2008-02-09 21:25:49
ロサト教授は誤りを教えたか?-(若干の補足)
命のキャンペーン
グアム滞在もあと数日というとき、マリンドライヴからGPO(グアム・プレミアム・アウトレット)ショッピングモールへ曲がる交差点の角に大勢の人だかりがしていた。みな手に手にプラカードを持って、信号待ちの車の列に何やらしきりにアピールしている。気をつけてプラカードの文字を辿ると、
STOP ABORTION NOW!
(堕胎をすぐやめよう!)
ABORTION KILLS CHILDREN!
(堕胎は子供殺人!)
FIDELITY TO CHASTITY
Christ’s Direction to all!
(貞節を守ること、それはキリストの万民への教え!)
Jesus We Love You.
(イエスよ、あなたを愛します)
LIFE IS THE ONLY CHOICE
(命、それが唯一の選択!)
などの文字が躍っていた。
好奇心に駆られて、車を安全なところに止めて、交差点に引き返し、若者たちに質問をすると、堕胎容認新法の是非をめぐる島民投票で、反対票を投じるよう呼びかける、キャンペーンだと言うことだった。
現代社会では、大別すると二つの文明しかない。
一つは死の文明。
もう一つは生命の文明だ。
「命の文明」を支えるものは、死に打ち勝ったキリストの復活の命を信じ、死後の永遠の生命を信じるキリスト教以外にはない。不可知論や、仏教的諦観では足りない。
「死の文明」を支えるものは、世俗主義(神聖な超越的価値不在)、弱肉強食の経済的価値至上主義(拝金主義、「お金の神様」崇拝)、無制約の格差拡大と弱者切り捨ての新自由主義経済(小泉・竹中)、快楽主義、等である。
グアム島にも、お金の神様はぬかりなく上陸している。その背景は、日本人を始めとして、韓国人、中国人の観光ブームと、米軍基地特需である。グアムで今、死の文明は最も弱い無抵抗な命、胎児、の抹殺を合法化しようとしている。それに対して立ち上がったのが、カトリックの若いボランティアーたちだった。
少子化は、死の文明の勝利の目に見える明らかな徴である。
クリスチャンホームの平均の子供の数が、その国の平均と同じだと言うことは、命の文明が形骸化し、死の文明に屈服したことを意味している。教皇のお膝元のイタリアを始めとして、ヨーロッパ、アメリカ、日本など、みな例外ではない。名ばかりのキリスト教が、命の文明の担い手であることをやめて、死の文明の軍門に下ったことを意味している。
大雑把に言って、一組の夫婦が生涯に平均2.08人の子供を残さないと、その国の人口は減り始めると言われる。教皇のお膝もとイタリアでの1.17を最低とし、日本は1.3あたりと思われる。平均2.0を下回ると、逆鼠算式に人口減少は加速する。たとえば、日本の場合、現在の人口1億2700万は、50年後には9000万を切ると言われる。
司祭不足の問題に取り組むとき、なぜ命の文明の担い手であるべきキリスト教会が豊かな命の恵に満ち溢れていないのか、なぜ外の世俗社会と変わりなく信者の間でも少子高齢化が進んでいるのかを、先ず問わないのは何故か?司祭を増やすためには信仰共同体の中での少子化を克服しなければならないと言う方向には考えず、あたかも少子化は神の意思であるかのように無条件に受け入れ、今後も司祭は増えないと言う悲観論を前提に、「共同司牧」などと言う小手先の辻褄合わせに走るのは何故か?
それは、教会の政策立案を担う聖職者たちが、自らの信仰が形骸化し、空洞化していること、世俗化との妥協の結果死の文明に飲み込まれてしまっているという現実と、正面から向き合うことを恐れるからに他ならない。
命の文明の擁護者であり教会の指導をゆだねられた牧者にとって、自分たちが司牧するクリスチャンホームの出生率が、死の文明の世俗社会のそれと同じなのは何故か、と言う問題に向き合うことは恐ろしいことであるに違いない。それはうっかり開くと何が飛び出すか分からないパンドラの箱を開けてしまったときのような、収拾のつかない大混乱になることが、本能的に予感されるからである。自分たちの信仰の正体が白日の下に晒され、弁明の出来ない事態に立ち至ることを恐れるのであろう。
しかし、地球温暖化が人災であり、その是正が文明を救うための急務であるのと同じように、キリスト教会における少子化も、信仰が失われた結果の人災であり、放置すれば教会が滅びる深刻な問題であることに一日も早く気付かなければならない。
ここに、世俗化社会の死の文明に飲み込まれたキリスト教の中で、命に満ちた新しい動きが見られる。教皇ヨハネ・パウロ二世がローマ教区に設立し、いまや世界70数箇所で姉妹校が誘致されたレデンプトーリス・マーテル神学院と、それらを満たすだけの神学生を送り出している「新求道共同体」である。
日本には、高松教区の深堀前司教が世界に先駆け誘致した7番目の姉妹校がある。そこには、九州、沖縄を除く全国11司教区から集まった神学生全員に匹敵する数の元気な神学生たちが、日本でいちばん小さな司教区一つのためだけに集まっている。
新求道共同体は、洗礼の恵を再発見する回心の道で、この道を歩む人たちの間では、1家庭あたりの子供の数は、平均5人に近いと言われている。これは第三世界や回教圏の平均よりも高いはずである。望んでも子宝に恵まれない夫婦が、信仰ゆえに2人、3人、4人の養子を迎えるケースも稀ではない。
堕胎という殺人は論外として、産児制限や受胎調節はどういう方法なら自然に反しないとして教会から許されるか、と言う後ろ向きの低次元の議論ではない。健康な夫婦の自然な愛の営みは、神の前に24時間、365日、常に新しい命の恵に対して寛大に、英雄的に開かれているように、と言う理想を真面目に受け止める人たちである。神の摂理に対する絶対的信頼と、教会共同体からの精神的、経済的な支援無しには考えられない現代の奇跡と言うほかは無い。
日本の教会にも、今は引退、または天国に凱旋した司教たちによって招請された宣教家族たちが、まだ恐らく20数家族全国に居るはずだが、彼らの中に、8人、10人、それ以上の子供に恵まれた大家族が数多くいる。その彼らは、この奇跡、キリスト教に基づく命の文明のわかりやすい生き証人たちである。彼らのつつましい、犠牲の多い沈黙の生活それ自体が、周りの死の文明に対する強烈な信仰の証、宣教活動である。
少子高齢化社会における司祭不足への本当の答えはこれである。共同司牧では断じてない、と私は思う。
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