80年前の早暁に・・・・
父親が元気だった頃に、毎年2月26日の朝には毎年同じ話を繰り返して話していました。
遡ること80年も前の話ですが、当時埼玉の浦和に住んでいた父親の一家の出来事でした・・・
当時、浦和の高砂小学校の一年生であった父は、祖父に国の一大事の一言だ、とたたき起こされると、外は一面の雪景色・・・
小学校は休みになり、当時の逓信省に勤務していた祖父は仕事に行かれなくなり・・・
何事かと小学生の身ながら大人たちの雰囲気に押され、親兄弟に無断で膝まである雪にかまわず浦和駅頭に出かけると・・・
憲兵が銃を肩にそれはそれは、ものものしい気配だったとか・・・・
当時の、浦和の男子小学生の遊びとは、学校が終わると浦和駅に出かけて改札をくぐり、省線(今の山手線)を一周して帰ってくるのが、遊びだったそうな・・・
祖父は、逓信省に勤務する官僚でしたから、日本を揺るがすクーデターということを認知していたのだと思いますが、通勤する手段も無くて、しばらくは蟄居していたことと思います。
祖父も草葉の陰から、80年も経った埼玉の辺境の地で、孫がラブラドル犬を三頭も連れて元気でいることを応援していることと思います。