時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

たくさんのひょんなこと

2015-12-30 | essay



ひょんなことで、というコトバをわたしはよく使う。
偶然なのか必然なのかはわからない「ひょんなこと」が
わたしはすきだ。

ひょんなことでひとと出逢う・・・
人生の、うれしいサプライズ。

今は亡き母が、事あるごとに
「アンタは、ほんとにいいひととの出逢いに恵まれてるワー」
と言っていたことを思い出す。
何度も母にそう言われて刷り込まれたお蔭で
いい暗示がかかったのかもしれないなあ?

それにきっとわたしはニンゲンがだいすきなんだな。
そして、本能優先なわたし、すきだと思ったひとをキライになることはまずないので
たいせつなひととは永くご縁が続く、ということになる。

ひととのつながりをつくづくありがたく思うお年頃。
年齢を重ねるほどに実感・・・。

後悔することのないように
逢いたいひとには逢いにいこう!

ということで、2016年は、
「逢いたいねと言いつつ逢えていなかった友と逢うこと」
をひとつひとつ叶えたいなあ~と思います。

そして、相変わらず「ひょんなこと」をたのしみつつ
自分なりの速度で、それぞれにあたらしい一歩を踏み出していけたらいいなあ~
と思う年の瀬でありました。



2015年、今年も「時間のしずく time drops」を読んでくださりありがとうございました。
いろんなキーワードで辿りついてくださった方々のご縁に感謝いたします。

来年も、ゆうるりとすきなことを書いていくことと思います。
またキモチが向いたときに、読み流しにお寄りください♪
(モノ申したい!という方はメッセージ欄よりどうぞ~^^)

あたらしい一年が、穏やかで平和な年となりますように。。。

よいお年をお迎えください。

 (^▽^)/   miko.






「人生の暗号」

2015-12-29 | 本 のこと



おもしろい本を読んだ。
「人生の暗号」 村上和雄著。

この本を薦めてくださったのは「偶然の装丁家」を薦めてくださった北の国のI子さん。
ならばきっとおもしろい。と読んでみたら・・・
うんうん、そうそう、そうなんやなあ!といったかんじで
共鳴に次ぐ共鳴。

漠然と感じていたことが活字にしてあるのを見て、それだよそれ!って思うことは
今までにもあったけれど、こんなに連続的に共感するのは稀有なこと。

しかもこの「人生の暗号」の著者、村上和雄氏は高名な分子生物学者。

科学の世界のひとが、こころの不思議、人生の偶然を書くなんて
日本ではちょっとめずらしいのでは・・・?
不思議なことを、全部紐解こうとするのではなく
ニンゲンにはわからない、未知の世界の領域をきちんと認めているところが
ニンゲンらしくていいなあ。

この方は、科学者である前に宗教家でもあられるのですね。なるほど。
わたし自身は特定のカミサマを持たないけれど
「大いなるなにものか」なしに、生命体も、そして宇宙の神秘も
存在しえないということは漠然と感じている。

わたしのような全右脳ニンゲン(?)は、直感や本能優先の思考法しか持たないけれど
著者は、相反するようにみえる科学と宗教、そして右脳と左脳のバランスが
ものすごく良いとても稀少な学者さんなのでしょう。
遺伝子のスイッチをONにする・・・。
いろいろ とっても勉強になりました。


「本」は、「宝箱」のよう。
共感しても、しなくても、さまざまなヒントがぎっしり詰まってる。
ご縁あって手にしたら、フタを開けてのぞいてみよう。
もしかしたらその中には・・・
人生を変える暗号が隠されていないとも限りません!?

 


繁華街の月

2015-12-28 | essay



新宿の街の夜。この街はいつの時代も独特なヒトの波に溢れてる。
街によってヒトの波のカラーが違うのはなぜだろう。

ひとりひとりは個々のヒトなのに、一固まりの波になるとその街のカラーに染まる。
まったくアウェイな気分なのだけれど
外からみれば、わたしも新宿カラーのヒトの波のひとつぶになってるんだな。

街の上にも 月は輝く。
どんなネオンにも負けない光。
すべて作り物の街と、太古からそこにいる月。。。

ふと月を見上げて
束の間、街も自分もまた このまるい地球の上で宇宙に浮かんでいる事実を思う。

この夜は、昔の仕事仲間数人との忘年会へ。
あれから四半世紀が過ぎたけれど
ほんの数年間濃い時間を共に過ごした濃い仲間たちと
こうして時間を超えて顔を合わせて話していると、つくづく「縁」のふしぎを感じる。

今は、みんな、それぞれの道。
あの時出逢えてよかったなあ・・・と思えるそれぞれのともだち。
それぞれに、いろんなことのあった時間を超えても、同じように笑い合えるシアワセ。
しみじみと何ものかに感謝したくなるような明るい月夜でありました。

 年末なのに、葉の残る街路樹が暖冬を物語ります。


映画「きっと、うまくいく」

2015-12-26 | 映画 のこと




映画「きっと、うまくいく」(原題 3 Idiots)2009年インド映画

矢萩多聞氏のネットコラムでこの映画を賛嘆しているのを読んで、観てみようと思っていたら
ちょうど、ともだちRさんからのメールで
「きっとうまくいく」と「マダム・イン・ニューヨーク」オモシロイよ!と薦められる。

というわけで、導かれてDVDをレンタル。

これはこれは!
おもしろい!とってもおもしろい!
笑えるけど泣ける。コメディなんだけど社会派ドラマ。
インターバルが入るほど長い映画なんて久しぶりに観たなあ。
長いけれど展開が早く、飽きさせない。
愛すべきキャラの3人の物語、観終わりたくないくらい。

この映画のキーワード、『Aal Izz Well』
All Is Well うまくいく は主人公ランチョーの口癖。

映画を観終えても、頭の中から「あ~るい~ずうぇええる」が消えませんっ!! 

あ~おもしろかった!爽快・痛快・豪快・愉快!
とても充実感のある傑作です。

この映画は、特にワカモノに観てもらいたいな。
というわけで、うちの19歳大学生の息子にも薦めといたけれど観るかな。どうかな~。

 


知らないひとの夢

2015-12-25 | essay



時々、知らないひとの夢をみる。

この前、見知らぬ親子に話しかけられる夢をみた時も
目覚めた時にまだ顔を覚えていたけれど逢ったことのないヒト。

バスに乗り遅れそうになって、なぜか裸足で走るわたしを、
一緒に伴走してバスに乗り込ませてくれた若い男のひとも
見たことのないヒト。バスの窓から道路に立つそのひとを見ているわたし。

見知らぬひとなのに、顔がはっきりわかる夢って
とても奇妙なのだけれど不思議な親近感があるのが常で・・・。
どこか懐かしい気持ちになっている。

いつか遠い昔に逢ったことがあるのか。
またはこの先に出逢うことになっているのか。

夢の謎は深い霧の中を歩くよう。
謎は謎のまま、霧の中に置いておきまひょか~。

 


懐かしいクリスマス飾り

2015-12-24 | essay



うちには、ただずっと持っていたというだけで
既にアンティークとなってしまったモノがたくさん。。。
モノが捨てられないというだけのことなのですが^^;

クリスマスの飾りもそう。
わたしが赤ん坊の頃のクリスマスの写真に
既に写っているこれらのオーナメント。
半世紀超えということか。
壊れて数が減ってしまったものの、
これらのツリー飾りには、幼い頃のたのしい時間がたっぷり浸み込んでいるのだなあ。







顔もハゲハゲ、色も褪せてはいても
他の人にはただのガラクタでも
自分にはたいせつなクリスマスの飾りものです。


昔馴染みのこれらの飾りを目にすると、おのずとココロの中で回るレコードは・・・!
ドレミファブックの「ママとふたりのクリスマス」♪
毎年クリスマスが近づくほどに、この曲名を検索してブログへ漂着してくださる方が増えます。
この曲にコドモ時代のクリスマスの想い出を共有するたくさんの方がいらっしゃることに
なんだかフシギなご縁を感じて勝手ながら嬉しくなってしまいます。

過去の「ママとふたりのクリスマス」の記事へはこちらから飛べます。よかったらどうぞ→ 過去記事


子どもたちも成長し、我が家にはもうサンタさんは舞い降りてはくれませんが
今宵、耳を澄ませば空の彼方から鈴の音が聞えてくるかもしれません(?)(*^▽^)/

どなたさまにも ☆ MERRY CHRISTMAS ☆

 


咄嗟の時に口を突いて出るコトバ

2015-12-23 | essay



夢の中で
急こう配の長い坂道を
娘が自転車ですごい速さで走り降りて行き
ブレーキをかけられないままに激しく転ぶ。

坂の上からなす術もなく
「お母さんっ!」と叫ぶわたし。

自分の口から発せられた大きな寝言で目覚めた。(やな夢みたなあ・・・)

危機的状況の咄嗟の時、つい「お母さんっ!」と声を上げる癖。
これは、母の遺伝だ。

母も、わたしが小さい頃から
危機を感じると「おかあちゃんっ!」と叫んでいた。

熱いものに触れてやけどをしそうな瞬間。
お皿を落として割れる瞬間。など。

もうとっくに他界しているのに
咄嗟に「おかあちゃん!」と叫ぶ母を
フシギに思いつつ、母にも子ども時代があったんだなあと
かわいらしく感じていた。

時を経て、ひとり暮らしを始めたころから
わたしも危機に陥ると無意識に「おかあさんっ!」と声を上げるようになっていた。

離れて初めて、「母親」が自分を一番守ってくれていたヒトなのだということを
本能的に知るのかもしれない。

よくお皿やコップを割ってしまうわたし。
これから先も「おかあさんっっ!」と叫んでムスメに笑われることだろう。

そして、遠い先に
娘も「お母ちゃんっ」と つい声を上げる日が
くるのかも?しれない。


 


NO MILK TODAY

2015-12-22 | MUSICのこと



先日、T先生にいただいたブリティッシュ・ポップスバンド「Herman's Hermits」のCD。

わたしはお初。こういう60年代の軽快なポップスってすきだなあ♪♪

どの曲も明るくてたのしいのですが
「NO MILK TODAY」 というちょっと哀愁漂うコード遣いの曲にわたしはハマってしまいました。

それに。
牛乳だいすきニンゲンのわたしにはミルクが要らない日などないので
「今日はミルクはいらないよ」という唄い出しが気になって
聞き入ってしまったわけなのでした。

たかがミルク。されどミルク。深いなあ。

「NO MILK TODAY」♪ 古いのにわたしにはあたらしいお気に入りの一曲です。

 


サンタ~ルチ~ア♪

2015-12-21 | MUSICのこと



「お母ちゃん、サンタルチアって持ってる?」
と、娘。

おや?めずらしいことをおっしゃる。もちろん持ってますがな。
わたくし、カンツォーネもだいすき。(これは母の影響です)

音楽の授業でサンタ・ルチアを独唱するテストがあるのだそうだ。

それでは!とおもむろにかけるCD「INCANTO」。
神の唄声、だいすきなアンドレア・ボチェッリの唄う「SANTA LUCIA」は格別!

かくして、何度もリピートして
ボチェッリに倣ってサンタ・ルチア1番を熱唱しまくる娘13歳でありました。

なるほど、カタカナでルビふったイタリア語で唄うと気持ちいいもんですね♪


  


二度寝でみる夢は。

2015-12-20 | essay



二度寝したときにみる夢は
とてもリアルかつ、願望そのまんまなことが多いような気がする。

娘の部活の遠征試合で
お弁当を持たせて送り出した早朝。。。
あかん、ねむい。。。 もう一度ふとんに潜り込む。

いい夢みた~。

どこかの赤ちゃんをうちで育てることになって
みんなでふわふわのほっぺを触りまくる。
彼女がにっこり微笑むたびにとろけそうな気持ち。

夢にありがちな、いつの間にか場面は一変。
今度は犬を飼うことになって、
うちの中をぴょんぴょん子犬が飛び跳ねて走り回る。

ああなんてカワイイの!もっと早く飼えばよかった~!と思ってるわたし。

目覚めたくなかったなあ~
赤ちゃんはともかく(笑)
犬、飼いたいなあ。
我が家では、長男の犬&猫アレルギーのため、遥か昔に断念したのであ~る。

二度寝の夢は、「夢」を束の間 実現させてくれる夢なのでありました。

 


映画「海賊じいちゃんの贈り物」

2015-12-19 | 映画 のこと

洋画好きともだち三人で、「海賊じいちゃんの贈り物」を観てきた。
原題「What We Did on Our Holiday」2014年イギリス映画。

ちょっと辛辣だけどハートウォーミングなヒューマン・コメディといったところ。

随所に笑いつつ、涙もぽろぽろ。

オトナの本音と建前。避けては通れぬヒトの生き死に・・・。
大真面目ゆえの滑稽さに、ニンゲンらしさが浮き彫りに。

そして、ピュアさゆえに痛いところを突くこどもたちの鋭いコトバに
大人はあっさりバッサリ切られます。

この映画を観ているオトナはみんな
自分の行いをちょっと反省されられてしまいますねえ。


バイキングの末裔のおじいちゃん。

想い出の積もったたいせつな場所で
こんな、人生最後の日を迎えられたらしあわせだろうなあ。。。

スコットランドの壮大な風景も見モノです。

 


古い時間の積もる部屋

2015-12-17 | essay







何度訪れても変わらない古い時間の積もった場所。奥野ビル306号室。(旧スダ美容室)



ひょんなことで出逢ったMちゃんとの再会ランチで
いろんな話をするうち、共通の場所に数多く足を運んでいるとわかった。

彼女は都内の庭園巡りにはまっているそうで、
わたしは近代建築物巡りがすき。お邸と庭園は切っても切れないセットだもの。

やはりすきなものは、知らぬうちにひととひとを結びつけるのねえ。
おもしろいものだ。

奥野ビルの話をしたら、興味を持ったMちゃん。
ちょうど銀座に用事があるということで
ふたりで表参道から銀座へ移動。

銀座に残る手動エレベーターに驚く彼女。
閉まってるかなあ・・・と訪れてみた306号室。
イベントの開催前だったようなのに、スタッフの方が中へ入れてくださって
久しぶりにあの空間の空気に触れる。

積もった時間をたいせつにそのままに保存するプロジェクト。
すばらしいなあ。

いつまでもそのままで・・・と願います。


 


出逢いのふしぎ

2015-12-16 | essay



思うところあって、とある国家試験に独学で挑むこと三年目。
この冬、ようやく合格通知を手にしました。

実技試験会場で、一科目終了後、終わった脱力感から
隣りの席の女性に「おわりましたね~~~」とにっこりコトバをかけたことから
話が盛り上がり、妙に息が合って
個別の試験まで4時間余りの待ち時間の間、街を歩いてカフェでお茶タイム。

あれやこれやといろんな話題に花が咲き
初めて逢ったひとといるとは思えないほど
リラックスした待ち時間を共有できたことで
実技試験も柔軟な気持ちで受けられたように思います。
彼女に出逢えた幸運に感謝~。

試験会場を後にする時に
互いに合格したらお祝しよう!と固く約束。
そして、やっと彼女もわたしも、同じく三度目の正直の合格通知を手にし
晴れてお祝ランチで再会となりました。

表参道にあるおいしいオイルフォンデュのお店を彼女が予約してくれて
またもや話は尽きずたのしい再会の宴となりました。野菜たっぷり!美味でした!



ひととひとの出逢いってものは。。。
つくづく不思議でオモシロイ。
人生のあちこちに用意されているいろんな出逢いは
天からのゴホウビなんじゃないかなあ~と思う。

これから先、いい情報交換のできるともだちになれることでしょう。
ありがたいことです。

いろんなひと、いろんなモノ(本やアートや音楽、映画、感動する景色などなど)から
たくさんの刺激をもらうことは
自分にとって、なくてはならないタマシイの栄養源。

いろんなことを吸収したいヨクバリなわたしの
ココロのドアはいつでも開放中です(笑)

 


ゆめみる街

2015-12-15 | essay



クリスマスが近づくと、銀座のイルミネーションやショーウィンドウをみて歩きたくなる。

いろんなクリスマスの想い出がねむってる夢の街。

 いつも斬新な「和光」のウィンドウ。



地下鉄通路のちいさなウィンドウ。
あちらにもこちらにもクリスマスのディスプレイが並びます。

どっちを向いても華やかなこの季節。こころの温度もあがります♪

 


一瞬の記憶

2015-12-14 | essay



二十歳前後、まだ家族で東京湾のそばのマンションで暮らしていた頃、
よく父にJAZZ BARに連れて行かれた。
あの頃、父のお気に入りのお店はあちこちの街にあり
どの店に行っても、何も言わずともさっとボトルが出てきて
父の常連さんぶり、遊び人ぶりには驚かされたものだ。

ある夜、父に連れられて行った赤坂のとあるJAZZ BARでは
銀髪の素敵な老紳士たちが熟練の渋いJAZZを奏でていた。

父が席を外し、ひとり もの想いに沈んでぼんやりしていたわたしに
老紳士のひとりが演奏しながら
にっこりと微笑んで無言で小さく頷いてくれた。

あのとき、自分が何を想っていたのかも、今も覚えている。
きっと、わたしは今にも泣き出しそうなコドモのように見えたことだろう。

慰めるようににっこりと頷いてくれたおじいさん。

何も語らずとも、みえない握手をするような瞬間。

雨雲のかかりかけたわたしのココロから
どんどん雲を追い出して陽転する手助けをしてくれたようなあの一瞬。

ほんの数秒の出来事の記憶でも
忘れられないたいせつな瞬間が人生にはあるものだ。





メッセージ♪

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