:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 懐かしのベルリン、今・昔 (その-2)

2015-02-08 16:38:28 | ★ 日記 ・ 小話

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懐かしのベルリン、今・昔 (その-2)

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1990年9月末のベルリンは秋の盛りだった。紅葉と落ち葉は素晴らしかった。しかし、日暮れからは寒さが身に染みる。さっそく「神様寒いよ!」と文句をたれた。親切な神父さんが恵んでくれた上着がなかったら本当に凍えるところだった。

(その夜をどうしのいだかは省略するが)、翌朝は柔らかい日差しの温かい日和だった。「神様ありがとう!」

お金がないからバスにもトラムにも乗らない。教会から教会へ、地図を頼りに一日平均20キロほど歩き、神父を呼び出しては「神の国は近づいた。改心して福音を信じなさい!」を告げて歩く。

神父から問答無用の無情な門前払いを喰うことがある一方で、こちらが正気だとわかると、誰か、彼か、話を聞いてくれるものだ。午後には歩き疲れて、額に汗がにじみ、つい「神様、暑いよ。あなた、少しやりすぎじゃない?喉が渇いた、ビール飲みたい!」もう文句は言いたい放題だ。だが、いくら悪態をついても、たいがい誰かが神様に代わって、たらふくビールを飲ませてくれる、と言った具合だった。

別の日の夕暮、今日はこの教会で最後かな、と思う刻限になった。幸い主任司祭は留守ではなかった。

「主の平和が貴方と共に。」という挨拶に「また貴方たちと共に。」とすらすら型通りの挨拶を返すことを知っている神父は期待が持てる。ダメな神父はまずこの挨拶が癇に障るらしい。石で野良犬を追い払うような扱いを受ける時は、心に大きな喜びがあふれる。そんなとき、相手の上に願った平和が自分に返ってくる、と聖書に書いてあるのは嘘ではなかった(マタイ10章13節)。

打ち解けた会話は、地球規模の世俗化の圧倒的な潮流と、世界の教会の危機的な凋落に及ぶ。飽食の西ベルリンではとっくの昔に教会離れが進んで、神不在の日本の社会と大差なくなっていた。ベルリンの壁が崩壊するまで貧しい東側の教会を満たしていた民衆も、今はパッタリと教会に来なくなったという。たった1年の間の劇的な変化だった。

そんな中で、我々の運動が教会の刷新を担う希望の星として教皇(当時はヨハネパウロ二世)に大切にされていること、世界中で新しい宣教活動が進んでいることなど熱く語っているうちに、秋の日はとっぷり暮れてくる。我々がお腹を空かしていると察した人のいい神父は、ビールばかりか香りのいい白ワインも、チーズも、ソーセージも、黒パンも、たっぷりふるまってくれる。温かいスープにもありついた。

問題はそこからだ。このふたり、ひょっとして今夜の宿がないのかな?という思いが神父の脳裏をよぎった瞬間から、事態は急変する。

神父は突然ソワソワし始める。時計をちらりと見て、実は何時から〇〇夫人の家で家庭集会がある。帰りは遅くなるだろう。今朝まで人を泊めていた客室はまだそのままで準備ができていない。50マルクずつあげるから、これで近くのペンションに泊まりなさい。外で野宿なんてとんでもない。病気にでもなられたら寝覚めが悪いからと、彼はお金で問題を片付けようと必死になる。

それはそうだろう。家庭集会が本当の話かどうかはとにかく、我々が札付きの悪(わる)で、さっきまでの話はみんな信用させるための嘘でないとどうして言い切れる?教会の司祭館は、外からの侵入者に対しては金庫のように厳重な戸締りがなされているが、一旦中に入り込んだら、神父が寝静まるのを見計らって、窓の掛け金をはずし鎧戸を開けて外に出るのは造作もないことだ。

教会の祭壇脇の香部屋(ミサの準備室)には銀の燭台や宝石をちりばめた十字架、金の盃など金目の物が山ほどある。廊下のさりげない油絵だって十何世紀の値段の付けられない逸品かもしれない。司祭館は信徒の財産で、神父はよき管理者に過ぎない。だから、素性の知れぬ二人のアジア人を泊めるなんてリスクは誰も取りたくないのは当たり前だ。レ・ミゼラブルのジャンバルジャンが官憲に捕まった時のように、「あの銀器は私が彼に贈ったものだ」、なんて嘘をついて庇ってくれるような粋な神父はまずいない。

「さあ、これを受け取って行きなさい。一日歩いて疲れてもいるだろう。遠慮しないで!さあ!」と親切そうに言うが、さっきまでと違って、「私はあなたたちが信用できないから」と顔にはっきり書いてあるのを私は見逃さない。

それまで一人占めで神父と楽しそうにしゃべり続け、話の中身を一言も通訳してくれなかった私に対してストレスを極限までつのらせていた光男君が、おおよそ察して「一体どうなってるの?」と日本語で聞いた。ひそひそとかいつまんで事情を説明すると、彼は暗く寒い外に目をやって、「受け取ろうよ!」と言う。「だけど、出発する前に、食べ物も、飲み物も、一夜のベッドも、提供されるものは何でもありがたく受けなさい。ただしお金だけはダメ、ときつく言い渡されているではないか。」「それだったら、なぜもっと早くおしゃべりを切り上げて、駅の待合室に行くなり、浮浪者救済施設のベッドに申し込むなり、手を打とうとしなかったのか。こんな街はずれで遅くなって、雨でも降ったらどうするのさ」と私の段取りの悪さを責めてくる。それに「せっかくの親切を無にするのは悪くないか?」とも言う。

俺一人なら断固辞退するところだが、光男君にはちょっとひ弱なところがあるし、まだ半分以上の日程が残っている。風邪でもひかれたらそれこそ厄介なことになる。それに、神父は苛立って急き立ててくる。納得いくまで彼と議論している時間はとてもなさそうだ。結局、こういう時は意思の弱いほうが勝つことに相場は決まっている。心ならずも大枚100マルクを受け取ってしまった。

さて、神父に礼を言って、外へ出てからが大変だった。

「お金はダメだとはっきり言われてきたではないか。どうして受け取ることにしつこく固執したのだ。」

「最後はお前が受け取る決断をしたくせに。」

「それはお前があきらめなかったからだ。それに、時間をせいている神父の手前もあったし・・・」と責任のなすり合いと弁解が延々と続く。

そんなところへ泣きっ面に蜂とはこのことか。冷たい霧雨が降り始めた。喧嘩は一時休戦。雨宿りの場所を求めて夜道を急ぐうち、小学校風の建物の前に出た。門をくぐって敷地内に入ると、グランドに面して広い庇(ひさし)の張り出した場所を見つけた。下のコンクリートは乾いていた。並んで壁にもたれて座ると、気まずい沈黙が流れた。

雨に濡れてまで、宿を探しに行こうとは光男君も言い出さない。寒くはあるが、幸い体温を奪い去るほどの風はなく、お腹もいっぱいになっていた。そこへ歩き疲れから眠気が襲ってきた。

気が付いたら、いつの間にか眠っていたらしい。光男君は、そばで大きな寝息を立てている。

ふと目をやると、向こうの植込みの下に何やら不思議な光の点がたくさん見える。時々点滅したり、動いたりする。何だろう?と瞳を凝らすと、それはどうやら穴から出てきた野ウサギたちのようだった。少し離れた街灯の淡い光を、私たちを見つめる好奇の目が反射しているのだった。

そうだ、あの100マルクに決着をつけなければ、と考えて、神父宛てに手紙を書いた。「ありがたく気持ちだけは頂戴しました。しかし、お金はお返しします。私たちはお金を受け取ることをゆるされていませんので、・・・。」その紙でお金を包むと、寝ている光男君を起こさぬように、そっと忍び足でその場を離れた。暗い道をたどるうち教会に着いた。ポストに投げ入れて最短コースで学校に戻った。

光男君は目を覚ましていた。そして腹の底から絶望していた。てっきり私に捨てられたと思ったらしい。言葉のわからない外国で、パスポートも切符も、それに「お金までも」私に持ち去られ、もう私とは永久に巡り合えないと悲観したのだろう。(「情けない!俺がそんなことするはずがないだろうが。1週間お互いに命を預け合った相棒ではないか。」という言葉は呑み込んだ。)私の顔を見て安心したか、彼の絶望はわけのわからぬ怒りに変わった。

だが待てよ!彼がパニクッて、焦って私を探しに当てもなくこの場から彷徨い出ていたら、一瞬のすれ違いで「生き別れ」も現実にあり得たかもしれなかったのだ。本当は紙一重の実に危険な場面だった。闇と孤独の中、不安と恐怖に打ちのめされて動くことすらできずにいてくれたことが幸いした。 

(つづく)

 

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