豪雪の野尻湖を脱出して、この冬も常夏のグアムに避寒できるとは、神様、あなた、ちょっと私を甘やかしすぎておられるのではないでしょうか?それとも、またいつものように、あとでしこたま元を取ろうと言うお考えですか?
そんな暢気な独り言をつぶやきながら、グアムの空港に降り立った。
経験値から行くと、国外ではイミグレーションを突破するのがいつも難関であった。いつかも、イスラエルで岡本浩三ら赤軍派のロッド空港乱射事件の直後に、あらぬ疑いをかけられて入国が危うかったことがある。
グアムでは、数日の滞在の場合は機内で配布される白の申請書が、15日を越える場合は別に請求しないとくれない緑の申請書が必要になるのだが、それを知らないと、散々時間をロスする羽目になることは、初回の入国時に既に学習していた。長い順番待ちのあと、やっと自分の番が来た。
はい、左の人差し指、つぎ、右の・・・、はい、それからカメラを向いて、ピッ!結構です。
パスポートを読み取り機に通しながら、にこやかに軽い雑談があって、やっと無罪放免か、と思いきや、入国審査官はおもむろに受話器をとって、なにやらひそひそと話し始めた。すぐ別室から太った制服のおばさんがやってきて、あくまで慇懃に、どうぞこちらの別室へ、と私を誘導した。低いカウンターの向こうに、髭の制服のおじさんがいて、そこのソファーで暫らくお待ちを・・・、と言ったまま、自分はコンピューターのディスプレーを覗きこみながら、何度もあちこちへ電話をかけ直しての、長話。がらんとした広い部屋には私一人しかいなくてなんとも心細い限りである。
何がどうなっているのか、さっぱり要領を得ないまま、約1時間が経過したところで、やっとカウンターの係官が私に、ちょっとこちらへ、と合図した。
近づくと、コンピューターのディスプレーをぐるりと私に向けて見せ、大きな顔写真の下の太いゴシック文字の名前を差しながら、KOKI TANIGUCHI はあなたの名前で間違いありませんか?と訊くから、「イエッサー」と答えると、「では、この人は誰ですか?」と写真を指差すから、よく見てびっくり。
ギエーッ!一体何?これ??・・・そこには全く別人の若い黒髭の外国人の顔が映っているではないか。そしてその下に紛れもなく私の名前が・・・???それは、係官の目にも明らかだし、先刻来、電話の向こうに相次いで現れていた役人たちの目にも明らかだったに違いない。
「これは一体誰ですか?」の問いに、ン?と思ってあらためてよく見ると、思わずプッと吹き出しそうになるのをぐっとこらえて、「サンチャゴ・デ・フロールというアラブのテロリストです!」ときっぱり答えられれば、花丸の正解・・・と言うことで、話は飛び切り面白くなるところだが、今はそんなユーモアが絶対に通じない一触即発の緊張した場面だった。
「知っていますとも。彼はチャランパゴ教会の主任司祭で、その名はサンチャゴです。私は、彼を訪ねてやってきたのですから。」
話は遡って、去年の1月に初めてグアムに来たとき、私はサンチャゴ神父と一緒に関空を発ち、二人は一組でイミグレーションをパスした。そのとき、私の写真に彼の名前が、そして恐らく彼の写真に私の名前が、付けられたものと思われる。いわば末端の単純な入力ミスだったに違いない。
写真と指紋は不審者がイミグレーションを潜り抜けるのを防ぐ上で極めて有効だと言うことが、今回、図らずも立証される結果となった。だから、日本が同様のシステムを導入したことに理解を示さなければならないかと、あらためて思った。そのための混雑や、所要時間の問題も已むを得ないことなのかも知れない。
それにしても、もし、混同された相手がサンチャゴでなかったら?それを思うとぞっとする。そのまま次の便で日本へ強制送還も現実にあり得たのである。
ターンテーブルには、僕の荷物が一つぽつんと、もう何十回も、ひょっとして何百回も回り続けて待っていた。
やっと到着ロビーに出てみると、出迎えのゆりさんが心配して待っていた。車が動き出して、彼女に事の顛末を話して大笑いしている私の顔が、ふとこわ張ったのが自分でも分かった。待てよ?!僕は去年7月にもグアムに来ている。では、あの時は、違う顔を見ていながら、ブースの中の係官は「やー、ファーザー!ようこそグアムへ!休暇ですか?お仕事ですか?」と陽気に話しかけながら、明らかにヨーロッパ人の顔をした黒髭のサンチャゴと日本人の私の顔の不一致をうかつにも見過ごしていたのであろうか?前回、何ごともなくスイと入国できたということは・・・。
アメリカの水際の入国審査がこの杜撰さなのだから、日本の年金記録が何千万件も照合できないというのも、何か分かるような気がする。しかし、ただ分かるだけでは深刻な問題の解決にはならない。では一体どうすれば・・・・?
コンピューター端末の入力作業における人間の単純ミスの問題に、完全な解決策はあり得るのだろうか?