時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

カフェとアート

2017-05-31 | 展覧会・アート のこと



すきなカフェ。カフェスロウ cafe slow。
ともだちとお茶しに寄ったら
ここのギャラリーで素敵な作家さんに遭遇。
開催中の個展「CLAY WORKS」に釘づけ!



いいわあ。なんともいいわあ。
表情といい色合いのトーンといいお洋服の柄といい構図といい、めちゃくちゃ好み!
作品をいろんな角度から切り取る写真もこれまた高度なアート。
写真集がほしいくらいだなあ。
(撮影OKだったのだけれど、勝手に載せるのは憚られるので
ぜひ「高橋昭子さん」のサイトを見つけて観てみてください!)


むかしむかし、自分もねんどオブジェのシゴトに埋没していた日々を
ちょっと思い出したりして。。。。

自分の人形は広告媒体が中心だったので
いつか「アート」の域に突き抜けたいって思っていたあの頃のもどかしさが
今でもカラダのどこかに燻っていることを知っている。

依頼の作品を創ることは、もちろんシゴトでもあったし
とても刺激的で勉強にはなったけれど
やはり、自分が創りたいものをひとりきりの自由な時間に
すきなように創ることが一番すきだった。

真っ白い石塑粘土にただひとり向かい合って
時間を忘れて夢中で人形を創っていたあの自分は
きっと本能のままの自分らしい自分だったのだろうなあ。

今となってはそれは懐かしい過去のわたし。

創るものは素材とカタチを変えていったけれど
今でも「ものづくり」なくして自分はない。とおもってる。

すてきなクレイアートに魅せられて
自分の奥の方の、「眠ってるじぶん」をちょっと揺り起こされたようなキモチです。

粘土買いに行っちゃおうかな~(笑)


日曜日の朝に聴きたいおんがく。

2017-05-29 | MUSICのこと

日曜日の朝に聴きたい音楽。

日曜日って言っても
店は開けるのでお休みなわけではないのだけれどね。

カラダに刷り込まれている「にちようびのあさ」の空気感がすきなんだなあ。

この季節、朝ごはんを終えて後片付けをしながらかけたいおんがくは
アン・サリーのアルバム「こころうた」。

このアルバム、なんだかとってもふくよかなキモチにしてくれる。

おんがくは、こころの水彩絵の具。
いつでも柔らかな色彩でこころを染めてくれます。


「ミナを着て旅に出よう」皆川明著

2017-05-28 | 本 のこと



ミナペルホネン、すきだなあ。
魅惑的なテキスタイル。なぜだかぐいぐい引き寄せられてしまうのだなあ。

「ミナを着て旅に出よう」は、
ともだちKさんが貸してくれた、ミナペルホネンの作家・皆川明氏のエッセイ。

この本で、皆川明氏のデザインの佇まいの原点を垣間見ることができ、
ますますその魅力にハマってしまいそうです。

といっても、そのステキなお洋服は庶民には高根の花~。
相応しいヒトになりたいものだなあ。




ピースを繋ぎ合わせてあるBAG。
わたしのタカラモノです。


ばったり出逢うアート

2017-05-27 | 展覧会・アート のこと

先日、資生堂ギャラリーで「初心」を観たあと、大通りへ戻らずぶらぶらと歩きだし。。。
月光荘で足を止める。
ギャラリーの案内のかわいらしさに袖を引かれて
地下へと降りてみる。





とってもすてきな個展でした。
ちょうど最終日の夕方近く。そうとは知らずのんきにのんびり観ちゃいました。
観れてよかったなあ。

こうしてたまたま偶然出逢うアート。
こういうのすきだなあ。

またきっとどこかでめぐり逢えそうな気がします。


肩のチカラを抜く。

2017-05-25 | essay

ふと見上げたモミジに、薄紅色の花が咲いているのをみつけるとホンワリとした気持ちになるんだなあ。

今にも自ら飛んで行くんじゃないかと思ってしまうような、このカタチと色合いがなんともかわいいんだ。

こうして一生懸命に自分の生を生きている物言わぬイキモノの時間を目の当たりにすると

なんだか、余計な肩のチカラが抜けてくる。

目を伏せたくなるようなかなしいニュース。
世の中、理不尽な出来事は尽きることがないけれど

それでも
ささやかな今日を、今いるここで、大事にしなくちゃ・・・と思えてくるよ。
 


資生堂ギャラリー「椿会2017」初心

2017-05-21 | 展覧会・アート のこと





銀座・資生堂ギャラリーへ。
気がついたらあと一週間で終わっちゃう!
思い立って行ってきました。間に合ってよかった。

椿会展「初心」は2013年より5度目の開催、そしてこれが最後の展覧会。

五月だというのに真夏のような午後の陽射し。日曜日の銀座。
銀座のホコ天を歩くのは、久しぶりだなあ。
こんなにヒトが多かったっけ。



喧噪を背に静かなギャラリーへ。
ここの階段、毎回密かにわくわくします。

赤瀬川原平氏、内藤礼さん、そして畠山直哉氏。
すきなアーティストの作品が同じ部屋に会する。。。ってのは
なんとも勝手にシアワセなキモチ。

「初心」。。。
作品たちがこのギャラリーのコンパクトさに小気味いいほど似合っていて
わたし、この「初心」とてもすきでした。

赤瀬川さんの「新作」にはもうお目にかかれないけれど、
またいつの日か。。。


夢アンテナ

2017-05-17 | essay

ゆめのハナシ。

とてもきれいな夕焼けをビーチに観に行く。
夕焼けを背ににっこり笑う、アメリカにいるほぼ息子Yくん。(亡き親友の息子です)
その向こうには大きな大きな虹がかかる。

なんてきれいな吉兆のユメ!

「すごいイイゆめみたよ!きっといいことあるよ!」とアメリカ留学中のYくんにメール。

すると、「ちょうど友達と夕焼けを観に海に行ってたんだよ。虹はでなかったけどね(笑)」と返信!

すごいなあ。
夢って時に、時間も空間も超えて繋がる。

しかも、「暖かそうなカリフォルニアの海なのに、キャメルのウールのロングコート着てるんだよ~。」と言うと
「思ったより朝夕寒くて、その日もそれ着たいくらい寒かった!」とYくん。

おもしろいなあ。
寒がってるのが伝わって、夢でウールのロングコート着せたのかな、わたし(笑)

スピリチュアルなことはよくわからないけれど
ふしぎなツナガリは素直に納得しちゃう。

ひとのこころって、(こころというよりも意識か?)
きっとどこまでも広がっていける。
どこまでも広がって、遠くにいるたいせつなひとのこころに触れることもできるんじゃないかなあ・・・
なんて近頃感じている。

からだはここに、地上にあるけれど、意識は羽根を持ってる。

夢はココロのアンテナなのかも。
今夜はどんな信号をキャッチするかな?


手と手と手

2017-05-16 | essay



モノづくり仲間と開催しているイベントも無事終了~!
毎回、たくさんのお客様が訪れてくださり、賑やかでたのしい時間が流れる一日。。。

手から生まれるものからつながるご縁。。。
うれしいチェーンリアクション♪

そして、こうして「すきなこと」を共に形にできる仲間たちにも感謝です。



いろんな時間のひとつぶひとつぶを
たいせつにしたいものです。


わすれもの

2017-05-13 | essay

ときどき
大きな忘れ物をしているような気がして
何だか心細くなる。

ふいに、立ち止まって振り返りたい気持ち。
なんにもみえないって わかってるんだけど。

それぞれの みえないだいじな忘れ物。。。


引っ越しがない ということ。

2017-05-11 | essay

子どもの頃から引っ越しの多かったわたし。
ヨメに来たこの家が人生で一番長く暮らす場所となって もう久しい。

このところ、そこここにしみじみと時の流れを感じる。

先日、就活中の長男Sのウォッシャブルスーツを洗面台で手洗いしながら・・・

新生児だったあのこを沐浴させていたこの洗面台で就活スーツを洗う日が来るとは・・・と
なんだかこの場所に流れた時間の速さにクラクラしちゃう。

引っ越しがないってのは、こういうことなんだなあ。

この洗面台に収まっていた赤ん坊だった彼。就活スーツに身を包む現在の彼。
ここに、その間の時間が毎日確かに積もったはずなのだけれど
過ぎてみれば本当にあっという間の21年。

長男次男末っ子長女、3人の子どもたちの産湯に使った洗面台が
今もこうして自分の目の前にあるというフシギ。。。

洗面台なんてもんは腐るもんでもなし、不思議でも何でもないことなんだろうけれどネ。
住む場所が変わりゆく暮らししか知らないわたしにはなんともフシギでならないんだなあ。

思えば、この家もあっという間に築・四半世紀!?
あちこちガタがきているからこそ、今になっていとおしく思えてきたこの家。
もっとたいせつに使ってあげなくちゃねえ。


地面近くの目線の先には。

2017-05-09 | essay

春過ぎて、夏のような陽射しの園庭。
ほんのちょっと前まで寒々しかった木々にはみるみる若葉が繁り
小さな実を付け始めている。
子どもたちの目線の先には、アリやダンゴムシ、何かの幼虫などちいさなちいさな生き物たち。

男の子が数人、切り株を囲んでやんややんや。
何してるのかなと覗いてみれば、小さな草についたアブラムシを見つけて遊んでる。
老眼の始まったわたしの眼には、よ~く見ないと見えないような小さな小さな若草色のアブラムシ。
こんなにキレイな色してたっけねえ?

小さなイキモノたちが展開する世界。目線が低いとその世界により近いのよねえ。

自分もかつては虫ズキ少女だったので虫はオッケー!  (・・・室内に出現するヤツは怖いです)

虫好きコドモたちのたのしい季節の到来です。


手から生れるもの

2017-05-07 | essay

振り返ってみれば、ちいさい頃からなんやかんやと
思いつきでものを作ることがすきだった。

自分の手でカタチが出来上がるフシギ。
平面の紙が、土が、布が、立体になるフシギ。

出来上がったときのキモチって
コドバにしたらなんだろう。

達成感?満足感?なんかちがうなあ。
単純に「ほんわりしあわせなきもち」なんだな、きっと。

作りたいから作る。
たのしいから作る。
自分のタマシイが納得するものだけを作る。
(大げさだけどね 笑)

そんなキモチで出来上がった作品を
手にしてくださるまだ見ぬ誰かとつながるご縁もまた、作るシアワセ。

幼稚園の仕事は連休。来週のイベントに向けて、久々に制作モードに突入!
自営の店番をしつつ、バッグや革小物の制作が止まらない自分を俯瞰からみてみると、
モノヅクリがすきなんだなあ、と自分でも改めて再認識。

いろんなじぶん、いろんな時間。

限りある自分の持ち時間、たっぷりたのしみたいものです。


こころの中のいろんな引き出し。

2017-05-03 | essay

こころの中にはいろんな引き出しがある。
きっと誰でもそう。

ピンクと白のキレイな芝桜。ああ、きれいだなあと思う。


ふいにぽんと開かれるこころの中の芝桜の引き出し。

大阪で暮らしていた小学校低学年の頃のわたし。
家の敷地を取り巻く低い石垣の上の植え込みに母が植えた芝桜がとてもきれいで
すきだったなあ。

しろ、ぴんく、順番にレースのように石垣から垂れ下がる芝桜。

虫好きなコドモだったわたし、
その草をそっと持ち上げてまるむしをよく探したものだなあ。。。

今でも芝桜をみると、まるむしいるかな?と思考は直結する。



こちらはつつじの引き出し。

ちいちゃいころ、「つつじ」を「ちゅちゅじ」としか言えなくて
おとなたちが面白がっていたことをおぼろげに覚えてる。

つつじの思い出は、奈良の団地に住んでいた4~5歳のころ。
団地の公園で姉と一緒にいくつもいくつも花をもいでは花の蜜を吸っていたものだ。
きっとちょうちょになった気分で吸っていたのでしょう。

今の子はそんなんしないなあ、そういえば。
公園の花を摘み取るなんてイケナイコトとされているから仕方がないかな。

小さい頃からおいしい甘いものに慣れてる現代っ子の味覚では
つつじの蜜の甘さは・・・ちょっと繊細すぎるかもね~。

 


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