厚感をもたらしている。
広い芝生の庭を見下ろすアイボリーのバルコニーの清々しさ。
陽光たっぷりのサンルームの穏やかな暖かさ。
一日中ここで過ごしていたいくらい。。。
明治時代、こんなサンルームやバルコニーのある家なんて
庶民からしたらまさにお城。今でもそうだけれど!
しかも、二階にあるトイレは水洗式の洋式。
明治時代なのに!?
手洗い場もかわいらしい。
隣接する撞球室(ビリヤード場)はスイスの山小屋風で
こじんまりとかわいらしい。
この「撞球」という古めかしい言葉の響きがしっくりくる建物だ。
この御邸、戦後はGHQに接収され、のちには国有財産となり
1999年に屋敷全体が重要文化財に指定されたそうだ。
ジョサイア・コンドルは鹿鳴館、ニコライ堂なども手掛け、
終生日本を愛し日本に永眠するという。
「龍馬伝」の影響で混んでいるかなあと心配したけれど、
平日だからか、思ったほど人出も多くなく、
自分のペースでゆっくりと観覧できた。ホッ。
都内に居ながらにして、
どこか遠~くへ旅してきたような気分だったな。
素晴らしいものをたくさん観たいな。
次は、旧古河邸を訪れようかな!?
「国宝 土偶展」をkさんと観に行った。
13000年前の土偶。
遥か太古の土の人形が目の前にある。。。
現代のこんな汚れた空気に触れて大丈夫なんだろうか??
太古に確かに存在した誰かの、
たいせつな祈りや想いの籠められた“ヒトガタ”を
こうして一万年以上のちのわたしたちがぞろぞろと眺める。
この不思議な縁。。。(?)
こうして、発掘されてしまった太古のものを目の当たりにするたび、
いつも感じる、なんだかちょっと身の置きどころのない気持ち。
それは先人に対する畏怖の念と現代人としての罪悪感。
だからこそ、こういったものと対面するときには
しっかりと真摯な気持ちで向き合わなくてはね。
土偶って、女性像だったとは今まで知らなかったよ。
お腹の大きな妊娠中の土偶や、赤ん坊にお乳をあげている土偶、
出産のポーズだったのではないかといわれるしゃがむ土偶など、
ひとの生命にかかわるシーンが多いように見受けられた。
幼くして亡くなった子どものお骨を入れて埋葬したという
容器形の土偶もあった。
母親の胎内に戻して新たな命を得られるように、という想いが
籠められているという。。。
こんな切ない想いの籠められた土偶がライトのもとに
並べられているのは可哀想な気持ちがしてしまうのだが。。。
教科書で誰もが目にしたことのある、宇宙人的なあの土偶!
あれって、「遮光器土偶」と呼ばれるものだったのね。
雪原で使う、遮光のためのゴーグルのような仮面を
表現したものだという説から、そう括られているらしい。
英訳はその名も「Dogu with Goggles」!
えー!ゴーグルって断言しちゃってるよ。
宇宙人説は完全に却下なのかしら。
kさんと、帰り道いろいろ疑問が湧いてきた。
土偶は東北や北海道でたくさん発掘されている。
あんな太古の生活で、着るものも少ない中、
極寒地方でどうやって暮らしていたのだろうか?
もしかして、今とは気候が違ったのだろうか?
(それとも獣のように毛むくじゃら?)
発掘分布図をみると、なぜか、関東以西では土偶は見つかっていない。
なせ?信仰の違う別の人種だったのだろうか??
フシギがいっぱいだ。
土偶は約一万年に渡って作り続けられていたという。
この土偶たちを作った人々は、いわゆる芸術家だったのかな。
それとも、神がかり的な力をもつ特殊な人々の手によるものだったのかな。
非日常な体験をすると、
普段思いもしないことにまで考えが及ぶところが面白い。
なんでも経験してみることがだいじだね。
「国宝 土偶展」は東京国立博物館にて2月21日まで開催中。
国宝に指定されている三体のうちの、
「縄文のビーナス」は、ぜひ後ろ姿にもご注目!
なぜか彼女だけ、キューピーちゃんのようなまあるいおしりが
とてもキュートで魅力的なのだ
「ビーナス」と、どなたかが名付けた気持ちがわかるわ。
日曜の朝九時半、彼女からの電話。
彼女だから、驚かない。
店があるから、とりあえず着替えてはいるけれど、
子どもらはまだパジャマだよ。
彼女の娘の用事が近くであって、
用事が済むまでの一時間余、喋って帰っていった。
彼女は、わたしが大阪から転校してきて最初にできたともだち。
かれこれ三十数年来、一番長~いともだち。
子どもの頃、顔も背格好もよく似ていて、
双子みたいね、ってよく言われた。
今では全然似ていないけれど!
(息子いわく、お母ちゃんより全然若い。怒!)
誕生月も同じで、毎年2月になると
「ふたりだけのバースデーパーティー」なるものを
他のともだちには内緒で企画した。
フルーチェを作って食べたり、プレゼントを交換したり、
ささやかなふたりきりのお祝いの会。
楽しかったねえ、女の子の時間。
お互いの家に泊まりっこしたりもしたなあ。
一緒に泣いたり笑ったりケンカしたり。
高校からは別々の道をゆき、
それぞれの周りの世界が変わっても、
住む場所が離れても、
年齢を重ねても、
お互いの人生の節目節目には、いつのまにか側にいた、
たいせつなマイ・フレンド。
わたしの何倍も自由奔放な彼女。
たくさんの恋愛騒動、結婚・離婚・そして再婚。
また何か起こるんじゃないかと、以前はヒヤヒヤしたけれど
幸せな暮らしに落ち着いてもう十数年。
やっとわたしも安心してアナタをみていられるよ。
不思議なことに偶然同じ姓のひとと結婚して、
今はふたり同じ名字を名乗る。
いつまでもおちゃめでかわいい、妹みたいな彼女。
ほんとうに姉妹みたいになっちゃったね。
ひととひとが出逢って、繋がる。。。
縁とは本当に不思議なものだ。
ともだちは一生の宝物。
「バグダッド・カフェ」BAGDAD CAFE 1987年ドイツ映画
わたしの、深夜に突然観たくなる映画の第一位。
「コーリング・ユー」のあの物憂げなメロディーに
まさに呼ばれるみたいに年に1、2度は観たくなる。
何度観ても、やっぱりいいものはいいのだなあ。
あの殺伐とした砂埃だらけの砂漠の中に湧き出でる美しいもの。。
あの空の色、あのだんだんに温まる温度の中に身をおきたくなるのだ。
やっぱり映画は、観終わったあとも温かい気持ちになるものがすきだなあ。
この「バグダッド・カフェ」、
なんと20年の歳月を経て、
ニュー・ディレクターズ・カット版なるものを
今また新たにミニ・シアターで上映しているらしいのだが。
ちょっとコワイなあ。
あの8㎜撮影のコマ送りみたいなシーンや、
専門用語はわからないけれど、あのざらっとした
独特な風合いがすきなのだけれど。。。
どんな風に変えられちゃっているのだろう。
ツルっとしたデジタル映像になっていたらやだな。
20年来たいせつに観てきた映画だからこそ、
なんとなく、観に行く気分にならない。
こういう、自分にとって特別な映画は、
すきな映画館にまわってきたなら観ようかな。
川越スカラ座にこないかな。
少し待ってみようっと。
この、だんだんに春の気配だけを感じる季節がすきだ。
お日様の通る高さが日に日に上がるのがわかる。
数年前から、11月から1月の一番寒い時期、
我が家には、目の前にそびえるマンションとマンションの隙間を
太陽が通過する10分間ほどしか家の中に陽が入らない。
ようやくこの時期になると、前のマンションのてっぺんを
かすめながらお日様が通るようになる。
ああ。本当に太陽の恵みってすごい。
一瞬にして部屋が暖かくなる。
ありがたや、ありがたや。
ここは商業地域なので日照権は関係ないとはいえ。。。
暮らしているものにはたいへん切ない問題。
これからぐるっと季節が巡ってまた秋になるまでは
お日様が当たる時間も増えるからうれしい。
いつだったか、高層マンションの住人たちが、
自分たちの南側にマンションが建つことに対して
反対運動を起こしていた。
元からの住人は苦笑するしかないよ。。。
だって、たいせつなことを忘れてる。
自分たちもたくさんの住宅の南側に建っているってこと。
自分も、誰かに影を落としてしまってはいまいか、
知らずに誰かを踏みつけてはいまいか、
ときどき回りを見回すことを忘れずにいよう。
そして、いま持てるものをたいせつにしなくちゃね。
もうすぐ沈丁花の花が咲く。世界で一番すきな香り。
しあわせは、見つける気になればどこにでもあるんだよね。
なによりもすきなのは、練乳!
子どもの頃、遠足の水筒いっぱいに練乳が入っていて、
うわあ嬉しい!ってな夢をみたこともあるくらい。
会社の先輩がわたしの練乳好きを知って、
誕生日に練乳チューブ数本をラッピングして
プレゼントしてくれたこともあったっけ。
すっごくうれしかったな。
我が家では、練乳は冷蔵庫の隅にうまく隠しておかないと、
子どもらにあっという間に吸われちゃう。
(わたしを見て育ったせいか…!?)
自分が小さい頃、お出かけすると
持ち手がついてバッグみたいに
なっているあの赤い箱ミルキーを
よく買ってもらった。
ミルキーもだいすきだったなあ。
最近、はまってしまったもの。。。
ミルキーのソフトクリーム
近所にイートインできるショップができて、
ついふらふらと吸い寄せられてしまう。
そこいらのソフトクリームより断然おいしい!
練乳風味がとろける~。
娘がドーナツのほうがいいと言おうが、
息子がクレープがいいと言おうが、
なんだかんだと丸めこんで、ペコちゃんのもとへ!
「おいしいしあわせ」。これをなくしてはしあわせは語れまい!
しかし、カロリー高いよね。まあいっか、そのぶん歩こう!
生後一カ月のかわいいかわいい赤ちゃん鳥。
長男がお年玉で買ってきた。
ここまでくるのには、実は長い道のりがあった。。。
約三年前、長男が五年生の終わりごろに
ずっとずっと欲しがっていたオカメインコのヒナを
お年玉をはたいて買った。
自分で世話ができる年齢になるまではダメという約束だったので、
ようやく叶った、彼の夢の鳥だったのだ。
大事に大事に可愛がって育てていたのに、
鳥を飼うのはわたしも初心者、こともあろうに
うっかり油断して玄関から飛ばしてしまった。。。
何日も近所中を探して歩いて、あちこちに張り紙をしても
結局戻ることはなかった。
「ロック」の飛んだ夏。
彼の、静かな落ち込みようはとても痛々しく、
わたしは自分を責めることしかできず、
ロックに似た灰色のヒヨドリが視界を横切るたびに
はっとして追いかけた。
鳥だもの。そりゃあ飛びたかったんだよね。
なんどもなんども夢に見る。
「夢に出てくるのは、元気だよって知らせてくれてるしるしだよ」
と気休めを言うことしかできなかった。
半年後くらいに近所のマンションに品種の違う
白いオカメインコの迷い鳥が現れたことがあって、
近所の何人もの友人知人が、うちのロックじゃないかと
知らせをくれた。
きっとこうしてロックも誰かに保護されて
きっとしあわせに暮らしているよ、って
そう思い込むことしかできなかったよね。
あれから、近所のお宅で産まれたセキセイインコを
譲り受けて飼っているのだけれど、
長男は、どこか距離を置いている感じがいつもあった。
そしてこの年明け、長男が突然
「オレ、またオカメ飼おうかな」と言いだした。
やっと、本当にやっと、痛みが和らいだんだね。
ごめんね。。。
生き物を飼うのは、どんなものでも覚悟がいる。
死を受け入れるのもたいへんだけれど、
見届けずに突然いなくなるのはもっと
こころの整理がつけにくいものなんだね。
縁あって我が家にやってきたこの可愛いヒナ。
差し餌をがむしゃらに食べて日々力強くなり、
羽を広げて一生懸命羽ばたく練習をしている。
オカメインコは十年以上長生きするものも多いらしい。
そうか。十年後はもう君は社会人なんだね。
君がおとなになるころも一緒にいられるよう
わたしも今度はこころして気をつける!
長生きしてね
歩いてみたらどんな気持ちかなあ。
っておとなになった今でも思うことがある。
飛行機から見る雲の海もだいすき。
あまりに美しく、静謐で穢れのない世界。
出来るものなら、一度そこで降ろしてもらいたいくらいだ。
以前、確かタイへ向かう夕方の便に乗った時のこと。
夕陽を追って飛んでいたのか、いつまでも陽が落ちずに
どこまでもどこまでもオレンジの夕陽を眺めていられたことがあった。
不思議な時間だったなあ。丸い地球を実感した瞬間。
一面もこもこのオレンジ色の雲。
膨れ上がった雲が、照らされたマショマロマンみたいだったんだ。
いつだったか、ともだち数人と雲の中へ行ってみよう!と
雲のかかる山のドライブウェイを登り、
車から降りて雲の中を歩いてみたことがある。
それはもちろん、ただの霧の中の強い風雨でしかなかった。
分かってはいたけれど。けれどね。
山を下りて見上げるとそれはやっぱり、確かに雲のかたまり。
夢想と現実は違うもの。
それはそれでいいのだ!
ファンタジックなものはすきだけど、
こころで感じるものを
作られた映像で観せられると興醒めしてしまう気持ちと同じ。
雲の綿菓子は、空想の中で
ちゃんと味わえればそれでいいんだ。
三人三様の性格を持つこの三人の子どもだち。
外側の身体は、わたしの胎内で
だんだんに大きくなったのは間違いないけれど、
「こころ」までは、わたしは創っていない。
それは本能的におもうこと。
「こころ=魂」は胎内では創られていないはずだ。
では、魂は一体どこから、どの段階で
赤ん坊の中に入り込むのだろう???
神秘のヴェールに包まれたまま
だれにも解けない、解かれたくない永遠の謎。
澄んだ冬の空は抜けるように青い。
そこに浮かぶ雲のかたちはとても儚く柔らかい。
雲は、いつでもそこにあるように思えて
今見える雲は今この瞬間だけのもの。
もう二度と同じ雲には出逢えない。
それは目で見える風であり、流れる時間のかたちだ。
この前、久しぶりにお逢いしたT.Teacherと歩いていたら
すてきな雲がぽっかりと浮かんでいた。
先生も雲がすきだと聞いて嬉しくなる。
空をよく描くイギリスの画家、コンスタブルの絵がすきなのだそうだ。
前にロンドンで暮らしていたことのある先生は
「ああ、コンスタブルの空だって思ってよく眺めていたよ」
とおっしゃる。
こういう、共感する瞬間って
なんていうか、わたしにはとってもたいせつ。
こころの深いところまでほんわりと温まる。
ひととひとの繋がりは、
ふとした瞬間にこうしてしあわせな気分を
運んでくれる。
わたしは空を切り取る画家マグリットの絵がすきだ。
マグリットの描いた空が見たくてベルギーに行った時、
「ああ、マグリットの空だ・・・」と
雲を見上げておもったことがある。
コンスタブルの風景画。
どんな空なんだろう?と探して観てみたら、
風景の半分をも空が占める絵もあって、とても美しかった。
19世紀のイギリスののどかな田舎の風景。。。
ジェーン・オースティンの小説に出てきそう。
なるほど。
だいすきな先生の世界を、少しだけ覗けた気持ち。
いつも父と一緒だった。
都内のコジャレた街のお店が彼のお気に入り。
「ええかっこしー」な父は、娘には自分の好みの服を
着せて連れて歩きたかったようだ。
父が選ぶのはいつもボーイッシュな服ばかり。
たまには、キャンディキャンディみたいな
フリルのついたお洋服が着てみたかったのだけれど、
いつも最後には押し切られてしまうのだ。
そして父のもうひとつの密かな目的は。。。、
娘をダシに洋服屋さんのオネエサンをナンパすること!
毎回ではないにしても、わたしはオネエサンが
警戒心を解除して、ころっと落ちる瞬間を
何度か目撃している。
「オネエサン」は家庭的なパパ風を装った男性には
なぜかこころを開いてしまう傾向があるのだ。
世の中の洋服販売業の「オネエサン」、
子連れ男性客には気をつけて。
今思えば、ヒドイ話だけれど、
何事もお茶目にやってのける父だったので、
それがあまり「悪」に見えないところがニクラシイ。
娘のわたしに向かって、口にシーと指を当て
片目をつぶって見せたものだ。
父は人生の反面教師。
彼は謀らずも娘に、中年男性の危険個所を
教え込んでくれたようなものだわね。
お陰さまで、誘惑の多い「オネエサン」な時代にも
倫理に反する森に足を踏み入れずにすんだかな。
でも、そうしてふたりでショッピングして歩く時間は
本当に稀なことだったので、
父との時間はよく記憶している。
デートの作法を教え込んでくれたのも父だ。
父曰く、
[ ふたりで歩くときには、バッグは必ず外側に持つべし ]
これは、間にバッグを持つと男性に手を繋ぐチャンスを
与えてあげられないから、だそうだ。
父曰く
[ デート中に時計を決して見るべからず ]
見るなら、相手に気付かれずに見ること!
などなど。
どんなこともその逆の効果も持ち合わせているわけで、
隙をみせたくない相手にはバッグを間にしっかり持てばいいし、
早く帰りたい相手には腕時計をかざして見ればいい。
「オネエサン」時代には、撃退法にも使えるのだ。
どちらの効果にも、どうぞお試しあれ!
父は、なんと今でも、遠方にいながらにして娘を話のダシに
女性をくどいているらしいことが先日判明。。。
「自称、永遠の38歳」の父。
もうとっくにわたしのほうが年上だからねっ
蕾の準備をはじめて、
既に硬い蕾をつけたまま寒い寒い冬の風に
さらされるのだという。
冷たい寒風をその身で受けることによって
はじめてあの美しい花を
咲かせることができるのだそうだ。
冬空の下、もうちゃんと春のしたくを始めている。
さあ、わたしは何のしたくをはじめよう?
子どもの頃、夏になると毎年母の実家のある鳥取に
休みの間中帰省した。
お決まりの夏の風物詩。
ブルートレインと夏空の青、そして仁風閣の白。
仁風閣(じんぷうかく)は鳥取市内にある重要文化財。
明治40年(1907年)に皇太子(のちの大正天皇)の
ご訪問のために鳥取城跡地に建てられた。
宮廷建築家の片山東熊氏によるフランスルネッサンス様式の洋館だ。
この前図書館で見つけた「都市の記憶」という、
いろいろな土地の趣のある建築物について書かれた本の中で
この仁風閣について触れられたくだりを
読んで、初めて知った話。
当時は国家直属の迎賓施設だったという。
子どもの頃はそんなことはもちろん知らず、
昔のエライひとのお屋敷という認識しかなかったけれど、
わたしはこのお屋敷がとてもすきだった。
少し遠出だけれど歩いて行けたので
従兄妹たちと一緒に子どもたちだけで
毎年ここへ度々遊びにいった。
子どもは無料で入れたし、
近くにある博物館(オオサンショウウオを観るのがすきだったなあ)と
この仁風閣は、暑い夏の日射しを暫し避けられる
お気に入りのコースだった。
白い白いその洋館は、そこだけポツンと夢の中の建物みたいで
静かなその部屋に入ると、自分が別のひとになったような
かしこまった気分になったものだ。
わたしの記憶の中では、いつも静かなその内部に
観光客を見かけた気がしないのが不思議だ。
のんびりそこの空気に浸っていると、
いつもみんなに置いてきぼりにされそうになったものだ。
おとなになってからは、鳥取へは法事のためなどに
短い日程でしか訪れることができず、
あの仁風閣にはもう何十年もお目にかかっていない。
次に鳥取を訪れる時には
なにをおいても、仁風閣のあの空間に身を置いてみたい。
記憶の中のあの白色はいまでも同じ色をしているだろうか。。。
「 Clifford THE BIG RED DOG 」
十数年前に、たまたまレトロ雑貨のお店で
トラックの荷台に横たわる赤い犬の置物に
一目惚れして買って帰った。
トラックが小さいのか、犬が大きいのか
謎だったんだけれど・・・
それから数年後に謎がとけた。
古本屋で子供向けの洋書のなかに
この犬をみっけ!ビッグなドッグだったのね。
そして、クリフォードという名前であると知った。
さらに数年後、東京メトロのポスターに使われているのを
見て、そんなに有名なキャラクターだったのかと驚いた。
こうして何年か越しに、だんだんに解ってくるのっておもしろい。
出逢うべくして出逢って、解るべくして解るのね。
調べてみると。
1963年にアメリカで発行されたベストセラー絵本で、
60作ものシリーズがあるらしい。
その後、アメリカではアニメにもなって放映されていたようだ。
このクリフォードの絵本は、一冊一冊が短いお話で、
世界中で英語教育の教材としても使われているらしい。
こころの温まるかわいいお話が多いので
子どもの情操教育的にもぴったりなのね。
ページ数も少なく簡単な文章で綴られているので
子どもと一緒に英語に親しむのにちょうどいいかも。
今では、古本屋で見つけるたびに「やった!みっけ!」
とばかりに抱きしめて、買って帰るようにしている。
このクリフォード、なにしろ可愛くておりこうさん♪
わたしも娘もすっかりクリフォードの大ファンなのだ
こんな犬が飼いたいよ。