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聖母のメッセージ と 3.11の津波
- 関連、有りや無きや ? -
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アシジの修道院の友達の神父さんからメールがあった。ローマの国立図書館で知り合いの求道者のお嬢さんが陶磁器の個展を開くからぜひ見てあげてほしいとの依頼だった。
「火の芸術」新進陶芸作家の古川未央子さん
早速初日に出かけたら、美しい細密画の陶磁器が並んでいた。その中に、偶然にも見覚えのある珍しいマリア様の陶板の写真があって強く心を惹かれた。さっそく作者の古川未央子さんに確かめたら、やはりオランダのアムステルダムの女子修道院に依頼されて、そこに一枚だけある珍しい絵をもとに制作したものだということだった。
左が未央子さんが絵付けして焼いた陶板の「すべての民の御母」 右はオランダで印刷したカードの絵
一枚しかない本物の油絵は縦が1.6~7メートルぐらいと見受けられる。
左はローマの個展「炎の芸術」のカード(部分) 右は4月4日から名古屋栄三越で開かれる彼女の作品展 「祈り」 のPRのカード
陶板に描かれた絵は「マグニフィカトの聖母」
実は、この絵をイメージして仏師に白木のマリア像を依頼した人たちが日本にいた。秋田の湯沢台の修道院のシスターたちだ。そして、その中に全聾のシスター笹川がいたのだが、私はドイツの銀行で働いていた当時、このシスターがマリア様からのメッセージを受け、その前後にこの木のマリア像が100回以上にわたって透明な液体の涙を流し、時には得も言われぬ芳しい香りが辺りに満ちるなどの不思議な出来事が相次いだという噂を聞いた。
秋田のマリア像に信心を寄せる外国人の神父たち
帰国した際に、さっそく冬の秋田を訪れ、吹雪の中を湯沢台の修道院に向かった。空港からのタクシーが、雪道の途中でスリップして立ち往生するハプニングがあって遅れたが、やっと修道院に着いたときは数名のシスターと地元の信者のおばあさんたちがマリア像の前で熱心に祈っている最中で、不意を衝いて訪れた私に向かって、ご覧ください、たった今までマリア様は涙を流しておられました、と言って像のそばに私を連れて行った。目から溢れてほほを流れ落ちるところこそ見逃したが、顎には水滴が、襟から胸もとにかけては濡れた白木が茶色に変色し、帯のあたりにも水が溜まっていた。その人たちの素朴な正直そうな顔を見渡して、予告なしに現れた私を欺くために集団で細工をした可能性は全くないと私は即座に納得した。
木彫りのマリア像が101回涙を流した。
この写真のように目からあふれ出てほほを伝って流れ、顎から滴り落ちて胸を濡らし帯のあたりで溜まり、足と台座を濡らす動きを多くの人が見たという。
私が見たときは頬から口のあたりは乾きかけていたが、顎には水滴があり胸から下はまだぐっしょりと濡れていた。
問題は、その不思議な出来事に付帯するメッセージの内容だ。
私は既にブログの中で、ファティマの聖母のメッセージ、特にその「第3の秘密」と前教皇ヨハネパウロ2世の暗殺未遂事件との関連をシリーズで詳しく検討した。実は、秋田の聖母のメッセージ(お告げ)の内容にファティマのメッセージと共通する要素が見出されるのだ。基本的なメロディーは、人々に罪深い生活を悔い改めて回心し、神に立ち還るようにとの招きと、このまま悪が続くなら、洪水や火の艱難が降りかかるだろうという警告だ。私は、地震、津波、原発事故がそのような回心への招きと、世俗化し神をないがしろにし、罪を重ねている社会に対する戒めと考えるべきではないかと言う方向に考えが傾いている。文字通りには当てはまらない点もあり、カトリックの教えと信心に偏向し、一般の人々に対する説得力に乏しいなどの難点はあるものの、少なくともカトリックを信じる者は真摯に受け止める必要があるのではないかと思う次第です。
私は、一時シスター笹川とかなり親しい付き合いをしていたので、彼女のことはよくわかっているつもりだが、明るくバランスのとれた信仰深い人格で、ヒステリックだとか異常人格だとか言う言葉から最も縁遠い人であることは疑う余地がない。
病弱で、特に全聾という十字架を背負い、重度の障害者手帳の持ち主であったが、のちにマリア様の予告通り耳が聞こえるようになり、お役所に障害者手帳を返上した後は、私は何度も彼女と長距離電話で話すという、以前には不可能だったことが可能になったことの生き証人でもある。
また、私は心を病んだ妹の看護の過程で度々秋田の彼女のもとに連れて行ったが、妹はシスターになつき、彼女の前では全く正常に、明るく楽しく表情豊かに過ごしていたことを忘れることはできない。
なお、彼女と近い私の友人を通して消息を聞いたところ「シスター笹川は現在80歳。精神状態はいたって健康ですが、骨粗鬆による骨折などを繰り返しています」との返事でした。なお、フランスのテレビジョンに関係するカトリックのジャーナリストが最近取材を求めたとき、彼女は「隠れた生活を望みます。」と言って会わなかったそうだ。
ブログ編集技術がちょっと向上して、Uチューブを取り込むことができるようになったので、ためしに笹川シスターの証言を引用する。映像の中の赤い帯の男性は不思議な出来事を公式に認めた当時の伊藤司教(新潟教区長、故人)。後はこのブログの読者の判断に委ねたいと思う。
不信心でした。
私はカトリックの神父ですから、神様に文句をつけるつもりはさらさらありませんが、本心は「神様、あまり奇跡はなさらないでください。信じますから」と祈りたい心境です。私にはプロテスタントの大事な友達もいますし、大事な友達と言えば、大部分クリスチャンではありません。その人たちに、奇跡の話から入るのは、苦手中の苦手です。でも、素朴な信仰をもって、奇跡の話を素直に受け入れられる完成は大切ですね。
ルルドのお告げの本質は、聖母マリアの無原罪の御宿りの教義決定に対する神様の批准のような気がしています。マリア様が、この地上に生まれたときから(マリア様がそのお母さんの胎内に生命として宿った最初から)人類のあらゆる罪の穢れから(したがって人祖アダムとエヴァの罪からも完全に無関係に、つまり原罪を犯す前のエヴァのような状態で宿られた、と言う教義の正しさを裏付けるための奇跡だと思います。
それに対し、ファティマや秋田のマリア様の不思議な出来事は、回心への呼びかけだと思います。世俗主義、神を捨て去る風潮、それは悪魔のなせる業でもありますが、に対する警告でしょう。悪魔はいます。
日本の教会が秋田の事実から目を逸らすのは、信仰的に世俗化しているからでしょう。世俗主義社会の風潮に妥協に妥協を重ねて形骸化したキリスト教、カトリックに対する警告ではないでしょうか。警告に対して冷淡な教会は危ない状態にあると思います。