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懐かしのベルリン、今・昔 (その-5)
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「懐かしのベルリン、今・昔」と言いながら、昔のことばかり4回書いて、今のことを一度も書かないままでは片手落ちではないか。
25年と言えば四半世紀、そろそろ歴史の物差しで測れるほどの時の流れだ。当時のベルリンはドイツ統一直後で、東西の格差が歴然としていたが、今はその違いがすっかり目立たなくなっていた。
1月下旬のベルリンは日中の気温が0度。厳しい冬のベルリンの佇まいは、私の記憶を一気に最初のベルリン訪問にまで引き戻した。40年前、私がまだ若い盛りだった。愛車を駆ってデュッセルドルフから北東のハノーヴァーで真東に進路を変えると、やがて国境を越えて東ドイツに入る。ヒットラーが発明したアウトバーンは厚い鉄筋コンクリート製で、重戦車の高速走行に耐えた。(東京の高速道路は重戦車が何台も疾走すれば、アスファルトは割れ、高架は落ちるだろう。)
当時、東ドイツから西ベルリンへの国境の検問は厳しさを極めた。貧しい共産圏の中の孤島のような西ベルリンは、資本主義文明のショーウインドーとしての華やかさを誇っていた。
さて、後はストーリーも難しい考察も省いて、「今」のベルリンの散策に皆さんをお誘いしよう。
1989年11月10日にベルリンの壁が崩壊した その少し前に私がローマに来たことは前に触れた
統一ドイツの象徴ブランデンブルグ門 今 は壁の跡形もないが・・・
壁を越えて西ベルリンに逃れようとして射殺された人たちの記念の白い十字架は残っていた
ドイツ帝国議会議事堂は西ベルリンに残ったが 爆撃で破壊されたまま廃墟のごとく放置されていた
それが東西ドイツ統一を機に 内部の装いも新たに連邦議会議事堂として蘇えった
新たに設けられた屋上の巨大なガラスドームには上り下り二重の緩やかな螺旋回廊がもうけられ
その回廊から議会の議場内部が見下ろせる 日本の国会の古めかしさとは対照的なモダンな議席
議員さんたちの気分も一新されたに違いない 日本も何とかならないものか
日暮れは早い ショーウインドウの飾り付けは パリとはまた一味違って ベルリンらしく垢抜けしている
古いレストランに入った どの壁も俳優たちのポートレートでぎっしり埋まっていた
ビールとシュニッツェルの簡単な食事が懐かしい
私が25年前のある朝 夜汽車を降りたツォー駅の近く カイザー・ヴィルヘルム記念教会の夜景
崩れたままの鐘楼は 広島の原爆ドームのように 戦争破壊のシンボルとして残された
ベルリンには4つのフローマルクト(蚤の市)がある 6月17日通りの市をひやかしてきた
ヒットラーのナチスに対するドイツレジスタンスの記念センターにも足を運んだ
貴族出身の将校フォン・シュタウフェンベルグらが計画したヒットラー暗殺の計画は周到なものだった(1944年7月20日)。それなのに悪運の強いヒットラーはほんの僅かな時間のずれで一命を取りとめた。首謀者たちは計画を練るために使った建物(この記念センター)の中庭で直ちに処刑された。その中庭に立つ記念の銅像。
白バラグループ の ゾフィー・ショル と ヴィリー・グラーフ
白いバラ(Die Weiße Rose)は第二次世界大戦中のドイツにおいて行われた非暴力主義の反ナチ運動。ミュンヘンの大学生であったメンバーは1942年から1943年にかけて6種類のビラを作成した。その後グループはゲシュタポにより逮捕され、首謀者とされる5名がギロチンで処刑された。彼らの活動を描いた映画が戦後ドイツで作られ、反ナチ抵抗運動として、国際的に知られている。日本では「白バラは死なず」の題で上映された。学生時代新左翼シンパだった私はそれを見てどれだけ涙を流したことか。
同じく抵抗運動に散って行ったカトリックの活動家たち // ナチスに忠誠を誓ったカトリックの高位聖職者たち
信徒も司祭も司教も修道女もいた
この夜の駐車場の空き地の下には一体何が埋まっているのか
そこに立っていた掲示板には 「総統のブンカ―(地下防空壕)」神話と歴史の証言 とあった
厚さ11メートルのコンクリートの壁に守られ、ここでヒットラーは愛人のエヴァ・ブラウンと愛犬とわずかな側近とともに熾烈を極めた爆撃に耐えた。ソ連軍が500メートルに迫った最期の日、ヒットラーとエヴァは結婚した。彼女は妊娠していた。彼は青酸カリのカプセルを噛んだ瞬間にピストルで自殺。エヴァは服毒自殺を遂げた。二人の遺体は総統官邸中庭で焼却されたが、爆撃が激しく完全に灰になるまで焼かれることはなかった。戦後このブンカ―(壕)は破壊されたが、残骸の大部分は今も地下に残ったまま、その上は駐車場になっている。ネオナチの聖地になることを恐れて、ヒットラーの遺体は灰にしてエルベ川に流された。墓はない。
ベルリンのコンツェルトハウスに行った。キコのシンフォニーを東京のサントリーホール 他で演奏するので
どんなホールか興味があった。
演目はモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンと豪華なものだった
ホール喫茶室の花
たまたま「日本フェスティヴァル」ベルリン に出くわした。若い男性が日本の連凧を上げていた。和弓を手にしたご主人と和服を見事に着こなした奥さんが仲良く会場に吸い込まれていった。秋葉原のように、だが金髪は本物の、コスプレドイツ娘たちも大勢集まっていた。
私が10年余り勤めたコメルツバンクは、今や合併を重ねてドイツでナンバーワンの大銀行にのし上がった。
右は、昼間のカイザー・ヴィルヘルム記念教会の前で。
おまえ、髭はどうする?
日本に帰る前には剃らなくちゃ・・・
(おわり)