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G7サミット会場で元銀行マン神父「保険」について語る
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去る4月29日、私はグランドプリンスホテル広島の21階の中国料理「李鵬」の広い個室で「保険」についてお話をしました。
ホテルのロビー
グーグルマップで確認すると、ホテルは広島港のすぐ傍、宇品島の東南端にある。市街地に近いのにセキュリティ面では理想的な立地なのだろう。
ロビーの奥には巨大なディスプレイにサミットのカウントダウンが(4月30日撮影)
傍らに参加国の甲冑鎧が、
左から、日本、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、ギリス、アメリカ、欧州連合
ホテルのカードキーホルダーと私の宿泊証明書
ホテルの部屋の窓から 沖合には商船学校の練習船か?
宇品ふ頭の岸壁には 船名 SEVEN SEAS EXPLORER の豪華クルーズ船
ホテルの敷地は4メートルはあろうかと思われるフェンスで急ピッチで囲まれていく
もう今から警視庁の警官がほぼ50メートルの間隔で立って警備に当たっている
岸に沿って警備の船、市街地の路上にも警官があふれている
こんな物々しい雰囲気の中で、私はホテル21階の中国料理「李芳」の広い個室で開かれた晩餐会の最後に短く「保険」というテーマのお話をしました。だんだんわかってくると思いますが、たまたまこの時期にこのホテルで・・・、という以外は、サミットと何の関係もないことは言うまでもありません。
私の話を要約すると、およそ次のようになります。
世の中は不確実性に満ち溢れています。賢明な人々は起こり得るあらゆるリスクをヘッジするために、様々な保険を掛けます。健康保険。火災保険。地震保険。ガン保険。旅行保険。自動車保険。失業保険。死亡保険。etc. etc.
自分の豪邸(?)のために火災保険に長年結構な保険料を払って、30年たっても火事に見舞われなかった人で、保険に入って損をした、と思う人がいるでしょうか。保険料が高くてもったいないからもう掛けるのをやめようと決めて、無保険のまま10年たって、やっぱり火事に遭わなかったから、止めてよかった、これからも火事なんて起きないだろう、と思って、そのままにしていたら、3年後に隣の火事のもらい火で丸焼けになった。家も家財も全部失って、もうどうにもなりません。保険金が入らないので、家を再建するめども立たず路頭に迷うことになりましたが、後の祭りで、ああ、やっぱり保険に入り続けていたらよかったのにと嘆いても、もう取り返しがつきません。
神なんか信じない。人間は死んだら無に帰るだけ。人生なんて空しいものだ。せいぜい生きている間、健康で、豊かで、楽しく人生を送れれば、それ以上の望みはない。だからこそ、せめて生きている間だけは身を守るために、あらゆる保険に入っておこう。
私の畏友に、出口治明さんという人がいます。日本生命のかなりトップまで上り詰め、退職後は、ネットライフ生命保険という会社の創業者になり、脳卒中をの大病を克服して、現在はアジア太平洋大学の学長です。故郷の三重県三杉村の図書館の本を少年時代に全部読んでしまったという伝説の読書家で、その博識は類例を見ません。著書は62冊に及び、そのほか共著、監修10冊があります。
出口氏は私が数年にわたって渋谷で開いていたサロンの常連で、50を過ぎて国際金融マンから転向したにわか神父の私が、キリスト教の話をしながら言葉に詰まると、「神父さんの言わんとするところは、つまりこういうことでしょう」と助け船を出してくれるキリスト教の知識の宝庫ですが、彼自身は神様を信じていません。信仰は知識ではないのです。
ほとんどの人は、自分の家に火災保険を掛けるのは常識であり、掛け捨ての保険料が惜しいとも、損をしたとも思ってはいないはずです。万に一つも火事にあったら、ああ保険をかけておいてよかったときっと思うことでしょう。そして、もし保険に入っていなかったら今頃どうなっていたことだろうかと、ゾッとするに違いありません。
神様の愛が彼の命を支え、生涯にわたって優しく世話をしてくださっていたのだと知った時、どんなに驚くことでしょう。一生を通して嘘など一度もついたことがないと胸を張って神の前に立てる人が一人でもいるでしょうか。人を悪く思ったり、人の信頼を裏切ったりしたことのない人がいるでしょうか。法に触れて表ざたになることこそなかったとしても、良心に恥じることをしたこが一度もない人がいるでしょうか。それを、神様はすべてお見通しで、すべて赦してくださっていたことを知って恥じ入らぬ人がいるでしょうか。
軽率にも、神なんかいない、と思って傲然と生きてきたが、もし、神様がおられると知っていたら、自分の人生は全く違っていたのではなかったか・・・と後悔しても後の祭りではないでしょうか。火事に会って自分の家が燃えて灰になった後で、ああ、保険に入っていたらよかったのに、と後悔しても、もう手遅れなのと同じです。
人間なんて、死んだらおしまい、無に帰るだけ、神様なんかいない、死後の命なんて信じない、と思って生きてきたのに、もし、死後にも命があって、神様が本当にいらして、死んだ後になって初めて、出合い頭の交通事故のように天地万物の創造主の神様と鉢合わせしたら、どんなに慌てふためいて恥じ入ることになるか・・・。でも自分の生涯はもう終わってしまった、やり直しはきかない。こんなことになるとわかっていたらもう少し真面目に生きているはずだったのに・・・と後悔して臍(ほぞ)を噛む思いがしても、全ては後の祭りではありませんか。
この世のあらゆるリスクに保険を掛けるほど用心深く賢明な人が、もし万一神様がいて来世があった場合に備えて、一応保険をかけておいた方がいいとなぜ思わないのでしょうか。
しかし、「神様保険」をかけようにも、いったいどこへ行けばいい?日本生命の支店に行っても、損保ジャパンのオフィスに行っても、神様保険、「あの世保険」の商品なんかどこにも売っていません。出口さんのネットライフ保険がそんな新商品を開発するかと期待したが、やはりそれだけは出来なかったようです。
それはそうでしょう。この世の保険は、保険料を払って、万一の場合はお金で損害を保証する仕組みだが、死後の生命のためにお金をもらっても、神様と出会うときに備えてお金を受け取っても、何の役にも立ちません。だから、もともと保険商品として成り立たないのです。
では、本当に天地万物の「愛」の神様が存在し、人間に永遠の命、復活の命が万一にもあった場合に備えて、どうやってリスクヘッジをしておけばいいのでしょうか。そこに登場するのが、「神様保険」、永遠の命に効く「生命保険」のセールスマン、谷口神父です。「わたしゃ加入者からお金なんか取らないよ!」と彼は言います。
「では、おあとがよろしいようで」。テレツクテンテン♪♪、と座布団をひっくり返して退席となります。
G7の会場の一つとして、確実にどこかの首脳たちが会談に使うであろうこの「李芳」の間で、わたしが実際にした話は、もちろんこんなに長いものではありませんでした。
実際は、懇意にしている広島のある会社の社長さんご夫妻の金婚式のお祝いで、午後3時半ごろから始まった親・子・孫・三代だけの水入らずのパーティーにただ一人紛れ込んだ神父が、熱心なカトリック信者のご夫妻とその一族のたくさんのスピーチや、50年間の思い出の写真や動画の映像や、朗読劇、パパ(社長)の初めてのテノールリサイタルや、お孫さんたちのはしゃぐ姿や、素晴らしいお料理や・・・とにかく、あふれるほどの優しく温かい涙と笑いの幸せな家族のだんらんの最後に、「では神父さん!最後に祝福の祈りをお願いします」と求められて、祈りの言葉の枕に、まだクリスチャンの洗礼を受けていないお嫁さんやお婿さんたちを念頭に簡単に短くしたお話を、長く敷衍したのが上の話です。
ちなみに、社長夫妻は熱心なカトリック信者で、彼らにはこの神様保険の話などは釈迦に説法、必要ありません。彼らは神様を深く信じているだけではなく、何度も潜り抜けた人生の危機を通して、すでに神様と鉢合わせしていて、その存在を深く確信している人たちです。
お父さんの家族向けリサイタル
伸びのいいテノールで、オーソレミオ、トゥーランドットのアリア、初恋など、和洋全7曲
結婚五十年間の様々な出来事をたどる家族全員参加の朗読劇
実は、このパーティーに先立って、お昼に実家で金婚式のミサがありました。実は、私はそのために招かれていたのです。
屋根裏の臨時チャペル 準備は滞りなく
金婚式はまず神様への感謝の家庭祭儀(ミサ)から始まるべきもの
ミサが済んだらみ~んなで 踊ろ!
歌に合わせ、手を打って、祭壇囲んで 輪になって 踊ろ!
ミサが終わった 晴れやかな顔で午後のパーティーへ
いま熟年の二人は 50年前はこんなに若かった
そして
話はこのブログの冒頭に戻ります
わたし(新米信徒)は、上のコメントで原子爆弾投下と宇品(うじな)について少しだけ書かせていただきましました。数日前に、「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川恵子 講談社文庫(2024) 単行本 (2021)」に出会いました。この本の序章によると、宇品は日本軍最大の輸送基地であり、町の地形と合わさって、米国の原子爆弾投下候補地に必ず入っていたそうです。遠藤周作氏の助言を参考にして創作された「眠狂四郎」の作者柴田錬三郎氏の随筆「地べたから物申す 集英社文庫(1995)」の、わが生涯の中の空白、に、柴田氏が宇品の暁部隊に所属し、宇品から乗船した輸送船が魚雷を受けて沈没し、数時間痴呆状態で海に浮かび、救出されたことが生々しく書いてあることを思い出しました。堀川さんの本によると、日清戦争を機に「帝国議会も衆議院・貴族院とともに広島に議場を移し、議員たちが大挙して押しかけた。」、「極めつけは広島の一丁目一番地たる広島城に、明治天皇その人が寝起きしていることだ。」cf. p. 4. ここまでとは全く想像できませんでした。戦争当時、広島が軍港であったことは広く知られていたでしょうが、宇品からの輸送路を絶たれれば、大日本帝国が滅亡に向かっていくことはどれほどの人が自覚していたであろうかと思います。その宇品でサミットが開かれたことから皮肉なことを感じます。
Die 15 augusti
In Assumptione Beatae Mariae Virginis
Deo Gratias
サミットが近く、平和のことをおもい、広島の宇品について再度書きます。お許しください。
今日、宇品島の原生林のことを思い出しました。宇品島を一周したときは、ほとんど海と光と自分のことしか見ていなくて、木を見ず森として観ていたと思います。以前、検索したときのことを思い出して、もう一度検索すると「原生林」のことが出てきました。しかし、島は、陸からそれほど離れていなかったはずで、不思議に思い、昔の地図を探すと、「広島新開地発展図」が見つかりました。市内の海側のほとんどが埋め立て地でした。これほどまでとは思っていませんでした。歴史の中で、ごく最近まで、宇品島は陸からある程度離れた島であったことを初めて知りました。原生林が残っていることも納得でき、私が上に書いた、集落のような村は本当に古い村だったことが想像できます。
ここからが本題ですが、広島港がかって軍港であったことは知られていると思いますが、「宇品線」が宇品港まで引かれていたそうです。戦時中は、兵隊の方が宇品線の汽車に乗って港にいったそうです。宇品線の跡は見ました。今はもうないかもしれません。わたしの無関心の故、原子爆弾が広島市にどうして落とされたのか考えもしませんでした。呉のことを思っていました。しかし、戦時中、広島市の江波に三菱重工業広島造船所があり、他にも、敗戦間際に、人間魚雷を作っていた造船所があったことを初めて知りました。cf. 中國新聞 ヒロシマ平和メディアセンター。昔は、江波の浅瀬のあたりで海苔の養殖をしていたことは漫画本で知っていました。わたしの愚かな想像ですが、広島の海にはたくさんの島があり、瀬戸内海に面していて、船との戦いに適しているので、軍港に発展していったのであろうか、埋め立てと軍との関係はあったのだろうか、と思います。三菱重工業は、今は、川崎重工業とともに、神戸で潜水艦を造っています。おそらく埋立地で。兵器を作っている会社があるかぎり、どこかで紛争や戦争が起こるように思います。多くの人の雇用は生まれるでしょうけれども。
金輪島がどこにあるか書くべきでした。すみません。上に神父様が挙げられた地図では、宇品島の右手にある島です。ポンポン船は、当時は、宇品港の横手にある桟橋から出ていました。宇品港も立派になっていて驚きました。上の「ドッグ」は「ドック」の書き間違いです。すみません。
神父様は、年齢より若く見えるように感じます。
若い人に、ギリシャのイデアの世界からのゆがみを話してみましたが、通じないようです。若い人は元気があるので、仕方がないと思っています。自分のことを振り返っても・・・。
"Pierrot Le Fou" のことを書きましたが、今はどうでもよいことです。人の「意識」の恐ろしさを感じるだけです。随分前に、一度だけ金輪島に行ったことがあります。ポンポン船に乗って行きました。船に乗っている人は、わたし以外は、島の船のドッグで働いておられる方でした。ドッグの横の坂道を登って行き、適当に歩いていました。今一度、思い出してみましたが、光と海以外では、風のことを強く覚えています。吹く風、風の音、風に吹かれる背の高い草、遠くから聞こえるドックの音、海の音、一人でいることの心細さ、寂しさ、こころの静寂・・・。帰りの船が出るころに、ドッグの横を通りましたが、美味しそうな鍋とけむりが見えました。冬でした。わたしは生きていますから、おなかが空きました。ランボーの詩、「永遠」とは遠く隔たっていたはずです。原爆投下後、多くの負傷者が金輪島に運ばれ、お亡くなりになったそうです。神父様が泊まられたホテルの近くは、以前は寂しいところで、村のような集落がありました。以前、仕事のおり、宇品に行きましたが、別世界のように感じました。広島は埋め立ての歴史で、闘争があったと聞いています。人の世は難しいことに溢れていると思います。また、私的なことを書き、すみません。