:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ヘンシェルカルテット 教皇の御前コンサート

2008-04-22 12:01:16 | ★ ヘンシェルカルテット

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ちょっと前の話ですが・・・

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招 待 状

~教皇ベネディクト16世の御前コンサート~

この春、3月19日聖ヨゼフの祝日は、ヨーゼフ・ラッツィンガ―枢機卿改め、教皇ベネディクト16世の霊名の祝日だった。

かつて高松の神学校建設資金集めのチャリティーコンサートツアーで苦楽を共にした仲間たちのヘンシェルカルテットが、バチカン宮殿のクレメンティーナ広間で教皇のお祝いに演奏することになった。
ローマ在住の私が彼らの計らいで特別に出席できることになったのは、むしろ自然な成り行きだったと言えるだろう。

 

第一と第二ヴァイオリンを弾く双子の兄弟の姉のモニカ(ヴィオラ奏者)の直筆の封筒を開けて、はっと息をのんだ。
私の目は、バチカンが準備したプログラムの表紙にくぎ付けになったのだ。これだ!と思わず声をあげて叫んだ。それは、十字架のイエスの体が全裸だったからだ。

私は、なぜかずっと以前から、ナザレのイエスは全裸で十字架に磔になったと信じて疑わなかった。しかし、それを口にすると信者たちは躓き、信心深いご婦人たちの酷いひんしゅくを買ったものだった。だから、それに懲りた私は、以来このことを決して口にしなかったのだ。

それがどうだ!
カトリック教会の頂点に立つローマ教皇の霊名の祝日のプログラムの表紙が、ズバリそれではないか。わが意を得たり!これからは、何も怖れずにまたはっきりとそう言おう、と決心を新たにした。



ナザレのイエスは、同胞のユダヤ人たちに売られ、ローマ帝国の軍隊からは、国家転覆を企てた反逆者として、見せしめの極刑に処せられたのであった。粗野なローマの兵士たちが、キリストを十字架にかけるために裸にしたとき、わざわざ腰布を巻いて隠してやるようなデリカシーを持ちあわせているはずがないではないか。

プログラムの表紙こそ正解なのであって、添えられた解説書の表紙の中世の絵は、
教会がその後に偽善的なすり替えを施したものにすぎないと私は思っている。

「青銅の門」からスイス衛兵の敬礼を受けてバチカン宮殿に入る。




壁と天井が、遠近法を駆使した精緻な「だまし絵」で華やかに彩られた広間には、
後ろ三分の二のスペースにざっと250ほどの椅子が並べられていた。



その約半分が、赤い礼服の枢機卿たちと、紫の司教たちだった。
肩とひざを露出しないシックな黒のドレスに身を包んだご婦人たちをエスコートする殿方は、いずれもやんごとなき身分の人士たちに違いなかった。

ヘンシェルカルテットの友人だからと特に招待された私ごときが、場違いな存在であることは一目でわかった。
黒のスーツでとの指定を受けても、もともと擦り切れたカラスの一張羅だから気楽なものだ。なーに、構うものか!と腹を据えた。

ところで、私はこういう場所に入ると、なぜかテレビカメラマンたちの存在がバカに恰好よく見えて仕方がない。





今日も前の両脇と後ろの隅に、合計三人の侍が陣取っていた。

壁も天井も見事なフレスコ画で、詳細にみるとまるで彫像が並んでいるように立体的に見えるが、
実はそのすべでが平板な壁面に描かれた騙し絵なのだ。



それにしても、一枚ずつの絵が彫像のように浮き出て見えるのはなかなかのものだ。



正面にヘンシェルカルテットの座る椅子が、手前右に金色の肘掛だけが写っている赤い布張りのが教皇の座る椅子だ。



演奏に入る前の緊張した瞬間。



演奏中は小さいシャッター音も憚られたので、写真を残すことができなかった。
そもそも、同じ床の高さに座る演奏家の姿は、赤いズケット(枢機卿の帽子)の海の向こうに沈んでほとんど見えなかったのだ。

教皇の後姿も、わずかに頭だけが垣間見られた。



曲目はヨーゼフ・ハイドンの「十字架の上のキリストの7つの言葉」をスペインの作曲家ホセ・ぺリスが弦楽四重奏とメゾソプラノのために編曲したもので、演奏が終わり万雷の拍手が鎮まると、教皇は演壇に立って、自分の音楽観について短い話をした。
そう言えば、ハイドンもぺリスも、教皇と同じヨゼフの霊名をいただいている。偶然にしては出来すぎだな、と思った。



お話が終わって、教皇と握手するカルテットのリーダー、姉のモニカ。同じドイツ人同士で何か心に通い合うものがあるのだろうか。

(教皇は手前の枢機卿の頭の陰になって、わずかに手と白い袖口しか映らなかったのはちょっと残念!)




近くに寄れたのはいいのだが、あわててちょっとピントがぼけてしまって・・・・、これも残念。



演奏会の余韻を楽しみながら、バチカンの近くのイタリアン・レストランで、再び資金集めが必要になった時には、またチャリティーコンサートツアーを組もうね、といまから大きく夢を広げる仲間たち。



夜も更けて、路上に駐車したままの車に戻るとき、ふと振り向くとサンピエトロ広場には春の宵を楽しむ人の群れがまだ・・・

歳をとったせいだろうか。近頃、世の中の流れが自分の思いと違う方向に進んで行くことに対して、あきらめと言うか、達観というか・・・、焦りとか苛立ちが心の中から薄れていくのをよく感じるようになった。はたしていいことなのか、悪いことなのか・・・・・?





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