:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「悪の根源」 について -「エゾ鹿」と「ウサギ」 の哲学的・神学的対話-その18

2008-02-12 17:44:34 | ★ 野尻湖・国際村

〔エゾ鹿〕 臨時ニュース!臨時にゅーす!ウサギさん!早く起きて!!
〔ウサギ〕何事ですか?エゾ鹿さんらしくも無い!まだ朝の6時前でしょう?眠いなー、もう!
〔エゾ鹿〕 今朝早く「のんの」さんと言う人からコメントが入っていて、私たちの対話シリーズの「その18」が見つからない、と言われるのです。
〔ウサギ〕 それで?
〔エゾ鹿〕 それで・・・、変だと思って「編集画面」の〔記事一覧〕を良く見たら、「その18」は未完成の「草稿」のまま、公開されずに眠っていたのが分かったのです。
〔ウサギ〕 なーんだ、鹿さん、それってトシのせいじゃないないですか?そんなことで朝早くから起こさないでよ!おやすみなさい!! Z Z Z ・・・・
〔エゾ鹿〕 (独り言)うさぎさんは能天気でいいな!本当は共同正犯なのに。

(のんのさんへ)ご指摘どうもありがとうございました。年末のどたばた劇の間に起きた事故でした。ここに、あわてて「草稿」を写真もつけずに未完のまま公開します。次で何とか辻褄を合わせますから、どうかお許しを!


              * * * * * * *

(陰の声: 以下は、12月10日の草稿をそのまま無修正で公開するものです。)

〔ウサギ〕 エゾ鹿さん。にゃにゃさんのコメントは感激でしたね。
〔エゾ鹿〕 ほんとだね!これに元気付けられて、一気に結論に向かって、脱兎のごとく走りまするか。
〔ウサギ〕 暮れで忙しいときだから、いっそのこと鹿さんのギャロップで行ったほうがいいかもしれませんね。雪の知床の原野を行くように。
〔エゾ鹿〕 クリスマスの前には、映画「マリア」の感想も載せたいしね。では行きますよ。
エヘン。さて、前回は結論のところで、罪には「理性」と「自由意志」が前提になると言うことを書いておいたが、覚えていますか?
〔ウサギ〕 えっ?!そんなこと言われましたっけ?
〔エゾ鹿〕 やだなー。もう忘れたんですか?いいですか、罪が成立するためには、行為の主体は自分が何をしようとしているか、何をしたかを、その行為がなされ完結するまで、自分の理性で把握していなければならないでしょう。夢の中や、泥酔中の行為は罪にならないし、もともと理性を持たない動物たちも、罪を犯すことはない(できない)という意味だ。そして、自分のしていることが分かっていても、それが自由になされたものでなければ、罪を構成することは出来ない。強制されたり、自由を奪われた状態でした行為は、罪にはならないと言うことさ。
〔ウサギ〕 なるほど、なるほど。ところで、肝心の「悪」の問題ですがね。悪と罪とはどういう関係にあるのか説明していただけませんか。
〔エゾ鹿〕 そのことなんだけど・・・・。実はね、この世の中に「悪」は存在しないんだよ。
〔ウサギ〕 えーっ!嘘でしょう?!では、今までの長い話は何のためだったのですか?「悪」が存在しないのなら、「悪の根源」の探求も、始めからないもの探しだったと言うことですか?それはないでしょう?いくらなんでも!
〔エゾ鹿〕 誤解しないでもらいたいのだが、私が言おうとしているのは、ここに林檎が存在するように、或いは壷が存在するように、悪と呼ばれる存在があるか、と言う問いに対してなのだ。悪い人、悪い思い、悪い言葉、悪い行い、悪い(有害な)空気、悪い○○、悪い△△、など、形容詞としての「悪い」はあるけれど、名詞としての「悪」、言葉を代えて言えば、「悪」と言う「存在」があるかと問えば、答えは恐らく「No!」だろうね。
だって、考えても見たまえ。全ての被造物に先立って神が存在した。神は善だった。全ての存在は神によって創られた。被造物は全て善いものとして創られた。創られたままの状態で生来的に悪いものは何一つなかった。この善いものとして創られた被造物が、後天的に悪いものになったのは、罪の結果だと言った。その罪が何処から被造物の世界に入ったかと言うと、それは、人間が良心の声に反して行動したからだ。そして、・・・・
〔ウサギ〕 ちっと待ったー!鹿さん、走るの早すぎるよ。わたしゃ、脱兎のごとく走っているが、もう息が切れて鹿のギャロップにはついていけないよ。
〔エゾ鹿〕 悪い、悪い!では、ちょっとペースを落とそう。いま、ちょうど未解決な問題に差し掛かったところだから。実は、カカオアレルギーの坊やの話の中で、一つだけ未解決のまま通り過ぎた問題があったのだが、気付いていたかね?
〔ウサギ〕未解決の問題ねえ?それって、ひょっとして、良心の声の主のこと?
〔エゾ鹿〕 大当たりー!よく気がついたね。
〔ウサギ〕 実は、前から訊こうと思っていたのだけど、鹿さんは確か、良心の声は、魂の最も奥深いところに響く他者の声だと言いましたよね。他者の声と言うことは、坊や自身の声ではないと言う意味でしょう?だとすれば、一体誰の?ひょっとして神様の声ですか?
〔エゾ鹿〕 いや、そう短絡することには問題がある。今は、仮に「天使の声」とでもしておきましょう。もちろん、天使とは何かをしっかり定義しなければならないけどね。それは、あとで必ずきれいに説明すると約束するから、今はちょっと先に進んでもいいかな。
〔ウサギ〕 天使がいるなら、悪魔もいるってこと?悪を勧め、そそのかし、誘惑するささやきも、魂の奥に聞こえるのはそのため?
〔エゾ鹿〕 だから、この問題は今しばらくお預けにしないか。きっとあとで正面から取り上げるから。どうせこの問題を解決しなければ、悪の問題も完全には解決しないのだから。
〔ウサギ〕 約束ですよ。
〔エゾ鹿〕 いいとも。約束する。さて、良心の絶対的勧め(命令と言ってもいい)の中身は何だったかね?
〔ウサギ〕 それは、善を行いなさい、悪をを避けなさい、でしょう?
〔エゾ鹿〕 では、善とは何かね?
〔ウサギ〕 えーと、善とはーー、善いこと、悪いことの反対。
〔エゾ鹿〕 全然答えになってないなー!善とは、一言で言えば、具体的な場面で良心が勧める事、悪とは同じ具体的な場面でしてはいけないと禁じること、それが善と悪の内容と言えないだろうか。それは、人類の長い歴史の中で次第に類型化されて、いろいろな道徳律として固定されるようになった。ユダヤ人の聖典である旧約聖書のモーゼの十戒などがその典型と言える。近代的な意味での法治国家では、法律の中にもその陰が濃く見出される。それは、良心が麻痺して、内面的な力で善に留まれないものが、社会生活において秩序を乱すことを抑止するために役立つ。
カカオアレルギーの坊やの例に戻れば、良心の声の内容は、優しいお父さんを悲しませる、お父さんの愛にそむく、自分の有害な結果、緩やかな死を招き寄せると言うものだった。それは、天地万物をご自分のあふれる創造的愛で無から存在界に呼び出した神が、被造物に対して何が善で、何が悪かを・・・・
(草稿はここでぷつりと途切れていた)

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