暑くて無造作にぐるぐるねじって留めていた髪を
ほどくとパーマみたいなウェーブヘアになる。
鏡に映った自分の髪のウェーブを見た途端
突然、ねむっていた懐かしい記憶が。。。
あれはわたしが小学校二年生の頃。
だいすきだったチャーミングな伯母、ちゃこのおばちゃんが
「みこちゃん、パーマあてたる!」とわたしを鏡の前に座らせて
あの頃流行っていたホットカーラーでくるくるふわふわの髪にしてしまった。
「かわええわー!」とはしゃぐ伯母。
カーラーとパーマの違いもわからなかったわたし。
「こんなんで学校行くのん~~!?」と慌てていると
ちゃこのおばちゃんは、
「パーマとちゃうから洗ったら真っ直ぐになるよ~」とケラケラ笑った。
いつもお茶目で豪快に笑う、とても楽しい わたしの「ちゃこのおばちゃん」。
だいすきな伯母といつまでも一緒に過ごせると思っていたし
「死」というものが
本当は誰のそばにも静かに存在していることなど知らずにいたあの頃。。。
伯母は、わたしが小学校三年生の冬に49歳の若さで亡くなった。
ポチャッと柔らかくて、いつも髪をおだんごにしていた伯母。
最期に逢った伯母は、ほっそりと痩せた頬を
おろしたふわふわの長い黒髪が縁取り、
入院先の白いベッドに座る姿はわたしの知らないオネエサンみたいで
わたしは伯母に触れることができなかった。
伯母と過ごす時間がだいすきな、8歳のコドモだったわたし。
ここから振り返ってみると、
「死」というものをまったく理解できていなかったのだとわかる。
伯母と過ごした時間をそのまま自分のなかに継続したまま
長い長い時間をかけて、成長とともに伯母の死を受け入れていったように思う。
お葬式の時、皆が伯母の棺に献花しているのを
わたしたち姉妹は遠くから眺めていたことをよく覚えている。
「元気な頃のちゃこのおばちゃんだけを覚えておきなさい」と
父が棺の中の伯母を見ることを禁じたからだった。
あの時の父の判断には感謝している。
今でもわたしのココロに住む伯母は、
白い割烹着姿でいつでも豪快にケラケラと楽しそうに笑っている。
ひととひと。
たとえ一緒に過ごした時間が短くても
一生こころに住み続けてくれるひとがいることは
とてもシアワセなことだとわたしは思う。
この世に居なくなって40数年。
変わらずずっとだいすきな伯母と出逢えたことは、わたしの人生のタカラだ。
伯母がわたしのなかに愛をのこしていってくれたことに、
そして、この世に居ようと居まいと「ひとを想うこと」をわたしに教えてくれたことに
今でもとても感謝しているのだ。