〔11月16日 一部加筆〕
~~~~~~~~~~~~~
ローマ教区の召命事情
=日本のために2助祭誕生=
~~~~~~~~~~~~~
去る10月20日(日)
ローマ市の中心にあるサン・ジョヴァンニ・ラテラノ教会でローマ教区の助祭叙階式が厳かに行われました。
サンジョヴァンニ・ラテラノ教会
ラテラノ教会は、コンスタンチン大帝が313年にキリスト教を公認した後に建てたバジリカとしては、最古のものだと言われています。そのため、全ての教会の母とも呼ばれ、聖ペトロの後継者のローマ教皇の座、つまりローマの司教座は、バチカンの聖ペトロ大聖堂ではなく、今もこのラテラノ教会に置かれています。
内陣の奥の中央に繊細なモザイクで飾られた白い大理石の美しい椅子があります
教皇の玉座、つまりローマ教区長の司教座です
教皇がこの使徒座に座って
信仰と道徳について教会の教えを荘厳に宣言するときは
聖霊の特別な護りによって決して誤ることがないと教会は教えます
いわゆる「教皇の不謬権」と言う教義で、プロテスタント教会の決して受け入れられない主張です
さて、
この玉座の真後ろには何の装飾もない質素な小部屋があります、
それは、かつてローマ教皇の居城だったラテラノ宮殿につながっています。
教会の正面から暴徒が乱入して来たら、教皇は素早く身をひるがえして
玉座の後ろの隠し戸から小部屋に逃れて鍵を閉め、宮殿の安全な場所に移る仕掛けです
このバジリカで、今から20年以上前にも今回と同じように助祭叙階式がありました
私は、式に花を添えるミニオーケストラの一員としてフルートを吹いていました
リハーサルの日、私はこの小部屋で一人練習をしていました
あたりにはバチカンの警備員もおらず、内陣はガランとしていました
その気になれば、この玉座に ヒョイ!と座ることぐらい造作もないことでしたが
うっかり座ったら、お尻が腫れるか、天から雷が落ちるか
とにかくただ事では済まないという畏れに襲われて
小心にもこの遊び心は不発におわりました
今こうして司祭としてこの玉座を眺めるたびに、今さらそんなバカはできませんが
ああ、あの時に座っておけばよかった、とチョッピリ悔いを残した次第です。
冒頭からとんだ脱線をしましたが、真面目な話に戻りましょう。この日、教皇に代ってローマ教区を治めるヴァリーニ枢機卿は、11人の神学生を助祭に叙階しました。その内訳は新求道共同体が運営するレデンプトーリスマーテル神学院が 7人、ローマの伝統的教区立神学校のコレジオ・ロマーノが 3人、そして外交官養成所などとしても知られるコレジオ・カプラニカが 1人でした。
私が同じラテラノ教会で叙階されたのは20年前ですが、その頃はローマ教区全体で合計40人ほどが叙階され、その内わけはコレジオ・ロマーノとレデンプトーリスマーテル神学院とがほぼ同数だったと記憶します。それが、この20年間で教皇のお膝元での司祭召命は全体で約4分の1に激減し、特にコレジオ・ロマーノの衰退ぶりが目立ってきました。
さらに、今年の叙階式で特筆すべきことは、レデンプトーリスマーテルの7人の内、2人が元高松の神学校で養成を受けた韓国人のダミアノ神学生とイタリア人のダビデ神学生だったことです。高松で日本語の教育をみっちり受けた2人は、来年5月には新教皇フランシスコが聖ペトロ大聖堂で行う初めての叙階式で晴れて司祭に叙階され、一旦はローマ教区に帰属することになりますが、将来環境が整えば、ローマ教区から宣教師として日本に派遣されることがほぼ決まっています。
助祭叙階直前のダミアノ(左)ダビデ(右)両神学生の晴れやかな顔
ローマ教区には337の小教区教会がありますが、そこで働く司祭を養成するはずのコレジオ・ロマーノから、たった3人の司祭しか生まれなかったということは、大変危機的な状態だと言うほかはありません。
生涯独身をとおすことが条件の司祭職への召命の減少は、現有司祭の待ったなしの高齢化と共に、全世界のカトリック教会の屋台骨を揺るがす深刻な問題で、日本だけではなく総本山のローマも決して例外ではないということです。
新求道共同体の創始者のキコが、世界の宣教のためにローマに設立したレデンプトーリスマーテル神学院はそのとき認可された「定款」によれば、そこを卒業した司祭は、3年間ローマ教区に奉仕した後は、新求道共同体の精神に従って全世界に宣教に旅立つものと定められています。
ところが、上のような召命の激減による慢性的な司祭不足が顕在化した今日、教皇代理のローマ教区長ヴァリーニ枢機卿は、3年の奉仕が終っても、たレデンプトーリスマーテル出身の司祭に、宣教に旅立つ許可を与えるのを渋るようになってきました。そのため、ヴァリーニ枢機卿と新求道共同体の創始者のキコとのあいだの調整が微妙になってきたようです。なぜなら、キコは世界に今なお増え続けているレデンプトーリスマーテル神学院の院長などの養成者として、ローマで3年の務めを終えた優秀な司祭を世界に派遣したいと思うのに、ヴァリーニ枢機卿は彼らをローマに引き留め、司祭不足解消のために小教区に貼り付けて使いたいと考えるからです。
今年の叙階式の例からも明らかなように、今やレデンプトーリスマーテル神学院は、ローマ教区の司祭供給源として、欠かすことのできない存在になりつつあるのです。
安土桃山時代にイエズス会に入ったペトロ・カスイ岐部はローマに渡り、1626年にこのサンジョバンニ・ラテラノ教会の上の2枚の写真のチャペルでで司祭に叙階されました。祭服に着替えて式の開始を待ちながら、カスイ木部が日本人として初めてエルサレムの土を踏んだときのことなど色々と教わりました。
香を持つ侍者を先頭に 行列の最後から入堂するヴァリーニ枢機卿
叙階式の中で聖書を授与される日本のためのダビデ神学生
無事揃って叙階された11人 その後ろはオーケストラとコーラス
左手一番奥に小さく白い大理石の教皇のカテドラ(聖座)が見える
レデンプトーリスマーテル神学院がローマで開かれて以来、世界中の司教たちが競ってその姉妹校を誘致する動きが相次いでいます。今は無き高松の神学校もその最初の7番目の設立(1990年12月聖母無原罪の御宿りの祝日)でしたが、その後23年の間に、世界中の姉妹校の数はついに100校を超えるまでになりました。
閉鎖された高松の神学校も、そのまま消滅することはなく、教皇ベネディクト16世によってローマに移植され、「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」と名付けられて健在で、今年も日本のために宣教師を2人生んだわけです。
全世界に展開する姉妹校は、いずれも各地の司教の要請に応えて新求道共同体が設立したもので、院長以下のスタッフは共同体のメンバーであり、教育・運営方針も共同体の精神に基づくものですが、共同体が取得し整備した土地・建物は、そっくり司教区に寄贈され、教会法上は教区の財産になります。
それは何故か?それは、新求道共同体がカトリック教会の聖座から正式に認可された「規約」の中で、「新求道期間の道は教区において無償奉仕するカトリック養成の道程である以上、固有の財産を所有しない。」(規約第1編第4条 「物的財産」 第1項)と自ら謳い、土地建物などの物的財産の所有を一切放棄しているからです。そして、一旦司教区の所有に移転した物的財産は、司教が変わり、方針が変われば、いかように処分されても、全てを神に委ねて甘んじて受け入れるのです。
2代前の深堀司教様が誘致をきめ、私なども募金と建設に奔走し、多数の協力者の宣教への熱い期待のこもった寄付で出来上がった高松の神学校も、規約に定めるとおり、高松教区に寄贈されましたが、教区財産に編入された以上、司教が交代し閉鎖の方針が打ち出されれば、占有権や使用権を主張することもなく、スタッフ一同求められるがままに黙して退去するわけです。
数億の寄付金と心血を注ぎ込んで建設し、かつては大勢の神学生で賑わった神学院の建物が、ただの廃屋として空しく放置されているのを見ると胸が締め付けられる思いがしますが、これもキコが選んだ「偽りのない清貧」の道の代償として受け入れるべき苦難と理解しています。
これはカトリック教会の2000年の歴史の中でも画期的な出来事と言えます。なぜなら、「新求道共同体」、または、正式には「新求道期間の道」と呼ばれるものの実態は、従来の修道会とも、「オプスデイ」のようないわゆる「俗人区」とも異なる、それらよりも一歩進んだ新しい現実だからです。そして、共同体の「規約」の草案を見たとき、教皇ヨハネパウロ2世はこの「物的財産放棄」の条文を見て、さすがの教皇も「キコ、本当にこれで大丈夫なのかね?」と懸念を表明されたということでした。高松でその心配が現実になったわけですが、今後も世界のどこで、いつ、同じ問題が発生するか、予断を許しません。(太字、11月16日加筆)
それは、過去に前例がないために極めて理解されにくいのですが、そもそも新求道共同体は「教区において無償奉仕するカトリック養成の道程」であって、在来型の「団体」でも「組織体」でもないのです。それは、信徒たちが集まって「カトリック養成」=信仰教育=の手助けのために教会に「無償奉仕」するためのひとつの 「道」 を意味するに過ぎないのです。
ところで、長いカトリック教会の歴史の中には、かなり辛辣な風刺や冗談が無数にあります。その中の一つに「全知全能の神様にも知らないことが三つある」と言う一群の冗談があります。同じ題でも、誰がそれを語るかによって内容はバラエティーに富んでいるのですが、例えば、イタリアの或る修道会の神父から聞いたこんなのは如何でしょうか。
「全知の神様も知らないことが3つ或る。それは、
女子修道会の数が世界に幾つあるか、
イエズス会の神父が何を考えているか、
清貧のフランシスコ会の財産がどれほどあるか」 だと。
如何ですか?
敬虔な子女が3人寄れば、すぐ新しい修道会を作りたがる。だから、いま世界に一体いくつ女子修道会があるか、神様も数えきれない、と言う意味でしょう。
イエズス会の神父が何を考えているか解らない、は説明を要しません。
清貧の聖者アシジのフランシスコが始めたフランシスコ会が、世界中にどれほど莫大な資産をため込んでいるかは、神様も知らない。それは確かにそうかもしれないと思いました(笑)。
同じ冗談でも、バージョンが変わってイエズス会士が言うときは、自分たちのことは棚に上げて、代わりにドミニコ会を辛辣に風刺したものを入れる、と言った具合です。(冗談ですよ、あくまで冗談!ムキなって怒らないでくださいね!)
修道者と言うものは、「清貧、貞潔、従順」の3つの誓願を立てて、建前としては個人的所有を放棄することになっています。しかし、その実態はどうか。多くの大修道会では清貧の誓願の対価として、莫大な財産を背景に修道士たちを護り養い、その生活の安定と贅沢さは世間の大多数の人々の比ではない、と言う皮肉な現実があります。これは、中世の封建時代以来、教会の歴史を通して非常に大きな矛盾でありスキャンダルの種だという指摘を受けることがありますが、私には反論も弁明も出来ません。
新求道共同体の創始者はこの種の欺瞞と躓きを自分たちの働きの中から取り除くことに野心的な挑戦をしたのです。その手段が、集団として土地・建物に代表される「物的財産」の所有を一切放棄することでした。
式が無事終って香部屋(控室)に戻った一同
ミトラ(とんがり帽子)を被って杖を突いているのが
「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」の院長、平山司教
左からアンヘル副院長、ダビデ、平山院長、ダミアノ、そして私(院長秘書)
年が替われば、教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂で、教皇になって初めての司祭叙階式を行います。そのときローマのために9人の司祭と日本のために2人の司祭が生まれるでしょう。これは私たちにとって非常に意義深い出来事ではないでしょうか。
(終わり)