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知床日記、または、鹿とウサギのデート、または、神学的対話-その2
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このブログは 2009-03-17 23:34:53 に一旦アップして、その後ずっと封印されていたものです
懐古趣味で一時公開して、2-3日したら元の場所に戻しましょう
えぞ鹿さんは、僕をまずウトロから知床五湖へ案内してくれました。ウトロの絶壁の下には岩の上に海鵜が羽を休め、海はあくまでもコバルトブルーに輝いていました。もうここから知床半島の先までは船でしか近寄ることが出来ません。
遊覧船の航跡を目で追いながら、大自然の美にすっかり心を魅了されて、思わずえぞ鹿君に訊ねました。
〔ウサギ〕 世界遺産にもなったこの美しい自然は、どうしてあるの?
〔シカ〕 それは創造主の神が作られたからだろう。
〔ウサギ〕 どうやって?
〔シカ〕 はじめに神がいた。神だけがいて、神のほかには何もなかった。神のほかに絶対的虚無だけがあったという言い方は、人間の言葉の形容矛盾と言うべきか。
〔ウサギ〕 それでは、この世界は神が無から呼び出したもの?
〔シカ〕 そうさ、何の素材も使わずにね。
時計作りの職人の話を知っているかい?昔、あるドイツ人の詩人から聞いた話だが・・・。一人の職人がいた。薄い真鍮の板から大小の歯車を切り出し、細い鉄棒を短く切って軸を作り、設計図どおり懐中時計の枠の中に組み立てていく。発条(ゼンマイ)を入れ、文字盤と針を付け、最後に発条をしっかり巻くと、出来上がり。コチ、コチと正確に時を刻み始めるのを確かめると、爺さんは鼻眼鏡をはずし、その時計を仕事台の上に残し、通りのカフェに入ってコーヒーを注文して、店のマスターと世間話を始めた。作ったばかりの時計のことはひとまず忘れて・・・。それでも、時計は忠実に時を刻み続けているだろう。
〔ウサギ〕 それで、神様も世界を創造したあと、何処かへ行って休んで、新聞読みながらコーヒーを飲んでいるの。だって、この世に神なんていないもの。誰もまじめに信じてなんかいないよ。
〔シカ〕 そんなことあるものか。神が自分の創った世界のことを一瞬でも意識の外において忘れたりしたら、その瞬間、この世界はもとの無に帰ってしまうもの。この世界は、神が一瞬一瞬その意識の中に保ち、愛をもって存在の世界に呼び出し続けていなければ、つまり、絶え間なく創造し続けていなければ、神を離れて自分だけで存在することはあり得ないんだから。
〔ウサギ〕 ふーん?!なんだか分かったような、分からないような・・・。日本人は普通、世界はずっと昔からあって、いつまでも続くと考えているみたい。せいぜい、神は混沌を材料にして、それに秩序を与えると、それを措いて、何処か遠くに行ってしまったと考えているのじゃないかな。科学者は、エントロピーが増大して、混沌に向かい、最後は冷たく無秩序の中に停止してしまう、或いは無限に輪廻を繰り返す?
〔シカ〕 それは違うだろう。見えない神が、見える世界を自分に象って創り、ご自分の見えない美で、見える世界を包んだに違いない。そうでないとしたら、この美しく輝く海をどう説明すればいい?
(二人は知床五湖をめぐりながら、さらに「愛について」、「死について」、「悪について」など、延々と語り継いでいくでしょう)
(つづく)