:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ もう一つの終戦記念日-グアム島のリベレーションデー(解放記念日)

2008-03-14 22:52:43 | ★ グアム島日記

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★ もう一つの終戦記念日-グアム島のリベレーションデー(解放記念日)

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グアム島は1300フィートの上空からでも全島が見渡せるちょうど淡路島ほどの小さな島だ。セスナの実機の操縦は、私の銀行マン時代のホピーだったラジコン飛行機の操縦よりはるかに楽だ。



7月半ば、思いがけず再びグアム島の教会から要請があって手伝いに行くことになった。帰国前日の7月21日は、日本軍に占領されていたグアム島が、激しい戦闘の末、アメリカ軍に解放された記念日だった。
高松の神学校の姉妹校、グアムの「レデンプトーリス・マーテル」国際神学院の副院長のイワン神父は、昼食のテーブルで「ジョン(と彼は私のことをそう呼ぶ)、君はその日はベッドの下に隠れて震えていることになるのかね」と、茶目っ気たっぷりの冗談を飛ばした。
朝からマリンドライブの広い道はパレードのために開放されていた。露払いはバイク野郎たちの大集団だった。この小さな島の何処に潜んでいたのか、ハーレーやカワサキやホンダの大型バイクが、耳を聾する大爆音とともに堂々と通り過ぎていった。







その後に続くのが、三軍や海兵隊の行進だった。






マリンドライブでは民族衣装の娘たちが軽やかに舞い踊り、



その頭上には、空の要塞「B52 戦略爆撃機」が悠然と舞っていた。



そして、その下を大型トレーラーに引かれたモダンな山車の列が延々と昼過ぎまで続く。よく見ると、日本企業のスポンサーのものが多かった。目を引いたのは、創価学会の一大デモンストレーションだった。テレビ中継のアナウンサーが、盛んに「ソカガッカイ」となまって連呼していた。



しかし、62年前、この島で大勢の日本の若者たちが散っていった。華やかなパレードと、陽気なチャモロの人々のお祭り騒ぎ、いたるところで振舞われるバーベキューの香ばしい香りと紫の煙の彼方から、ジャングルの草葉の陰に眠る数万の日本兵たちの啜り泣きが聞こえてくる。
残された資料を詳細に読む中で、飢えて錯乱し、日本人の民間人を殺して人肉を食べた兵士が、「次は自分が殺されて食べられる」と怯えて米軍に救いを求めた同胞の密告で米兵に捕らえられ、檻に入れられ、やがて処刑されていったという哀れな男の話が心に刺さった。
日本軍の部隊の上官が、特権にものを言わせてチャモロ(グアムの原住民)のグラマーな美人を囲って、可愛がった。部下の兵士は指を銜えて見てみぬふりをするほかはなかった。その女は自分の身内のためにいろいろと便宜を引き出していた。日本軍の旗色が悪くなると、彼女は同胞からのねたみと憎しみによる制裁を恐れて、自分の情夫に「同胞に不穏な動きあり」と嘘を吹き込んだ。そのため、たくさんのチャモロの若者が日本兵によって集団虐殺された。そして、解放後、その女は同胞のすさまじいリンチを受け、あちこち抉られた裸の死骸は逆さに吊るされて曝された、というような陰惨な話も記されていた。一旦戦争となったら、かつてのナチスも、日本兵も、今日のイラクの米兵もみな五十歩、百歩である。戦争はいけない。



ここにも一人尊い犠牲者がいる。私が奉仕したチャランパゴ教会の国道を挟んで真向かいの家の一人息子で、イラクの戦線で戦死した4人目のグアム出身のアメリカ兵(23歳)だ。



彼は結婚してまもなく出征した。そのあとには、若い未亡人と可愛い一人息子と悲嘆に暮れる母親が残された。かれは、写真で見た自分にそっくりの息子を腕に抱くこともなく帰らぬ人となった。遺族年金なんてたいした額ではない。私の一度目のグアム滞在の間、毎日のように私のミサの説教を聴いていた母親は、私が帰国する前日、ミサの後私を朝食に誘った。いろんなことを打ち明けてくれた。深く考えずに、軽い気持ちで息子の肩を押して戦場に送り出したことを後悔した母は、そのことで欝になり、精神科の医者の世話にもなった、と言うことだった。
日本に帰る日、彼女は自分の車で私を空港まで送ってくれた。
二度目の訪問のとき、彼女はサイパン出身兵士の葬式から戻ってきた。遺族たちの連帯の輪が広がり始めていた。彼女たちが反戦のために立ち上がること、声を上げることが期待される。若い美しい未亡人、しっかりした母親、いたいけない坊やのことを私は忘れることができない。



英雄の帰還



国道に面したガレージには、今も兵士の大きな写真が飾られている。「お帰りなさい兄弟」と書いてあるが、前回、屋上にうな垂れていた星条旗の半旗と彼を英雄としてたたえる大きな横断幕は、もうなかった。

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