現在中三のムスメに、
幼稚園でドレミファブックのレコードかけてみたんだよ!という話をしたら・・・
「そうそう、この前クラスの男子に、『昔、おまえの母さん、レコードかけてくれたよね?
ないたあかおにの!』って言われたよ~」と娘。
ええ~~そんなんちゃんと覚えててくれてたん~~~!?
と めちゃ嬉しくなってしまった。
あれは娘が小学校二年生、学年最後の朝の読み聞かせボランティアの時間に
ドレミファブックとレコードプレイヤーを持参したことがあった。
当時、音読の宿題になっていた谷川俊太郎さんの「月火水木金土日のうた」を
子どもたちに聴かせてあげたくて第5巻を持参したのだけれど、
B面の「ないたあかおに」もかけてみることになったんだよね。
そして担任の先生が、ぜひ他のクラスにも!とおっしゃってくださって
そのままレコードとポータブル・レコードプレイヤーを暫しお貸しすることに。
大人のわたしには、ほんのついこの前のことのようだけれど
中三の子にとっては、七年前の小二なんて遥か昔のこと。
覚えていてくれた子がいたんだ~~!と感無量でございます^^。
日常のなかのちょっとした非日常って
案外記憶に残るのかもしれない。
世代を超えて旅するドレミファブック♪
先日、興味津々「ちびくろサンボ」と「ないたあかおに」を聴いてくれた園児たちも
大きくなってわたしのことは忘れても、回るレコードの記憶は残るかもね!?
夢のなかで。
彼はこれから戦いへ行く。
わたしは、他の人たちと並んで
彼と固く握手をし、目だけでコトバを交わす。
そして去りゆく彼を見送る。
彼は古くからのトモダチだ。
たいてい、ともだちが夢に現れると
夢みたよ~と呑気にメールしてしまうのが常なわたし。
でも・・・なんだかこの夢は
わたしに「待った」をかける。
彼の戦いとは?
静かに無事を念じておくべきか。
それとも、わたしらしくないから、やっぱり連絡してみようか。
めずらしく、わたしを迷わせる夢の謎。。。
以前読んだ日野原先生の本のなかで
「私という人間を知ってもらうには、私がどんなものを読んできたか
何に影響されてきたか、というところから語らなければならない」
というような文に出逢い、なあるほどホントそうだなあ・・・と大いに納得。
そこで、自分はどうだろう とちょっと想いを巡らせてみる。
わたしの中に積もったもの。
すきなもの すきなこと すきなひと。
半世紀分のいろんなものが詰まってできている自分。
うれしかったこと、シアワセな体験、辛い経験、かなしい出来事、悔やむ思い・・・
さまざまな記憶がぎっしり詰まってわたしを形作っている。
どれ一つ取っても、今の自分は形が変わるんだなあ。
それは誰でもそう。
わたしに善い影響を与えてくれた人々もまた、それぞれに
たくさんの影響を受けて、そのひとが出来上がっている。
ひとは決してひとりじゃないんだな。
世の中は、すべて縦横複雑に編まれた織物のように影響し合ってつながっている。
それを総じて縁と呼ぶのかな。
たくさんのありがたい不思議なご縁に、こころから感謝したいお年頃であります。
「袖すり合うも他生の縁」というけれど、
一生のうちどれだけたくさんのひとと「袖すり合う」のだろう??
そしてその人々全て「他生」でご縁があったとしたら・・・
なあんて
電車の中でぼんやり考える。
だとしたら、わたしがこれまでに現世で出逢ったひとたちとは
前世でご縁があったのか?
それとも来世でまた出逢えるのか。
「未来も過去も今ここにある」ってコトバを読んだのは
どの本の中でだっただろう。。。
と、ここでふと、ひとも疎らな平日昼間の電車内をそっと見回すと
座席に座っているひとはほぼ全員視線を手元のスマホに落として忙しそうに操作している。
ココロ任せにふわふわと思考(というか夢想)の波間に漂っているのは今ここで
わたしだけなのか。
だからなにってわけじゃないけれど、
なんだか車内の上半分の空間を全部ひとりで使っているようなフシギな錯覚。
おもしろいなあ。
「生きていることと死んでいることは、もしかしたら同じことかもしれない」
すきな作家、宮本輝著「錦繡」のなかの一文。
最初に読んだのは確か20代。
この言葉がわたしのなかにもずっと引っかかっていて
ふとした瞬間、こころの表面まで浮上してくる。
時に、「ああ…こういうことか」と勝手に納得したり
そうかと思えば、またある時には
「やっぱりちがう。まだまだわたしには理解できんワ!」と思ったりしている。
こんなふうに
後々何度も反芻してしまうような具体的な「永遠のモンダイ」を出されたのは
この本が初めてのことだったような気がする。
一冊の本との出逢い。。。
ひととひとの出逢いと同じくらいその後の人生を左右するってことも
ないことはない。かもしれない??
人生は、クエスチョンとナゾに満ちている。
だから面白いのねえ。
時々お手伝いに行っている幼稚園の預かり保育のおしごと。
普段は放課後だけなのだけれど、長期休み中は朝から夕方まで少人数の園児と一緒に過ごす。
カリキュラムがあるわけではないので、ほぼ一日一緒に遊び倒す。(笑)
暑すぎて外遊びもままならない午後や、雨で一日中部屋遊びの日など、
だれてきたころにケンカや小さなケガが起こりやすい。
そこで、そんな時に空気を一変させる ちいさなサプライズを用意しておくことにしている。
この日は、お!そうだ!と思いついて
我が家の絵本棚で埃をかぶっていた赤いポータブル・レコードプレイヤーを引っ張り出す。
そしてドレミファブックの中から、3~6歳の子どもたちが喜びそうなお話を選ぶ。
やっぱり小さい子が楽しく聴けるのは「ちびくろサンボ」かな。
それから「ないたあかおに」ね。
ドレミファブック5巻と6巻。ポータブル・レコードプレイヤーをバッグに仕込んで幼稚園へ。
まったりとした夏の昼下がりの教室で、レコードに針を落とす。
レコードなんて見たことないちびっ子たちは興味津々。
古いポータブル・レコードプレイヤーの、ザーザー雑音交じりの音楽が鳴り出すと
みんな不思議そうに回るレコードを見たり、(触ろうとしたり!)
わたしの開くページを見たり。
「ちびくろサンボ」は、もっかいもっかい!とリクエストにお応えして2度かけて
続いて「ないたあかおに」には、静かに聴き入っていた模様。
1970年代のドレミファブック。
半世紀近く前にコドモだったわたしと
ほんの数年前、2010年代生まれのコドモたち。。。
一緒にドレミファブックのお話に聴き入るフシギな共有時間。
いつの時代もコドモはコドモなんだなあ。。。
そして。ドレミファブックは不滅であります!?
それにしても、せっかくのステレオ録音なのに
壊れかけの雑音交じりのモノラルスピーカーじゃあ「ドレミファブック」に申し訳ないキモチ。
できることならば、きれいな音で子どもたちに聴かせてあげたいものだな。
それでも、暑い夏のとある午後、回る丸い円盤から流れるお話と歌を聴いたこと、
記憶の片隅にキラリと一粒残ったら・・・オモシロイなあ。
いにしえの時代、ひとの信仰の対象は、山や太陽、大地などの「自然」。
先日訪れた渓流で、黙してわたしを呼び止める「山」に出逢った。
ミニ盆栽みたいなミニ苔山?
というか、そもそも山ではなく小岩なのだけれど、
何とも言えない可愛らしい風情とカミサマ的な佇まいに
暫し立ち止まって見入る。
本能的に手をあわせたくなる物体ってなんなのだろう。
ちょっとお地蔵さん的な??
思わずぱんぱんと柏手を打っている自分・・・(笑)
特定の宗教をもってはいないのだけれどね。
そういえば・・・わたし、昔からコレよくやる。
神聖なモノ以外にも、何か良くない気配を感じる場所や
不吉な考えがふと浮かんで、それを振り払いたい時には
パンパンと大きく柏手を打つ。
誰かに教えられたわけではないから、本能的なもの?
根拠はなくとも、そうすると、一瞬にして空気がパリッと入れ替わるのを感じるから
気のせいだとしても、それはそれでアリでしょう!?
旅先のちょっとヤ~な感じのするホテルの部屋とか? お試しあれ~。ぱんぱん!
昨年、北国のおともだちIさんに
おいしいおいしい手作りの赤しそジュースを頂戴し、
あまりの美味しさにレシピまで教えていただいていたのに
粗雑なわたくし、うっかり赤しその旬を逃して作りそびれ、がっかり・・・。
そんな時に!
なんとまたまたIさんより今年の赤しそジュースが届きました♪
わたしはとても幸せ者です。ありがたや~~。
とても丁寧な暮らしをしていらっしゃるIさん。
他にも手作りのさまざまなおいしいものが同封されていて
「おかあさ~~ん!」と言いたくなるくらいです。(それは失礼か!おねえさ~~んですね^^)
これからは、「北国のベニシアさん」と呼ばせていただきましょ~う!
おいしいって、うれしいなあ。 (Iさん、ありがとうございます♪)
赤瀬川氏の路上写真、すきだなあ。
添えられた一言がまたいいんだなあ。思わず フッ と笑っちゃう。
建物をすっぽりと包んじゃう クリストの「梱包アート」すごい。
図書館で見つけたこの本の中で、(発行は1995年)
丁度クリストと赤瀬川さんが対談する機会が持てたというくだりを
読んだ直後に
「ポンピドゥー・センター傑作展」でクリストの「パッケージ」に偶然ばったり!
おもしろいねえ。いろんなことがみえない糸で繋がっている。
なんだかこう、ものすごくデッカイ ゲージュツとか
どーんと圧倒されちゃうような大自然の創造物とかがみたくなっちゃった。
こんな時には、即、旅に出たいものだが
寅さんじゃァあるまいし、なかなかそうはいかないものである。
すきな映画もそうだけれど
すきな本も、数年経つとまた読みたくなる。
そして、ふしぎなことに
ココロに響く一文は、本を開くたびに場所を変える。
本の中だけではなく、現実の世界にも
案外、サインはあちこちに転がっている。ほんとうはね。
それに気づくか気づかないか、それはその時の自分の心模様次第ということなんだなあ。
以下の文章は、ある本を三度目に読んだ時に響いたコトバ。
「僕は本当は十年も前に始められたことを、今やり始めたのだ。
二十年間も待たなかっただけ、少なくとも僕は幸せだよ。」
いやはや~~ 考え方次第では、どんなことも遅すぎることはないんだよねえ。
少なくとも、そのことに気づけば、今日は一番早い日だってことね?^^
東京都美術館開館90周年記念展
「木々との対話 再生をめぐる5つの風景」
先日、「ポンピドゥー・センター傑作展」を観た折りに
こちらにも立ち寄りました。
これはいいわあ。木の香り漂う展覧会。
とても繊細な彫刻。神話的などうぶつたち。
釘付けになってしまった。。。土屋仁応さんという彫刻家の作品。
写真もOKだったので、うつくしい鹿をパチリ。
仁王さんみたいな力強い表情にドキリ。
息をしているみたい・・・きれいな猫。
こちらは大きな大きな木のオブジェ。
なんかこう・・・登ってみたくなりますが、みるだけです(笑)
東京都美術館、開館90年なんですねえ。
緑の中のレンガ色の美術館。ここもすきな場所のひとつです。
「木々との対話」展は2016年10月2日まで開催中。
水辺で。
何か光ってる・・・とよ~くみてみれば
水玉をまとった毛虫ちゃんでした。
じ~~っと陽射しを浴びて水玉が蒸発するのを待っているのかな。
うつくしい生きているアート。
自然の作り出すアートには なにものも敵わないなあ♪
子どもたちが小さい頃は毎年遊びに来たこの渓流。
子どもたちもあっという間に成長し、長男二十歳、次男17歳、末ムスメ14歳。
ここに家族5人で来るのはとても、とても久しぶりなこと。
末娘たっての希望で実現した久しぶりの川遊び。
渋る次男坊を最終的に説得したのも彼女だ。
わたしたちのすきな特別な場所。
日々、さまざまなことが変化していく。
滞っているようにみえても、変わらないものは何もない。
先のことは何もわからないけれど
まだ起きてもいないことに惑わされて憂うことなく
今日のこの日を、自分が実存し得る「今」をたいせつにしたいものだなあ。
《 ゆく河の流れは絶えずして しかも元の水にあらず 》
ナントカナラアナ~と
プカプカと流れに浮かばせてくれる魔法のコトバです。
自然はいいねえ~
時々、無性にアートにどっぷり浸りたくなる。
思い立って美術館へ出かけるのは
わたしなりの一種のストレス解消法なのかも?
上野・東京都美術館へ。
気になっていた「ポンピドゥー・センター傑作展」を観てきた。
20世紀の現代アートの巨匠がずらずら~~。
といっても、全部知っているわけではありませぬ。
一年一作品という構成で、1906年、デュフィの「旗で飾られた通り」に始まって
1977年、「ポンピドゥー・センターのスタディ模型」レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースに終わる。
時系列でいろんな作品を辿りながら
時代の流れも感じさせてくれる。
そして、やっぱりアートも知らぬ間に
これはすき、これはそうでもない、これはヤダ。と、
自分がココロで振り分けながら観ていることに気づく。
きっとだれでもそうね。
だから、長く立ち止まる場所もひとそれぞれ、様々なのでしょう。
今回、印象的だったのは
ブランクーシの「眠れるミューズ」
マン・レイの「剃髪したデュシャン」
シャガールの「ワイングラスを掲げる二人の肖像」
(これは足元の海がいいかんじなのだ~)
オーギュスト・シャポー「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
(あかりがとても心地よい絵)
フルリ=ジョセフ・クレバン「寺院」
(お告げの通りに描き始めたという摩訶不思議な絵。ちょっとコワいけど惹きつけられる)
クリスト「パッケージ」
(つい先日赤瀬川さんの本の中でクリストと対談したハナシを読んだところ!)
そういえば、話題の西洋美術館の建築家ル・コルビュジュの描いた
絵画も並んでいた。画家でもあったのね。
さすが建築家?油絵の絵の具も厚塗りで不思議な立体感があったのも印象的。
ル・コルビュジュ「静物」
写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの
1932年の写真「サン=ラザール駅裏」
これもとても気に入りました。
添えられたコトバ
「写真が私を捉える。その逆はない」に、なるほどなあ~~とうなる。
時をなぞる時系列の展示。
1945年のパネルには何も展示されておらず
そっと聴こえてくるのは
エディット・ピアフの「ラヴィアン・ローズ」。
1945年という特別なこの年を静かに考えさせらせます。。。
改めて、20世紀は戦争に翻弄されつつも、
様々な芸術が生み出された凄い時代だったのだなあ。
ポンピドゥー・センター傑作展。
面白い展示構成の展覧会でありました。
(マグリットがここに並んでいなかったのはちょっと解せないけどな~^^;)
東京都美術館にて2016年9月22日まで開催中です♪
水面を埋め尽くす蓮の葉に
真夏の不忍池を目の当たりにするのは初めてなんだと気づく。
こんなにも生命力に満ち溢れる池だったのね。
冬枯れの光景とは別世界。
子どもたちと動物園によく来たのは、そう言えばいつも冬だったからなんだな。
それにしても・・・
この厳しい陽射しの下、この不忍池の周りには夥しい数のひと、ひと、ひと。
お祭りでもないのにこんなにひとが集まっているのは、例のゲーム効果のため。
関係ないニンゲンはわたしだけ?というくらい、ただの通行人はほぼ皆無な模様。
この炎天下、なぜにわたしもこの池の周りをぐるっと歩いていたのかと言えば、
美術館に来たついでに、ふと、湯島天神にお参りしてムスメにお守りを買ってこよう・・・
と思いついたからなのであった~~。
途中、案の定、道に迷い、ひとに尋ねつつ辿り着きました。湯島天神、久しぶり。
この夏、夏期講習に明け暮れるムスメ。
学業成就しっかり拝んでおきました~。受験生の諸君!がんばれ~。