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シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」を語り合う会(郡山)
(2016年12月5日)
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師走の朝早く江戸川の家を出て、車は一路常磐道を北上した。
行く先は郡山市のビューホテル。
今年の5月5日、郡山市民文化センター(2004席)の素晴らしいホールで演奏されたキコのシンフォニーを聞いた人々が集まって、感想を語り合う会に私たちは招かれた。
どんな集まりが待っているのだろうかと思い巡らしながら、小春日和の常磐道のドライブは快適だった。
用意された部屋の広さに釣り合った13人の男女が私たちを待っていた。私たちとは、グレゴリオ、ピラル、若いサムエルに私の4人。私たちは似たような会を東京でも、広島でもその他の都市でもすでにいくつか経験している。しかし、郡山の場合は特に印象的だった。私たちがお膳立てしたのではなく、招かれた形になったことがまず違った。昼食が準備されていた。
写真はお開きの前にテーブルの一辺に集まって集合写真を撮った
食事と懇談が終わると、あのコンサートの日の感動と、感想が時間をかけて語り合われた。郡山市は日本の「楽都」と呼ばれる音楽のきわめて盛んな都市だ。海外から数十人のオーケストラが来たことも、有名な指揮者が来たことも、クラシックの名曲が演奏されたことも珍しくなかった。しかし、コーラスも含めて200人を超える海外からの大音楽集団が市民文化センターのステージを埋めたのはホール開闢以来のことだそうだ。
福島から東京への移動日を使っての追加公演企画が持ち上がったのが上演一か月前、ポスターが出来てPR活動が始動したのが僅か2週間ほど前だった。地元の音楽専門家は、経験から客席が空っぽの悲惨な大失敗に終わることを確信して、思いとどまるように真剣に助言してくれたのに・・・。それなのに、蓋を開けてみたらウイークデーの真昼間の1時半に2000席がほぼ満席になったのはまさしく奇跡だった。杉並区の人口の半分にも満たない郡山市(33.5万人)で、2週間のPRで2000席を満たすことは、人間的に考えて絶対に不可能でなければならなかった。このホールの歴史で今後2度と再び起こらないだろうと断言してもいい不思議な出来事だった。
演奏の最中、たくさんの人が感動の涙を流していたことを、出席者たちが証言した。(ベートーヴェンを聴いても、モーツァルトを聴いても、カラヤンが棒を振っても、こんなに大勢が涙を流す現象は起きない。)感情表現の控えめな日本人が、演奏が終わるやいなや、1階も2階も3階も割れるような拍手とスタンディングオベーションだった。前日の福島でも、次の日のサントリーホールも、満席にこそなったものの、これほどの熱気はなかった。オーケストラとコーラスの出来栄えも3会場のうち郡山が最上だった。
地震、津波、放射能汚染の3重苦は福島も同じなのに、郡山の場合「罪のない人々の苦しみ」への共感はなぜそんなに強かったのだろうか?
世界中を巡業しているキコのオーケストラとコーラスの団員も、「日本ツアーは良かった!!」、という点で皆の意見が一致している。指揮者のトーマス・ハヌスも、作曲者のキコ自身も大満足だった。「日本だったらまた行きたい!」、と言う声が彼らに会うたびに私の耳に届く。誰言うともなく、「次は広島と長崎だ」と、いうことになっているらしい。
あの苦労をまたするのかと思うと、立ちすくんでしまう私を、後ろから押し出すようにその声が迫ってくる。私は12月18日にまたローマに戻る予定だが、キコはこの年末年始私のいるローマの神学院に住み込んで、改築なった聖堂の正面の壁に壁画を描くことになっている。その壁面の広さ、バチカンのコンクラーベ(教皇選挙)が行われるシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの大壁画「最後の晩餐」のそれよりもさらに広いという。なんというスケールの怪物かと、同じ1939年生まれの私はただ舌を巻くばかり。
足場の組まれているのが増築部分。
この壁面はシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」の絵よりも大きい
同じ屋根の下に居れば顔を合わす機会も多かろう。そうだ、キコに会ったら言おう。「あなたに本気で行く気があるのなら、私は2018年5月に長崎、広島(もしかしたら関西でもう1か所)のツアーの日程を組む用意がある!」と。
その時、郡山ではこのブログの読者の皆さんの想定外の「まさかのサプライズ」があるかもしれないと言う漠たる予感が私を包む。(私はハラハラ、ドキドキしながらその日を待ちわびている。)