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3.11 東北大震災 ローマは忘れない
「記念追悼ミサとコンサート」
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ローマはこの時期桜の花盛り ソメイヨシノよりずっと小型の可愛い花がいっぱい
私は、不思議な巡り合わせでこの記念ミサを共同司式することになった。
それは、私がイタリアで洗礼を授け、
今は立派な行動するクリスチャンに成長した日本レストラン 「寿司千」 の女将(おかみ)の千香子さんと、
そのお友達でかつて東京のイタリア文化会館の館長夫妻だったジョルジオとマリアを通して、
サンタ・リタ教会の95歳のモンシニョール(司祭の称号)ルイジ神父に出会い、
そのルイジ老司祭が私を共同司式に招いたからだった。
誰が書いたか、上のイタリア語の上品な招待状の言葉は、訳せば次のようになる。
日本をあの恐ろしい震災が襲ってから、はや3年が過ぎました。
ルイジ・モリナリ師は今年も東北の地震の犠牲者と被災者のために
サンタ・リタ教会で捧げられるミサに皆さまを招いておられます。
ミサの後、グリエルモ・デ・サンティス指揮の「カントーレス・ムジケ・ムンディ」合唱団と
ソプラノの藤井やすこさんの協力によるコンサートが開かれ、
NHKの地震被災者を励ます歌 「花は咲く」 も歌われます。
この出来事はスペインとフランスでも放映され、震災記念日にはNHKテレビでも一部取り上げられる予定です。
皆さん、祈りを篤くして、被災した兄弟たちを決して孤独のうちに忘れ去られることがないように、
いつも私たちのこころに思い出しましょう。
ミサの前にはルイジ神父と、ジョルジオの短い挨拶があった。
ミサの中の、コーラスはパレストリーナの「感嘆すべき王なるイエス」や、アルビノーニの「アダージオ」のオルガン演奏、パレストリーナの「シクト・チェルブス」、そしてアルビノーニの「おお、わが主よ、聴きたまえ」などが歌われた。
ミサの後、コーラスは祭壇前に場所を移し、「花は咲く」 を多声部構成でカノン風に複雑に編曲したものを、日本語の歌詞を理解しないイタリア人たちが美しいハーモニーで歌い上げていった。歌い手の中には、イタリア人のソリストや俳優や、ローマ在住の日本人のプロの歌手や、飛び入り友情出演のイタリア人カルテットも加わった豪華な顔ぶれだった。では、教会まで皆さんをご案内しよう。
出発点はローマのおへそ、ベネツィア広場にほど近いトレビの泉
泉の前にはいつもこの足萎えの物乞いが居る。よく見るとスケボーをお尻の下に敷いていざっている
香ばしい炭火焼栗屋の角を曲がり
マネキンのバイクのお姉さんの前を過ぎるとやがて
サンタ・リタの教会の前に出る。 建物の角には聖母子の絵を二位の天使が護っている
サンタ・リタの教会はそんなに大きな建物ではないが、バロック様式のよく手入れされた美しい教会だ。その教会が参列者でベンチは一杯。周りもぎっしり立ち尽くす人で埋まった。
バロック様式の天井にはびっしりと絵が描かれている
イタリア人を中心に教会はいっぱい イタリアのNHKに相当するRAI 他のテレビカメラマンが一時間も前から機材の調整に入っていた
ミサの間、私は共同司式者として祭壇に立っていたので写真が撮れなかったが、千香子さんの一人息子のジュリアノが撮っていてくれた。
ミサが終り司祭が祭壇を去ると、コーラスが正面に出て主役となる
「花は、は~なは、花は咲くー、いつーかぁ 恋する君のために~」
RAI 局のインタビューを受けるソプラノのソリスト 見守る今日の主催者ルイジ・モリナリ神父
イタリア人の地震と津波の災害犠牲者に対する関心は高い。目を覆う自然災害についてはもちろん、この日ルイジ神父の説教やジオルジオの挨拶で多くは言及されなかったが、福島の第一原発事故の目に見えにくい人災についてはなおさらだ。彼らはクールで、政府や東電のように嘘をついたり事実を隠したりすることは通用しない。だから、一般の日本人より多くを知っていて真剣に憂慮しているのが感じられる。
日本人が欺かれて過小評価し忘れようとしても、ローマの人々は、イタリア人は、世界は決して忘れない。
千香子さんたちは現地福島の真剣な活動家と連携しながら、日々出来ることは何かを模索している。
私はユーチューブなどで3.11のドキュメンタリーを見ながら昨夜は一睡もしなかった。私も何も出来ないが、この夏は3度目の被災地巡礼をしてみたいと思っている。
左のわたしの隣が千香子さん。 中央の胸が広く開いた黒いドレスのソプラノが手をつないでいるのがマリア。その肩に手を置いているのが元東京のイタリア文化会館の館長のジオルジオ。その右隣りがルイジ神父。 あとは何れもこの企画に関わった協力者たち。
遠く離れたところから愛の花束が 感謝
Y.
拙訳を載せていただきありがとうございました。
3.11は,遠くローマでも日本に思いを馳せてくださる方々がいたこと,東北に縁のある人間として,とても嬉しく存じます。
「神々の醜聞」「血に汚れた神」「ラビと神父」と言う三つのコメントを、相次いで三つの異なるブログに頂いて有り難うございました。何れも辛口のコメントで、一瞬引いてしまいそうになりましたが、内容自体はまじめなものであることを認めざるを得ませんでした。真剣に公開に向けて検討させていただきましたが、一つだけどうしても越えられない壁にぶつかってしまいました。それは「コメントと言うものは、あくまでそれが寄せられたその回のブログの内容に関連したものであるべき」と言う原則です。或るブログに、そのブログの内容と全く関係のないコメントが載るというのは、本来あるはずのないことです。
その観点から言うと、今回戴いた三つのコメントは、内容それ自体は示唆に富んだものであることを十分に認めた上で、そのコメントが寄せられたブログと全く無関係であったために、敢えて保留のままにせざるを得ませんでした。どうか悪しからずご了承ください。