もと八重洲ビルにあった「阿部式時計」の一部が、跡地に建てられた丸の内のブリックスクエアに設置されている。
先日、古い建物好き仲間のYさんに連れて行ってもらって、初めて実物を観た。
Yさんは、女性には珍しく建物に付随する古い時計にも明るい!
うちの時計店に見えた時も、古い時計やこの阿部式時計の話で時計師の夫と盛り上がっていたっけ。
今は、動かすシステムが変わってしまっているこの時計、
もとは大きな親時計から各子時計に有線で電気信号を送り、磁力で一分づつ針を動かすという「阿部式時計」の一部。
こちらは、お子ちゃん時計たち。
デザインがとてもうつくしい~。
文字盤も当時のままのものを使っているそうだ。(針は別のものに変わっているらしい)
東京駅の復原で、何かと話題の丸の内。
こちらも、通りがかったらぜひ見上げてみて♪
こじんまりと、かわいらしい子時計たちです。
「子育ては親育て」とか「子どもに成長させられる」などと昔からよく云われるけれど。。。
成長どころか、さまざまな試練続きに、こりゃ仙人修行か~!?ってこの頃想うくらいだ。
子どもが生まれたからといって、最初から「親」になれるわけじゃない。
一喜一憂、悲喜交々、日々を積み重ねてだんだんに「親」になっていくんだよね。
もちろん、生まれたての赤ん坊は、一瞬たりとも目を離せないように出来ているから
頭で考える余裕などなく、目の前の命を守るという動物的本能に於いては「親」になれる。
動物であれば、子が自力で捕食出来るよう導いた段階で親の仕事も終わる。
そこから、動物とニンゲンの「親」の違いが始まるのだなあ。。
長男が7歳の頃、ある出来事に遭遇した。
公園内での出会い頭の事故ではあったのだけれど、子ども同士のこととはいえ
怪我をしたのは申し訳ないことに先方のみ・・・。
結果被害者と加害者という立ち位置で、保険会社も交えて夫は先方との折衝に奔走していた。
何度も何度も話合いに出向く夫・・・。やっと出口が見えてひと段落ついた頃
彼は、「俺、今やっと親になった気がするよ。」と、ぽつんと呟いた。
その時、既に7歳、4歳、1歳の三児の母としてのわたしには驚きの発言であり、
「いま?今頃やっとそう思ったの!?」
と、呆れてそう言った覚えがあるのだけれど、
あの時の彼の言葉は、正に魂から出たコトバだったのだろうなあ・・・。
だからこうして、今でもそのままわたしのこころに残っているのだと思う。
彼はあの時、心身ともに本物の「親」になったのだろう。
子どもが運んでくる、大小さまざまな難題。予測の出来ない災難。
代わってあげたくても、代わってはあげられない病気や、辛辣な体験。
たくさんの出来事を越えるたびに、「親」は親であることを自覚し、学び、子どもと共に成長させられる。
今までも、これから先もね。
そうやって、お年寄りたちも過去の先人たちも、学び取りながら生きてきたのだなあ。。
時代は変わっても、本質はみな一緒だ。
もちろん、難題や災難に勝る喜びや感動もたくさんあっての家族の時間、なのだけれどね!
(難題だけじゃつぶれちゃう!)
現在16歳、13歳、10歳の我が家の子どもたち。
山あり谷あり、こころも上がったり下がったり翻弄されながら、日々たいせつな時間を積み重ねてゆく。
この子たちがすっかり大人になる頃、あの時はこうだったねえ、ああだったねえと
どんな時期も笑い飛ばして、一緒に思い出話ができるといいなあ。。。
と、母は密やかに願いつつ、今日も火の粉をくぐり荒波をジャンプ!?
何事も達観できる、朗らか仙人への道はまだまだ遠く険しいわ~~。
先日、娘と銀座の裏通りを歩いている時に、
「おかあちゃんもさ、昔はこの辺運転して走ってさ、空いてる駐車スペースを探したものだよ。」と言うと。
「うそだね~!ありえない。」と信じない。ひどっ。
ペーパードライバー歴、もう20数年。ハンドルを握って都会を走る若いわたしを想像もできないらしい。
そりゃあそうだよねえ。
運転していたのは、免許を取ってほんの一年余りの間だけ。
父のオンボロの青いアメ車で、街を走り回っていた 二十歳の頃の自分の姿は・・・
わたしにだってまぼろしのようだ。よくぞ無事でした。若いってスゴイ。
時間は、ぐるりぐるりと廻り続ける。
20代半ば頃の、この道を歩いていたわたしのおぼろな幻影をぼんやりと空間に浮かべてみる。
今はいつもペタンコ靴だけれど、あの頃は高いヒールでも平気でタッタカと走っていたもんだなあ・・・。
革のコートがやたらに流行っていたあの時代。ネコも杓子も黒い革のハーフコートだったよね。
仕事帰りのわたしも、スーツの上に黒い革のハーフコートを着てこの街を歩いていた。
横を並んで歩いていた細長いおぼろな影まで浮かんできたよ。
この街には、思い出がたくさん。
いろんな時代のわたしがいる。「学生」のわたし。「カノジョ」のわたし。
母と歩く「娘」のわたし。赤ん坊を抱っこしながら母と歩く「新米ママ」のわたし。
懐かしい建物や、今はないお店のまぼろしもふわふわと浮かんでくる。。。
こうして、どんどん街は姿を変えて、ひとも入れ替わっていくんだねえ。寂しいけれどね。
「今」のわたしをう~んと通り越して、孫と歩く「おばあちゃん」なわたしのまぼろしを浮かべてみようか。。。
それはそれで!ちょっと楽しみかも!
タイム・マシンに乗れるなら、ぐ~んと遡って、1920年代の銀座へ行ってみたい。
すてきな近代建築でいっぱいの銀座。あの時代の上品な彩りの銀座をのんびり歩いてみたいな。。。
1930年(昭和5年)に建築されたヨネイビル。
中世ロマネスク風のこのビルは、松屋の裏手、銀座二丁目に建つ。(あえて、セピア色)
よく通る場所にあるとっても上品なこのビル。
いつも通るたびに見上げながらも、一階の高級そうなお店には足を踏み入れたことはなかった。
しばらく前は、洋菓子屋さんではなく別のお店だったような記憶が・・・。
先日、近代建築好きなおともだち、Yさんと出掛ける前の晩、メールで
「アンリ・シャルパンティエ」のカフェでお茶してみない?ここも近代建築だよ。と誘われ、
どこにあるんだろう?とネットで探してみたら・・・。
お~~~!あの足を踏み入れられずにいた「ヨネイビル」の高級そうなお菓子屋さんのことだっ!
とうとうここにも導かれる時が来ましたねえ。
何度見ても立派で美しい建物だなあ。
ゴージャスな入り口。庶民のわたしが入っていいのか・・・?
いえいえまあ、もういいオトナなのでね。ドキドキでも、さらりとね。
店内はさすがに美しく統一されていて、古いビルの面影は残念ながら感じられなかったけれど、
この美しい建物にはぴったりのすてきな洋菓子屋さん。
客層も、平日のお茶の時間とあって、マダ~ムなおばさま方から若い女性同士の客など様々。
さりげな~くお洒落なご年配のカップルがここには一番お似合いだったかも。
紅茶もケーキもとってもきちんと美味しく、ケーキのお皿の盛り付けも美しい~。
でも、何より印象深かったのは、ここのお化粧室の秘密の場所!
知ってしまうと、びっくりする楽しみ半減なので、あえてここでは書きませ~ん。
からくり屋敷のような・・・とでも言っておきましょうか。
お洒落なばかりでなく、お茶目なユーモアのあるとこ、気に入りました~!
もう、次はひとりでもお茶しに入れるよー。 (お財布が許せば~)
「アンリ・シャルパンティエ」銀座店 (サロン・ド・テはB1です)
(先週の東京駅)
東京駅の復原完成イベント、「TOKYO STATION VISION」
You tube で観たこの映像、すごいすごい。すごい!
東京駅全面をスクリーンに、スペクタクルな映像が繰り広げられるショー。
う~~!これは生で観たかったなあ~~~!(ぎっくり腰ではとてもとても辿り着けませんわ。)
You tube でご覧くださいな。とってもキレイです。
生で観たら・・・こりゃあ感動するでしょうねえ。
今夜もこのショー、開催されるみたい。興味のある方は要チェックですよ!
やっと発足した原子力規制委員会。
それを支える規制庁職員のうち8割もが、保安院からまるごと移動しているのだそうで。。。
それだって驚きなのに。
着工したまま止まっていた、新しい原発建設を再開することに決めた。とおっしゃる・・・。え!???
2030年にはゼロってハナシはど~した? て思ったら、閣議決定先送りが決定って・・・。
わけわかんないよ。
政治家のご本人らも、経済界の蜘蛛の糸に絡めとられてわけわかんなくなっているんじゃない???
すでに溜まる一方の膨大な放射性廃棄物。。。
自分たちが生きている間には処理しきれないと初めから分かっている大量の猛毒のゴミを
目をつぶって後世にバトンタッチ。
「トイレのないマンション」と例えられる原発を推進してきた方々は、
未来のこどもたち、日本の未来の安全を、全く視野に入れなかったのかな。見ぬふりをしてきたのかな。
わたしたち、子孫にそんなお荷物渡したくない。
「正義」はどこへいった?
命の尊さを教える側のおとなたち・・・。オスプレイしかり、原発しかり、
生きとし生けるモノの命を最優先する姿勢を子どもたちに見せてよ。
TVの前の子どもたちに、たまには揺るぎない正義を貫いてみせてほしいものです。
銀座松屋「ベルサイユのばら展」へ。
ともだちのZちゃんに、「招待券あるから行こ!」と誘われて、
それぞれの10歳の末娘を連れて伊東屋地下で待ち合わせ。
噂通りの人出! 同年代か、ちょい上の女性でいっぱい。
連休中なので、うちらの娘と同じく母に付き合わされて・・・という小学生も多数。
ストーリーはちゃんと知らなくても、永遠の女の子の憧れの世界だもの。
「この子、かわいい!このドレスがすき!」と、退屈はせずにふたりとも一通り眺めていたね。
宝塚の衣装展示も見事でした。リカちゃんドレスの実物大のよう。
ベルばらは、わたしはアニメでハマった世代。
その後、ちゃんと漫画で読んだのは20代になってから。
娘も読みたがっているので、うちにある愛蔵版の漫画を屋根裏から探し出そう!
歴史的な部分は子どもには難しいかもしれないけれど、
ニンゲンの中に渦巻くさまざまな感情のすべてが誌面に繰り広げられ、
人生の表舞台も裏舞台も、そっくり観せてくれるこの漫画。
こんなにも、いろんなことを学べる漫画って、そうそうないよね。
道徳のお勉強には、「ブラック・ジャック」
恋愛に於けるひた向きさと忍耐のお勉強には、「ベルサイユのばら」 だ!?
アンドレ。つくづくイイひとです。アンドレのひた向きさがすきだ~。
昔の漫画はやっぱり深い。 ブラボ~~
「ベルサイユのばら展」9月24日まで!
空と雲。。。見上げれば、いつでもそこにある一番身近な自然。
山の中でも、海の上でも。 そして街を歩いていても。。。
風が速い。 大きな雲がビルの鏡の中をぐんぐん流れて行く。
時間の流れ。雲の流れ。共に一瞬たりとも止まってはいない。
そんな当たり前なことも、切り取られた都会の空に改めて教えられる。
むすめ。10歳。街をゆく。
揺るぎなく真っすぐに歩いて、遠ざかっていく彼女の背中を眺めていた。
こちらを振り向いて、にっこりと笑うまで。
ふたたび、奥野ビルへ。
306号室にて「Re1920記憶」という企画展を観に向かう。
同潤会アパートの在りし日々の写真があちこちに。
そして、映写機で映し出される過去の姿。。。懐かしい。
表参道の青山アパートが解体されてしまったのはちょうど末の娘が生まれた頃。
そうか、いつの間にかもう10年も経つんだ。
つくづく、もったいない。。。古い建物ってものは、なんだってこんなに味わい深いのだろう。
あの時代のあの造り方、あの色合い、あの風合い。 手づくりの味わいなんだろうね。
作り手の思いが吹き込まれたものなのか、建物そのものに意思があり、息遣いが聞こえるような…生きもののようなんだな。
現代のアパートやマンションに同じだけの時間が流れて積もっても、こういう味わいは決して出ない。
奥野ビル。古い建物がすきな者にとって、このビルは急に消えてしまったりはしない安心して足を運べる場所。
改装せずそのままの姿を保存する306号室プロジェクトも、本当にありがたいことです。
ここだけは、ずっとこのままで・・・・・・と来るたび祈るようなきもちです。
奥野ビルの魅力のひとつ。 「階段」
ここの階段、いつ見ても騙し絵の中に自分がいるようなフシギな感覚に捲かれる。
階段の隣にも階段。わたしの脳はここちよいくらい翻弄されてしまう。
思うに、方向音痴のお蔭で、より迷宮にいるようなシュールな感覚に陥ることができちゃうのかも。
方向を見失うときに、ほんの瞬間陥る、夢遊・無重力状態は、コトバでは説明できない感覚だ。
同じ方向音痴のひとならきっと頷いてくれるはず!
方向音痴でよかった、と思わせてくれる「階段」です(?)
奥野ビル。そして306号室。。。何度でも来たい場所です。
久しぶりにちゃんと外から東京駅をみた。
復元工事もほぼ終了だね。ぴかぴかの新しい東京駅。
ぐっとカメラを寄せるとヨーロッパね。
引くと、東京だわ。
ここの歴史ある「東京ステーションホテル」いつか泊まってみたいなあ。って憧れていたんだ。
戸越銀座の古いアパートに住んでいた20代の頃。
憧れながらも、近場にわざわざ泊まるチャンスもなく・・・。
やりたいことはなんでもやっておくべきだなあ。
古いまんまの部屋に身を置いてみたかったものだ~。
丸の内のこの界隈、その昔は煉瓦の建物が建ち並び、「一丁倫敦」(イッチョウロンドン)と呼ばれていたんだって。
文明開化以来、ずっと最先端を行くビジネス街なんだなあ。
駅の傍にそびえるビルは、東京中央郵便局。
こうして下の方だけ保存する建築を「腰巻建築」って呼ぶんだって。と、Yさん。なあるほど!
近くで見ると、この郵便局も以前のままみたいだね。
ぐるりと裏から見ると、面白い部分をみっけ。なんだろ。昔の火の見やぐらをそのまま残したのかな?
ガラスに雲が映ってきれいだ。 でも・・・地震がきたらコワイな。
ぐ~んと、もっともっと上を見上げると・・・
わあ。富士山みたいやん!
1894年(明治27年)ジョサイア・コンドルの設計で建てられた「三菱一号館」は、
老朽化のため1968年(昭和43年)に解体されてしまったのだそうだ。
古いまんま観たかったものだなあ。
そして時を経て2010年に、丸の内のこの同じ場所にコンドルの原設計通りに復元され
現在は「三菱一号館美術館」として生まれ変わっている。
「シャルダン展」を観ながらも、建物の随所も見学。こうした階段の手摺の石材なども
たいせつに保管されていたものを使って復元されているそうだ。
この階段、とてもうつくしい。この手摺は、微妙な灰色がかった薄緑色。こういう色の石ってあまり見かけない。
後から本で知るまで、人工的な練り物なのか、古い石材なのか、まったくわからず!(みる目ナシ)
こちらの鉄製(?)の透かし階段も明るくてきれい。う~ん。やっぱりこの新し感がねえ・・・。無機質な冷たい印象を与えてしまうんだね。
昔の姿のまんまで観てみたかったなあ。
ほの暗い廊下、いいね~。魅惑のこりどー。
館内の素敵なカフェレストラン、「Cafe1894」は、旧銀行営業室を復元した場所にあり、
すこーんと高い吹き抜けの天井がすばらしい!木の色合いがまたいいのだなあ。
ランチのお料理もとても凝っていて美味しかったので、また行きたいな。
重厚感漂う「Cafe1894」の入り口。
排気口カバーも好み。なんかロンドンっぽいね。
丸の内界隈。わたしには、仕事的にはまるで縁のなかった街。
だからこそ、未知で新鮮!もっとこの街の歴史を知りたくなりました。
今度は、三菱一号館美術館・歴史資料室ものぞいてみることにしよう!
中庭もすてき。
三菱一号館美術館へ。
近代建築好き仲間のともだちYさんと、「三菱一号館」そのものと「シャルダン展」を観に。
「静寂の巨匠」というコピー。
静寂だったとは思えない波瀾万丈な人生。静物画~風俗画~そしてまた静物画へと画風も変貌しつつも
どこまでも静かな「絵」の数々。
繊細な絵筆のタッチ、微妙な色遣い。とてもこころの細やかなひとだったのだろうな・・・と想像する。
とっても気にいったのは、「羽を持つ少女」という1737年の作品。
少女の淡い表情と、希望を思わせる目の光。衣装や羽の色遣いがとってもいいなあ。
後期の静物画はどれも美しい。柔らかい毛並みまで感じられるような「二匹の兎」。(食材として置かれているのだけれどね)
今にも転がり落ちそうな「木いちごの籠」。ガラスの中の水も今でも飲めそうなくらい透明感がある。
静物画の良さって、正直イマイチよくわからないわたしでも、
このひとの静物画は寡黙にじんわりとこころに入ってくる感じ。すきだな。
ジャン・シメオン・シャルダン(1699~1779) 後にたくさんの画家がシャルダンの影響を受けたのだそうだ。
この展覧会にも、影響を受けたとされる著名な画家たち、ミレー、セザンヌ、マルケ、ルドンの作品も一点づつ展示されている。
個人的には、セザンヌのリンゴよりシャルダンの桃のほうがすきだなあ・・・。
昔の絵画を目にするたびにつくづく想うけれど、こうして本物の絵に対面できるって、奇跡だ~。
250年も前の絵が、こうして目の前にある・・・って、実はすごいことだよね。
修復や保存の影にはたくさんの人間の尽力が積み重なっている。
どれだけたくさんのひとがそれぞれの一枚の絵に想いを寄せ、携わってきたのだろうなあ・・・。
なんて考えると、250余年の時空を超えて、ひゅるるる~と絵の向こう側へタイムスリップしてしまいそうだ。
こうして静かに鑑賞できる平和な時間を過ごせるって、ほんとうにありがたいこと。感謝しなくちゃね。
またまた、このシャルダンの絵を縁取る額縁がどれもとっても凝っていて、
よくよく見ると、1880年と刻まれた額もあった。
文字通り、額が絵を縁取ることでひとつの芸術が完成している・・・と改めて感じる展覧会でした。
三菱一号館美術館 「シャルダン展」 2013年1月6日まで開催中です。
わあ。懐かしい。瓶コーラの自動販売機!
こんなの久しぶりに見たよ。まだあるんだねえ。
昔、伊丹市で伯母夫婦が営んでいたつり池。
わたしが生まれた原点の地。
店内にこの自動販売機があって、引っ越してからも遊びに行くたび、
伯母が扉に付いている栓抜きでシュポッと開けて飲ませてくれた。
自分では硬くて栓が抜けなかったような小さい頃のこと。
わたしはファンタ・オレンジ。姉はファンタ・グレープ。
姉とわたし、そういえば、小さい頃からいろんな好みが違う。
大阪の子ども時代、デパートのレストランでは、いつも私はミートソーススパゲティ。姉はカレーライス。
飲み物は決まって、姉はクリームソーダ。わたしはミックス・ジュース。
ミックス・ジュースがこのうえなくすきだった。
大抵、下の子はなんでも姉や兄の真似をしたがるもんだけれどねえ。
ミックス・ジュースといえば、ほぼ関西以西の飲み物。(中部地方は縁がないので不明ですが)
小学生の時に、大阪から関東へと引っ越してきたのだけれど、
当時カルチャーチョックだったのは、うどんのおつゆの色の濃さと
ラーメンの麺が硬いこと。
そして、ミックス・ジュースがどこのメニューにもないこと!これはキツかったわ~。
今でも、時々とっても飲みたくなるんだなあ。
フレッシュな、おいしい大阪のミックスジュース~~。
体に必要な栄養素は、ニンゲン全般同じだけれど、
こころに必要な栄養素って、ひとそれぞれみな違う。
わたしの場合、こころに必要な栄養素は・・・音楽、本、映画、アート。
それから、ひとと話すこと、大笑いすること。
時々 感動体験。そしてちいさくても日常の中に自然を感じること。
こころの健康に不可欠なものは、
「すきなこと」 ってことなんだな。
栄養分を惜しまずもっと注入しよっと。
ココロがカラカラに乾いてしまわないうちにね!