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今日の説教(2012.02.04)
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朝のミサのとき聖堂の窓ガラスが水蒸気で曇っていた
誰かが AVE MARIA と指で落書きをしていた
さすがは神学生???
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〔お説教〕
おはようございます。
(と日本語で切り出す。ローマの「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」では、祈りも、ミサも、説教も、すべて日本語で行われるのが原則)
神学生の兄弟の皆さん!今日の朝はなんと美しいことでしょう。一面まっ白の雪に覆われて。
聖アウグスチヌスは言いました。世界を救うのは神の美だと。私たちが今ミサをしているこの小さな聖堂も、キコさんの美意識のお蔭で、簡素さの美にあふれています。
さて、皆さん、たった今朗読された今日の福音は、マルコ6章からでした。
使徒たちはイエスのところに集まってきて、自分たちが行ったこと
や教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなた方だけで
人里離れたところへ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出
入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、
一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
ところが、・・・・(マルコ6章30-34節)
ところが、船が着いたところには、先回りした群衆が待っていて、休むどころではなかった。これが最初の神学校の姿です。
イエスが最初の弟子たち(神学生たち)、つまり「12使徒」を福音の宣教者に養成したその現場、あの生活が神学校のモデル・原型です。絶えず旅をしながら、男女の群衆と交わりながら、二人一組で派遣されたり、戻ってきて体験を報告したり、休んだり・・・。いつも先生イエスの側に居て、その言葉から学び、ともに祈り、ともに食事をし、・・・。神学校の敷地も建物も何もなかった。
今の世界のカトリックの神学校は全く違う。6年間、8年間、それ以上も、男たちばかりが一か所に定住し、外界との接触を絶って、鐘の音に従って共同で毎週同じ日課をこなし、まるで戒律に生きる修道院の修道僧のような生活をする。ローマでも、毎日グレゴリアーナ大学に通い、学期毎に哲学・神学の試験を受け、成績で一喜一憂し、・・・・知識を詰め込み吐き出すだけなら、コンピューターの方がよっぽどうまくやるではないですか。
これは、16世紀以来のトレント公会議型の神学校と呼ばれます。現代の世界中のカトリック神学校がみな同じパターンです。
イエスの神学校は全く違っていました。自由だった、人間臭かった。先生であるイエスと共に、自由に旅をしながら、その言葉から学び、常に人々と交わり、散ったり集まったり、その中で次第に福音をのべ伝える情熱を身に着けていく。世俗的考えを脱ぎ捨て、神を愛し、隣人を己のごとく愛することを実践を通して学ぶ。
私たちも、望めばそのような神学校の原点に戻ることができるのではないだろうか・・・、その改革の実験してみようではありませんか、・・・と説教は熱く続く。(現行教会法が許す範囲ぎりぎりまで。)
冬でも咲き続けるブーゲンビリアにも雪が
ミサが終わると朝食もそこそこに若い神学生たちは外に出た。外は昨夜のうちに降り積もった真っ白な雪で覆われていた。メキシコ人の神学生は生まれて初めて触れる雪に興奮気味だった。
雪や、こんこん・・・♪ あられや・・・♪
神学生は喜び、庭駆け回り、
神父は炬燵で丸くなる・・・♪
初めて雪を見て興奮する中米からの神学生
私の暖かい部屋の窓から見下ろすと
雪合戦にむちゅうなインド人神学生 雪だるまの準備か?
しまいにはお決まりの取っ組み合い。まるで子犬だね!
神学校の敷地内にはあちこちに思い思いの表情の「スノーマン」が(大きさの比較に立ってみた)
ヨーロッパは26年ぶりの寒波だそうだ。
(おわり)