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【続】カトリック正義と平和協議会と私
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グーグルの無料ブログ編集サービスを利用してグログを書いている人は、今日現在日本中に 3,149,281 人いるが、書いている本人は自分のブログのアクセスランキングとアクセス人数がリアルタイムでわかるようになっている。
ちなみに、2月16日の私のブログ「岸田総理、あなたは大丈夫ですか? 私もLGBTQ+論争に巻き込まれてしまいました。」は 314万人中 818位 と 1000位 を切って、それ以来今日まで引き続き 1000位台 をキープしている。これは私のブロガー人生のなかでも特筆に値する記録だ。
しかし、毎日寄せられるコメントをどれぐらいの人が読んでくださっているかまではわからない。私は悪意を感じる投稿は論外として、賛否両論のコメントを平等に開示して、自由な言論の広場として開放している。
各ブログの末尾の右下に目立たない小さな字で「コメント」とあるから、そこをクリックするとコメントの全てが読める。実に面白いので、ぜひそこまで読んでいただきたい。
さて、最近の「日本カトリック正義と平和協議会」の「声明文」に関連して、興味深いコメントが寄せられているので、敢えてブログの本体に再録して、それに対する私のコメントもご紹介しておきたい。
ペンネーム「新米信徒」さんのコメント
2023/02/25 23:52:29
協議会という名称
谷口神父様
何も知らなかったので、(宗教法人)カトリック中央協議会の site の「『カトリック教会』に法的に根ざしている組織である『日本カトリック司教協議会』の『カトリック正義と平和協議会』」を見ると、「できるだけ広く参加を求め、運営の民主性を示すために、協議会の名称を使用しています。」とあります。不思議に思い、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「正義と平和評議会」の解説を見ると、「日本では『正義と平和司教委員会』および『正義と平和協議会』として 71年に発足したが,74年には一本化されて『日本カトリック正義と平和協議』となった。」とあります。このようなことを書かないと、「運営の民主性を示すために」ということが伝わらないように感じます。
それに対する私のカウンターコメント
2023/02/26 09:32:09
新米信徒さまへ
いつも的確なご指摘を有難うございます。
なるほど、「日本では『正義と平和司教委員会』および『正義と平和協議会』として 71年に発足したが,74年には一本化されて『日本カトリック正義と平和協議会』となった。」ということですね。
それならわかります。つまり、「司教委員会」の名前は消えて、同時に民主的な信徒の活動家に開かれた「協議会」も解散消滅し、「協議会」の名を改変して「日本」をつけて「日本カトリック正義と平和協議会」とし、そこに名を消した「司教委員会」が入りこんで実質「正義と平和司教委員会」が「日本カトリック正義と平和協議会」として生き延びて今日に至る、ということですね。要するに民主的な信徒の活動家を主体とした「正平協」はつぶされて、「(宗教法人)カトリック中央協議会の 「カトリック教会法」に根ざしている組織である「日本カトリック司教協議会」が誕生したということですね。
そして、その改変を機に本来の「正平協」が「死に体」化したということでしたか。それなら、正平協の変節の説明がつくというものですが・・・。
しかし、ちょ―っと待ったー!!
自分の日記を見ると、私が「正平協」で活動していたのは1977年にドイツから帰国してからのことだから、その時にはもう上の組織改編は終わっていたわけではないですか。
改変後も、相馬司教のもとでは民主的な信徒のイニシャティブによる活発な活動があったのはどうしたことでしょう。
正平協の変節が起きたのはそれより数年あと、つまり、私が国際金融マンを辞めてローマで神父への道を歩み始めた時より後のことではなければならないと思われます。だから私は知らなかったのではないか・・・と。
とにかく、私がメンバーであった時の「正平協」と現在の「正平協」とは掲げている理念もやっていることも正反対の印象を受けます。
それでなければ、今頃私は「正平協」に招かれて復帰していて、「正平協」の人間としてLGBTに関する私の意見を発表していてもいいはずです。それなのに「正平協」は反対に私の口を封じようとしています。
いつも的確なご指摘を有難うございます。
なるほど、「日本では『正義と平和司教委員会』および『正義と平和協議会』として 71年に発足したが,74年には一本化されて『日本カトリック正義と平和協議会』となった。」ということですね。
それならわかります。つまり、「司教委員会」の名前は消えて、同時に民主的な信徒の活動家に開かれた「協議会」も解散消滅し、「協議会」の名を改変して「日本」をつけて「日本カトリック正義と平和協議会」とし、そこに名を消した「司教委員会」が入りこんで実質「正義と平和司教委員会」が「日本カトリック正義と平和協議会」として生き延びて今日に至る、ということですね。要するに民主的な信徒の活動家を主体とした「正平協」はつぶされて、「(宗教法人)カトリック中央協議会の 「カトリック教会法」に根ざしている組織である「日本カトリック司教協議会」が誕生したということですね。
そして、その改変を機に本来の「正平協」が「死に体」化したということでしたか。それなら、正平協の変節の説明がつくというものですが・・・。
しかし、ちょ―っと待ったー!!
自分の日記を見ると、私が「正平協」で活動していたのは1977年にドイツから帰国してからのことだから、その時にはもう上の組織改編は終わっていたわけではないですか。
改変後も、相馬司教のもとでは民主的な信徒のイニシャティブによる活発な活動があったのはどうしたことでしょう。
正平協の変節が起きたのはそれより数年あと、つまり、私が国際金融マンを辞めてローマで神父への道を歩み始めた時より後のことではなければならないと思われます。だから私は知らなかったのではないか・・・と。
とにかく、私がメンバーであった時の「正平協」と現在の「正平協」とは掲げている理念もやっていることも正反対の印象を受けます。
それでなければ、今頃私は「正平協」に招かれて復帰していて、「正平協」の人間としてLGBTに関する私の意見を発表していてもいいはずです。それなのに「正平協」は反対に私の口を封じようとしています。
私自身は若かったあの頃も今も信念も情熱も全く変わっていない。だとすれば変節したのは「正平協」だとしか思えないではないですか。
他にも、各ブログの末尾にはいろいろ興味深い「コメント」が寄せられています。どうかそこまで読んでくださるように、お招きいたします。(谷口)
わたしは今もって何も知らないのですが、「カトリック正義と平和協議会」の site にある 「JP 通信」のバックナンバーの no. 149 までを click して見ました。JP は、Justice and Peace の略でしょうか?わたしはこのようなことも知りません。バックナンバーを見ると、
「『正義と平和』
No.1 1978.7.11」
「『正義と平和』
No.21979.4.15」
「『正義と平和』 日本カトリック正義と平和協議会ニュース・レター
No.3 1981.2.16」
表題が変わりました。そして、このおよそ 4 年後に、
「『正平ニュース』 日本カトリック正義と平和協議会ニュース・レター
No.1 1985.1.8」となり、月毎に発表されたようです(今は偶数月のようです)。1981 年は、教皇ヨハネ・パウロ二世が来日された年です。偶然ですが、1985 年に東京大司教区に補佐司教が任命されています。
JP 通信の流れを見て、1981 年から1985 年の間は、第二バチカン公会議を経た日本のカトリック教会にとってとくに大切なときであったように感じます。
カトリック中央協議会の site に、「日本の教会の基本方針と優先課題」があることを知りました。司教団・司教協議会 諸文書 日本司教団関連文書、で、日付は、1984/06/22 です。前文は 8 つの項目からなります。この項目の 2 に関わることですが、この基本方針にある「社会の福音化」と谷口神父様の記事は全く相反しているのでしょうか? それから、無知な者の感想ですが、上記の文書にある「福音」は、何を指しているのでしょうか? 無知が為の問です。