:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ カステルガンドルフ 「教皇の夏の別荘」 サプライズ付

2014-12-05 17:35:45 | ★ ローマの日記

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カステルガンドルフ「教皇の夏の別荘」でのサプライズ

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 2004年の桜植樹で世話になったバチカンのスカッチオーニ農学博士を、私は親しみを込めて「ヴィンチェンツォ」と呼び捨てにする。

 彼はバチカン庭園のすべての樹木をくまなくカタログ化するという気の遠くなるような作業で博士号を取り、聖ヨハネパウロ2世教皇に見出されてバチカンのお役人となった。

 以来、彼はバチカン庭園担当の中間管理職を真面目に務めていたが、ある日偶然、上司の不正横領の証拠を見てしまった。彼は上司を告発するようなガッツのかけらもない臆病な学者肌だったが、彼が証拠を握ってしまったらしいことを察した上司は、保身のために先手を打って、彼を別の部署の事務職に降格、左遷した。そして、可愛そうな彼はこの不当な処遇にひどく苦しみ、失意のうちに日々を過ごしていた。

 それが、2年前に教皇の夏の宮殿「カステルガンドルフォ」の上級管理職が定年で退職するや、その後任に抜擢され栄転することになった。(彼を降格させた元上司にしてみれば、バチカンの外への彼の転出は願ってもないことだったろう。)彼にとっても、従来通り毎夏教皇がそこに住めば、彼の仕事はいやでも日の当たる華やかなものになるはずだった。

夏に教皇が飛来するときに使われるヘリポート 

 

去年までは何もなかったヘリポートのそばに、今回行ってみるとアルゼンチンの新進彫刻家の鉄製のマドンナ像が立っていた。フランシスコ教皇の出身地の作家のものだ。

ヘリポートの反対側の芝生の中には、「風の環」と題するオブジェがあった。日本人の彫刻家が聖ヨハネパウロ2世教皇に贈ったものだった。

 ところが、新教皇フランシスコは清貧と質素を売りとする変わり種だった。彼は、世界10億の信者の上に君臨する宗教指導者であるとともに、バチカン市国と呼ばれる独立国の元首でもありながら、就任当初から歴代教皇の地位に相応しい宮殿に住むことを拒み、他の枢機卿たちと共同の簡素なアパートに住みついて動かない。また、防弾装甲の高級車、特注ベンツを拒否して普通の中古自動車に乗り、高級車を平気で乗り回す贅沢に慣れ切ったまわりの高位聖職者たちにひどくバツの悪い思いをさせている。そうした流れの中、当然のことながら、広大な夏の別荘など全くお呼びではなかったのだ。

 

ローマ皇帝たちも愛した庭園が、時を経て今もしっかり受け継がれ、手入れされている 

 

地中海の夕陽を眺めることのできるテラス風庭園 右の壇は夏はバラの花であふれている

  

庭園を見下ろす彫刻の群れ

ローマ皇帝たちが夏の暑気を避けるために作った半地下の散歩道

 かわいそうなヴィンチェンツォはまたしても当て外れ、主の来ないただの空家の管理者になってしまった。それでも彼には特技を生かし自由に仕切れる十分すぎるほどの楽しい仕事があり、バチカンの窓際の事務職よりはずっとましだった。バチカン市国本体よりもはるかに広大な敷地を誇るこの教皇の別荘では、広大な森林や庭園の他に、オリーブの林、果樹園、ブドウ畑、花壇、数十頭の牛舎、数百羽の鶏舎、ワイナリー、チーズ工場 etc. etc. の管理運営が彼の指揮下に入ったのだ。

オリーブの実を収穫する小作人たち

  彼は毎日せっせと大量の卵と牛乳とモッツァレラとチーズとバターなどをバチカンの台所に届けている。鶏肉だってガチョウ肉だって。

これはガチョウか?鶏よりは大きいが・・・

 中世の王侯の荘園にも似た宮殿敷地内のアパートに落ち着いた彼から招待があったのは、一年前の11月だった。長年部外者には完全に閉ざされ秘密のヴェールに包まれてきた教皇の別邸とは、実は2000年前から歴代ローマ皇帝の夏の別荘として使われ皇帝の華やかな生活にふさわしい活動が繰り広げられていた舞台でもあった。

この写真を撮るためにブログを書くのを一年待った鶏たち

 敷地内にある使用人たちの村のそばには、地鶏を放し飼いにした広い鶏舎があった。去年は、後で写真にとろうと思っていたが、他を回っているうちに短い晩秋の日は落ちて、それを果たさなかった。今度行ったときに鶏の写真を撮ったら、その写真と一緒にブログに紹介しようと思っているうちに一年が過ぎてしまった。 

 そこへ、思い出したように「生活も落ち着いたから、夕食を食べに訪ねてこないか」と誘ってきた。では、鶏の写真を撮るのも兼ねて・・・、とすぐ話はまとまった。

いざ写真にとろうと思ったら、金網が邪魔をしてうまくいかない。広大な地鶏の天国なのに雰囲気が写真に表れないのだ

 着くと、ヴィンチェンツォはサプライズとして面白いものを見せてあげようといって、乳牛の牝牛を集めた厩舎に私を案内した。液体窒素か何かでマイナス200度以下に保った冷凍容器に保存されている種牛の精子をステンレス棒の先端に装着して、発情した牝牛の子宮に送り込むのを実演してくれるというのだ。

超低温冷凍保存容器 この中に種牛の精子が

左から二頭めが今日発情中の大人の牝牛

オーイ、用意はできたよ

ちっとまって

 右腕の肘まで覆うゴム手袋をはめた彼は、ちょうど男根を挿入する要領で、注意深く腕を発情した牝牛の膣に押し込んでいく。彼は涼しい顔をして、こうするのが交配のためには一番いいのさ。直接交接させようにも、種牛が数百キロの巨体で交尾のために覆いかぶさったら、大抵の牝牛は地面に押しつぶされてしまってうまくいかないからだそうだ。

この後彼は一気に肘まで腕を押し込んだ

 

このようにしてヴィンチェンツォを父親にして生まれた小牛くん

 夕食の席では色んな話をした。若い妻のパトリチアは、盛んに原発事故の放射能の影響について尋ねてくる。どうやら、日本に旅行で行きたいが、放射能汚染が怖いようだ。桜植樹の一件ですっかり日本びいきになった彼女は、新婚旅行に日本を夢見ていたが、結婚早々の妊娠でダメになった。それが、今3人目の男の子が3歳になって、そろそろ遅いハネムーン旅行の潮時というわけだ。

 私は当たり障りなく、物好きに事故原発の至近距離まで近づかなければ、短期旅行者に危険はないだろうと言った。

 夕暮れの荘園の空をチャンピーノ飛行場(軍・民間共用のローマ第2の飛行場)に向けて着陸態勢の飛行機

 

オリーブの林の上を無数の烏がねぐらに向かう

 ヴィンチェンツォとの会話は自然にバチカンの内部事情に及ぶ。

 今の教皇フランシスコは、南米のアルゼンチンの貧しい単純な世界の頭でいるから、2000年の歴史と伝統と慣習(悪習)の伏魔殿のようなバチカンのことがまだよく呑み込めていない。その意味で、今までの教皇と全く違う。いい面ももちろんいっぱいあるが、バチカンの住民たちにとっては、全く何やらかすかわからない危険な「困ったちゃん」の面もある。マネーロンダリンッグなどでとかく黒いうわさの絶えなかったバチカン銀行の改革に手を付けたのなどはいい。そして、完全に潰さなかったのは賢明だった。しかし、何百年かけて徐々に肥大化してきたバチカンの機構に大ナタを振るって、組織・機構の簡素化、無駄を省き、経費(その多くは人件費)を削減するために、職員の半数を解雇するかもしれない、フランシスコならやりかねないぞ、と疑心暗鬼の噂が立つに及んでは穏やかではない。 

 以前にヴィンチェンツォを左遷した類の汚職の常習犯たちのような、戦々恐々として夜も眠れない人間どもが大勢いても不思議ではない世界だ。親子代々、利権と結びついた様々な世襲的名誉職に始まり、中国共産党の党を挙げての汚職構造に似た病巣が、バチカンにも深く巣食っていたとして、誰が驚くだろうか。 

 日本は選挙の師走に突入したが、一票の格差は違憲状態のままだし、行政改革なんていつまでたっても掛け声倒れだ。それは、改革を口にする人間自体が旧弊と利権の受益者たちだからだ。それに引き換え、バチカンの外の南米から殴り込みをかけてきた清貧のフランシスコの目ん玉が生きて光っている限り、明日誰が生き残り、誰が消えていくか、全くおどけの話ではなくなったのだ。

 

何をやらかすか予想の立たない教皇フランシスコ。手始めに、彼は長く謎に包まれていたカステルガンドルフの一般公開を決めた

 ヴィンチェンツォは何のためらいもなく言ってのけた。いま教皇は危険な賭けに出ている。下手をすると、就任1か月でバチカン宮殿の奥まった寝室で一人不審な死を遂げた教皇ヨハネパウロI世の二の舞が明日起こらないとも限らない、というのだ。彼は続けた、「教皇がなぜバチカン宮殿を捨てて、大勢が出入りする人の目の多い簡素なアパートに移ったか分かるか?それは、暗殺から身を守るためにはそのほうがはるかに安全だからなのだ」と。奇しくも私は以前から彼と全く同じ見解を持っていた。だが、バチカンの奥深くで働くヴィンチェンツォの口から同じことを聞くと、一層真実味が湧いてくるではないか。

成田で土産に買っていった浴衣姿のヴィンチェンツォと、大分のT.A.さんが着物を直して作ったドレスを纏ってご機嫌の妻パトリチア

 

楽しい夕食のあと駐車した車から振り返るヴィンチェンツォ一家の宿舎

 

 

コメント
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