新しいものを書こうと焦るのですが、技術的に手間取って進みません。少々お待ち下さい。古いものでお茶を濁します。ごめん下さい。
秋は祭りだ
姨捨では、帰路を急いで祭りを割愛した。とりあえず月だけで満足だった。しかし、「・ま・つ・り・」の三文字は意識下に生きていた。
たまたま昨日の午後、牟礼のあたりを通ったら、林檎売りのおじさんが、「今日は祭りだから早じまいだ」と、店をたたみ始めていた。
日暮れて8時ごろ、同じあたりに舞い戻った。真っ暗闇の田中の道の遠くから狐火のように提灯の灯りの行列がやってきた。近寄ってみると、大きなリヤカーの上に載せた祠を、いっぱいの提灯で飾った可愛らしい山車だった。くくりつけた太鼓を若い衆が叩き、後に続く数名の若者がピーヒャララーと笛を吹き、鉦の音がそれに和する。先頭は御祭典の大提灯を捧げ持つ若い衆がふたり、それに、大きくて重そうな纏(マトイ)を1‐2分毎に交替してまわし続ける6‐7人の男たち、その周りを老若男女が取り巻いている。リーダー格は紋付袴に雪駄がけの中年たちだ。
どん、どん、ヒャララー、ドン、ひゃららー、とゆっくりゆっくり進む先は田中の消防団前の広場だった。見ると、農道の各方面から、この広場に向けて、遠く、近く同じような数隊の山車の行列が集合しつつあった。
山車は合計6台だった。近隣氏子の6部落を意味しているのだろう。
順に広場脇の道路に整列。オリンピックの入場式よろしく、1台ずつ、紋付袴に身を固め提灯を手にした年寄り衆に迎えられ、先導され、広場を1周して定位置に。空中に舞い踊るマトイの競演。頭上に上がる花火。6台が広場に整列するのに約1時間。
祭りの暴走を戒めた言葉を書いた提灯を先頭に、田中の農道を2キロほど先の山裾の神社までにぎやかな祭囃子とともに粛々と進む。進むほどに時折大きな花火が空に広がる。その進行速度の遅いことといったら。しばしば止まって動かない。
社の入り口の鳥居の周りには、6-7店の屋台が明々と小型発電機で灯を灯している。
鳥居から境内までは、中間の踊り場を挟んで、前後合わせて100メートル以上の狭い長い急な石段。先頭の提灯が静々と上がってきた。リヤカーの山車はどうするのだろう?人事ながら心配になった。
人払いがされて、石段の上にだれもいなくなると、リヤカーの梶棒に結わえた綱が伸びた。20人ほどの男衆が二列になって、綱引きよろしく勢いをつけて引っ張って駆け上がった。高尾山のロープウエーはレールの上を車輪で上がるから滑らかだが、ここは石段とリヤカーのタイヤである。牽かれる勢いに山車の固有振動数が同期すると、タイヤをダン、ダン、ダンと弾ませ、満艦飾の提灯を激しく振り乱しながら若者に後を押されて駆け上がっていった。あれよあれよと言う間の出来事だった。提灯の中は灯の灯った本物のローソクである。どうして消えないのか不思議だった。境内の仮舞台の周りでは、もう一度オリンピック入場式の儀式、マトイのダンスが再現された。全て、恐ろしいスローテンポである。
祭囃子の中に一人だけ青い目の若者が居た。 無心に鉦を打ち鳴らしながら・・・・。ここでデジカメのバッテリーが終わった。
仕掛け花火が激しく燃え落ちてクライマックスを迎えたときは深夜12時を回っていた。突然舞台の周りのスペースにブルーシートが広げられ低い長机が運び込まれ、プロパンボンベとコンロと鍋が置かれた。祭りの主役の若い衆や、紋付袴の年寄り衆が一升瓶と料理でパーティーを始めた。今まで遠巻きにしていた一般の村人は女も子供も三々五々家路に着いた。
舞台の上では、6村の若者が順に獅子舞を奉納し始めた。舞の囃子が風に乗って星空と三日月の下の田の上を遠くまで渡っていった。
この祭りの宴が何時まで続き、どういう終わり方をするのか見届けたい思いはあったが、睡魔が勝ちを占めた。デジカメの電池は、山車が石段を駆け上がるところで切れた。祭りのクライマックスは、肉眼で捉え、大脳のメモリーに書き込んだ。
先頭の大提灯には、
神威を畏み
不敬な振舞い
有るべからず
とある。
多くの山車には、必ず「五穀豊穣」の提灯がある。それは、村人の素朴な願望、ご利益の祈りである。
ここで言う「神」は氏神であり、田の神であり、自然宗教の神である。五穀豊穣に関係するもろもろの自然現象の背後に神を想定、人間が考え出した神に祈りと神楽と供え物を捧げて、天災を遠ざけ、恵みを引き出そうという人間の思惑の産物である。
八百万の神は、人間が考えて、人間が想像して、自然の力を擬人化してそれぞれに割り当てたもので、人間が祈祷と供物でその力を制御しようとした、ときに荒ぶり人間に災いをもたらす自然の力に過ぎない。
自然科学の力で大自然を制御することを学んだ現代人には八百万の神は無用の長物である。牟礼の農家の人々も、祖先から受け継いだ祭りを、伝統として守っていても、神々の存在を真面目には信じていないことが、祭りの雰囲気から伝わってきた。しかし、個がばらばらになった現代社会で、祭りが連帯とアイデンティティー確認のために役立っていることは素晴らしい。
振り返って、カトリックの祭りにこの祭りを待つ心、この連帯感、帰属感、陶酔があるだろうか。
欧米の伝統的キリスト教文化の国は別として、今日の日本のカトリック教会には残念ながらそれがない。
私の魂には、熱心なプロテスタントの母が、家庭で、戦時中の灯火管制下にも、クリスマスツリーを美しく飾りつけ賛美歌を歌った思い出が焼きついている。
ターミナル駅ではクリスマスケーキが飛ぶように売れ、デパートはクリスマスセール、クラブやキャバレーでは乱痴気騒ぎで日本文化に「インカルチュウレート」したかもしれない。お金の神様に魂を抜き取られることが文化への融合の美名の下に浸透している。皮肉な話だが、クラブのホステスが、酒の匂いを漂わせながら、あら、教会でもクリスマスやるの?と言う程度の土着化である。クリスマスはもともと異教文化の影響のもとに発展したといわれるから、それもいいだろう。
キリスト教固有の祭りは復活祭だ。ユダヤ教の過ぎ越しの祭りにルーツを持つこの祭りこそ、キリスト教徒が一年かけて待ち焦がれるべき祭り、連帯感、帰属感、魂の高揚と陶酔の原点でなければならない。これこそ、他のいかなる宗教とも、いかなる文化とも溶け合わないキリスト教固有の祭りだ。その証拠に、サンタクロースやバレンタインなどの聖人はもてはやされても、キリストの受難と、死と、復活を記念して祝う異教徒は決して現れることはない。
冴え渡る星空と半月よりやや痩せた明るい月のもと、私は湖畔の小屋に向かって夜道を急いでいた。