:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「人権」 か 「リスク対経済効果」 か

2014-12-29 20:34:50 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

現在、私のパソコンは壊れて機能停止中です。知人のパソコンに寄生して何とか急場をしのいでいます。直近までの個人ファイル(文書・写真・メールの交信歴・アドレス帳など)は一切利用できません。実に不便をかこっています。写真は当面この薔薇か今後撮るものしかありません。今日はこの薔薇一本でしのぎます。


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「人権」 か 「リスク対経済効果」 か

「国連 グローバー勧告」から見えてきた「福島」原発事故の問題点-②

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「人権」とは、「全ての人が平等に人間らしく自由に幸福に生きる権利」だろう。

それに対して、「リスク対経済効果」とは、「経済的負担をある合理的な範囲に収めるために必要なら、一定程度のリスク(犠牲)を敢えて選ぼう。」という立場だと言ってもいいだろう。

私の頭に浮かんだ、いささかえげつないが、分かりやすい例えで説明しよう。

ある過酷な事故が起きた。100人の人の命が危険にさらされている。その内80人は比較的容易に救出が可能な状態で、一人平均100万円も見ておけば救出できそうだ。

次の17人はやや困難な状況にあり、一人1000万円はかけなければ救えそうにない。だが、人の命は地球より重い。費用の事は2の次だ。頑張ろう。

さて、問題は最後に残った3人だが、彼らは極めて困難な状態にある。救出するには少なくとも一人1億円は見なければならないだろう。えっ?たった3人のために3億円?それはいささか大金だな。97人の救出費が一人平均258万円なのに、100人なった途端に一人平均で倍以上の550万円に跳ね上がる。果たしてそこまでする値打ちが有るだろうか?それよりもその3億円を先に助けられた97人の生活支援に充てた方が「経済効果」ははるかに大きいのではないか?悪いけど3人には死んでもらいましょう。

これが日本の政府と東電の「リスク対経済効果」の選択だ。だが、これは国連の「人権」の立場とは全く相いれない。

 

日本でも過去には一貫して、放射性物質からの被ばくについて「公衆の被ばく限度を1ミリシーベルトとする」という基準が有り、ずっと遵守されてきた(「国連グローバー勧告」6ページ)。

例えば、広島・長崎の原爆被爆者に医療支援を行う「被爆者援護法」及び、現行の原爆症認定基準は、厚生省のウエブサイトによれば、一般公衆の線量限界が年間1ミリシーベルトである事に基づくものである。(152ページ)。

東海村JOC臨界事故の場合も、追加被曝線量(自然放射線・医療放射線以外の被曝)1ミリシーベルトを超える住民、或いはそれ以下の線量と評価された希望者に対しても、健康診断の対象範囲としている(同100ページ)。

 

ウクライナでは「チェルノブイリの原発事故の結果悪影響を被った市民の地位と社会的保護に関する法律」(1991年)により、何の制限もなく住居し働く為の放射線量の限度を年間1ミリシーベルトとした(29ページ)。

 

ところが、2011年3月に福島第一原発の事故が発生すると、政府は、従来の告示・指定による公衆の被曝限度の年間1ミリシーベルトを突然20倍に引き上げ、避難基準を「年間20ミリシーベルト」と設定しました。(48ページ)

さすがにこの唐突で乱暴な決定は強い批判を受け、当時の小佐古内閣官房参与は「この数値(20ミリシーベルト)を乳児、幼児、小学生に求める事は、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と抗議して職を辞しました。

然し、政府も東電もお役人が一人、抗議辞職しようが切腹しようがお構いなし、更にエスカレートして、国際的な基準のなんと100倍の「100ミリシーベルト以下の低線量被曝は安全」との全く非科学的な前提に立って全ての政策を決定・実行して来ました。

 

チェルノブイリ事故後の旧ソ連および後継国は、年間追加線量1ミリシーベルト以上の地域を「避難の権利」認められるエリアとして、避難を選択した市民の避難や、補償や就労・教育を支援し、年に1-2度の定期的で包括的な健康診断、長期間国費による保養を実現しました。

この日本とロシアの対応の恐るべき差異はどこから来るのでしょうか。それは、ロシアが国連と同じ「人権」の立場に立って施策を行っているのに対し、エコノミックモンスター日本は「リスク対経済効果」を土台としている事に依ります。この日本の施策は、国連の勧告にもあるとおり、著しく非人道的なものと言わざるを得ません。

「リスク対経済効果」の視点には、人権の立場の入りこむ余地はありません。被災しなかった運のいい人間たちが、被災者を救済するための負担を何処まで許容できるか。何処までの支出を受け入れたら自分達の立場を悪くしないで体面を保ちながら、快適な生活をつづけられるか、だけが問題です。なりふり構わぬ強者の論理です。

福島第一原発の3基までがメルトダウンするというチェルノブイリに並ぶ過酷事故を前にして、従来堅持してきた1ミリシーベルトの基準を適用したのでは、対処すべき地域は余りにも広く、救済の対象となる人口は余りにも多くなりすぎる、と政府と東電は直感します。

人権の立場に立って、1ミリシーベルト以上のすべての被災地のすべての被災者を救済しようとすれば、国の財政が傾くほどの支出になり、被災しなかった国民に大きな負担を求めなければならない。その支出を極力抑えこみ、国民の負担を可能な限り少なくするためには、被曝線量を何処で線引きしたらいいか、という数合わせの観点から政治的にはじき出された数値が、20ミリシーベルトであり、100ミリシーベルトだった。1ミリシーベルトから20ミリまで、さらに100ミリシーベルトまでの間に位置する被爆者を切り捨てる事を前提に。金がかかりすぎるから敢えて救済しない、と云うのが「リスク対経済効果」の観点に立つ日本の政府と東電が導きだした結論だった。それを国連のグローバー勧告は「人道」に反する対応だと指摘し、是正を勧告する。

それに対して、日本政府は膨大な反論書を作成して国連に送り付けた。その中で政府は、厚顔無恥にも、国連勧告の多くの部分に対して「この文章はこういうかたちに修正されるべきである」とか、「こういう表現は適切ではない」とか、「健康管理調査への回答率を高めるためにさらに努力する事は(リスク対経済効果の観点から)合理的でない」とか、「妊婦に医学的に不必要な検査を課するような健康調査は受け入れられない」とか、「この一文は削除されるべきである」とか、「健康調査は年間1ミリシーベルト以上の凡ての地域に居住する人々に対して実施されるべきである」、という当然の指摘に対しても「そういう調査を行うとする根拠が無いと判断する」とか、「子供の健康調査は甲状腺検査に限定せず凡ての健康影響に関する調査に拡大すべし」とする勧告にも、「地域住民に不必要な負担を課すべきでないために当該勧告を全部削除する事を要求」したり、「子供の甲状腺検査の追跡調査と2次検査を、親や子が希望する凡てのケースで利用できるようにすること」と言う勧告に対しては、「この勧告を取り下げて頂きたい」「全部削除」とか、「内部被ばく検査をホールボディーカウンターに限定することなく、地域住民、避難者、福島県外の人々など、影響を受けた凡ての人々に対して実施する事」と言う勧告に対しても、「当該勧告を全部削除」とか、極め付きは、「年間被ばく線量を1ミリシーベルト以下に低減する事」に対して「当該勧告部分を全部削除」する事を求め、露骨に国連勧告を根底から拒絶し、無視しようとしている。

では、政府・東電によって切り捨てられるのは誰か。福島県以外のすべての放射線汚染地域 ― それは宮城県南部・北部、茨城県南部・北部、栃木県、群馬県の北半分、千葉県北部、岩手県、新潟県、埼玉県と東京都の一部地域など、福島第一原発の爆発事故から生じたプルーム(目に見えない核汚染物質の雲)が覆って汚染した地域全体で、その広さは福島県域のざっと二倍にも及ぶ ― に住む全ての被曝住民たちだ。その数が福島県の人口の何倍になるのか私はまだ計算しかねている。

 

実は、1ミリシーベルトでも100%安全とは言えないのだが、それを超えて線量が増えれば、癌の発症率と癌死の確率は直線的に増えて行く。国連勧告が特に憂慮するのは、妊産婦、乳幼児、子供たち、つまり、100ミリシーベルト以下の低線量であっても最も影響を受けやすい次世代を担う日本人達の人権が切り捨てられている事だ。

私のこのシリーズの〔その-①〕を読まれた読者から、

神父様

クリスマスおめでとうございます。

神父様からの最新のブログは日本国民にとって深刻な内容ですが、れっきとした国連報告であるこの様なレポートが政府に寄らずともマスコミにも取り上げられないとは不思議です。(A.I.)

という極めてもっともな感想を受け取った。

本当に不思議ですね。マスコミも国民も事がらの余りの深刻さに恐れをなして、人間であることをやめて「見ざる、聞かざる、言わざる」「猿」に退化してしまったのだろうか?

今や、私たちの選択肢は、妊婦や子供たちと一緒に、黙って政府の課する20ミリシーベルトを、100ミリシーベルトさえも、を浴び続けるか、声をあげつつもなおも浴びる(癌死者は確実にチェルノブイリ以上に増える)か、それとも戦って1ミリシーベルトの「人権」と健康を勝ち取るか、しかないようだ。

私には今回の国連勧告について書きたいことがまだまだある。だから、

(つづく)

コメント
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