昨日は年に一度のアマチュア無線趣味の集まりである「ハムフェア2019」がビッグサイトでありました。
還暦を超えてしまうと、「生存確認」のアイボールの意味もありますが・・・
昭和の時代は晴海の展示場で開催していましたが、平成に入りビッグサイトでの開催になりました。
子育てや介護の時代にはなかなか行けませんでしたが、ようやく毎年の楽しみになりました。
例年は早朝から出かけて列に並んでいましたが、もう加齢臭でたまりません。(自分の事を考えていませんが・・・)
そんなわけで、午後からの参加になりました。
当地からは、電車を乗り継いで一時間半の所用時間です。
新幹線ならかなり遠距離になりますがしかたがありません。
昭和の時代にはいろいろなジャンク品がありましたが、だんだんと上品になってきたような気がします。
でも、大手メーカーのブースには見目麗しいコンパニオンの方がいるようなので、お爺さんたちにはたまらないようです。
もう、例えるなら花の蜜に集まる虫の様です・・・
年金を新しい無線機に費やすと家に帰ってからが大変ですよ!!!
でも、観察していると自作や自分で開発したキットを販売している個人のブースを見ると、黒山の人だかりです!!
やはりまだ、ハンダゴテを握る方が多いのかなと思います。
今回の帰りの荷物は、探していた特殊な変換コネクター5個、探していたQSTのバックナンバー3冊、ROM1個のみでした。
若い頃には一日中ジャンク漁りをして両手に荷物を持っても大丈夫でしたが、もう還暦過ぎでは2時間ブラブラしていると疲れました。
会場の窓際に座るのにちょうどいい高さの段差があったので座って目の前の有明埠頭を見ていたら、船尾に大きなガントリークレーンを持つ4,000トン級の船が係留されているではありませんか、見覚えのある海洋調査船の白鳳丸でした。
でも、40数年前にアルバイトで乗船した時より一回り大きくなったような・・・
でも私自身にとっては、アルバイトで乗船した最初で最後の機会だったので、その頃にあったいろいろな事を思い出して涙ものでした(泪)・・・・
帰宅してからGoogleで検索してみると、私の乗船したのが初代の白鳳丸でした。
昨日見た白鳳丸は2代目の白鳳丸。
白鳳丸の本年度の運行予定を見ると、運行30周年で、来週からは南海トラフ地震の調査や世界一周の海洋調査に出かけるようでした。
そういえば、あの時のアルバイトは海底地震計を設置する手伝いだったことが、おぼろげながら記憶の底から出てきました。
船尾にあるトローリング用のクレーンでクジラでもトローリングできそうなことを夢想したことを思い出しました。
夕刻からは、例月の講師担当者の懇親会ということで、50人ほどの懇親会がありました。
たまたま同席したOMは、40年以上も前の沖ノ鳥島のペディションの団長の方でした。
私は当時学生でしたが、世の中には南太平洋まで出かけて世界中に電波を出すOMもいるのかと驚いていました。
お話を伺ってあっという間の2時間でしたが、たかがアマチュア無線ですが半世紀近く続けていると、良い意味で趣味に嵌ってしまったなとつくづく思いました。
昨日の白鳳丸や沖ノ鳥島ペディションの見聞きから、還暦過ぎの爺に「まだやることがあるから頑張れよ!」とエールをいただいたような気がした一日でした。
還暦を超えてしまうと、「生存確認」のアイボールの意味もありますが・・・
昭和の時代は晴海の展示場で開催していましたが、平成に入りビッグサイトでの開催になりました。
子育てや介護の時代にはなかなか行けませんでしたが、ようやく毎年の楽しみになりました。
例年は早朝から出かけて列に並んでいましたが、もう加齢臭でたまりません。(自分の事を考えていませんが・・・)
そんなわけで、午後からの参加になりました。
当地からは、電車を乗り継いで一時間半の所用時間です。
新幹線ならかなり遠距離になりますがしかたがありません。
昭和の時代にはいろいろなジャンク品がありましたが、だんだんと上品になってきたような気がします。
でも、大手メーカーのブースには見目麗しいコンパニオンの方がいるようなので、お爺さんたちにはたまらないようです。
もう、例えるなら花の蜜に集まる虫の様です・・・
年金を新しい無線機に費やすと家に帰ってからが大変ですよ!!!
でも、観察していると自作や自分で開発したキットを販売している個人のブースを見ると、黒山の人だかりです!!
やはりまだ、ハンダゴテを握る方が多いのかなと思います。
今回の帰りの荷物は、探していた特殊な変換コネクター5個、探していたQSTのバックナンバー3冊、ROM1個のみでした。
若い頃には一日中ジャンク漁りをして両手に荷物を持っても大丈夫でしたが、もう還暦過ぎでは2時間ブラブラしていると疲れました。
会場の窓際に座るのにちょうどいい高さの段差があったので座って目の前の有明埠頭を見ていたら、船尾に大きなガントリークレーンを持つ4,000トン級の船が係留されているではありませんか、見覚えのある海洋調査船の白鳳丸でした。
でも、40数年前にアルバイトで乗船した時より一回り大きくなったような・・・
でも私自身にとっては、アルバイトで乗船した最初で最後の機会だったので、その頃にあったいろいろな事を思い出して涙ものでした(泪)・・・・
帰宅してからGoogleで検索してみると、私の乗船したのが初代の白鳳丸でした。
昨日見た白鳳丸は2代目の白鳳丸。
白鳳丸の本年度の運行予定を見ると、運行30周年で、来週からは南海トラフ地震の調査や世界一周の海洋調査に出かけるようでした。
そういえば、あの時のアルバイトは海底地震計を設置する手伝いだったことが、おぼろげながら記憶の底から出てきました。
船尾にあるトローリング用のクレーンでクジラでもトローリングできそうなことを夢想したことを思い出しました。
夕刻からは、例月の講師担当者の懇親会ということで、50人ほどの懇親会がありました。
たまたま同席したOMは、40年以上も前の沖ノ鳥島のペディションの団長の方でした。
私は当時学生でしたが、世の中には南太平洋まで出かけて世界中に電波を出すOMもいるのかと驚いていました。
お話を伺ってあっという間の2時間でしたが、たかがアマチュア無線ですが半世紀近く続けていると、良い意味で趣味に嵌ってしまったなとつくづく思いました。
昨日の白鳳丸や沖ノ鳥島ペディションの見聞きから、還暦過ぎの爺に「まだやることがあるから頑張れよ!」とエールをいただいたような気がした一日でした。