たまには、重い能の舞台の幕間に、軽い狂言が入るのもいいでしょう。
今回は頭の疲れない写真中心の小話をどうぞ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 2012年 「ガリラヤの風かおる丘で」 今年も何かが・・・③
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
= ガリラヤの丘の黒い羊たち =
この黒く変色したへその緒を下げた真っ白な子羊 まだ生まれて二、三日目でしょう
これは ローマの旧アッピア街道に沿った野原で2009年の春に撮ったものです
旧約のイスラエルの民は春の過ぎ越しの祭りに 新約のイスラエルの民(カトリック教徒)は春の復活祭の頃に
好んでこの一歳以下の子羊の肉を炭焼きにして食べる習慣があります それが実に香ばしく美味しいのですよね
この子羊に関連した記事は 私のブログ 「春の訪れ、生命の季節」 に詳しく書きました
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/27516228455c4ec55fd1a67071e8eed5
よかったちょっと寄り道をして 上のURLをクリック して読んでから 先に進んでください
その方がこのブログの内容を立体的に味わうのに役立つかもしれませんので・・・
先のブログで、ドームス・ガリレアを訪れるユダヤ人観光客をヘブライ語の歌で歓迎する職員たちの写真を紹介しましたが、よく見られましたか? 大部分が年若い男性たち-少年たちと言ってもいい-であることに気付かれましたか?
彼らは、ユダヤ人観光客を歓迎してギターやボンゴや、チャランゴやタンバリンなどを奏でて ♪ シェマ― イスラエール ♪ を歌ったり、
食堂での給仕、客室のベッドメーキング、パス・トイレの掃除、タオルの交換、ホールの掃除、etc. のサービスに当たるためにここに住んでいます。
若くきびきびした動作の好感をもてるこの若者たちは、ホテルマンの養成学校の生徒かと見間違えそうですが、実はそうではありません。彼らは正真正銘の 「ガリレアの黒い羊たち」 なのです。
新求道期間の道を歩む家庭は多くが子沢山で、たいていはみんな親の背中を見ながら育ち、親たちとおなじ強い信仰を保ちながら思春期を乗り越え、やがて彼ら同志で結婚して、宣教精神に燃えた子沢山のクリスチャンホームを築いていきます。
ところが、そんな家庭にも稀に毛並みの違う子供が生まれることがあります。小さい時から親に反抗し、暴力をふるい、非行に走り、教会に行かず、学校もさぼり、悪い仲間と麻薬を吸ったり、窃盗をしたり、女の子とあらぬ関係になったり、とにかく親泣かせの悪餓鬼どもが生まれることがあるものです。とくに、共同体の活動で指導的な役割を担う立派な親たちの家庭で、そういうのが生まれることが多いというから、世の中は皮肉なものです。
思い余った親が、キコ氏に相談すると、彼はそのどら息子をドームス・ガリレアに一時引き取ることになります。ヨーロッパやアメリカが多いのですが、時には途上国からも送られて来ることがあります。
そのような若者は、所持金もパスポートも取り上げられ、朝早くからお祈りをし、ミサに与り、決められた労働をし、聖書を勉強し、まるで軍隊の兵役についたか、戒律の厳しい修道院に入ったかのような生活をさせられます。
彼らが住むところはブンカーの中です。ブンカーとはドイツ語で地下壕のこと、現代風に言えば地下の核シェルターのことです。イスラエル政府は、大勢の人が集まる会場や宿泊施設には、アラブ世界からの核兵器や細菌・化学兵器の攻撃に備えて、シェルターの設備を法律で義務付けています。ここドームス・ガリレアにも、結構広い物々しい窓一つない地下ブンカーがあります。平時には無用の長物のこのブンカーを、黒い羊(ブラックシープ)の寝ぐらにするとは、キコ氏も実によく考えたものです。後はたっぷり食べさせ、仕事着を与えれば、それ以外は人件費ゼロの有能な労働力として彼らを活用します。それで、若者が奇跡のように更生・自立していくとあっては、いいことずくめの一石三鳥、いや四鳥の名案と言うほかはありません。
左は潜水艦の中の隔壁のような鉄の重い気密扉。中は兵舎の中か、フィリッピン娘達に売春を強要するピンククラブの
ヤクザ監視付き宿舎のようだ
二段になった蚕棚式ベッドはアウシュヴィッツの強制収容所を思わせる
国を離れて遠くイスラエルのガリレア湖のほとりの人里離れた丘の上。囲いは無いが、お金もパスポートも車もなければ、脱走してもイスラエルの社会に紛れ込んで一生生き延びられる算段はつかないというものだ。初めのうちこそふてくされて、じたばたするが、やがて観念して大人しくなり、そのうち多くは明るいいい顔の逞しい青年に育ち、やがて別人として巣立っていきます。
これは、目立たないけど、このドームス・ガリレアで日々起こっている大きな奇跡です。
実は、上の白い羊の写真を巡るブログの中で紹介した日本の若者も、これを書いている私自身も、かつてはれっきとした「ブラックシープ」(黒い羊)たちだったのです。 神様に不可能はない!
(おしまい)