:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 嘘も100回言えば本当になる?(ゲッペルス)

2015-01-04 20:28:45 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

 

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嘘も百回言えば本当になる?

「国連 グローバー勧告」 から見えてきた 「福島」 原発事故の問題点-③

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日本の政府の 原発事故対策を見ていると、そして、「国連グローバー勧告」に対する政府の反論を見ていると、自然にナチスの国家宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの「嘘も100回言えば本当になる」と言う言葉を思い出す。ゲッペルスは、本当は同じ事をもう少し敷衍した言葉で言っているのだが、ゲッペルスがそういう言い回しを使ったと100回言われれば、そういうことにもなる。

日本の政府は、広島・長崎の経験から、1ミリシーベルト以上は安全でないと一貫して語って来たのに、福島以来突如一変して、20ミリシーベルト以下なら、100ミリシーベルト以下でも安全と言い始めた。そしてそれを100回言って真実にしようとしている。



私は自分のブログのコメント欄への投稿を興味深く見守っている。

私が「グローバー勧告」に関する記事の②で書いた「いささかえげつないが、分かりやすい例え」がそのままでは政府の「リスク対経済効果」にぴったり当てはまらない事に気づいた人からの指摘を待ったが、それは無かった。それだけ読者の関心が薄いと云う事か。まあ、それも仕方がない。


あの「たとえ」では、切り捨てられるのは救出が極めて困難な3%の人(圧倒的な少数派)と言う事になっているが、実際に政府が切り捨てたのはその逆で「圧倒的な多数派」だと云う点にすぐ気が付いた人は何人いただろうか。

政府が福島原発事故で救済の対象としたのは、年間被曝が20ミリシーベルト以上、特に100ミリシーベルト以上の人達だけだった。それは人間の健康にとって極めて危険な値で、流石の政府もその人達に対しては、強制疎開や避難命令で対処するほかはなかった。然し、その地域は半径20キロ圏、30キロ圏を中心にその外では飯館村などと極めて狭く、そこに住む住民の数もおのずから限られていた。

問題は、1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまでの広大な地域に住む膨大な数の人々が切り捨てられたと云う点だ。

あの譬えと現実に起こった事との共通点は、その人達を切り捨てずに助けようとすると、恐ろしい額のお金がかかると云う点だ。

しかし、政府も東電も、「1ミリシーベルト以上の地域に住む膨大な数の人々を救済し、補償し、検査を継続するにはお金が掛かり過ぎるから、あっさりと切り捨てさせていただきました」とは、口が裂けても正直に言わない。

もっともらしい説明として其処で持ち出されたのは、《敷居値》(しきいち)という非科学的な概念だ。専門家がどう定義するかは知らないが、要するに、この数値以下の放射線を浴びても癌は発症しません。癌死もおきません。いや、発症し、起きているかもしれないが、それが原発事故由来の放射線に依るものだと云う疫学的証拠が見つかりません、だから・・・、というものだ。あるとしても、証明困難であれば無い事にしよう、と言っている様なもので、これは「悪い事をしても発見されなければよい」、と開き直っているのと同じ様なものだ。政府はこの筋の通らない言いがかり的反論で、国際的に恥の上塗りをしている。

「リスク対経済効果」の立場から、持ち出されたこの「しきい値」として恣意的にはじき出された20ミリシーベルトが、科学的に何の裏付けもないものである事は、「国連グローバー勧告」の64ページ「放射線によるDNA損傷」を見れば明らかだ。

 

 

生命の遺伝子情報は螺旋形によじれた二本のリボンをつなぐ塩基の配列として伝えられる。このリボンは非常に弱い化学結合エネルギー(数電子ボルト)で結合しているが、X線のような15,000倍以上ものエネルギーの放射線が当たると損傷する。一本のリボンだけが傷ついた時は自分で修復するが、同時に2本が傷つけば、塩基の配列が変わって突然変異が起きる。一旦起きた変異は細胞分裂のたびに再生産され、その蓄積が癌の原因になる。これはどんなに少ない放射線によってでもおきるから、「敷居値」以下では癌は起きないと云う説は誤っている。しかも、異変の発生率は放射線の量に正比例するから、線量が2倍になれば2倍、20ミリシーベルトなら1ミリシーベルトのときの20倍に癌発症率と癌死のリスクが増えると云う事だ。

チェルノブイリ事故の場合は、年間5ミリシーベルト以上の地域が移住地域、1ミリシーベルト以上の地域が「避難の権利区域」と指定され、避難する者には、補償や移住のための包括支援、医療支援を受けられるとのポリシーが確立し、影響を受けた人々に対する長期間の保養、年に1、2度の包括的な健康調査等が実施されてきた。これは、日本が福島事故以前には、広島・長崎の原爆の時も、JOCの臨界事故の時も維持してきた基準に沿うものだ。

それが、福島の事故を前にして、突然医学的に維持できない「敷居値」の概念を持ち出して、「リスク対経済効果」の政治的判断で20倍の20ミリシーベルト以下切り捨てを断行したのだが、これを国連は「非人道的」として是正勧告している。

ロシアは人口密度の低い広大な土地を持っている。それに引き換え、日本は現に人が住んでいなくて、しかもタダの土地なんて何処にもない。もし、ロシアがやった様に、5ミリシーベルト以上の地域の人を全て移住させ、1ミリシーベルト以上の人に「避難の権利」を保障し、包括的支援と医療支援を行おうとしても、それを実行するだけの空いている土地は無く、仮に時価で手当てしようとしたらその費用は天文学的な数字になる。まして、長期間の保養や、年に1、2度の健康調査等、対象者が余り多すぎて財政が持たない。だからと言って、国連勧告を無視し、「人権」には目をつぶって、20ミリ以下の被災者をばっさり切り捨てる政府の決定を、黙して受け入れるべきなのか。

巨大津波が起こりうる事はしっかり予見できていたのに、万一起こった場合は「想定外でした」と言う政治答弁で言い逃れしようと、初めから対策のシナリオを用意して、「リスク対経済効果」の観点から、確信犯として原発を推進し、アメリカ企業と一体になって世界に輸出してひと儲けようとした政治家たちに、先の選挙で「ノー!」を突きつけず、3分の2の議席を献上したのは誰か、と言いたくもなる。

私は投票日にたまたま日本に居たので、1票の「ノー!」を投じるためにわざわざ住民票のある雪の長野県信濃町役場まで行った。然し、国民の半数近くが近くの投票所に行こうとしなかった。此のままでは日本は再び戦争への破滅の道を突き進む事になるだろう。


3.11がたまたま短命民主党政権期間中に起こった事は、まことに皮肉な歴史の偶然と言うほかはない。これが与党、自民党政権中だったら、今頃状況は全く違っていただろうに、と思う。

民主党は福島原発事故に見舞われ、自民党の垂れ流しの尻拭いをしかねてつぶれた面がある。これが野党でいた間に起こっていたら、笠にかかって自民党の原発依存を非難し、追い詰め、それだけでも政権を取れていたかも知れないのだ。それが、事故がたまたま民主党政権下で起きたため、もたもた対応しかねている間につぶれてしまった。その反動で、自民党が何食わぬ顔をして3分の2の議席を背景に、何の反省もなく、やりたい放題を続けようとしている。

ロシアの完備した人道的な法整備がなされたのは事故から5年目の1991年の事だった。日本も国連の勧告を受けて、今から法整備を急いでも決して遅くはない。経済効率よりも人権が尊重される国に転換するために。

(つづく)

コメント
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