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2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・⑤
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同じ題で回を重ねすぎました。そろそろ飽きられる頃だと分かっています。だから、この辺で一区切りつけましょう。
86の姉妹校の関係者が集まって、一体何が話し合われたのでしょうか。
今後の活動の構想を語るキコ氏
ひとつは疑いもなくユダヤ教との対話促進です。キコのシンフォニ―「無垢な者たちの苦しみ」はユダヤ民族、イスラエルの民の、神秘的な苦難に満ちた歴史に光をあてたものです。目前に迫ったアメリカ公演、特にニューヨークのリンカーンセンターのエイブリ―フィッシャーホールでのシンフォニー演奏に賭けるキコの思いは深いものがあります。なぜなら、その成果如何は、彼の夢である「ドームス・エルサレム」の建設がかかっているからです。(私も5月4日にローマを発つ。夜中にこんなブログを書いている暇があったら、旅の荷作りでもした方がいいのではないか?)
この会議の重要な出席者の一人 ウイーンの神学校の設置者シェーンボルン枢機卿
二つ目は、これからのアジアの宣教戦略についての話し合いです。アジアと言えば、日本もですが、日本の状況は今のところあまり思わしくありません。今はむしろ14億の人口を擁する中国と12億のインドです。中国は遠からず大きな社会的変化を迎えるかもしれません。このままの体制がいつまでも維持できるはずもないでしょう。その時には、宣教師の数は1万人いても2万人いても十分とは言えないのです。いまから備えが必要です。日本にだって、日本の教会に受け入れ態勢さえあれば、お金の神様の奴隷になって魂の闇に沈んでいる1億3000万の日本人に福音を伝えるという緊急課題のために、1000人も2000人もの宣教師がいても多すぎることはないのです。そんなことを言えば、夢みたいな、と一笑に付されるでしょうか。会議はミサや祈りを織り交ぜて進みます。
ギターをつま弾きながらミサの中で歌うキコ氏 説教をするシェーンボルン枢機卿
話は大きく脱線しますが、私は、今日バチカンの聖ペトロ大聖堂で、ローマ教皇による新司祭の叙階式に与ってきました。どこへでもカメラを持ち込んではばからない私としたことが、今日はどういう風の吹き回しか、祭服を着て司式に加わるのに、衆人環視の中で黒いごついカメラを肩に入堂の列に加わるのは不謹慎ではないか、と普段は全く機能しない良識が働いて、持ち込みを控えました。お蔭で、教皇ベネディクト16世を目の前にとらえるかぶりつきの特等席に居ながら、絶好の被写体の映像を一枚もお見せできないのはまことに残念至極です。年を取ったものだ。とうとう焼きが回ったな、と自嘲しました。
私が司祭になった年、18年前にはローマの伝統的神学校のコレジオ・ロマーノから15~6人、我々のレデンプトーリスマーテル神学院からもやはり15人ぐらい、それにバチカンの外交官を養成するコレジオ・カプラニカから数名、それといろいろな修道会からも合計数名、合わせて50人前後が一度に叙階され、それはそれは盛大なものでした。それが、わずか20年足らずのうちに、教皇のお膝元で、我々のレデンプトーリスマーテル神学院から4人、誇り高きコレジオ・ロマーノからはそれより少ない3人、カプラニカ2人の合計たった9人の実に淋しい叙階式でした。
世俗化に押しまくられて、若い世代の教会離れ、信仰離れはローマでもとうとう行き着くところまで行った感があります。このままではカトリック教会はもう終わりだ、何とかしなければ、と言う危機感に思わず武者震いが起きます。(話を戻します)
今後の世界宣教のあり方について 自分の意見を述べるドイツ人のコルデス枢機卿 (元バチカン信徒評議会議長)
わたしが ドイツ語の ボク キミ の親称に相当する "du" で互いに呼び合えるほど親しい仲の枢機卿はこの人しかいない
昔話になるが 四国のレデンプトーリスマーテル神学院が開設された当時 香川県の三本松の田舎で
神学校の裏の「とらまる山」一帯を開発して ローマ村(バチカン村)のテーマパークを開いて
聖ペトロ大聖堂の3分の2のスケールのそっくりさんを建てて それを美術館の箱ものにして
その中にバチカン死蔵の美術品を長期貸与で持ち出して アジアに第二バチカン博物館を開いて
世界中から集客しようという地元の名士たちの夢を 本気で一緒に検討した仲だ
JALやANAや JTBなどの大手旅行会社 それに四国の地銀や関西の大手銀行まで食指を伸ばしてきた
だが あのプロジェクトはやらなくて正解だった
一歩間違えたら バブルがはじけたあとに大赤字を抱えて潰れるところだったから クワバラ クワバラ
食事のテーブルで 左から キコ氏 ガリレアの東方教会の司教 コルデス枢機卿 (一人置いて) 右端はウイーンのシェーンボルン枢機卿
(シェーンボルン枢機卿のような人が次の教皇に選ばれればいいのに と思うのは私だけだろうか 何しろパパベネディクトはもうお歳だから・・・)
ミサの中で祭壇を香で清めるコルデス枢機卿
世界中の86の姉妹校の設置者である86人の司教達のうちスケジュールが許して出席できた50数名と、86人の院長とその他の関係者を集めて討議された内容は、企業秘密(これは私が銀行マンだったころの用語ですが)なのでここに書くわけにはいきませんが、その代り、来賓で出席した駐イスラエル教皇大使に託されて代読されたカトリック教育省(-司祭養成に対する配慮、およびカトリック教育の推進・組織化を行うお役所)の長官ゼノン・グロコルゥスキー枢機卿の書簡の訳をご披露することにいたしましょう。
教育省長官の書簡を代読する駐イスラエルバチカン大使
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カトリック教育省
公文書番号 228/2012
アントニオ・フランコ
駐イスラエル、並びにキプロス教皇大使
駐エルサレム、並びにパレスチナ教皇代理 宛
ローマにて、2012年4月2日
大使殿
去る3月12日、私は貴方にキコ・アルグエロ氏が私を本年4月15日から15日までドームス・ガリレエで開催されるレデンプトーリスマーテル神学院の会合に招待されたことについてお知らせし、私が主催する別の会合のために、それらの日々に聖地に行くことが出来ないことを説明いたしました。そう言うわけで、私は貴方に、私とカトリック教育省に代って、レデンプトーリスマーテル神学院の会合に出席していただきたいと思いました。
教会にとって最も重要な課題の一つに、明日の司祭たちの養成があります。最も本来的な性格からして宣教的である教会の未来は、その大きな部分が司祭たちの資質と、彼らの宣教への心構えにかかっています。
だからこそ、カトリック教育省は 新求道期間の道 に対して、聖地でレデンプトーリスマーテル神学院の会合を組織したことについて祝辞を送るものであります。世界中の非常に多くの司教達によって極めて好意的に評価されているこれらの神学院は、福音宣教のため、特に新しい福音宣教のために重要な任務を遂行することが出来ます。事実、熱烈な宣教的・使徒的情熱を特徴とするレデンプトーリスマーテル神学院は、キリストのために魂たちを救いたいという望みに満たされて、特別によく準備されています。
「あなた方は、その実で彼らを見分ける」(マタイ7:16)と神なる主は言われました。この福音的基準は、神学校についても当てはまります。事実、レデンプトーリスマーテル神学院は、様々な地方教会と普遍教会のために今までに生み出した数多くの善良な司祭たちのために喜ぶことが出来ます。
同時に、聖地におけるこの会合は、すでに良いものであるレデンプトーリスマーテル神学院が、どうすればさらにより良いものになりうるかを検討しようとするでしょう。「天上の世界では異なるかもしれないが、この地上では、生きるとは変わることであり、完全になるということは度々変わることを意味する」(ジョン・ヘンリー・ニューマン、キリスト教の教義の発展、第1章、第1節)。ですから、この 集い に参加することは、典礼や他の形の祈りに与ることを通して、対話することのうちに、また経験を分かち合いキリストの弟子のあり方を共に生きることを通して、どうすればレデンプトーリスマーテル神学院はその学生たちを、急速に変化していく喜びと希望、嘆きと不安、の世界の挑戦(現代世界憲章1参照)によりよく備えさせることが出来るかについて、共通理解に達するに違いありません。
私は 新求道期間の道 の指導者たち、及びこの重要な会合に参加するためにドームス・ガリレアに参集された枢機卿、司教、並びに神学校の養成担当者たち全てに対して、繰り返し感謝したいと思います。神様があなた達の共にされた時間、あなた達の交わされた討議を祝福し、この 集い が聖霊の働きによる豊かな稔りを結びますように。
この機会に、あなたに最高の個人的敬意を表したいと思います。
カトリック教育省
長官 ゼノン・グロコルゥスキー枢機卿
(終わり)