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スペインの旅(そのー2)
「マドリッドのミサ」「ハビエル城」「テレサの終生誓願」
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日本からの一行は土曜日の夜マドリッドのある教会でミサを祝った。
イタリア人のアントネロ神父が日本語は当然だが、スペイン語も堪能なので司式することになった。
共同体のミサの形式は基本的に世界中で同じ。言葉も流れもローマ典礼を厳格に守りながら、歌や所作にいろいろな工夫がなされている。アントネロ神父の正面が日本からのグループ。
宣教家族のコルデロ家の未亡人マイテさんが、苦労の多かった日本での生活について証言した。
夫が早くに癌で他界した後は、大勢の子供を抱えて心配の絶えない生活だった。しかし今、その多くは結婚し、息子の一人ホアンは司祭職を目指してローマの神学院におり、娘の一人テレサは3日後にフエスカの街で終生誓願(生涯をキリストの浄配=花嫁として捧げる誓い)の式をすることになっている。日本からの50人余りの団体の多くはテレサの式に出るのが旅の大切な目的の一つなのだ。
マドリッドの共同体の兄弟たちの一部。
ミサの終わりに広島の K 夫妻の結婚記念の祝福が、
つづいて、スペインの共同体の臨月の姉妹が、アントネロの祝福を受ける。
ミサの終わりには、もうお馴染みの踊りが始まる。祭壇を囲んで、旧約の時代のユダヤ人の過ぎ越しの祭りのように。手拍子も、単純なステップも、オリエンタルなメロディーも、信仰における「兄」にあたるユダヤ教徒から正しく受け継いだもの。
ミサ後、外へ出て空を仰いだ。ほとんど満月だった。
翌朝、テレサのいるフエスカの街に向かってバスで移動。川は雪解けの水で流れが速い。
スペインでは菜の花を多く栽培して菜種油を収穫する。遠くの山は雪を頂いている。
マドリッドから東北へ280キロ余りでサラゴサ。そこからさらに東北へ80キロでフエスカ。フエスカの北西にハビエル城がある。ハビエル城は聖フランシスコザビエルの生誕の地だ。どうやら着いたらしい。
広島の K さん夫妻と
城内の一窒。1506年4月7日フランシスコ・ザビエルここに誕生す、とある。日本のキリスト教宣教の始まりと、その後の鎖国と、激しい迫害と殉教の歴史の展開の原点がここにあった。
お城の前の広場でお弁当。バケットにソーセージを挟んだのをアルミホイールで包んだ質素なもの。
道に真鍮のホタテ貝がはめられていた。気を付けているとフランス、ドイツあたりからすでに始まって、ヨーロッパ中に何万個か、数十万個の真鍮の貝が歩道に埋められている。この貝の示す方(ここでは右)に歩いて、次々と貝を辿って歩いていくと、800キロ以上西のサンチャゴ・デ・コンポステッラの巡礼聖地にたどり着く仕組みになっている。フランス・ドイツ・スイス、イタリアなどを起点に様々のルートがある。
翌日テレサの修道院のチャペルの前庭で昼食があった。焼きソーセージ食べ放題の感じだった。一度宿に帰って、晴れ着に着替えて式に臨む。
調理はいとも簡単。地面に無造作に広げた燃えた炭火の上に、直に置いて火が通るのを待つだけ。
式を待つ会衆。あらゆる隙間の椅子が並べられ、立錐の余地もない。
祭壇の両脇には一階も、二階にも広い部屋があって聖堂は T の字型になっている。ただし、両脇の部屋と中心の部屋との間は鉄の格子で仕切られている。ここは厳格な禁域を守るカルメル会の女子修道院だ。一度この会に入会したものは、終生誓願と共に、二度とこの禁域の外に出ることはない。敷地はシスターたちの散歩の場所と自給自足のわずかな菜園があるがそれほど広いわけではない。周囲は監獄のように高い塀で囲まれていて、世俗社会とは完全に遮断されている。司祭がやってきてミサをし、信者一般も参列できる聖堂は俗人と修道女が空間を共有する唯一の場所だが、祭壇の正面の信者席と姉妹たちが預かる左右の部屋は鉄格子で区切られていて、格子の奥にいる修道女の姿は一般信者席からは見えにくい死角の位置にある。私は祭服をまとって祭壇の後ろの司式者の列に居るから、横を向けば修道女の部屋はのぞき込める。しかも、カメラのズームは居ながらにして肉眼よりも大きく彼女らの姿を捉えることができるのだ。
祭服の盛装にカメラはどうにもなじまないのだが、私だけは例外を決め込んでいる。左の格子の奥の脇部屋にテレサの姿があった。10名ほどの平均年齢の高いシスターたちがその後ろに控えてていた。彼女のヴェールは有期誓願者を意味する白だ。これから、そのヴェールが黒になる終生誓願式が始まる。
中央の司式者はフエスカの司教。その向こうの白髪はフエスカの教会の主任司祭だ。
誓願式そのものは格子の向こうで行われる。院長の前でテレサが自筆の誓願の言葉を読み上げている。
その請願書にいまテレサが、次に院長が署名する。
誓願のあと着衣が変わる。ベールの色は黒に、その頭には白いバラの冠が載せられる。お盆の上にバラの冠を載せて、母親のマイテが司教にそれを渡す。
黒いベールとバラの冠を戴いたテレサ。キリストの浄配、彼の花嫁としてこの禁域に世俗から身をひそめ、天国に旅立って地上に遺した亡き骸が棺桶に入って墓地に向かう日まで、生涯一歩も外に出ることなく、祈りと労働と苦行に身を捧げる。
聖体拝領の時だけ格子に小さな窓が開く。司教さんが持っている特別な器の真ん中にはキリストのおん血(ブドー酒)、その周りにはキリストのおん体(薄い小さなパン)が載っている。パンをブドー酒に浸して頂くとき、テレサとキリストの婚姻は成就する。
聖体拝領後のテレサの至福の表情。
テレサが去った場所にはバラの花びらの雨のあとが・・・、しかしその情景も他のエピソードも詳述しなかった。儀式の全てを中継してたら、長い長いブログになってしまうのだから。
テレサが神様へ、天の浄配キリストへの愛をこめて手書きした誓願文。
最後の院長のシスターとテレサの署名がある。
テレサの喜びに満ちた顔を、皆さん忘れないでください。
神父の更衣室の姿見の鏡の前で。この格好で黒い目立つカメラをもって祭壇に上がり不審な挙動を続けたら、日本の教会では不真面目の誹りで完全に降ろされるだろう、が・・・
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纏めに一言解説したい。今のカトリックの世界で、純粋に神様オンリーになって、青春も才能も一切捨てて、厳しい禁域の中の祈りと労働と苦行の生活に身を投じる女性は少ない。テレサは宣教師になった親にくっついてスペインから日本に来て、神様に呼ばれ、日本のカルメル会に入った。しかし、厳しい戒律と日本の湿気の多い気候の組み合わせが彼女の体に合わなかった。それで、乾燥したフエスカに転院したわけ。日本から来た多くは彼女の親友だった。私のことも彼女はよく覚えていてくれた。式のあと、格子越しに一人一人と一秒でも長く話していたかった。私自身、彼女と話していて、涙が止まらなかった。彼女がここにいる誰よりも幸せであることは見るだけで分かったからだ。
もう一つ。私はすっかり大きな錯覚の虜になった。式が進むにつれて、彼女たちシスターと、祭壇の上の聖職者や聖堂を満たした信者たちの間を遮る鉄格子が耐え難いほど邪魔に思えてきた。こちらから向こうに自由に渡れないことが息苦しくなった。それは、この狭い聖堂の中にひしめき合っている我々が、世俗という籠の中、鉄格子の牢獄の中の囚人で、テレサたちが天上の自由を味わっている人たちのように思えてきたからだった。金銭欲、肉欲、傲慢、嘘八百の二枚舌、嫉妬、エトセトラ、の奴隷として鉄格子の中に自由を奪われて捕らわれているのは実は我々の方で、テレサたちは自我と我欲を完全に神様に捧げつくした、天上の自由を先取りした羨ましい人々であることを、この式を通して徹底的に思い知らされたのだった。
(旅はまだ続く)