教皇の紋章
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ローマ教皇突然の退位の裏を読む
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昨日2月12日の
日本語グーブログ182万件余りの中で586位は
内外の圧力で中断を余儀なくされた期間を含む4年間の我がブロガー人生の中で
最高記録をさらに更新するものでした。
引退発表2日前 晩餐会でシャンペンを飲ベネディクト16世
ローマ教皇ベネディクト16世が突然の生前退位を表明するわずか3日前の2月8日に、教皇の晩餐会に連なっていたという幸運のなせる業ではありますが、それを偶然と片付けるには余りにも劇的でした。
前触れがなかったわけではない。教皇は2010年に出版した本の中で「体力的、精神的に限界に来れば引退する」と書いている。
私の2月10日(退位発表の前日)のブログでは、車輪付き台座に乗って「カラクリ人形」のように移動する教皇の姿を描いたが、それは顕著な予徴だった。
「ユダヤ人との関係改善」の努力、「聖職者による未成年者への性的虐待事件」などを巡り、光と蔭の両面に私のブログはスポットを当ててきた。
彼は高齢者なのにツイッターに投稿し、「ふつうのおじいちゃんに戻りたい」とつぶやいたり、礼儀に欠く日本の投稿者に対しては「ふざけたツイートをよこした連中は皆地獄に堕ちるように手配しておいた。免罪符を買っても許されない。」とユーモアたっぷりにピシャリと切り返したりもした。
約1000年ぶりのドイツ人教皇の生前退位は、1415年のグレゴリウス12世以来600年ぶりのことと、異例ずくめの教皇の退位の行方には目が離せない。
あの限られたスペースのバチカン宮殿の中に100人以上の枢機卿を泊める施設があるのも驚きだが、日本テレビがミケランジェロの壁画の修復を無償で行ったシスティーナ礼拝堂で行われるコンクラーベ(教皇選挙)は外部からの一切の介入を遮断するのが目的だったはずだが、アイパッドや高性能の携帯電話の発達した現在、どうやって政治的関心や、保守・革新の勢力のせめぎ合いや、マスコミの介入を完全に遮断できるのか、大いに疑問がある。
ここからは全くの私の私見だが、退位の主要な理由が健康や気力の問題でないことは私には明らかなように思われる。本当の意図は何か。突然に見える退位表明から28日の退位日まで、まだ2週間以上ある。コンクラーベ(選挙)が始まって次期教皇が決まるまでさらに2-3週間はかかるだろう。彼は何かの圧力に屈して辞めさせられたわけではなく、自由に選んで辞めた。8年間の在位中に次の教皇選挙に関わる118人の枢機卿の半数をはるかに超える67人を自分で任命した。教皇はその間選挙に介入しないとは言われるが、彼が公には沈黙を守り続けるとしても、生きて存在しているというだけでその影響力には絶大なものがあるのではないか。
ヨハネ23世が突然提唱して始まった「第二バチカン公会議」の世紀の大改革路線は、パウロ6世、一か月しか在位しなかったヨハネパウロ1世(暗殺の噂が絶えない)、プロの殺し屋の銃弾を浴びながら奇跡的に一命を取り留めた福者ヨハネ・パウロ2世、そして超厳重な警備に護られて暗殺者も手が出せないままに任期を全うしそうな現教皇ベネディクト16世の後継者選びに、彼の生きているという現実の影響が全くないとは言えない。
第二バチカン公会議の改革の振り子が逆に振り戻ろうとする勢いを、自分の体力と気力では押さえきれないと踏んだ教皇が、生前退位と言う ウルトラC を使って、改革の路線堅持を保証し見届けようとしているのではないかと私は思う。
もともと、第二バチカン公会議の決定には、保守と革新の激しいせめぎ合いを辛くも革新派が制した玉虫色の面があった。その公会議文書と現教皇の登位前の発言、登位後の発言などを綿密に照合して、細かい矛盾を突いてくる執拗な勢力の前に、追い詰められて身動きの取れなくなる場面も予想される。そのような事態に立ち至る前にサッと体をかわし、自分の意に沿う後任者に処理を委ねるという手もある。
これが裏目に出ることなく成功すれば、終身職の伝統を変えて、今後教皇の生前退位が新しい潮流として定着することになるかもしれない。
わたしは今回、聖ペトロ広場でシスティーナ礼拝堂の煙突から白い煙が出るのをじっと待ち続けるローマっ子の中に居ることは出来ないが、復活祭明けには新教皇(それが誰であれ)のご尊顔を遠くから拝することができるのを楽しみにしている。
このブログの最後を借りて、1月末に上梓したばかりの私の2冊目の本 《司祭・谷口幸紀の「わが道」》 (ブロガー神父の主張と情熱)〔フリープレス刊、1200円+税〕 を紹介します。是非ご一読ください。(本のネットショップで「谷口幸紀」と検索すればすぐ出てきます。)
森司教様の名前による書き込みは、「これからの教会のありようを考える」森一弘(司教様)女子パウロ会 (2011) 、の第 8 章の p. 166, p. 169 の文からの引用(一部は変えてあります)です。大変悪質な書き込みではないかと思います。
話は飛びますが、今書いておられる記事でこのブログを知りました。超自然宗教の復権についての解説を楽しみにしています。神父様の年齢を知って驚きました。
神に感謝。
私は無知な者ですが、名誉教皇様の自伝を素直に読むと、神学者としては革新的な方で、一方、公会議後の典礼の改革には相当不満を持っておられるように感じます。後の面だけをみて、保守派と言われているのであれば残念です。神学者として失格の烙印を押されかけたことがあるそうですから。神父様のブログへの圧力は、想像もつきません。
今はもう時効だから敢えて言いますが、溝部司教様は着任早々私に酷いことをいっぱいされました。1年間の国外追放。引き続き2年間の期限付き教区外追放はきつくて身にこたえましたね。わたしは行き所を失って雪深い長野県の山の中のぼろ屋にただ一人籠っていました。
トドメは無期限の教区外追放で今も有効です。その時渡された追放令状には、この神父は(悪いことをしたわけではないから)、何処でもカトリックの司祭としてミサをたてたり告白を聞くことは禁じられていない、ということが明記されています。しかし、教区から司祭のお手当も、社会保険も健康保険も全部取り上げられた状態で放り出されました。旅人宣教師として派遣するから世界中どこでも好きなところに飛んで行け、という趣旨でしょうか。わたしは勲章をもらったような気がしました。幸いローマは懐が深く、私の引き受け手が現れ、そこから宣教師として日本に派遣されています。
今の高松の諏訪司教様は、私が神戸の小教区の侍者の会の会長をしていた頃、まだ小さな可愛い侍者の一人で、わたしは彼のいいお兄ちゃんだったので、その個人的な関係は今も失われていませんが、前任者の不当な処分の取り消しも、名誉回復もありません。
溝部司教さまは、本当はわたしを破門したかった、と本心を打ち明けられましたが、同時に、この神父を破門したら、ローマからやられるのは司教自身だと言われて思いとどまった、と悔しそうに私に言われました。
私はいま自由で幸せです。あと少しで82歳。主イエスも迫害され十字架に架けられたのですから、わたしは少しでも主に似たものになれたことを喜んでいます。
結果として、延べ20年ほどに亙った私のローマでの生活は恵みいっぱいの時間でした。神に感謝!
書きにくいことを書いてくださり、ありがとうございます。私は、ほとんど何も知りませんでしたが、このブログのいくつかの記事で少しは想像していました。ローマは正式に認めていることを公式のサイトをみて知りました。アビラの聖テレジアは、晩年修道会のことで苦労したようですし、アシジの聖フランシスコも会が望んでいたことと違うようになっていき、晩年は不本意な思いをもっていたようです。
「主イエスも迫害され十字架に架けられたのですから、わたしは少しでも主に似たものになれたことを喜んでいます。」
多くの聖人がおもい、願った境地のようですが、私にはほど遠い境地です。私が病気や苦しみにあるときに、イエス様のことと聖パウロのことばを少しでも思い出して、イエス様に感謝して祈ることができればよいと願います。
谷口
キリスト復活! 有り難き事。
「ユーカリスト 神の国のサクラメント アレクサンドル・シュメーマン [著] 松島雄一 [訳] 新教出版社 (2008)」(原書のロシア語版の初版は 1984 年)を最近手にして初めの部分を少し読んでみました。
第 1 章 集いの機密(サクラメント) (1)、の冒頭に「あなたがたが教会として集まるとき・・・」 (一コリント11・18) が引用されています。第 1 章の 1 に、
「・・・。
この集いはユーカリスト (4) のための集いだった。そこでは『主の晩餐』が行われ、ユーカリストのパンが割かれた。パウロは同じ書簡の中で、コリント教会の人たちを、彼らがその集いで『主の晩餐』以外の食事を
とったこと、またユーカリストの『パン割き』以外の目的のために集まったことを叱責している(11・20-22 以下)。このようにきわめて早い時期から、『集い』『ユーカリスト』『教会』は明瞭で疑い得ない三一的一致の関係で結ばれ、パウロをはじめ初代教会の伝承がこぞってそれを証言している。したがって奉神礼 (5) 神学の基本的な課題は、この一致の意味と本質を明らかにすることにある。」 cf. pp. 7-8. 先ず、冒頭の 1 Cor 11:18 の訳に驚かされました。訳注 (4) には、
「・・・、いずれの訳を採用しても、ギリシア語のエウハリスティア(感謝)に由来し、神への感謝の祭儀(礼儀)という意味を担っていることが曖昧になってしまう。・・・」、とあります。
第 1 章の 4 には、
「・・・。彼らは実際上自らの司祭性の本質を『聖なる事物』に一般信徒が触れることを断固として阻止することに見いだし、異常な、ほとんど肉感的
ともいえる満足感をこの『阻止』に覚えているのである。
しかしもう一度繰り返そう。そのような『祭壇(至聖所)』観は本来のものではない。誤りである。それは祭壇への意識に対応するイコノスタシス (36) への意識に由来するところが大きい。・・・、イコノスタシスは本来まったく反対の目的で設けられたのである。隔てるためではなく結合するためである。イコンはキリストにあって成就した神と人との、天と地との結合の証拠、さらにいえば結果である。・・・」 cf. p. 19-20.
丹後のカトリック宮津教会の建物には今も内陣と内陣扉があるようです。以前に友人と行きました。宮津市の site によると、
(昭和南海地震の前に起こった)「北丹後地震でもびくともしなかったそう。」
Nova Vulgata の 1 Cor 11:18 は
"Primum quidem convenientibus vobis in ecclesia,
audio scissuras inter vos esse et ex parte credo."
ecclesia を単数の奪格として in ecclesia でこの書の訳のような
感じはあるのだろうかと考えて、一応おきかえてみました。
先づ、正に教会を生(な)して集(つど)ひし汝(な)から、
汝(な)の間(あはひ)の分(わ)かたるることを聞きて大凡(おほよそ)信じたり。
ミサに与っている者としてまた無知な者としてこの書から教えられることは大変多いようです。永眠された著者そして翻訳者の正教会 司祭 ゲオルギイ松島雄一に感謝いたします。
上のコメントに引用いたしましたアレクサンドル・シュメーマン神父の著書「ユーカリスト」、の、第 7 章 一致の機密 「あなたがたも互いにきよい接吻をもってあいさつをかわしなさい」 一コリント 16・20 、に、次のことがありました。
「『我ら互いに相(あい)愛(あい)すべし!」という高声 (1) は、今日行われている聖体礼儀の流れの中できわめて短い
一瞬のことなので、肉体の耳によってであれ魂の耳によってであれ、ほとんど聞き取れない。次にとなえられる『信経』のたんなる前置きの高声でしかない。しかし古代では違った。古代教会の奉神礼の記録によれば、この高声に引き続き実際に『平和の接吻』が教会全体で、
会衆もこぞって参加して行われた。・・・」 cf. p. 186. 「(1) [訳注] 礼拝の中で呼びかけや喚起のために強く発声する句。」
「・・・。さらにこの行為の消失は、教会の肥大化に結びつけて考えることも可能だろう。大教会の大会衆の中で互いは見知らぬ人どうしとなり、この儀式が現代人ならたんなる『形式』と呼ぶものとして受け止められ始めたということだ。・・・」 cf. p. 188.
「・・・。キリストの内にいるとは、キリストのいのちである教会の内におり、そこで生きることである。キリストのいのちは人類に分かち合われ、授けられた。それゆえ教会はキリストはいのちによって生き、その愛のうちに住まう。・・・。この愛が本質的に教会のしるしであり、他の全てはそこに抱合されている。・・・。愛が教会の聖性の本質である。なぜなら愛は聖神(聖霊)を通じて私たちの心に注がれているからである。『愛のうちに育てられていく』(エフェソ 4・16)教会の一致の本質も、教会の使徒性と公同性(ソボルノスチ)の本質も愛にほかならない。・・・」 cf. pp. 191-192.
「・・・。さらにその上に、教会はその全てのメンバーの互いの愛を通じて、またそのいのちそのものである愛を通じて、キリストと彼の愛をこの世へ顕し、キリストを証し、キリストの愛を通じてこの世を愛し救うことを意味する。」 cf. p. 192.
ミサで互いに交わす「平和のあいさつ」について教えていただいたように思います。初めに出会ったプロテスタント教会の年末祈祷会に参加したことがあります。暖房をつけていない礼拝堂の中の、説教台の前の床に座って手をつないで祈祷をしました。強く刻印されています。
ドイツで朝のミサに与った後、10 時頃に少し離れたところにある大聖堂の集いに参加しましたが、最後に輪になって手をつなぎました。言葉以外は異邦人のように感じませんでした(信仰を持つ前の時に)YouTube で見たある動画では、ウクライナから避難してきた方が、講演会の最後に少女から花でできた冠のプレゼントを受け取った時に、感極まって、親の方の同意を得て、少女の背の高さに合わせて跪いて抱きしめていました。この姿を見て、涙がでてきました。
上の書のことばからユダの接吻の重さが表面的には伝わってきました。所属教会の神父様がわたしに何度か仰ったこともぼんやりと伝わってきたように感じます。有り難く思います。
cf. 「ソボルノスチ」については、例えば、「正教会を知りたい人のために by Fr. George Matsushima 司祭ゲオルギイ松島雄一 大阪ハリストス正教会」、の、◆師父たちからのメッセージ、の、キリスト教をとらえ直してみたい方へ、の、「ホミャーコフと正教会の教会論」にあることを見つけました。ホミャーコフ先生は、1804-1860 に生きた方だそうです。大変な長文をすみません。
しかし、わが「新求道共同体」では男も女も、大人も子供もハグハグします。
なかなかいいものです。半面、こうなると心のどこかにわだかまりのある者同士はほかの人とはハグハグするけれど、特定のその人だけは上手に避けて回ります。その相手が夫であったり、妻であったり、共同体の責任者であったり・・・相手はさまざまですが。
そして、ある日、その二人が和解しあうと、避けたり逃げたりしないで自然にハグハグしているから面白いですね。