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黒くなったり、白くなったり
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2012年「ガ リ レ ア の 風 か お る 丘 で」 今年も何かが ・・・ ④
「ガリラヤの風かおる丘で」 ・・・③ で = ガリラヤの丘の黒い羊たち = と言うのを書いたら、すかさず 「黒くなったり、白くなったりするのですね」 という、突っ込みメールが届きました。それにつられて悪乗りするわけではありませんが、予定外に
=ガリラヤの丘の白い羊たち=
についてちょっと書いてから先に進むことに予定を変更しました。
話を複雑にしないために、一旦は敢えてカットしたのですが、実はドームス・ガリレアには「白い羊の群れ」ともいうべきもう一群の若者たちが実在するのです。
「黒い羊」たちが、まさに「地獄」のような、地下の窓もない核シェルター、ナチスの強制収容所のようなすし詰め環境に押し込められているかと思えば、このいわゆる「白い羊」たちは、文字通り「天国」のような、陽光がさんさんと降り注ぎ、爽やかなガリレアの風が吹き渡る小ざっぱりした二人部屋に優雅に暮らしているのです。
中央の円筒形のミニチャペルをコの字型こ囲むの棟割長屋のような個室に
「白い羊」たちの神学生が二人ずつ住んでいる
彼らは同じ年恰好てありながら レストランのウエイターも ベッドメーキングも トイレの掃除もすることなく
優雅にお祈りと勉強三昧である 白と黒は まさに天国と地獄ほどの隔たりがあり
日常生活では彼らは互いにほとんど交わることがない
世界に86ヶ所展開しているレデンプトーリスマーテル神学院の姉妹校の一つがイスラエルにもあって、それがまさにこのドームスの一隅におかれているのです。そこの神学生たちは、地獄の住民とほぼ同じ世代の若者で、将来の宣教師を目指して日々研鑚に励んでいます。
円筒形のチャペルの中では 多分24時間だと思うが 神学生が二人ずつ交代で 聖体顕示台の中のパンに現存するキリストを昼夜礼拝している
その彼らの頭の上にはブロンズの彫刻群像が
この群像もキコ氏とその弟子の彫刻家たちの合作だ
12人の弟子たちに山上の垂訓を説いているイエスの姿
それはイエスが最初の宣教者たちを養成している姿だ いわば最初の神学校の姿だと言ってもいい
空の鳥をよく見なさい とイエスが言うと 鳥ならここに居ますよ とハトが言う お蔭で私ら糞だらけです 先生なんとかしてくださいよ
と白い頭の弟子たちは言う
カファルナウムのユダヤ教の会堂の遺跡に行った。すると、緑の木陰で男の子が姉妹たちに聖書の箇所を朗読していた。
このあたりでイエスはユダヤ人たちに多くの教えを宣べられた。 例えば次のような言葉だ。
空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(マタイ6章26-27節)
頭上を悠々と舞う鳥たち
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。(マタイ6章28-30節)
名のわからない青い花 とげだらけのアザミの花
白からピンクまでグラデーションのあるマーガレットの一種?
レモンの花に受粉するミツバチ この花イスラエルにいっぱい 誰か名前知りませんか?
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6章31-33節)
「はい、わたしは今何不自由なく生活しています」(影の声)
全くその通りです と カエルは言う
近くに赤い丸い屋根が見えた ギリシャ正教会の建物だ
中に入ると神父さんが退屈そうに土産物の店番をしていた
突然、外ででけたたましい叫び声が聞こえた なんだ? と、飛び出すと
声の主 放し飼いのりっぱんオスの孔雀ではないか お願い! ちょっとだけポーズして!
するとどうだ 日本語が分かったのだ
ハイ ポーズ! どんなもんだい 上野動物園にに行ったって なかなかこう注文通りにはいきませんよね
何の話でしたっけ? 脱線もここまで来るとプロ級ですね。えーと、あ、そうでした。今回のテーマは「黒くなったり、白くなったり」でしたね。そういうわけで、地獄(核シェルター)の住民と天国(明るい太陽のもとのマンション)の住民とは、同じドームス・ガリレアの敷地の中で、同じ年頃の若者の二つのグループが、反目することも、牽制しあうこともなく、淡々と住み分けて共棲している姿は、何か不思議な気がしませんか。
黒い羊たち、社会から足を踏み外しかけた彼らの多くは、ここで自分を見出し、自分を大切にして、逞しく巣立っていく。
白い羊たち、躓くことなくいい子ですくすく育ってきた彼らは、今はまっしぐらに明日の宣教師を目指して恵まれた環境の中で研鑚に励んでいる。
中には、黒い羊だった子が、一念発起して、白い羊の仲間入りをして、神学生として再スタートを切るものもいる。そういう子たちこそ、人の痛み、人の弱さに対して深い共感をもって接することの出来る素晴らしい神父になるのではないでしょうか。かく言うわたくしもかつては札付きの黒い羊でした。
おしまい