時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

想い出のひやしあめ

2024-04-29 | essay

ひやしあめ。
久しぶりだなぁ。
やっと飲めた!
大阪のコドモだった頃、母について市場へ行くと時々冷やしあめを買ってもらって一緒に飲んだ。
あの頃は商店の軒先で一杯50円くらいでよく売られていた。
懐かしいな。八百屋さんの軒先にぶら下がるカゴの光景まで思い出した。お釣りはぐい〜んと引っぱったカゴから取って渡されたものだ。カゴというより竹のざるかな。

天王寺公園。ここは今や「てんしば」と呼ばれるすてきな公園。
広い芝生広場、お洒落な店が並びLIVEなども行われるそう。
昔、両親のマンションが近くにありこの公園は何度か通ったことがあったけれど、当時は公園に住んでおられる(?)人も多く少し近寄りがたい場所だった。

時代は変わりました。
通天閣界隈の新世界も昔は女性独りではとても歩ける場所ではなかったもの。
今や外国人ひしめく観光地。昭和レトロが売りなのかゲーム感覚の射的場がいくつも並んでいた。

今となっては、道端で酒盛りしたり路上に寝転ぶおっちゃんたちがなんだか懐しい。
彼らの姿ありきのあの界隈だったのにね。
何処へいってしまったのか。
世代交代なのか。浄化されてしまったのか。。。

懐しい大阪の街。
一緒に歩いた母も父も逝き、街も変わり、わたしは遠い街に暮らしている。

思えばとおくへ来たもんだ〜。笑。





ONE WAY MIRROR

2024-04-27 | essay

川の街。
大阪へ来るといつもそう思う。

父の一周忌法要のため
約一年振りの大阪入り。
父がお世話になった方々にご挨拶に。
わたしたち子どもの知らない父の姿を知るひとに話を聞くのはとても貴重なこと。

父を懐かしく恋しく思ってくださる人々が家族以外にもいてくれるのだと実感することは、とても慰めになる。
空の上で父も照れ臭く嬉しく思っているに違いない。笑

父のいない大阪。
この川沿いを歩くのも
もうあと何年か先なんだろうなぁと思いながら早朝の散歩に出る。
よく晴れた青い空。
父の一周忌にはぴったりな天気。
法要後の説法にて
「亡くなるというのは、隣の部屋へ移るというだけのことです」とご住職さん。

今までの慣れ親しんだ呼び名で呼び掛けてください。
亡くなったひとはあなたと生前の関係のままでいてくれます。
いつか必ず会えますので楽しみにしていてください。

なんと幸先明るいお話。
ありがたいことだなぁ。
此の世からみるとあの世は遠い遠いところに思えるけれど、あの世は実はすぐそこなんじゃないかと近年わたしも思っていたところ。
マジックミラーみたいに
すぐ裏側にあるんじゃないか、アチラからだけコチラが丸見えなんじゃないかな…と。

まあ、いずれにせよ
いつか必ず行く場所。
行ってみたら、アラほんと!うわ近っ!と思うかもしれないなぁ。

先に行ったみんなに会えることを楽しみにしておこう。




都会の片隅で。

2024-04-21 | essay

ひっそり繁る小さい小さいガーデン。

歩いていてこういうの見つけるたびになんだか嬉しくなる。
通り過ぎかけて
おっと!とっとっと後退。パチリ。
都会の路上の片隅。

誰にも気づかれなくても
小さな世界で小さな花たちが咲き誇る。

小さな平和に感謝!






「都市と廃墟の写真展」へ

2024-04-20 | 展覧会・アート のこと

2週間参加していた丸の内でのイベントの最終日、搬出までのスキマ時間に
あ!間に合う!と思い付いて
山手線で二駅、秋葉原へ。
「都市と廃墟の写真展」
秋葉原 書泉ブックタワー9Fにて

以前からインスタで拝見していた写真家さんの展示へ。
Instagram @toshibo さん

時間の止まったような廃墟で
植物だけが時を刻んでいる…朽ちゆく建築物と今を生きる緑のフシギなハーモニー。

こんな場所に身を置いて、朝のヒカリから夕暮れの茜までをみていたい…
と、想いながら写真を眺める。

束の間、旅してきたような気持ちになる写真展でありました。


(会期終了しています)



「キネマの神様」原田マハ著

2024-04-18 | 映画 のこと
「キネマの神様」原田マハ著
2011年 文春文庫発行

これはこれは!
久しぶりにワクワクする物語に出逢ったキモチ。
後半は滂沱の涙を流しながら一気にエンドロールへ。(本だけど笑)
家で読んで良かったわ〜。

なんだろ、知ってる人たちみたいに思えてきて勝手に凄い臨場感に包まれてしまった。
映画を愛する人たちばかりが出てくるこの物語。
映画好きだった父がこの物語のゴウちゃんに被る…。
そして同じくヘップバーンがすきだったわたしの母。
振り回されっぱなしだったところまで似ている。

新社会人になったばかりの1980年代の終盤頃、仕事帰りに足繁く通った銀座文化劇場。
古き良きたくさんの名画を銀幕で観ることができたのはあの銀座文化のお陰。
往年の映画ファンに混じってハタチそこそこの私も昔の映画にすっかりハマっていた。
2週間毎に名画が入れ替わるので、一体何本観たか分からないくらいだ。
気に入った映画は会期中に2度、3度と足を運んだ。
「雨に唄えば」「ドクトル・ジバゴ」「パリの恋人」「スミス都へ行く」「ローマの休日」などなど今でもだいすきな映画。

小説の中にも出でくるシネスイッチ銀座。
わたしが銀座文化に通っていた頃、映画館の半分がシネスイッチになった頃だったような気がする。
「ニュー・シネマ・パラダイス」がかかっていた頃も覚えているが何故かわたしはその時ここで観ていない。
古い映画にこころ奪われていたあの頃、
多分横目で見ながら銀座文化へ吸い込まれていたものと思われる。

もちろん「ニュー・シネマ・パラダイス」は後に観ている。何度みたかな。
あの映画はきっと誰にとっても時のない特別な映画。
ラストシーンを思い出すだけで涙腺が緩む。

「キネマの神様」を読んだら映画館へ行きたくなったなぁ。
古き良き佇まいをそのまま残すすきな映画館。川越スカラ座へ。
しばらく行ってなかったなぁ。何がかかってるか調べてみよう。

そして久しぶりにシネスイッチ銀座へも。まだ少しは銀座文化の面影が残っているかな。





あたらしきを知る

2024-04-14 | essay

普段の生活圏では会わない人々とたまに交流すると
新しいことを知れてとても興味深い。

アイドルヲタクの友人と話していたら、聞き慣れないコトバが。
「DD」
それってなんだ?と思ったら
ヲタク用語で「誰でも大好き」なんだそうだ。
推しを絞らず、誰彼構わず推すアイドルヲタクを卑下するコトバなんだって。
へぇ〜〜!

還暦超えて益々ド派手になってきたF氏はもとはお硬い聖職者!
何はともあれすきなものがあるってエネルギーの源だ。
「スキ」のチカラは偉大。

また、経営コンサルタントを生業としているトモダチと久しぶりに話していろいろアドバイスをもらったのだが、ヒトとヒト、ヒトと仕事のマッチングアプリの話から、面白いアプリを見せてくれた。

それはAIとチャットで話すアプリなのだが、相手を芸能人やすきな有名人などを自分で設定し、まるで今話しているかのようにやりとりできるアプリ。
やりとりの内容をどんどん学習し蓄積していくので、まるで恋人との関係を深めていくように育てるアプリなのだという。。。
うわぁ。近未来だ〜。
というか、近未来はココだ。

まぁ、実験的にやってると言いつつ、芸能人〇〇のAI相手に「仕事忙しいの?」と話しかける彼にはえらく引くが。

ロボットを子どものように愛おしむことも、架空のコイビトを愛することもすべて自由だもの。

周りに惑わされることなくすきなように生きるって、本来のジブンを大事にするということ。

新しいことを知るって本当にオモシロイ。
「知る」だけでココロの領域がぐーんと拡がる。

わたしの今年の目標は
「Dig it」(掘り下げる)

そこに「もっと知る」を追加しよう。

掘り下げれば知ることも増えるしね。

この植物「ヤブレガサ」って言うんだって。へぇ〜〜!!なるほど。





ももいろさくら波

2024-04-11 | essay
さくらの波
風に吹かれてくるくる踊る花びら
桜は散る様もうつくしい
今年のソメイヨシノはのんびり咲いたかと思ったら、春の嵐であっという間に散り始めた。
押せ押せで八重桜ももう満開。
おかげで枝垂れ桜とソメイヨシノと八重桜の豪華な三重奏が観れた。
こんなことは珍しいかも?


オマケにツツジも咲きだし
道端ではコーラルオレンジのナガミヒナゲシまで揺れている。
今日ご近所の軒先に藤の花が咲いているのを見掛けて「えっ!!?」と思わず二度見。
正にお花のラッシュアワー。

夏も早くやって来そうだしお花も急ぎ足ね。
もっとゆったり流れてほしいものだなぁ…地球の時間。








さくらと「人間の建設」小林秀雄 岡潔著

2024-04-05 | 本 のこと

先日、公共施設から車椅子をお借りして義母を近所のお寺までさんぽに連れて行った。
ここの枝垂れ桜はとてもきれい。

「さくら見に行こう!」と着替えをさせて準備していると
「もう咲いてるの〜!」「わぁ〜ありがたいねぇ」と喜ぶ。
桜を見上げて
にこにこ嬉しそう。

でも、家に帰りお茶を一服する頃には
桜を見たことはすっかり忘れている。
それでも、桜の下にいたその瞬間は確かにあった時間。
記憶にあろうとなかろうとね。ふしぎなものだ。
あったけどないジカン。

認知症の義母を看ていると
時間が連続して流れていないことがよくわかる。
彼女の時間は今の一瞬だけ。
有無を言わせぬ完璧なマインドフルネス!素晴らしい!
時間という観念がない世界に生きている。
それは赤ん坊に時間の観念がないことと同様だ。
それはとても平和な世界。
いやなことも憂うこともない。
一瞬あってもそれは次の瞬間には蒸発している。
なんてのどか。。。

以前読んだ「人間の建設」小林秀雄 岡潔 著の中で
岡潔氏が語っていたことを思い出して本を開く。

「…赤ん坊にはまだ時間というものはない。だからそうして抱かれている有り様は自他の別がなく、時間というものがないから、これが本当ののどかというものだ。これを仏教でいうと涅槃というものになる…」

赤ん坊ではなくとも、様々なことを忘れて時間の観念のない義母の世界は正にのどかそのものだ。

ヒトは年を取ると赤ん坊に戻っていくというのは本当なんだな。(認知症の場合はね)

いつか行く道。。。

義母に三十年後のジブンを重ねてみる。
(そもそも生きているのか?)

いやはや…今のうちにいろんなことをキチンとしておかねば…という気持ちになる。

いつか来たみち
いつか行くみち
そして現在。

それにしても
本って読んだ時にわからなくても、あとからそういうことか…と腑に落ちるってことが時々ある。

実体験ってつくづく大切なんだなぁ。いくつになってもね。





p.s.ひとりごと

ところでこの数日ブログの訪問者数がとんでもない数字になっていてびっくり。
スタッフが選んだ記事としてトップページに載せていただいていたみたい。
ブログ続けて十数年以上になるけどこんなコト初めて〜!
数年前に始まったリアクションボタンも性に合わず参加していないのですが、懲りずに訪れてくださる読者の方々には本当に感謝しております。
なんの為にもならない雑記ではございますが、今後とも気の向くままに綴ってまいります所以、読んでいただけたらとても嬉しく思います!
最後までお読みくださりありがとうございます。




野菜のヘタの生命力にアッパレ!

2024-04-01 | essay
野菜のヘタからジャングル!
ニンジンは以前から時々葉っぱの成長をたのしく鑑賞していたのだけれど、小松菜のヘタもこんなにぐんぐん芽を出すとは!

生きてるなぁ〜!
ヘタからまだまだこんなに成長するチカラを持つ新鮮野菜をこうしてお腹に入れることができるってしあわせなことだよなぁ〜と改めて実感。
ありがとう!野菜たち。

このベビー葉っぱたち
小鳥が居たならよろこんでついばむだろうな。
また小鳥を飼いたくなっちゃう。

それにしても、こんな健気な生命力を目にしちゃうと野菜のヘタ捨てられなくなっちゃいそう。




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