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隠 遁 者
ホイヴェルス著 =時間の流れに=
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隠遁者
隠遁者は世界のだれよりも好かれています。子供たちはその白いおひげのまわりで、ちょうど古い菩提樹の幹のまわりのように怖れ気なく遊びますし、大人たちは彼を見て天父を思い出すのです。そして彼には何でも心の秘密がいえます。彼はそれを聞きながら人びとの心の深みをせんさくもせず、彼らの目もみつめず、森の中の古い池のように終わりまできいています。いろいろな忠告などしません。神も忠告をなさるわけではありませんから。しかし隠遁者のそばにいると、人びとの心はのびのびとして健やかになるのです。
隠遁者はあらゆる生物の動きを見るのがすきです。磨かれた人格者よりも子供や若い人びとを、人間より雀やカブト虫などが好きで、灌木や草花とは、人間同士のように対話さえもでき、讃めてやったり撫でてやったりするのです。そして森の中の池のような、ひげの深い顔には、愛想のいい笑いが、ちらと浮かびます。
隠遁者だからといって所定めぬ暮しをしているわけではありません。ちょうど、大木が同じ場所で苗から成長したように、この世の安住の地を見出しました。隠遁者は、星をあまり眺めず、その目をいつも近い物の上に注いでいます。物は物で、彼に愛撫されたくて、彼の方にとんできます。鳥や猫や、鳩や小鹿などは、みな隠遁者の所では仲よしです。人間たちは人間たちで、ようやく彼を見つけ出し、巡礼の礼所のように彼を訪ねてきます。そして人びとはお互い同士の間柄もまたよくなり、もっと気持よく世渡りができるようになるのです。
こういうような隠遁者が、日本海に近い明るいいなか町に暮らしていました。その真中に造った自分の庵で、五十年あまりもずっと暮らしたのであります。彼はその町の者になりきり、全く城址の桜の大木のように、町の名物になってしまいました。彼は庵のまわりにたくさんの珍らしい灌木や草花などを植え、そこは美しい緑の花園となりました。ところが彼はその庭の木の中でも、二本の胡桃の木が一番好きでした。
五十年前のことです。その時分には自分が隠遁者になろうなどとは知らなかったのですが、日本に来て始めてクリスマスを祝ったときに、故郷からもらった胡桃を食べました。食べてみると故郷の味は非常になつかしいので、これがなくては長く生きられないような気がして、五つ六つの胡桃の実を残し、春になって庭の土の入れました。これは芽をだして大きくなりましたが、特に二つはよく伸びて、もう隠遁者の顔までとどくようになりました。彼はたいそうよろこんで、この二本の木をほめ、もっともっと高く伸びるようにすすめました。
そして「お前たちには特別のご褒美をあげよう」と、庭の東南の方に、広く間をおいて二本を植えかえました。植え終わってから、二本に向かって、「さあそれでは立派に大きく伸びなさい」といいました。
この二本の木は初めのうち非常に淋しくてなりませんでした。一体どういうわけで友だちから離されたのかわかりません。すると静かな緑の園の中に、たくさんの者どもが入って騒がしくなりました。建築材料が運ばれてくる、土は掘りかえされる、隠遁者も毎日見廻り、指図して、自分でも働きました。やがて一つの建物がたてられることになりました。二本の胡桃はおそろしくなってしまいました。自分の近いところまで土を掘りはじめ、それからずんずん高い壁をきずき上げたのです。でも隠遁者はこの二本の木に、「安心しておくれよ、皆できあがってからわかるよ」といいました。
建物がだんだんできあがってくると、それは聖堂となりました。その中は金と光りとが美しく輝いている上品な、全く隠遁者自身の心の中のように豊かなものであります。外は真白な壁に黒い屋根、すっかり隠遁者の姿のようになりました。
胡桃の木はまず非常に困りました。聖堂の東側が、胡桃の前にそびえ立っているのです。二本の胡桃は隠遁者に不満で、こんどは垣根の上、道の上に一生けんめいに枝を伸ばそう、そこで道の方で子供の遊んでいるのや大人が働いているのを眺めていてやれ、と決心しました。で、この二本の木は、道の方の枝に樹液を早くまわしたので、ぐんぐん道の方へ伸びていきました。この胡桃の悪戯を、隠遁者はしばらく知りませんでした。けれども六月ごろになってから、その悪い心を悟って、この二本の木に近づき、かわるがわる眺めました。その森の池のような顔は曇り、頭もひげも上下左右にふり動かしました。ようやくのこと、「お前はどうしてそんな悪戯をするのか」といって、しばらく猶予を与えてやりました。二本の木は非常に驚き、怖しさでいっぱいになってさっそく道の上の枝に、その樹液を聖堂の方へまわすようにいいつけました。隠遁者はもちろん、生物の動きを感じ、この木の悔みもすぐ悟って、またご機嫌がなおっていいました。
「お前たちはあとでわかるだろうと、前にいっていたな。ここにどういうわけで立っているのか知っているのか。お前たちめいめいの前にあるひとつの高い窓はステンドグラスの窓だから、朝陽の光線はまずお前たちの青葉を通って聖堂の中にはいらねばならない、そうすれば聖堂の中は一番美しい色のシンフォニーになってしまう。だから力強く伸びるのだよ。主につかえなさい。もちろん人びとにもつかえてかまわない。ただ正しい心でつかえるのだ。すべてにおいて程を守るように」
二本の木はこの言葉をきいてたいそう喜びました。
「今度こそどんなことにも程を守ります」
こうして二本とも立派な胡桃の木になりました。
胡桃は、夏には陽のあり余った光線を青葉で集め、それで甘い実をつくり、秋になるとこの実を隠遁者へ贈物にしてあげるのです。隠遁者はこの胡桃の実を人々に、特に子供たちに、いつも愛想のいい笑いとともに配ります。胡桃の一部を取りのけておき、それから強い飲物を製造し、自分の得意のものとしてお客にさしあげます。また町の病人にも分け与えます。病人は、他の高価な、苦い薬よりも、ずっとこの酒の方を信じて愛用しました。
私もこの酒を一杯飲んだことがあります。隠遁者は、飲物はいいかわるいかと、じっと私の顔を見ていました。私が飲み干してから、どうか胡桃の木を見せてくださいといいますと、非常に喜んで、さっそく庭につれていって、この二本の木の下に案内しました。彼は木のいただきの方を見あげました。それは三月の終わり頃で、無数の枝に黒い点のような、それこそ数限りない蕾があるのを私も見ました。それから隠遁者は胡桃の幹を軽く叩きながら、「この木は毎年同じように善い実がなります。これは天下第一の木ですよ」とほめました。そして私に、あとについてくるように合図しました。
「ちょうど去年また五つ六つの胡桃を植えたところ、小さい木になりました。この中の一つか二つを選びなさい」
私は一つを選びました。隠遁者は八十才なのに、シャベルで元気に一本を掘り出し、包んで贈物にしました。「いつになったら実がなるのでしょうか」と私がききますと、「十年たってから」と答えました。
「それなら最初の実はあなたに贈りましょう」
隠遁者はほおえんでいいました。
「それは天国に送りなさい」
私は注意深くこの包をいただきました。八日の旅の間、全国かなたこなたへ持ちまわりましたが、この小さい木を守る心配はたいへんでした。汽車の中では上の網棚にのせて、いつも上ばかり見て注意していました。ある時は乗客が重いカバンをその上に投げ上げようとしたので、私は稲妻のようにとび上がり、そのカバンを防いで大切な木を助けたこともあります。途中で根が枯れないように度々少しばかりの水をかけてやりました。この八日間に梢の蕾は葉を開いて伸びました。ようやくのことで無事に家についてから、さっそく、庭にもって行き、頃あいのところに穴を掘り、うやうやしくこの木を植えて、この小さい根のまわりに柔らかな土をかけ、あとで水を注いで、この小さい木に長年の成長と無事を望みました。そして毎朝、どれ位大きくなったかと、庭にいってみたのであります。
この小さな木は、私もいずれ隠遁者になるか、ならないかの運命を決定することでしょう。
いま思い返すと、私は確かにホイヴェルス師につれられて、ご一緒に丹後の宮津にこの隠遁者の教会を訪ねたことがあった。私のほかにたしかもう二人一緒だった。一人はホイヴェルス師の作品を集めて春秋社に持ち込み、「人生の秋に」という選集の出版にこぎつけ、それが縁で春秋社に就職した林幹雄君と、もう一人は記憶が定かではないが、確か安富君といったか、「紀尾井会」でしばらく顔を合わせた学生だった。
「紀尾井会」という名は聖イグナチオ教会の住所、紀尾井町7番地からくるのだが、ここは昔、紀伊の守、尾張の守、井伊 掃部頭(かもんのかみ)の江戸屋敷が並んでいた場所で、この「紀尾井会」は、毎週火曜日3時から、師が教会の主任司祭事務室に学生を集めて哲学、文学、信仰などの話を聞かせてくださる会だった。その紀尾井会、毎年夏に古くから師の薫陶を受けた先輩たちが一堂に会する。田中耕太郎、松田次郎、二代続けての最高裁判所長官、加藤信郎東大哲学教授、今道友信東大美学教授・国際形而上学会会長・国際美学会終身委員兼名誉会長、垣花秀武東大教授・日本の核物理学者、沢田和夫・粕谷甲一両神父ら、名をあげればきりがないが、100人近くがきら星のように名簿にならんでいた。私が「紀尾井会」の末席に連なったころは60年安保後の時代で、集まる学生も凡庸な小粒になっていたが、戦後の日本社会では優秀な人たちがホイヴェルス師のもとに集まっていたのが分かる。ある年の紀尾井会総会の席では、加藤教授と今道教授が師の御前で進講するのを楽し気に見守る師の横顔が忘れられない。
胡桃の巨木と私と林君とホイヴェルス師
話を隠遁者に戻そう。師と我々3人の学生は丹後の宮津の教会を訪れた。ホイヴェエルス師が隠遁者から贈られた胡桃の苗は四谷のイグナチオ教会の地続きのイエズス会管区長館 (そこが師の生活の場だった)の庭で実をつけるまでに育ったのだろうか。隠遁者は、その予言のとおりすでに帰天していた。私たちは教会の前の胡桃の木の前で写真を撮った。捨てないで雑然と箱に集めていたネガフィルムは50年以上経って劣化し、感光材が筒状に丸まったフィルムから剝離しかけて粒状のシミが広がり、見づらい写真になっていた。
隠遁者の墓の前でメモを取るホイヴェルス師
隠遁者のお墓では、師は誕生日、司祭叙階日、帰天日などを墓標からメモに書き留めておられた。一緒にお祈りをして、その足で、天橋立にも行った。
率先して股覗をするホイヴェルス師
神父様は、丘の上で海を背にして立つと、やおら長いからだを二つに折って、股の下からのぞいて、これが天橋立だよ、やってごらんと言われた。真似て覗いてみると、確かに海が空に見え、松林の細長い陸地が天にかかった橋のように見えた。
淡々と股覗きをする神父様の姿に、気おされるような意外性を感じたのを忘れない。
ホイヴェルス師は好んで若者を旅に誘われた。その最も顕著な例がインドへの旅だった。 お誘いがあった時は我も我もと希望者が手をあげたが、いよいよ話が具体化する中で、一人降り、二人降り…して、一番可能性が薄そうだった私が最後に一人だけ残って実現を見た。1964年、東京オリンピックの年、まだJALがやっと国際線を飛び始めた頃で、私はもちろん船で行った。(詳細はカテゴリー《インドの旅から》40篇をご覧ください)