時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

折り返してる?

2014-12-10 | essay



気がつけば、もうすぐ50代に手が届く。

人生の折り返し地点はとっくに過ぎているはず。

終点が定かではないから、どこが折り返し地点だったのか
終わってみないことには分からないけれどね。

小学生の頃まで関西育ちだったわたし。
すっかり、標準語に直してもう何十年も経つというのに
先日、時々行くお肉屋さんで注文していたら

お店のおばさんに

「奥さん、生まれはどこ?」 って訊かれて驚いた。

「あれ?関西ですけど・・・?」 と答えると

おばさんは、ああやっぱり!と にっこり。

「三つ」というコトバのイントネーションが関西バージョンだったらしい。

近頃、矯正したはずの大阪弁イントネーションが
勝手に蘇ってくることが多くなった。

長い長いこと、コトバを口から出す前に
いちいち検閲機能を通して標準語に変換する という作業を知らずにしていたのではないかな。 

だんだん、年齢を重ねるといろんなことが どんどんアバウトになってきて
検閲機能が衰えてきたのではないか?

ちょっと気が緩むと、関西イントネーションの方がラクだということに気づいてしまった。
産まれて最初に覚えたコトバだからね。関西弁ネイティブ?

これも、自然回帰かな。

とっくに人生折り返して
ちいさい頃の、なんにも枠のない自分へとまっしぐらに帰ろうとしているのかもね~。

 


居場所さがし

2014-12-08 | essay



誰もが 居場所を探してる。

ここでもない。

そこでもない。

どこか別の場所。

「 いつか。 どこか。 」


「 いま。 ここ。  」  ってのも 

選択肢のひとつなんだけれどな。 近すぎて、案外みえないんだよね。


 


「尾辻克彦×赤瀬川原平~文学と美術の多面体展」

2014-12-07 | 展覧会・アート のこと



行こう行こう!とたのしみにしていたのですが・・・
この展覧会が始まってから
会期中に亡くなられた赤瀬川さん。

やっと行ってきました。「尾辻克彦×赤瀬川原平~文学と美術の多面体展」
 in 町田市民文学館ことばらんど。

町田市は赤瀬川さんが暮らしてらした街なんだね。
初めて降り立つ街。

坂道のある街を好んだという赤瀬川さん。
なるほど、電車から見える景色は山並みが連なり
アップダウンの多い街なんだなあ。

赤瀬川原平さん。
オモシロイ上に温かい、そしてとても繊細なお方だったのでしょうね。
文章や、撮る写真から、ダイレクトにお人柄が伝わります。

お逢いしたこともないし、遠い世界のひとなのに (今となってはもっと遠い・・・)
なぜなのか、不思議にとても近く、わたしには
「近所のおっちゃん」のように感じるだいすきな芸術家なんですね。

赤瀬川さんのたのしい文章や、オモシロイ写真は
いつも、肩に入った「余計なチカラ」を抜かせてくださいます。

「尾辻克彦」として執筆されたものや、「路上観察学会」としての写真集などなど、
まだ手にしたことのない本もたくさんあって、
ゆっくり、ひとつひとつ読んでいくのがたのしみです。



町田の展覧会は2014年12月21日まで。
千葉市美術館でも「赤瀬川原平の芸術論展」開催中です。こちらは28日まで!


 町田の青い空に ご冥福をお祈りいたします。

 


青の月

2014-12-05 | essay

 いつかみたよな おつきさん。

このくらいの色の青に浮かぶ月がすきだ。

濃い藍に光る月より なんだか親しげ。

近くに降りてきそう。
なわけないケドね。

 


古いモノ好きな体質

2014-12-05 | essay



古書。すきなもののひとつ。

お店のお休みにふらっと行って見始めて、
ちょっと足が疲れたなア と、腕時計をみたら
なんと、到着してから3時間も経過していた!
自分でもびっくり。 新幹線なら大阪到着だ。

すきなものの中にいると、時間の概念がなくなってしまう。
大量の本の中を漂う時間のない時間。。。すきだなあ。

読みたい本をいろいろと掘り出してきました。

最後に、なんかいいのあるかな~?
と、レコードコーナーへ。

うわ。いいの見っけちゃった。
JAZZの大御所揃いのレコード10枚セット。
実はこのシリーズのオールディーズ版を昔母が買って
今は、わたしが持ってる。

「THE GOLDEN AGE IN JAZZ」というBOX入り。
クリフォード・ブラウン、ソニー・ロリンズ、スタン・ゲッツ、ビル・エヴァンス etc.etc.
これで1200円。買いでしょう!

10冊もの本を既に選んだあとで、レコード10枚かあ・・・・。持てるのか、自分??
いや、これも出逢い。買わずに帰ってもきっと後悔する。

会計に持って行ったら おじさんに、「送る?」
と、言われてしまった。 う~ん。歩ける距離なのに送料500円はもったいない。
それならあと2~3冊選びたいよ。

いえ、がんばります!と言うわたしに、「力持ちだねえ!」と おじさん。
そのために、リュック&エコバッグで来たのですよ~。

雨も降りだしてきたので、そのままついでに夕食の買い物もして
戦後闇市の買い出し帰りのオカアサンのようないでたちで
てくてくと帰りました。

早速、買ってきたレコードの一枚目からかけてみながら
熱いホットミルクで ほっ。

古い本・レトロ雑貨・古レコード。。。
ささやかな、ちいさいシアワセをたいせつにしたいお年頃です。

 

 


どんぐりのメッセージ

2014-12-04 | essay

先日、次男坊のともだちがお見舞いに訪ねてきてくれた。

「これ、Kに渡してください」 と差し出されたのは
きれいにラッピングしてあるいろんな種類のどんぐりと、どんぐりの本!

全部、森で拾いました~。 と にっこりほほ笑むカワイイ彼は、
「森の家」の住人、ともだちの息子だ。

彼らしい、彼ならでは!の森の薫りのお裾分け。

うちの次男と彼とは、小学校一年生で出逢ってから
探検遊び、川遊び、たけのこ掘り、田植え、稲刈り・・・などなど
母子ぐるみで何かと土の薫りで結ばれたともだちだ。

小学校4年生の時には、丸一週間
山奥の森のテントで自炊して暮らすサバイバルな子どもキャンプにも共に参加した仲。

六年生辺りから、例にもれずゲームや街の遊びの面白さに傾倒してしまった我が家の次男と
自然派を貫く彼とは、少しずつ距離が開いてしまったけれど。。。


不登校は卒業したものの
まだまだ、現代社会生活に戻るには「リハビリ」と時間が必要なうちの次男坊。

次男のともだちは、やさしいまっすぐな瞳でほほ笑みながら
「やつのことは、昔から知ってるから、よくわかってますから。」
と、次男と会おうとはせず、どんぐりと本だけをわたしに託して帰って行った。。。

共に 16歳。 すっかり大人になったんだなあ。

久しぶりに彼に会ったうちの大学生・長男も、
「オレより年上にしか見えねえ!!」と驚くほど、しっかり自分を持っている高校一年生の彼。

彼の優しさが嬉しくて、彼の母であるともだちに連絡をすると

 「あの子なりの、いつかまた森を一緒に歩きたい、っていうメッセージなんだと思うわ」 と、母。

森でいろんな種類のどんぐりを拾い歩き、虫が出てこないようにレンジで熱を加え
羊毛でひとつひとつ磨いていたそうだ・・・。
(中学生の弟に、お見舞いにどんぐりなんてヘン!と云われつつも(笑))

自分の内側の世界を向いたままの、ともだち甲斐のない、うちの次男坊Kのために
羊毛でちいさなどんぐりを磨く彼の姿を想うと
わたしはなみだが溢れて仕方がなく、ありがたさにどんぐりを撫でてみるばかり・・・。

いつか、 きっと届く。

彼らがまた共に、自然の木々の下を、川辺を、歩いていく後ろ姿を想い浮かべる。

光溢れるカラーで想像できるから、だいじょうぶ。 きっと実現する。

親が出来ることなんて、信じて待っていてやることくらい。


いつの時代も そんなものなのかもしれない。





ふしぎな木の花

2014-12-03 | essay



ふしぎな花をみつけた。 「ゴンズイ」って木に名札がつけてあるからそうなんだな。

初めてみる。 花というより、既に実なのかな。 

黒い粒がもしかしたら黒スグリみたいにおいしいかも?

ちょっとつまんで食べてみたい気持ちに駆られたけれど止めておいた。おとななので。

食べてもいいものなら・・・今度ちょっとつまみに行きます。


 


気のせい?

2014-12-03 | essay



「気のせい」 って 実は深いコトバだ。

病は気から とか
気配 とか。

「気」は目にはみえない底知れぬパワー。


なんでも 「気のせい、気のせい、だいじょうぶだいじょうぶ!」
で済ませてしまうことが多いわたし。 

これは・・・長所なのか? 短所なのか・・・?

実は気のせいではない実体のある大事なことも
たくさん見落として生きてきたのかもしれぬ。 とハタ と気づく。

けれど、過ぎたことは仕方がない。

やっぱり 気のせいということにしておこう。 




サクサク歩く

2014-12-02 | essay




落ち葉の積もる季節になるといつも思い出す光景がある。


亡くした母が、2歳頃のわたしの長男の手を引いて
舗道の端の落ち葉の積もった上を
カサカサカサと大きく足を踏み鳴らしながら歩いていた光景。

母はたのしげで、息子はきゃっきゃと喜んで、
落ち葉を巻き上げるくらい元気よく足を上げて私の前を歩いていくふたり。

その音と、感触が たのしくて、たのしくて
長男はいつも道路の端の積もったフカフカの落ち葉を選んで歩くようになったものだ。


あれからもう随分時間は経ったけれど、
この季節に街路樹の下を歩く時には、イヤホンを外して音楽を止めて
わたしも積もった落ち葉を選んで歩く。

サクサク。カサカサ。ザザザ。いい音。

おちゃめなおばあちゃんだった母の笑顔が
落ち葉の音に重なる。

わたしも、こうやって積もった落ち葉を踏んで歩くの すきだなあ。

ついこの前、そうしていて気がついたのだけれど
そういえば、自分もこうして子どもの頃から積もった落ち葉を選んで歩いていたんだよね。

ということは・・・・

わたしが小さい時にも、
あんなふうに手を引いて、落ち葉の上を歩いて
こういう楽しさを教えてくれたのは母だったのかもしれない。

落ち葉を踏む音で 思い出すあの光景は
母と、ちいさかった自分の光景でもあるのかもしれないなあ。

 


雨の蚤の市

2014-12-01 | essay


東京蚤の市 at 京王閣 へ。 着いた頃にはどしゃぶりの雨。

屋内の古書通りをゆっくりみているうちに
雨も上がって来た。

 雨と 器と イチョウの葉っぱ。

古いものだからね、雨くらいどうってことない って逞しさがいいね。

 

 



今回の収穫ブツは・・・! たまら~~ん東欧モノが多し。

 



 チェコスロヴァキア時代の古切手もすきなんだなあ。

切手集めに夢中になっていた小学生の頃のわたしのスタンプ帳にも
お気に入りのチェコスロヴァキアの切手が大事にしまってある。
すきなものって、何十年経っても変わらないってことなのね。

古いものたち。時間が少しずつ積もって
どんどん味わい深くなっていく。

たまたま、縁あってわたしの手元にやってきたモノたち。
さあ、どんなふうに息を吹きこもうかな。

 

 


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